番外編3 魔女たちの宴
そろそろダリアさんとの夜会の日が近づいてきた。
何でもこの夜会とやらは定期的に毎年執り行なっているようで、その目的は情報交換であったり、イニシエーション的な儀式だったり、その用途はその時の時勢などに合わせ、様々なようだ。
それを取り仕切るのが、黒きダリアと呼ばれる私たちの同胞の中でも一番の古株だ。
数度メールでやり取りをして、夜会の日取りも場所も決まった。
どうやら日本で行うらしかった。
最初は私に気を使ってくれたのかと思ったが、どうやら違うようだ。
ここ数十年、夜会の開催地はその多くが日本で行われているそうなのだ。
この日本と言う国は宗教の坩堝。あの教会の連中でさえ目立った行動はできないから、らしい。
集会を行うにはなかなかの条件らしかった。
せっかく集まったのだから、大規模な儀式でもすれば良いと思うのだが。
「目立てないのはこちらも同じなのよ。
私たち同様に、この国を根城にしている魔術師は多いわ。
教会の連中はその中でも危険性の高い輩の把握に努めているの。私たちみたいな魔女とか、邪教徒みたいな連中とかね。
連中は目立たない行動はしないとはいえ、問題を起こせば話は違う。
一般人を捕まえて生け贄にしようものなら、すぐに聖堂騎士どもが飛んでくるわ。
あくまで後手だけど、そう言った通常の警察では対応できない案件の活動は認められているのよ。この国から。」
「そうなんだ、魔術師ってなんだか国と関わってるって印象が薄かったんだけど。」
「むしろ、政治が宗教=魔術として密接に関わっていることが多いわ。」
そういえば日本でも大昔は権力者が占いをして物事を決めていたはずだ。
「この国では警察では処理できない物事は多くなりすぎたわ。
それを一般人がどうにかしろと言うのも酷でしょう。
今やこの国はイギリス、中国に並んだ魔術大国なのよ?」
「案外魔境なんだね、この国って。」
そんな会話をしたのだ。
現在時刻は早朝、秘薬の調合のついでに朝食も作る。
台所で毎朝好き勝手やっているのだから、両親に対してこれくらいの家事手伝いはする私である。
と言っても簡単なものばかりだが。
そして本日の献立はホットケーキである。
「ホットケーキって、実は結構カロリー高いんですけどね。」
「うるさい、食べたいのならさっさと手を動かせ。」
そして、堂々と我が家の食卓に座ってやがる彼方を睨んでそう言った。
彼女は私の視線などものともせず、焼けてきたホットケーキの片面をフライ返しで引っくり返していた。
彼女、神谷 彼方が時々家に宿を借りに来てそのついでに食事をしていくの経緯は先日の通りだ。
本日も持ち前の図太さと図々しさを発揮して、泊りついでに朝食を食べていく魂胆のようだった。
まあ、私としても乞食になりかけの知り合いに手を差し伸べるのもやぶさかではない。
それに、忙しい朝に人であるのは正直助かる。
私に姉妹は居ないので、妹が居たらきっとこんな感じなのだろう。
そして当然、100%善意ではない。打算もある。
「これ、頼まれていた本。」
「ああ、いつもありがとうございます。」
一通り自分の作業を終えると、部屋から一冊の本を彼女に渡した。
それは、彼女の為にダリアさんから取り寄せた占星術に関する魔術書だ。
こうして彼女に支援するのは今回が初めてではない。
最初は赤の他人である彼女に、魔術の英知が詰まった魔術書を渡しても良いのかと、己の半身に問いかけたものである。
なぜなら魔術と言うのは徹底的に秘匿主義の世界だ。
弟子でもない他人に魔術の仕組みを教えるなど、それこそ死んでもありえない。
「良いのよ。」
鏡合わせの私は言う。
「あなたは“魔導師”『パラノイア』に薫陶を受け、その系譜に連なる者。
“魔導師”の役目とは、魔術を絶えず伝えて行くことにある。
ほかの有象無象の魔術師の師弟ならともかく、こと我らにとって有望な者を手厚く支援し、横繋がりを広げていくのは重要なことなの。」
それも私たちの役目のひとつなのだと言う。
「それに有力な占星術師との繋がりはとても有用なものよ。
今はまだ若芽といったところでしょうが、彼女の霊的感覚はとても優れているわ。
経験を積めば、優秀な占星術師になるでしょう。」
そんな彼女とのコネはいずれ私の助けとなるのだと。
占星術師は数多く居るが、その能力はやはりピンキリらしい。
何より霊的感覚や魔術的センスというものは、血筋では受け継がれない要素なのだ。
代を重ねた占星術師の家系が潰えたなんて話はよくあるらしい。
そして彼らは多くの場合は不死を求めない。そんな魔術を習得できる余裕が無いとも言える。
と言うわけで、優秀な占星術師は本当に貴重なんだと言う。
本当に使える占星術師は、彼女いわく一世代に一人居るか居ないかというレベルだそうだ。
だからこの繋がりは大事にしろ、と言われたのだ。
「奇跡の物質、イギリスで研究進む・・・か。」
しかし、人ん家の新聞を我が物顔で広げるこいつは、遠慮と言うものを知らないのだろうか。
「それ、魔力のことでしょう?
大丈夫なの? 魔術師的に。」
数ヶ月前だろうか。
一人のイギリスの若い学者が、半万能の物質を提唱した。
それは人の精神に感応し、万物に普遍的かつ潜在的に存在しているという。
すなわち、魔力のことである。
学会もよくそれの存在を認めたものである。
「さあ、でも『本部』でひと悶着あったって師匠は言っていましたよ。
こっちでも一時期騒然としていたようですが。」
彼方も新聞を折りたたんでそう言った。
何分、私たちが魔術師になる以前の話だ。
我が半身に聞いても、『盟主』がいろいろしてるみたい、ぐらいしか言わない。
しかしまあ、血が流れたのは確かだろう。
そういう業界だ。
そろそろ良い具合に焼けたので、ホットケーキを皿に取り分ける。
そこでふと思い出したので、そういえばと、口にした。
「ダリアさんがあなたを夜会に招待したいとか言っていたわよ。」
「私を、ですか?」
「ええ、独学で占星術をやるのは茨の道だろうって。」
「確かにその通りですが、さすがにそこまでして頂く訳にいきませんよ。
私にだって師匠は居ますし、その手前ほかの誰かに直接教えを請うのは流石に恥知らずと言うものでしょう。」
彼女はそう言って牛乳の入ったコップを手に取った。
うん、謙虚さは日本人の美徳である。
が、こいつの図太さを知っている私からすれば、その反応に訝しむのは当然だった。
「ただ師匠は私に魔術の基礎を教えてくださると、自らの魔術を授けてくれたのです。
私の師匠は道教を会得しているので、中国の占星術の知識を知っておられたのですよ。
しかし、私には相性が悪かったのか、私の漢文の成績が壊滅的だったからか、習得することは出来ませんでした。」
一口に占星術と言っても、その種類や派生は多岐に渡る。
時代ごとにギリシア、インド、アラブ、ヨーロッパ、中国に至っては様式すら違う。
その中でさえ、術者の肌に合う合わないがあるらしい。
これが独学で占星術を学ぶのは茨の道だと言われる所以である。
占星術の名家が潰える理由のひとつでもある。
「そこで師匠は言ったのです、私にこれ以上教えられることは無い、
なんとか『本部』から資料を取り寄せてみるから、後は自分で頑張ってみろ、と。」
「見事に思惑が外れちゃったんだ・・・。」
「ええ、そして試行錯誤の結果、これに行き着いたわけです。」
そうして彼方はタロットを取り出した。
「だからあんたはタロットなんか使っているので。」
普通、一般的な占星術師の道具と言えば、ホロスコープだ。
天文学の起源である占星術なら、当然でだろう。
実は、タロットと占星術の関わりは、星が対応しているかどうかぐらいでしかないのだ。
それですら、個人的には微妙に怪しいこじ付け感が否めない感じもする。
しかしながら、現代の占星術師におけるタロットは、使いやすい道具として普及しているようなのだ。
占星術の名家が次々に潰れるなかで、古来の占星術の知識は段々と失われていったからだ。
なので、新しい要素を必然的に取り入れなければならなくなった、と言うわけである。
「私は誰かに教わるわけには参りませんが、自ら知識を求めるのなら冥府魔道にも踏み入れる覚悟です。」
「是非ともご一緒させてください、の一言が何でそこまで迂遠になるかな。」
魔術師と言う人種は遠まわしな言い方を好むらしいが、私にはまったく理解できない。
「では、私としても魔術書のお礼を言いたいのでご同行させてもらえるでしょうか?」
「こいつ・・・。」
私より若干魔術師としてのキャリアが長いからって・・・。
「それに、もしかしたら師匠の探し人について何かしらの情報を持っている方がいるかもしれません。
いろいろな国々の魔術師が集まるんですよね?」
「ええ、そうらしいわ。」
今度開かれる夜会のことは彼女も知っている。
どんな人から貰った魔道書か言わないわけにはいかないからだ。
そして、彼女と彼女の師匠の探し人とやらについて聞くことにもなった。
何でも、通称『虚飾』と呼ばれるベテランの“処刑人”だったそうな。
それが任務の最中に死亡したらしいのだが、その人物は到底死ぬような人ではないらしく。
それを信じられない彼方の師匠が世界中を探し回っているのだという。
何ともご苦労なことである。
「なにせ、背格好も分かりませんからね。
同じ魔術師からの情報があるに越したことは無いですから。」
「それでどうやって探せっていうのかしらね。」
「仕方が無いですよ、変身魔術の達人らしいですから、姿形を聞いてもへんに先入観を持ってしまうだけですし。」
だからこそ、彼方の霊的感覚が必要なんだろう。
とは言え、わが半身も。
「確かに、あの女が死ぬなんて信じられない。
私も自分でくびり殺さなければ信じないでしょうね。」
とまで言っている。
どんな相手だか、私にも想像が出来ない。
会話が途切れ、私たちが食事を取る音しかしなくなったので、私はふとテレビのリモコンを手に取った。
テレビの電源を付けてみると、やはり早朝は目を引く番組など何もやっていない。
せいぜいニュースの合間の天気予報ぐらいか。
「ねえ、あんたは天気予報とか出来るの?」
「天気予報と私の占いの精度、どちらかを必要とするかによると思いますが?」
私の冗談に、いやみっぽく返された。可愛げのない。
「実際のところどうなの?」
「なぜかよく、同世代から恋占いを頼まれたりします。
と言っても、殆ど普通の恋愛相談みたいな感じになってしまうのですが。」
「あー・・・なんとなく想像できるわ。」
この愛想皆無の小娘でも、それらしい格好をすれば雰囲気を出る。
そんなのが占いをするのだから、女子高生が好きそうなシチュエーションである。
「あなたにはそういうのは必要なさそうですね。
男っ気がなさそうなのは目に見えていますし。恋愛なんて無縁そうですし。」
「し、失礼ねッ、私にだって告白の一つや二つぐらい、されたことあるわよ!!」
すると彼方は、うそだぁ、とあからさまに露骨な疑わしげな顔になった。
「小学四年生の頃だけど、机に手紙が入っていたのよ。ラブレターってやつね。」
「ほうほう、噂に聞く放課後の呼び出しって奴ですか。」
「違うわ、普通に好意を伝えるだけの文章だったわ。
小学生の考える文章なんてそんなものでしょ、後先も考えず、きっと付き合おうとも思ってなかったんじゃないかしら?」
「へぇ、それで、どうなったんですか?」
彼方は興味津々に聞いてくる。
「それ以来、二度と話さなかったわ。
それから卒業して、一度も目にしたことは無いわね。」
「え、どうしてですか?」
「それを読んだ直後、当時私をいじめていた連中が横から掠め取ってクラス中に触れ回ったからよ。」
「ああ・・・。」
途端に彼女もばつの悪そうな表情になった。
この手の苦々しい思い出は、彼女にもあるのだろう。
「彼、真っ青な顔してたわ。当然よね、私泣いちゃったもの。
それ以来、顔を合わせることすらなかったわ。
・・・思い出したらムカついてきたわ、卒業アルバム引っ張り出して、今から呪ってやろうかしら。」
「やるなら私の見ていないところでやってくださいね。」
それ以上、彼方は追求してこなかった。
微妙に彼女の傷をえぐる結果になったのが効いたのだろう。
ただ、それ以上にこっちの傷も抉れてしまったが。
再び私たちの会話が止まる。
テレビが取り留めの無いニュースを垂れ流す。
ふと、私はそちらに目を移した。
「あ、これってこの近くの奴ですよね。」
私は頷いた。この市内で起こった事件の顛末が放送されていたからだ。
『先日自宅で殺害された辻本氏を殺害した犯人が出頭してきました。
辻本氏を殺害したのは、元妻である女性であり、健在警察にて事情を聴取され―――』
『彼女は「あの男の女癖が許せなかった」と供述しており―――』
『証拠としてあがっていた包丁には辻本氏の息子の指紋が検出されており、重要参考人として警察内に指名手配されていましたが――』
『科捜研によると、その包丁には指紋が一度ふき取った後があり―――』
『辻本氏の元妻の女性は指名手配の報道を聞いて、警察に出頭したとのことです。
最初はひどく錯乱して話を聞ける状態ではないようでしたが、現在は落ち着いて聴取を―――』
『先ほど警察から詳しい発表がありました、女性の名前は―――』
『警察は事情を聞くために引き続き行方不明の少年の行方を捜索し―――』
いくつかのチャンネルを回して、最終的には私はテレビの電源を落とした。
結局どうでも良い内容だったからだ。
彼方も、途中で興味を無くした様だった。ホットケーキを量産する作業をしている。
私も忘れることにした。
この初恋でもなんでもない気持ちを。
記憶の奥にしまいこんだ。
・・・・
・・・・・
・・・・・・
鈍行列車に揺られること一時間と少し。
地元の駅から表示されている最大の料金を支払い、上野駅へやってきた。
そこから地下鉄で揺られること十数分。
そう、ダリアから指定された夜会の開催地と言うのが、東京のど真ん中だった。
私と彼方はそうしてたどり着いたのが見上げるほど大きなホテルである。
それも、レストランが有名で度々グルメ番組で取り上げられる有名な高級ホテルだった。
一階部分は結婚式だって出来る豪邸のような装いであり、今回の夜会もそこで執り行なわれる。
中に入るとそこは豪勢な空港の内部みたいに人も多く、外国人も当たり前のように歩いていて、なんだか別世界のようであった。
当然小市民の我ら二人は気後れし、右往左往しながら受付カウンターまでやってきた。
そしてようやく会場の場所を知れた。
このホテルで三番目に大きな広間だそうだ。
もう目が回りそうだったが、会場についたらついたで更にめまいがした。
まず耳に入ったのは荘厳な演奏だった。
十数人ほどの楽団が、指揮者の下に奥の舞台でそれぞれの楽器を奏でていた。
その演奏が邪魔にならないくらいには、その会場は広かった。
これで三番目なんて信じられなかった。
通販の利用にお金は気にしなくて良いと言われた所以が理解できた。
魔術にはお金が掛かるものだが、それでなお有り余る財力があるのだろう。
広い会場の中には長テーブルが何列も列挙し、一体誰がこんなに食べるんだと言うほどの量の料理が所狭しと並べられていた。
先に来ていた同胞たちは、そんな料理を食べながら思い思いに立ち話に興じていた。
ざっと数えてみたところ、23人ほどだ。
みんな黒いローブを着ているので、数えるのは簡単だった。
そして、その中から一人の女性がこちらに歩み寄ってきた。
「ボォン・ジョルノ。歓迎するわ、新しい我らが同胞。
私がダリアよ。会いたかったわ。」
そう挨拶してきたのは、イタリア在住である我らが同胞たちのまとめ役たるダリアだった。
「あ、・・・始めまして。白山 菊理です。」
女優としても通用しそうな美貌と色香の持ち主で、一瞬呆けてしまったが、気を取り直して一礼した。
予想以上に美人で、とても古株の一人だとは思えない。
「この度はご招待頂きありがとうございます、神谷 彼方です。」
「あなたのことは聞いているわ、ようこそ我らの夜会へ。
今日は十分に楽しんでいってくださいね。」
ダリアはにこりと微笑んで彼方にもそう言った。
「とりあえず、早速だけどみんなのあなたを紹介しないとね。
今日は有力な各地の魔女たちも参加しているわ。」
「ご指導ご鞭撻のほどをお願いいたします。」
私は素直に頭を下げた。
「いいのよ、新しい同胞が出来たときはこうして歓迎するの。
そうしたら、いつの間にか通例みたいになってしまったのよ。
一度、それが怪しげな儀式のための集会だと思われて教会の騎士団に押し入れられたこともあったわね。」
ころころと可笑しそうに笑うダリアだが、私は苦笑いを浮かべることしか出来なかった。
「そんな顔をしなくても大丈夫よ、この国ではそんなことはありえないから。
ここ最近はずっとこの国で夜会を開催している所為か、すっかり私も日本通になってしまったわ。」
道理で、流暢な日本であるわけだ。
「じゃあ、私は個別で楽しませてもらいますね。」
すると、彼方が突然そう言った。
「ん? どうして? ダリアさんと一緒に回ったほうがいいんじゃないの?」
「どうやらイニシエーションみたいなもののようですし、私が同席したらまずいでしょう。」
どうやら彼方は遠慮しているようだった。
「あら、別に気にしなくてもいいのに。」
ダリアもそう言ったが、彼方は首を振った。
「いえいえ、部外者の私が菊理さんの邪魔をするわけにはいきませんので。」
と言って彼女は奥のほうへ歩いていった。
一人で大丈夫かな、と心配したが、すぐにほかの同胞のお姉さま方に取り囲まれて揉みくちゃに猫可愛がりされていた。
彼方は無愛想なくせに女性受けが良いようだ。
これなら心配の必要はなさそうである。
「では、いきましょうか」
「はい。」
私は頷いてダリアの後ろに付いて行く。
その先は、数人の集団だった。
「マザー。マザー・ローレ。」
ダリアはその中の中心で顔をしかめている恰幅の良い初老の女性に声を掛けた。
「ああダリアか、お前さんも言っておやり。
アヘンにふけるのも良いが、それに溺れるなんて言語道断だってね。」
「あらあら、それはそれは。」
いきなりとんでもない会話が聞こえてきた。
すると、私より少し年上くらいの少女がマザーと呼ばれた女性に縋り付く。
「お願いします、助けてくださいマザー・ローレ。
もう私、アヘンがないと生きていけないんです。」
「・・・どうやらそうみたいだね。」
その少女はどうやら現在進行形でキマッているようで、どこか目が虚ろだった。
周囲の魔女たちも、呆れたように彼女を見ている。
「アヘンは神が与えたもうた慈悲なんだよ、それを快楽にふける為に使うなんて、人としても魔術師としても恥を知ることだね。」
「す、すみません・・。
私の半身ももう何も言ってくれなくて・・・。」
「はぁ、そこまでかい。おまえさん、この業界から足を洗ったほうが良いよ。」
「そんなッ」
「一人の人として、これからはアヘンの苦痛に耐えることだね。」
マザー・ローレは指を鳴らすと、少女は一瞬痙攣した後に糸が切れたかのように倒れこんだ。
「ウィッチクラフトには、多くの毒物や麻薬とは切っては切れない関係がありますわ。
しかしそれは時に神々との交信、或いは自らの秘術を編み出す為に霊感を高める時など使います。
何人かに一人は必ずああいう者が出てしまうのが残念ではなりませんわ。」
「そんなにすごいんですか?」
私の本業はソッチではないのでまだ麻薬の類には手を出しては居ないが、私もいずれ使う日がくるのだろう。
「ええ、しかしその快楽を制御できなければ、到底魔術を扱うなんて出来ませんわ。」
ダリアはきっぱりと断言した。
「だから、それに耐えられないようならば、いくら才能があったとしても無用の長物と化するのです。
天に昇るような快楽を常用しては、天国のありがたみもなくなるでしょう。」
「なるほど。」
「ダリア、その子が新入り下かい?」
いつの間にかマザー・ローレの周囲の人たちは解散しており、ようやく彼女の視線が私に向いた。
「ええ、あなたには話しましたね。」
「なるほど、あたしはローレ。
馬鹿をしでかす同胞を叱ってばかりいたら、いつの間にかマザー・ローレなんて呼ばれるようになったのさ。
あたしはドイツの片田舎で小汚い食堂なんかしながら薬屋の真似事なんかしているよ。」
「ドイツと言えば、魔女の本場ですね。
始めまして、白山 菊理です。」
私とマザー・ローレはお互いに挨拶した。
「本場と言っても、表立ってこれを本業にしている奴は居ないがね。
向こうにはホンモノの聖堂騎士がいるからさ。」
「ホンモノ・・?」
「頭ん中が中世のままな連中さ。」
「うわぁ・・。」
「仕方が無いさ。時たま何かに感化されてよそ様に迷惑をかける連中が湧くからね。」
「彼女は魔女術の達人で、多くの人が彼女を頼りにしていますよ。」
折を見てダリアがそう注釈した。
「あたしなんかまだまだひよっこさね。
長年麻薬や毒物の研究をしているが、その深遠すら覗けないからね。」
そう言ってマザー・ローレは笑ったが、ダリアがそう紹介するほどなので私は真に受けなかった。
「やっぱり薬物の副作用は魔術でもどうにもならないんですね。」
「いいや、余裕で消せるよ。」
「えッ」
「所詮副作用ってのは快楽に対する肉体での反応に過ぎないからね。
それを発生させないようにすれば、薬物の快楽だけを享受するなんて芸当も可能さね。」
「じゃあ、さっきの子も・・」
「だが、そうなると体ではなく心が死ぬ。
薬物の快楽は、人には過ぎたる神の深遠だからねぇ。
「・・・。」
私は何も言えずに黙り込んだ。
「お前さんも、重々気をつけることだね。
気づいたら自分ではどうにも出来ない、なんて魔女をあたしは何十人も見てきた。」
「肝に銘じます。」
「そうするこった。そうそう、ちょっと腕をまくってみな。」
「え、はい・・・」
私は言われるがままにローブの袖をまくった。
「どれどれ・・。」
「うひゃ!?」
マザー・ローレは私の腕を手に取ると、おもむろに舐めたのだ。
「い、いきなり何ですか!?」
「ちょっと汗を採取させてもらったよ。
うーんとね、お前さんの体質にはこれが一番かね。」
そう言ってマザー・ローレは、羊皮紙に文字を走らせた。
「それは・・・?」
「所謂、魔女の軟膏のレシピだよ。
これは個々の体質によって違いが出るからね、一定のレシピはないのさ。」
マザー・ローレは私の反応を見て楽しそうにそう言った。
「魔女の軟膏、精神が肉体を離れて、昔の魔女たちはそれを使ってサバトの会場に飛んでいったっていうあれですね。」
「そうさね、だけどそれは一般に伝わっている伝承だね。」
そう言って彼女は不適に笑った。
「こいつは肉体も一緒に目的地まで飛ぶ。距離を無視してね。」
「そんな、まさか・・・。」
さすがにそれは眉唾だと思った。
魔術と言う技術に携わり、携わったからこそ、それがどれほど荒唐無稽なのかと理解できるのだ。
「お前さんの学んでいる魔女術は、ほんの触りに過ぎないってことさね。
ウィッチクラフトは、こと秘薬の生成においては錬金術にすら追随を許さない。」
「マザー、さすがにそれは言いすぎですよ。」
マザー・ローレの物言いに、流石にダリアも苦笑を返す。
「しかし、錬金術には無い霊的な力を齎す秘薬は、現在の人間の常識を遥かに超越した効力を齎すのは事実ですわ。
あなたもいずれ、常識なんて言葉は世迷い言だと気づくでしょう。」
「それは・・・。」
私は思わずつぶやいた。
「とても楽しみですね。」
私の言葉に、ダリアは満面の笑みで頷いた。
そしてダリアに連れられ、次の同胞の魔女の下へと歩いていく。
「へい、ドクター・アリス。」
次にダリアが声を掛けたのは、長テーブルの隅っこで一人黙々と料理を消化している若い女性だった。
金髪碧眼、そばかすにメガネ、細身の長身とその特徴を挙げれば切りがないが、一番目に付くのは魔女に似つかわしくない白衣だった。
「ああ、ダリアか・・今日もご馳走様。」
「まだ馴染めていないみたいね。」
「みんなにとって、私はよそ者みたいなものだからね。」
厚切りのローストビーフをぺろりと平らげ、彼女はこちらに向き直った。
「えっと、ダリアさん。彼女は同胞ではないんですか?」
「いいえ、それは違うわ。
彼女はアリス。アメリカの研究所で班を任されるほどの科学者にして魔女よ。」
「科学者、ですか?」
何だか魔術と科学ってかみ合わない学問な気がするが。
「科学とて、厳密に言えば錬金術から派生した魔術の一種よ。
この地上には魔力を用いない技術が氾濫しているから、そういう誤解を受けるのよね。」
「彼女は魔術としての科学を実践するかの“魔導師”『プロメテウス』の薫陶を受けながら、我らが偉大な『パラノイア』に魔女としての才能を見込まれた天才なのよ。」
「へぇ・・それはすごいですね。」
魔女術で薬の効能を覚えるだけで頭がぐるぐるする私には、科学と魔術の二束わらじを履くなんて考えるだけ無理だ。
「私なんて、たいしたこと無いわよ。
本物の代を重ねた魔術師に比べればね。」
「一代目、しかもその若さでそこまで出来るのなら十分たいしたものだと思うけど。」
「それでは意味が無いわ。かの偉大なる『黒の君』のように一代で全てを極められるのならともかく、最初の一人だけ突出しているだけなんて、歪だわ。
魔術師なら、次の世代に繋げる努力をしなければならないわ。」
私はアリスの言葉を聴いて確信した、彼女は出来る女だと。
「実はあの通販のホームページ、殆ど彼女が作ってくれたようなものなのですよ。
私は管理と維持をしているだけなんですよ。」
「電子機器弄るのは得意だからね。」
アリスは得意げにそう言った。
「具体的には、魔術としての科学ってどういうのなんですか?」
「うーん、そうね・・。」
彼女は数秒思案すると、白衣の袖をまくった。
そして片手で袖をまくった腕の手首を掴むと、捻った。
がこ、と手首がずれた。
それは、義手だったのだ。
「この義手、魔力を通す回路で動いているのよ。」
「う・・わ・・。」
その手首の断面は、無数の回路が敷き詰められていた。
ちかちかと魔力の光を放っていて、何だか目が痛くなる。
「科学は理論と空想のの世界。
さまざまな場面で仮定を用いるわ。その仮定に魔力を用いることで、現実では再現できないだろう現象を引き起こすことが出来るというわけ。」
「な、なるほど・・・。」
「まあ、数学が得意じゃないと分からないわよね。
おかげで誰も話が合わないから、こうして一人で食べているわけよ。」
「はぁ。」
「でも、これは偉大なる『プロメテウス』が齎した第三の火よ。
人はいずれ、これの魔術で宇宙を闊歩するでしょうね。その時までぐらいは生きていたいものだわ。」
そう言って、アリスはまた食事を始めてしまった。
「意外ですね、科学技術と魔術は共存できないと思っていましたが。」
「それは時代の違い、としか言えないでしょうね。
私が生まれた頃は、世界はこんなにも便利では無かったですから。」
「時代ですか。」
私には及びも付かない話だ。
「では、ダリアさんはどうして魔術師の道を志したんですか。」
それも時代の影響なのだろうか、私は百年以上生きると言う彼女に聞いてみたかったことを問うた。
「うーん、そうね。才能があったからなったと言うのもあるけど。」
ダリアはここ一番の笑顔でこう答えた。
「この私の美しさが衰えていくのが嫌だったのよ。」
「・・・・あ、そうですか。」
そんな感じでその後も私はダリアさんの後に続いて主な魔女の紹介とこの業界での身の置き方について学ぶのだった。
「あ、あいつ・・。」
ダリアと別れ、個別にいろんな国に住む魔女たちと話していると、彼方を発見した。
さながら餓鬼のごとく、ガツガツと大皿の前で幾つもの料理を貪っていた。
「あんた、情報収集はどうしたの?」
「もう終わりましたよ、特にめぼしい情報はありませんでした。
だから食い溜めしているのです。こんな料理は当分食べられないでしょうから。」
「私も少し食べておこうかな、お腹空いてきたし。」
私も適当にチキンでも齧っていると、私より送れて夜会に参加する人たちが見えた。
そろそろ人数も私と彼方を含めて三十人近くになるだろうか。
「む、何やら嫌な予感が・・・。」
「不吉なこと言わないでよ。」
ふと手を止めてそんなことを言い出す彼方の言葉に、私まで寒気がしてきた。
今思えば、それは私にも魔術師としての本能が芽生え始めたのかもしれない。
「――――――全員、その場から動くな。」
突然、荘厳な演奏が止み、そんな声が響いた。
それと同時に、入り口に剣やハルバードなどの武器を携えた男女が数人押し入ってきた。
「聖堂騎士団ッ!?」
誰かが叫んだ。
「ずいぶんと無作法ですわね。
誰か我々がこうして武器を突きつけられる謂れを教えてくださいませんかしら?」
ダリアが落ち着いた声で問いかける。
入り口とは反対方向に。
私も振り返ると、そこにいるのは楽団ではなかった。
さっきまで楽器を演奏していた楽団は、その腕に楽器ではなく武器を携えていたのだ。
私は、最近の聖堂騎士団は芸達者なんだなぁ、と場違いなことを思った。
「今宵の淑女の方々に置かれましては、このような無礼をどうかお許しいただきたい。」
指揮者が振り返る、当然その手に握られているのはロングソードだ。
「我々は『カーディナル』直属のこの地区担当である聖堂騎士団第三小隊。
我らに無用な危害を加える意図は無いことを、まずは理解して頂きたい。」
日本人男性に思われたその男は、いつの間にかナイスミドルの外国人へと変貌していた。
よく見れば、背後の楽団も日本人ではなくその殆どがこの国の人間ではない。
騎士団というものだから、鎧で身を固めているのかと思いきや、誰も彼もが現代的な服装だ。
「あんたが隊長だね、じゃあ一体どういう用件であたしらに武器を向けるんだい?」
マザー・ローレが厳しい目つきで指揮者を睨み、そう言い放った。
「こんな結界なんか張って、まるで私たちを一人残らず皆殺しにしたいみたいに見えるじゃないか。」
「マザー、みんなの不安を煽るような発言は控えてください。」
篤くなっているマザー・ローレを、ダリアはそう言って制した。
「我らは我等の任務をこなすだけです。
それが終了しだい、我々は即座にでも退散いたしましょう。」
隊長格の男がそう言うと、彼の背後に控えるように立っていた一人の若い女性が口を開いた。
「我等が騎士団本部より承った任務は、ロシア・モスクワ在住の魔女ユーリアの捕縛。
彼女は原住民三人を殺害し、その遺体を悪魔の召喚に用いた形跡があり、現地の仲間が追っていたのです。」
「我々が受けた任務は、それだけだ。
我々が担当した地区であるこの国で、何も悪事を働いていないのならばこうして拘束する道理も無い。
魔女ユーリアの引渡し、我々の要求はそれだけだ。」
続けて隊長がそう告げた。
「隠すのはいけませんね、どうせ捕縛或いはそれが適わないのなら殺害も可、それくらいはいわれているでしょう。
ならなぜ、こんなに私たちの仲間が集まってきた中にわざわざ出向いてきたのでしょうか?」
「魔女に人権は無い。
残念ながら貴女がたが本気で庇われれば、この中から魔女ユーリアを見分ける術はありません。
その場合は、まことに残念ですが、一人一人切り殺さねばなりません。
どうせここに集まった者たちは、後ろ暗いことをやっているものばかりでしょうから。」
おとなしく引き渡すのなら良し、さもなくば皆殺し。
彼らはそう言っているのだ。
「あれがホンモノかぁ・・。」
「あれがホンモノ?
まさか、あれはまだまともな方よ。だって話が通じるもの。
ホンモノなら、交渉なんて試みないわ。」
いつの間にか最前線から退避していたらしいアリスが私の呟きにそう返した。
彼女は豪胆にもこの状況でさえ、食事を続けている。
「あれで、まともなんですか?」
「全然まともよ、連中は魔女に対して下手に出れないだけ。
ああは言っているけど、こちらがこの戦力なら切り抜けるだけなら十分余裕よ。向こうもそれは分かっている。
きっと素直に引き渡せば、さっさと帰ってくれるでしょうね。」
向こうも余計な争いは望んでないでしょうから、とアリスは言う。
「じゃあ、どうして・・・。」
先ほどのダリアに対する答えが本心ではないとするのなら、どうして危険を冒す必要があるのだろうか。
「それはね、お嬢さん。我々はそちらの善意に期待しているからだ。」
いきなり声を掛けられ、私は心臓が止まるかと思った。
「見たところ成り立てのようだが、神はいつでも大いなる慈悲と愛をもって改心を待ち望んでいる。
いかな罪人であろうと、いかな魔女であろうと、な。」
その答えは、意外なほど真摯なものだった。
「ではそろそろ聞かせて頂こう。返答は如何に?」
「我等の流儀としても、一般人に手を掛ける者を許してはおけません。」
「本心はこうだろう、こいつらに見つかった方が悪い、と。」
「さあ、想像にお任せ致しますわ。」
隊長とダリアの殺伐としたやり取りは続く。
「そういうわけで、ユーリア、観念なさい。」
「そんな、ダリアさんッ!! 私を見捨てるんですか!?」
声を荒げるのは、私も一度はこの夜会で話したこともある女性だった。
「多少の“おいた”ぐらいなら、私も見逃してあげたのですが。
少しばかりやりすぎたようですね。」
「・・・・そんな。」
「流石にあなたとほかの全員を天秤に掛けられませんわ。」
ダリアは笑顔のままで告げた。その笑みは一ミリも動いていなかった。
「私は嫌です、教会の連中に屈するなんて!!
私は自由に生きたいんだッ!!」
その叫びと共に、魔女ユーリアの周囲に黒い魔力が迸る。
寒気がするような冷たい魔力の奔流だ。
「この力、あなた悪魔に魂を売ったわね?
おとなしくしていれば、後から助けてあげられたものを。」
「総員障壁を張れッ、悪魔が現れるぞ!!」
ダリアの呟きをかき消すように、聖堂騎士の隊長が怒鳴り声で部下に命じた。
「それには及びませんわ、身内の不始末ですもの。」
だが、その前にダリアが動いた。
一瞬だった。
彼女が魔女ユーリアの前に無造作に現れて、頭を片手で掴んだ。
そのまま押し倒すかのように片手を押すと、なんと彼女の頭からダリアの腕がすり抜けたのだ。
「しかし、それも人の誇りを失ったあなたはもう同胞ではありませんが。」
そして、その手の中には、魔女ユーリアから突き出された異形の人型の姿があった。
「はい、封印。」
スマートフォンを片手で弄っていたアリスが、それを怪物に向けた。
その直後、怪物を縛るように紐状の光が取り囲むと、怪物は掻き消えた。
「そんな無理やり悪魔を引き剥がせば、廃人に・・・。」
「あんたらなら、そうかもねぇ。」
隊長の傍に控えていた女性は慌てたが、マザー・ローレは苦笑して彼女は指差した。
「あの子は大丈夫さね。」
そうマザー・ローレは言ったが、魔女ユーリアは立ったまま白目を剥いて口から泡を吹いていた。
とても大丈夫そうに見えない。
「我らが薬術に掛かれば、魂を引き裂かれる痛みすら忘れる。
まあ、あの子の意識はしばらく天国から戻ってこれないだろうが。」
ウィッチクラフトは極めれば、毒を対象に盛る必要は無い。
直接相手の体内に、薬物なり毒物なりを発生させられるのだ。
「悪魔は?」
「この中だよ。電子化して何十にもロックしてある、そのまま浄化すれば良い。」
アリスがスマートフォンからメモリースティックを取り出して、隊長に放り投げた。
「では、彼女の身柄を渡してもらおうか。お前たち、運べ。」
「はッ」
隊長はそれを受け取ると、部下たちに魔女ユーリアを担がせた。
「撤収だ。」
「了解、総員撤収だ。」
隊長の命令に、副官らしい女性が振り返って部下たちに命じた。
命令に従い、隊員たちはすぐに武器をしまうと、撤収の準備を終えて出入り口の方へと走り去っていく。
「ご協力感謝する。」
「あらあら、御用向きが終わったのですから食事くらいしていけばよろしいのに。」
「残念ながら、次の任務が押しているので。」
隊長もそう言って、笑うダリアを尻目に去っていった。
「さて皆さん、サプライズがありましたが夜会まだまだ続きます。
皆さん引き続き楽しんでくださいね。」
ダリアは、やはり変わらない笑みで皆にそう告げた。
・・・・
・・・・・
・・・・・・
魔女たちが夜会を再開している中、ホテルから撤収した聖堂騎士団は既にその周辺から離れていた。
その移動手段は至って単純、大型の輸送車である。
「隊長、やはり納得できません。」
騎士アンドレイは不満を口にした。
彼は先日の一軒でこの国を担当する小隊に配属になり、つい数日前に着任したばかりだった。
この国担当と言っても、彼ら小隊だけで日本全てをまかなっているわけではない。
危険な魔術師の監視と実働は厳格に役割分担されており、彼らは荒事をこなすその実働部隊の第三番目の小隊と言う存在だった。
「彼女らは魔女です、あの場で全員殺しておけばよかったのでは?」
「新入りは面白い冗談を言うな。」
彼の同僚の一人が、茶化すようにそう言った。
釣られて数人が笑いをこぼした。
トラックに偽装された大型護送車の荷台には、聖堂騎士たちが所狭しと並んで座っている光景は、どことなくシュールだ。
「あなた方は、恥ずかしくないのか。
あの魔女ごとき、我々はコケにされたのですよ!!」
アンドレイの言葉に、車内はシーンと静まり返った。
「まあまあ、熱くなるなよ新入り。」
彼のバディを担当する同僚が、彼の肩を叩いた。
「真面目なのは分かるけどさ、ありゃ無理だ。
だってあいつは、あの黒きダリアだぜ。」
「あの腹黒ダリアだろう?
あの悪名高き魔女の。ありゃ本部から手を出すなって言われてなかったか?」
「そうそう、好き好んで事を厄介にしてもな。」
口々に同僚たちがそんな腑抜けたことを言うので、アンドレイの怒りは頂点に達しそうになった。
「悪名高いと言うのならなぜ!!」
アンドレイがそう言うと、ああ、と皆は納得したよう用に頷いた。
「奴は調停人だ。黒きダリア、奴は魔女たちを取り仕切る存在だ。
魔女どもが問題を起こしたとき、その問題を解決する為に渡りをつける役目を負っている。」
そこで隊長が口を開いた。
ほかの同僚たちも、知らないのも当然だけどな、と彼の言葉に頷いた。
「今回こうして、迅速に魔女ユーリアを捕縛できたのは、彼女のおかげみたいなもんだぜ。」
「怖いくらい正確に悪事を働く魔女のリークしてくるからな。
今回もどうせそんな感じだったんでしょう?」
「俺本部の知り合いに聞いたけど、どうも向こうの不始末の処理をこっちに押し付けられているみたいだってぼやいたぜ。
だから本部の事務課じゃ、黒きダリアじゃなくて腹黒ダリアだって言われてんだぜ。」
そんな同僚の言葉に、数名から忍び笑いが漏れた。
「実物は初めて見たが確かにその通りだな。
完全に俺たち、手の平で遊ばれたもんなぁー。」
「いつ私たちの防壁が破られるかひやひやしたもんねぇ。」
「下手に友好的だから厄介だよなぁ。
新入りの言うとおり、斬って晒せればそれで楽なんだが。」
「そうにしてもどれだけの戦力が必要かな。
あいつだけでも今の三倍はほしいところだが。」
「邪悪な魔女は数居れど、ホンモノの魔女というのはああいうのをいうんだろうな。」
なんて雑談に興じ始めた隊員達だが、隊長に睨まれているのに気づくと徐々に口を閉ざし始めた。
「隊長、あの魔女たちが悪事を働かないと言えるのですか?」
アンドレイは隊員たちの腑抜けた態度に怒りを覚えつつも、そう言って隊長に食い下がった。
「連中が改心して、決して神に救いを求めないと言えるのか?」
しかし隊長は意にも介さない。
「隊長が仰ったじゃないですか、どうせ連中には後ろ暗いところがあると。」
「我々は神ではない。
我らが目の届かぬところで行われた悪事など裁きようが無い。
我らの目の前で無辜の人民を傷付けるような悪行を働くのならば斬って捨てる。
そして任務であらば喜んで殉教者にもなろう。
だが、これから悪事を働くかもしれない魔女を殺すために、全員死ぬまで戦えと、私は命令できない。」
隊長の口調は淡々としたものだった。
「彼女らの善意に期待していると、よもや本気で仰ったわけではありませんよね?」
「到って本気だが。
神はいつでも改心を待っているのだからな。その善性の守護者たる我々がそれを体現しないでどうする。」
その答えにも、アンドレイは納得しなかった。
「・・・それが、貴方が牢屋の中で得た答えだからですか?」
瞬間、室内の空気が凍った。
おい、と彼の隣の同僚が顔を顰めて軽く肘打ちする。
それはこの部隊ではタブーに近い話題だった。
教誨、という言葉がある。
刑務所などに収容された罪人などに対し、精神的救済や道徳を教えて改心を促させるなどの事を指す。
稀に、本当に心の底から改心し、救いを望む者の中から才能があるものを罪人から教誨を行う教戒師が選び、教会の人間として更生の道を指し示すことがある。
それは二度と日の目を見られない死刑囚などから選定されるのだ。
当然それは司法取引も含まれるため、『カーディナル』が直接携わっているという。
彼も、そうして日の目を見た一人なのだ。
とは言え、それはもう二十年以上前の話だ。
彼は確かにかつて罪を犯したが、現在の働き振りからそれを今頃蒸し返し、馬鹿にするものは居ない。
だからこその禁句だった。
「ふぅ・・・。」
隊長はやれやれ、とため息を吐いた。
「そうだ。神はたとえ友人を亡き者にし、あまつさえそれを隠し、その悪質さから死刑を言い渡された恥知らずにさえ赦しを与えるだろう。
神は常に己の中に存在し、己を見つめておられるのだからな。
しかしそれは所詮、自らを慰める行いだ。
きっと遺族は誰一人としてそいつを赦しちゃいないだろう。」
隊長は、アンドレイに何かを言いかけて立ち上がろうとした副隊長を片手で制する。
「だが、そうでなければ救いは無いんだよ。
人間の善性を信じ、悔い改めなければ歯車は止まったままだ。
なにをするにしても始まらないんだ。どちらに対してもな。」
そう言って、隊長はアンドレイを見た。
「お前には、そうした他者に対する献身が足りない。
我らの仕事は、邪悪な魔術に脅かされる無辜の市民を守ることだ。
お前のことは聞いているし、悪魔を憎むなとも言わない。
だが、怒りや憎しみだけでこの仕事が勤まると思わないことだ。」
「・・・・。」
アンドレイは口を開きかけたが、結局は何も言えずに口を閉じた。
「俺のやり方が気に入らないのなら、お前が上に言って正せば良い。
幸いお前はエリートで、その資格があるようだからな。」
それはどこか意固地になったアンドレイには嫌味にしか聞こえなかった。
「やはり、騎士エクレシアが抜けた穴は大きいですね・・。」
副隊長がぼそりと呟く。
「言うな。」
隊長に睨まれ、ハッとして彼女も口を閉ざした。
それがアンドレイには自分の実力が不足しているといわれているようで、悔しかった。
彼らを乗せた護送車は、一度拠点へ向かい、身柄を本部へ送る手続きを終えた後、次なる任務へと向かう。
邪悪な魔術師が居る限り、彼らの休まる日々は無い。
・・・・
・・・・・
・・・・・・
「あの子、大丈夫でしょうかね。」
帰りの列車、終電間近な夜の都内は雑多な光を放ってばかりだ。
「ダリアさんは、一応いきなり処刑されたりはしないって言ってたけど。」
私は彼方の言葉に、そう答えた。
夜会も解散となり、私と彼方もこうして帰路へと着いている。
しばらく電車で揺られていると、彼方は疲れからか眠ってしまった。
「脱落者って、結構多いの?」
ふと、暇だったので私は我が半身に問いかけてみた。
「多いわね、増えるより減るほうが早いくらいよ。
なんというか、現代の子は・・・軟弱なのよね。」
もしかしたら、後継者候補の数が減っていっているのって教会とかの所為ではなく、時代の煽りなのではないのだろうか。
「そうとも言えるわね。」
「・・・・・・。」
私は、急に自信がなくなってきた。
「あなたなら大丈夫よ。きっとこの先うまくやっていける。」
そんな励ましを受けながら、私は眠りながら寄りかかってくる彼方を煩わしげに退かした。
彼女の頭をひざの上におきながら、私は自分自身の未来について思いを馳せる。
「そうそう、そう言えば最近、本体が新しい後継者候補の目星を見つけたみたいなのよ。」
聞いても居ないのに、我が半身はそんなことを口にしだした。
しかし、それはどこか含みのある言い方であった。
だが、私も彼方の眠気に誘われたのか、定期的な電車のゆれがそうさせるのか、睡魔が襲ってきた。
「なんでも、『本部』で新たな試みとして、魔族を対称にしてみたんですって。
それで、比較的人間と精神構造が似ている夢魔って種族に……」
それを最後まで聞くことなく、私は眠気に堕ちた。
どこか可笑しそうに、“彼女”がそんな私を見ていた気がした。
どうもこんにちは、ベイカーベイカーです。
リハビリの番外編だと思いましたか? しっかりと伏線を回収させてもらいました。
いや、伏されすぎて危うく消えかけましたが、どうにかこれで本編に繋げられそうです。
そしていよいよ、次回からちゃんと本編へと行きますよ。
読者の皆様方におけましては、良いところで切って申し訳ありませんでした。
次回、いよいよ魔女エリーシュとの決戦です。
お前小説違うだろってぐらい、派手な展開となります。
そういうわけで、また次回、お楽しみに!!




