番外編2 縁と縁
私は血を吐いた。
全身の血管が破裂したかのように痛い。
意識が朦朧とし、今にも気を失ってしまいそうだ。
ただの一般人たる私がそれでなお痛みに耐えていられるのは、ひとえに魔術の恩恵だろう。
「痛い? 痛いでしょう?
それが一人の人間を呪うという事よ。それがこれから相手に与える痛みなの。」
彼女が何かを言っている。
しかし、それを理解するだけの余裕など無かった。
どれだけ痛くても、どれだけ苦しくても、それは決して私の意識を奪うことは無い。
気が狂いそうな痛みにの中で、私が正気を保っていられるのただひとつの感情からだ。
憎悪である。
「これは本来、回避できるリスクだわ。
生け贄を用意してそいつに代償を支払わせたり、防護用の護符で身を守ったりとね。
勿論、あなたも用意しているわよね?
だけどあえてこうして痛みを得ているのは知ってほしかったからなのよ。」
彼女の言葉は、理解できなくても頭の中に入り込んでくる。
「それは、加害者と被害者の痛みは違うということよ。
今日、初めてあなたは加害者となった。どちらの痛みを理解したあなたは、より痛みに対して理解を深められる。
そうすれば、次はもっと完成度の高い呪詛を紡げる。」
私はその言葉に意識を向けつつも、最初の感情を忘れない。
憎い。憎い。
あの女が憎い。
憎悪だけが私を満たす感情なのだ。
「そう、もっと憎しみを燃やすのよ。
痛みをそうやって変換することで、呪詛の精度を高めるのよ。」
本当は毎日断続的に対象に呪詛を掛け続けることで痛みなどのリスクを分散させ、最小限に抑える方法もあった。
勿論難易度はそちらの方が低く、また成功率も精度も高い。
魔術というのは準備に時間を掛ければ掛けられるだけ良いものらしいからだ。
だけど、この方法を選んだのは私である。
私は臆病な人間だから、時間を掛ければ掛けるほど覚悟が薄まるかもしれない。
それに人間は忘れ、慣れる生き物だ。
どんなに激しい憎悪や怒りを抱いていても、時間とともにそれらを失っていくのが人間だ。
たとえそれを忘れずにいても、自分の状況に折り合いをつけて慣れるのが人間だ。
だから私はこの方法を選んだ。
今ではこの痛みが悦びでさえある。
この苦痛は、これから奴に齎される苦痛だからだ。
「そう、その感情はあなただけのもの。
あなたの好きに振舞うといいわ。」
私と同じ顔の彼女は笑みを浮かべながらそう言った。
・・・・
・・・・・
・・・・・・
「うおぇ、げほッ、ごほッ・・・きもちわるい・・・。」
呪詛が終わり、ふらふらと立ち上がった。
ここは最寄の神社。
何が祭られているかも知らないが、こういった場所には少なからず霊的なエネルギーが溜まったりするらしい。
たとえそうでなくても、神社が建てられて時間がたてば、そういう力が集まるようになるのらしい。
呪詛を行うにはそういう場所がうってつけなのだと言う。
「ぺっぺっぺ、口の中血だらけ・・・。」
雰囲気作りのための白装束も、真っ赤に染まっている。
全身が張り裂ければこうもなるだろう。
しかし、今の私には傷ひとつ無い。
その代わり、私の手にしているわら人形(渾身の力作)がどす黒く変色し、ばらばらになりそうなほど傷だらけだ。
呪詛の基本として、自分の受けるダメージを移し変えるのは常套手段なのだそうだ。
本当なら人型の生物のほうがいいのだが、私の才能なら可能だろうと彼女から太鼓判を貰っている。
「流石は私が見込んだ才能ね。
儀式は万事成功したわ。私の教えが良かったのね。」
「どうも。」
「とは言え、今回は一段階目に過ぎない。
私の呪詛は二枚刃よ。念押しの呪詛は明日の夜に執り行うわ。」
「勿論よ。」
いくら私に才能があっても、一度に呪詛を行うにはリスクは消えない。
だから対象に二度に分けて呪詛を掛けるのだ。
リスクの分算と、ダメ押しの呪いの為にだ。
仮に対象が一段階目の呪詛を解呪しようものなら、よりひどい呪いが発動するという寸法である。
一般人相手なら一段階目でも十分だが、どうせやるなら徹底的に、と彼女は言った。
私も経験を積みたいので否定する道理は無かった。
それだけ奴に対する恨みもあったというのもあるが。
「頭がくらくらする・・・血を流しすぎた・・。」
「早く秘薬を飲みなさい。」
「うん・・。」
私は持ってきたペットボトルに入れてあった秘薬を口にした。
壊滅的な不味さだ。吐きそうになるのをこらえながら飲み下す。
だが、徐々に魔力の消費や血の流出によって失った活力が戻ってくる。
「体調が回復しないようなら、時間を置いてもいいのよ?」
「ううん、明日にする。その為に準備したんだもの。」
「そう、あなたがそういうのならそれでいいわ。」
私の体調の良し悪しなど、彼女にはお見通しだが、私は決行を選択する。
本当にだめなら彼女が止めるだろうし。
「じゃあ、今日は帰って休みましょう。」
「そうね、それが一番よね。」
私は夜の闇を一瞥して、帰路に着いた。
私は明日に向けて、昨日までの日々を思い返した。
・・・
・・・・
・・・・・
「魔術を行うには、何事にも準備が必要よ。」
といって、彼女がまず私にさせたのは通販だった。
「魔術師が通販って・・・。」
「アドレスを言うわね。」
「・・・・。」
私は部屋にあるパソコンに無言で言われたアドレスを打ち込んだ。
そうして開かれたサイトは至って普通の通販サイトに見えた、が。
「何これ・・・。」
品揃え一覧のツリーをクリックすると、タブの中には基本素材、魔女術、悪魔学、交霊術、占星術、仙術などなど。
そのサイト、『魔女っ娘通販 日本語版』は普通ではなかった。
「私たちの仲間が運営しているサイトよ。
これを使えば日本でも違法な材料が手に入るわ。」
私は二の句が告げなかった。
なんというか、魔術師というファンタジーな職種が文明の利器を利用しまくっていいのだろうか。
「私達の仲間というと、私みたいに才能を見込まれた人たちってことですか?」
「ええ、以前はいろいろと経由していたんだけど、教会に嗅ぎ付けられてからは自分たちでやることになったのよ。
宅配業者だと思ったら聖堂騎士でしたーってこともあったわ。」
「今の教会の人たちって手広いんですね・・・。」
「彼らとのいたちごっこは今でも続いているってことよ。
今から言う素材を注文しなさい。ああ、会員登録はしなくても大丈夫よ。お金の心配もね。」
と言うので、私は彼女の言うままにサイト内の品々を注文していった。
「……最後に、魔女術セット入門編を・・・そうそう、それで機材は大体揃うわ。」
「了解・・っと。」
「これで夕方には届くわ。」
「やたら早いわね・・・。」
某密林並みの早さだ。配送センターでもあるんだろうか。
注文を確定させると、住所も何も入力していないのに完了の画面が出てきた。
すると、サイト内のメールボックスにnewのアイコンが出現した。
思わず開いてみると、案の定新規のメールが届けられていた。
差出人は、「管理人・黒きダリア」。
「黒きダリア・・?」
「仲間内でも一番の古株ね。今生きている中では。」
「そうなんだ。」
早速、メールを開いてみた。
件名:始めまして
この度は私の運営するサイトをご利用いただきありがとうございます。
新しい同胞が増えるのはもう五年ぶりです。私たちも同胞が増えるのは嬉しく思います。
この業界に入ったばかりで不安もあるでしょうが、近々夜会を企画しております。
夜会と言ってもサバトのようなものではなく、普通のパーティです。
各国の同胞たちが交流の機会や情報交換の為に集うので、我々からもこの業界について手ほどきが出来るでしょう。
世を忍ぶ身である私たちは、横繋がりがとても大事となります。
是非ともご参加ください。詳細は追って連絡いたします。
黒きダリア
とのことだった。
「夜会なんてあるんだ。」
「あら、もうそんな時期なんだ。
彼女は最も強く“魔導師”の意思を受け継いでいて、その代理として活動しているのよ。
今回のような企画を計画したり、後身の育成や助力にも力を入れているわ。
この夜会にはあなたも行くといいわ。直接熟練した魔術師の空気に触れるのもいい経験になるわ。」
「うん、それは分かったけど、私たちの同胞ってどれくらいいるの?」
正直先輩たちからアドバイスとかを受けれるのなら心強い。
それとは別に気になったことを訊いてみた。
「世界中にざっと54人よ。あなたを含めてね。」
「54人・・・結構いるんですね。」
「そうでもないわ、百年前はその三倍はいたもの。
その頃から生き残っているのはダリアとあと二人ほどしか居ないわ。」
「ダリアさんって本当に古株なんだ。」
「彼女は百四十年ほど生きているわ。大本の代理をしているだけあって、結構名前が売れているほうよ。」
「百四十年かぁ・・・。」
私はその時間の重みを想像してみたが、まったく思い浮かばなかった。
「不死、か・・・私もその領域までいけるのかなぁ。」
「それは難しい質問ね。どのレベルの不死性かでも変わってくるから。
そもそも、魔術師は死なないだけならどうにでもなるのよ。
本当に死なないだけ、ならね。」
それはどこか警告するような、言い含めるような言い方だった。
それは彼女の言うところの、品の無いものなのだろう。
「手段を選ばなければ、たいていの魔術師が寿命より生きられる。
だけど、それは見境のない命の搾取であることが多いわ。外道に堕ちた魔術師と言うのは彼らを指すことが多いわね。
彼らは一般人だけでなく、魔術を穏便に使用して真理を探究したい魔術師にとっても邪魔な存在よ。
そういう場合に、『本部』から“処刑人”が派遣されて、処理される。」
「一応確認しておきますけど、その“処刑人”ってのは教会の人たちと違うんですよね?」
「ええ、彼らはあくまで『盟主』の手駒だもの。
人間社会的に悪だとしても、それが自分たちに迷惑が掛からないようにしているのなら何の警告もしてこないわ。
彼らは二十人程度で魔術師業界の秩序を担っている。それほど強力な魔術師たちなのよ。」
「想像もつかないわね・・・。」
「まあ、強力であることと魔術師として優秀であることはまた別なんだけれどね。」
彼女はどこか嘲笑うようにそう言った。
「そういえば、彼らの中に呪詛の天才が居たわね。
きっと呪詛に関して、彼ほどの天才は今後現れないでしょうね。」
「呪詛の天才、ねぇ・・。」
なんとなくのイメージだが、きっと私以上に根暗なんだろうなぁ。
「呪詛と言うのはね、敵を排除するための魔術なの。
つまり、突き詰めても真理なんて到達できない俗な魔術なのよ。
そしてこれを行うには才能は勿論、何より必要なものがあるの。」
何だと思う、と彼女は視線で問いかけてきた。
「憎しみですか?」
「そう、恨めない相手に呪詛は掛けられない。
自分と相手に何らかの関わりが無ければ、効力はきわめて薄いし精度も非常に荒い。
それ故に対象の髪の毛だとかの触媒があると良いとされるの。
では彼はどうかしら。
きっと彼は、顔も見たこともない相手を呪い殺すことが出来るのでしょうね。
そこまで至るのに、どれほどの研究と経験を積めば良いのか・・・私にすら想像できない。
そして・・・一体どれほどのコンプレックスを抱えれば、見知らぬ他人を呪い殺せる境地に至れるのかしら。」
彼女はおかしそうに笑って言った。
「私も魔術を極めるには、それほどの覚悟が必要だってことなの?」
「覚悟ですって? あはは、そんなものは必要ないわ。」
彼女はかぶりを振った。
「―――――ただ、自己責任というだけの話よ。悔いるのも嘆くのも、すべて自分の行いの所為だって話。」
それが全てだと、彼女は言った。
・・・・
・・・・・
・・・・・・
あれからひと月、私は今日の日の為に準備をしてきた。
神社から帰ってきた私は睡眠をとって、時刻は午前六時ごろ。
まだお母さんも起きていない時間帯だ。
「おはよう菊理。」
「おはようククリ。」
私は目を覚ますと彼女にそう言ってベッドから起き上がった。
顔を洗って歯磨きを終えると、キッチンへと足を運んだ。
私はミキサーを取り出すと、その中に部屋から持ってきた数種類のハーブと木の実、ある木の根、炭化したイモリ、薬草を放り込んだ。
ざっと三十秒間、私は回転する刃に材料が切り刻まれるのを見ていた。
そうして出来たのは何ともいえないドロドロとした粘性を持った液体だった。
それを専用の鍋に入れて、ガスコンロに設置して火に掛ける。
「うーん、最近このコンロ調子悪いな・・・。」
仕方が無いから、自分の手の平から火を出して、自力で煮る事にした。
十分ほどへらでかき混ぜながら煮詰める。途中ですごく煙が出るので、換気扇を回すのも忘れない。
それでもすごい臭いが残るが、お香を焚いて誤魔化す。
すぐにラベンダーのいい香りが立ち込めてきた。
殺菌効果もあるのですぐにこの臭いも消えるだろう。
そうして煮詰まったものをボウルにあけて、氷水に晒して冷やすと出来上がり。
この世のものとは思えない異臭の物体Xこそ、魔女の秘薬である。
「これ、なんとかして味の改良とか出来ないのかな・・。」
「これでもだいぶマシになったほうなのよ。」
一体これがどうマシになったのだろうか、私は問い詰めたい気分になった。
冷やしている間にミキサーや鍋を念入りに洗う。
特にミキサーは私が使い出すまで埃かぶっていた物だが、お母さんが気まぐれを起こして使うかもしれないからよく洗う。
そうして冷めた頃にボウルにミネラルウォーターでほとんど固形物と化したそれを溶かしてコップに注いだ。
「すー、はー、すー、はーー」
「早く飲みなさいよ。」
「こんな不味いものを気合入れずにどうやって飲むっていうのよ。」
私は覚悟を決めて一気にそれを飲み干した。
「うッ!?」
何十度繰り返してもなれないえぐみと苦味が口の中を満たした。
私は涙目になりながらそれを無心で飲み下す。
これが私に力を与えるのだ。
これを飲むのが散歩前の私の日課と成りつつある。
「げほッ、の、飲みきった・・・。」
すぐに口の中をゆすぐ。ついでにコップとボウルも洗う。
「これを後どれくらい続ければいいの?」
「半年も続ければ十分よ。その頃にはあなたの体は一流の魔術師に引けをとらなくなるわ。」
「気が滅入りそう・・。ここまでする魔術師ってのも気が知れないわ。」
「むしろこの程度でその領域にまで達せられるのよ?
これを『本部』の人間が知れば血眼なって知りたがるわ。」
彼女は何が不満なんだといった体である。
「菊理、あなたも分かるようになってきたはずだわ。
自分に内在する魔力が徐々に増していくのを。」
「それはまあ、そうなんだけれど。」
魔術を習い始めた頃は、少し練習しただけですぐに気だるくなった。
だが、今はそうすぐには不調に成ったりはしない。
私の体が魔術を行使するのに適した体になってきているからだ。
「そうだ、もうすぐダリアさんたちとの夜会もあるけど、私もそろそろ魔術師名を決めたほうがいいんじゃないの?」
彼女いわく、魔術師には敵の呪術から身を守るための別名みたいなものらしい。
生まれながらの魔術師は本人と名付け親のみしか知らない本名を持ち、対外的には魔術師名を名乗って生きていくのだと言う。
私もそういうコードネームみたいなものはあこがれるのだ、なんだか女スパイみたいで。
「あなたの名前は完成しているから、変に変えないほうがいいと思うけれど。」
「そうなの? ちょっと残念ね。」
「親からもらった名前よ。簡単に捨てようとしないことね。」
「やっぱり、捨てる必要があるの?」
彼女が妙に真剣に言ってくるので、私はおずおずと訊いて見た。
「場合によってわね。あなたの場合、世を捨てるのなら戸籍まで消してじぶんをたどれないようにしなければならないけれど。」
「世捨て人になるつもりはないんだけれどね・・・。」
「本当にそう思うのかしら?」
「・・・・・。」
私は反論できなかった。
学校に登校する。
私が魔術を学び始めてひと月。
この学校は私服での登校でずっと地味な服ばかり着ていた私だが、ここ最近はずっと黒一色に統一している。
この間のことも手伝ってか、私はどうやら悪魔にでも取り憑かれたという噂が絶えない。
クラスの誰もが私を遠巻きに見て、道ですれ違えば道を明ける。
最近、彼女の他人の心のうちが少しばかり分かるようになって、他人の心の下劣さが嫌になる。
私は思い知ったことがある。
もし他人の心が見透かせる人間がいるとして、その人物はきっと迫害に負けるようなことは無いはずだ。
そういう時の対処は簡単だ。にやにやと笑ってそいつを見ればいい。
それだけでそいつは醜い本性が浮き彫りになるのだ。
自分の醜さは、誰よりも自分が知っているが故に、自らの心に自ら恐怖する。
実際私はそうした。例えばだ。
「あらおはよう。」
「ッ!? 白山・・。」
たまたますれ違ったので、私は教室であの三代目に話しかけてみた。
「そう言えばこの間、お金貸したわよね。いつ返してくれるのかしら?」
「えッ」
「言ったわよね、借りるって、じゃあ返してくれるのよね?」
私は嘘は言っていない。彼女はそういう名目で何度か私からカツアゲしていた。
私は微笑みながら尋ねた。
「借りたものを返すのは人として当然よね。そう思わない?
私は貸した金額をきっちり覚えているわ。もし全額返してくれなかったら・・・ねぇ?」
「わ、わかってる、ちゃんと、ちゃんと返すってば。」
慌てたように彼女はそう言った。
当然彼女は自分が掠め取ったお金の金額なんて覚えていないはずだ。
私はしっかり覚えている。小銭の数までだ。
「言葉は呪いだそうよ。一度吐いた言葉は飲み込めない。取り消せない。
わたし忘れないから。その言葉、絶対に。」
「あ、ああ・・・。」
こくこくと頷く彼女を尻目に、私は自分の席に着いた。
心なしか教室の温度も下がっているように見えたが、気のせいではないだろう。
私はこれ見よがしにダリアさんから取り寄せた魔術書を読み始めた。
私は思い知ったのだ。
他人の心を支配するのに、魔術で操る必要など無いことを。
操られているのは、自らの醜さに耐えられない故の錯覚に過ぎないのだと。
人は己の醜さゆえに、他者に悪を求める。
そこに魔女の偶像を見る。
彼女は言った。
信仰に代わる感情は、恐怖であると。
恐怖と畏怖は、神への崇拝へと似ているのだという。
私は彼女を見上げた。
かつて、彼女の原型たる大いなる魔女は教会の恐るべき弾圧に対抗すべく、ひとつの魔女宗教を立ち上げた。
それは宗教と名はつくが、かの魔女を頂点或いは中心とした秘密結社に等しかった。
今で言う魔術結社のひとつである。
当時の魔女たちは、所謂多神教を奉ずる人たちのことで、地域によって思想信条は勿論、信じる神すら違っていることなど当たり前だった。
当然である。彼女らはキリスト誕生以前の多神教を受け継ぐ者たちであり、神々がもっと身近だった時代の人たちだ。
そんな人たちをひとつの思想で纏めるなど、かの魔女でさえ不可能だった。
しかし彼女はよく理解していた。自分たちが協力し合わなければ、滅ぼされるだけであると。
そこで彼女が使用した手段こそ、恐怖だった。
キリスト教の掲げる魔女像を体現した、恐るべき本物の“魔女”として君臨したのである。
そうしてさまざまな魔女たちを束ねた彼女は、当時最悪の魔術師として知られるようになったのである。
私は以前、どうしてそこまでする必要があったのかと訊いた事があった。
何も正面から立ち向かわなくても、やりようはあったはずなのでは、と。
「あれは彼女の復讐だったのよ。」
彼女はそう答えた。
「知り合いに恨まれただけで魔女と告発される時代よ。
彼女を含めて多くの人たちが多くのものを失ったわ。そして多くの人間が報いを受けた。」
「報い・・・?」
「彼女が集めた魔女たちの中には呪術医も多く居た。
当時騒がせた病魔を、知らないわけはないでしょう?」
私は頷いた。
ペスト、黒死病。当時ヨーロッパの三分の一の人口が減ったとされる恐るべき感染病だ。
「医者の居ない村がその当時どうなるか、想像つかないわけがないでしょう?
廃村には死屍累々が積み重なり、更なる病魔の温床となり広がった。
彼女は対処法を知っていたけれど、多くは放置していたわ。
彼女はみんな死ねばいいと思ったのよ。呪われるように苦しめばいいとね。」
一緒になって批難した人も、見て見ぬ振りした人も、まったく関係のない子供でさえ。
彼女の呪詛は、多くの人間を殺しつくした。
彼女は自分に従う者たちだけを守った。
そしてその半端さが祟り、教会に目を付けられた。
「あなたも事を起こすときは上手くやりなさい。
私がそのやり方を教えてあげる。」
「うん、今日はその時だものね。」
私は笑った。彼女も笑った。
その笑みこそが、この教室に君臨している者の笑顔だった。
・・・・
・・・・・
・・・・・・
夜、私は例の神社へと来ていた。
子供の頃からこの神社はあるが、私はここに宮司が居るのかは知らない。
しかし、時々大人たちが何かの行事のたびに集まっているのは知っている。
だがそれは主に夏場だ。春先の今は関係ない。
だからこそ、誰もいないし近づこうともしないこの場所は、儀式にはうってつけの場所だった。
「見てるんでしょう? 出てきなさいよ。」
昔から視線に敏感だった私には、それが良く分かった。
「あれ、気づかれちゃいましたか。」
思ったより若い声だった。
「気づかれないように邪魔してやろうと思ってたんですけど、あんまり上手くいかないもんですね。」
言いながら、そいつは藪の中から現れた。
見た感じ、年下の少女だった。
黒髪のショートヘアのぱっつん前髪で、背は低く、典型的な日本人のようだった。
そして暗闇のようなローブを身に纏っていた。
あからさまに練り上げられた魔力を感じる。
間違いなく奴は魔術師だった。
「ここまで近づかれて気づかないようなら、そいつは魔術師失格よ。」
特に黒魔術師は、自身を中心に周囲を知覚領域を持っている。
その範囲での物事の変化は敏感なのだ。
「ということは、黒魔術師ですか。
どうやら見た目通りな外見と行動が本業のようですね。」
その少女は値踏みするようにこちらとの間合いを図りながら話しかけてくる。
「おバカ、なに相手に情報を渡しているのよ。」
彼女からお叱りを貰った。
私は視線で謝っておいた。
「あんたこそ教会の人間じゃないわね?
何で赤の他人のあんたが、私の邪魔をするのよ。」
私が問うと、彼女は少し頬を掻いてこう言った。
「うーん、強いて言うのなら、通りかかったからでしょうか。
だってあなた、誰かを呪おうとしているでしょう?
そんな場面に出くわしたのなら、止めに入るのが人情でしょう。」
何とも歯切れの悪い言い方だった。
私は彼女に視線を投げかける。
私程度の読心術では、精神防護を施されているらしい彼女の言葉の審議を測りきれなかったのだ。
そして彼女は肩をすくめて笑った。
信じられないことに、本当のことのようだった。
「あなた、昨日も居たわね。じゃあどうして昨日は邪魔しなかったの?」
「言ったでしょう、たまたま通りかかったんですよ。
魔力の波動を感知したのできて見れば、血だらけのあなたが居るじゃないですか。
始めは犠牲者かと思いましたが、逆だと悟って様子見にしたんです。」
まったく驚きましたよ、と少女は少し笑ってそう言った。
「こんなことは良くありません。やめましょうよ。」
「このことはあなたはまったく関係がないわ。
そしてそんなことを言われる謂れもね。」
「ええ、まったくその通りです。
ですがやめましょう。人を呪わば穴二つというでしょう?」
「残念ながらもう呪詛は完成しているの。
今日のは詰めの部分よ。この呪詛は二枚刃なの。」
「ならその呪詛を解けとは言いません。これ以上不毛なことはやめましょう。」
私はいい加減、彼女の物言いにイラッとした。
「あなたにとってもどうせ赤の他人よ、それなのにやめろって言うの?」
「ええ、呪詛の対象がどうなろうと知ったことではありません。
しかし、止めてください。私の目の前ですから。」
「・・・・・・あなた、何が言いたいの?
もしかして、正義の味方でも気取っているの?」
私は彼女の言葉がちぐはぐで、何を言いたいのか理解できなかった。
「あ、そういう風に聞こえました?」
すると、彼女はすこし恥ずかしそうにそう言った。
「別に明日、あなたがここで何をしようが私は感知しません。
なぜなら私は用事があり、この町には居ないからです。
しかし今日、そしてたった今、あなたは私の目の前で誰かを呪おうとしている。
それをやめてくださいと言っているのです。」
きっと彼女は、きわめて合理的に理論を並べたつもりなのだろう。
しかし、私には何を言っているのか理解不能だった。
「・・・・どうして?」
「理由なんてありませんよ。
ただ、こういう廻り合いをして、こういう状況に立たされている。
私にとっても、あなたにとっても、言葉にしづらいですが、旅路の障害のようなものといいますか。」
それで漸く、私にも合点がいった。
「あんた、占星術師ね・・・。」
「ええ、はい。その通りですが?」
それがどうしたとでもいうように、彼女は首かしげた。
占星術師。
魔術師としての占星術は、吉凶を占うに留まらず、運命の解釈やその克服について実践するものたちのことを言う。
多くの魔術師にとって壁となるのは、才能。
彼らは魔術的才覚を発揮し、それを克服する手段を探し、研究している存在なのだ。
そうやって彼らは真理への道筋を模索している。
旅路、なんて言い方をするのは、タロットの大アルカナの絵柄が番号順に物語として進んでいくからだ。
タロットの絵柄は人間の人生を現しており、彼らはそれを歩み到ろうとしているのだ。
それはまさしく、人が真理にたどり着く旅路と言えるだろう。
「あ、申し送れました。
私は神谷 彼方と申します。若輩者ですが以後お見知りおきを。」
そして、予想外なことに、彼女は自らをそう名乗ってペコリとお辞儀した。
「あなたに誇る名前があるのならば、どうぞ名乗ってください。」
そうして顔を上げた彼女の顔は、挑発的な笑みが浮かんでいた。
彼女は言外にこう言ったのだ。
私を呪えるものなら呪ってみろ、と。
「彼女、いい師匠に恵まれているようね。
この業界での世渡りの方法を叩き込まれているわ。ただ、無謀と言う一点を除けばね。」
私が言葉を詰まらせていると、私達のやり取りを部外者気取りで眺めているそいつはそう言った。
「菊理、名乗りなさい。
己に恥じる名など無いと、己の誇りを示すのよ。」
「いや・・・。」
私は彼女の騎士道精神に付き合うなど真っ平ごめんだった、
そもそも、呪術師が自分の名前を敵に明け渡すなんて一番してはいけないことだ。
そう、あいつは敵なのだ。
「なるほど、私と同じぽっと出ですか。」
どこか納得したように彼方は頷いた。
「代を重ねた魔術師は己の家名を誇りたがる。
あなたはそうではない。あたりですか? 私の勘は良くあたると評判ですよ。」
第六感が優れているのは、占星術師として優秀な証拠だ。
私は思わず後ずさった。
「・・・・これは無理ね。相手のほうが一枚上手だわ。」
私の真横に佇む彼女はため息とともに首を振った。
「(なにボーっとしているのよ、あいつを蹴散らすの手伝ってよ。」
「それは駄目よ。だってあなたは今、彼女に名乗らなかった。
それはつまり白山 菊理の戦いでは無いと言う事。私が手伝う道理が無いわ。」
彼女はそんなふざけてことをのたまった。
「(そんなッ!!)」
「さっきからなにを余所見をしているんですか?」
彼方は私の視線を追ったようだが、何も無いのを確認すると突然タロットを切り始めた。
シャッシャッシャ、とカードの切る音が響く。
そうして一枚のカードを引いた。
「女教皇の逆位置。
この場合、わがまま、利己的、視野狭窄・・・と言ったところでしょうか。そして、」
その直後、彼方の目の前に閃光が迸った。
「激情、或いはヒステリー。
図星を突かれたからって怒らないでくださいよ。」
闇が舞い戻ると、彼方は燃え尽きて灰になった護符のようなものを掲げていた。
「あなたは私の馬鹿にしているの?」
「いえ、とんでもない。
私はこんなくだらないことはやめましょうと、説いているだけです。」
「違う、そんなことを聞きたいんじゃない。」
私は彼女を睨み付け、
「あんたが立ちふさがるのならそれでいい。
その理由がたまたまですって、ふざけないでッ!!
言ってみなさいよ、あなたの本心をッ!!」
怒りのままに怒鳴り散らした。
「・・・・理由なんてありませんでした。
たまたま通りかかって、たまたま呪詛の現場に出くわしたから止めに入ったのも本当です。
ですが今、あなたと言う人物を垣間見て確信しました。
―――――――私、あなたが嫌いです。」
そして、理由はそれで十分だろう、と言う顔になって、
「わたしの魔術は、私の誇りです。
私はそれによって齎された私の旅路を、私の選択を曲げません。
全力で、私はあなたを邪魔させていただきます。」
意外に鋭い瞳で、私を睨み付けてきた。
・・・・
・・・・・
・・・・・・
この世で最も醜い三つのものは、女の嫉妬、女の癇癪、そして女同士の争いである。
私は少なくともそう確信している。
なので、ある程度大まかな内容だけを伝えさせてもらう。
私は睨み合いながら対峙する二人を見やり、そんなことを思い返した。
面白い展開だとは思うが、予想外にこじれて内心困っている。
私は菊理に手を貸すつもりは初めからなかった。
敵対するのなら彼女を退けるのも試練のうちだとでも言うが、こうまで彼女が心を乱しているのなら別の不安が出てくる。
菊理は勝てる。
確実に相手を倒せる。
なぜなら、相手が占星術師だからだ。
占星術と言うのは思いのほかリソースを取られる魔術系統で、ほかの魔術を併用しながら使用するなんて真似はほぼ不可能なのだ。
これはどんな裏技を駆使しても、人間の構造的に不可能なのである。
つまり占星術師とは、ほかの系統の魔術を習得する余地がほぼ無い。
だからほかの系統なら重要視する要素を、まるっきり必要なかったりもするほどである。
逆に言えば、占星術師は戦闘力が皆無に等しい。
彼らは占星術と言う技能に特化しすぎているのだ。
少しばかり無理すれば出来ないこともないが、戦うなんて選択肢が生じた時点で負けみたいな系統なのだ。
吉凶を占うと言うのはそういうのを避けるためだし、そもそも危険を避けるための占いなのだ。
私が彼女を無謀と評したのはその為である。
「邪魔するとは言いましたが、私はあなたには直接何もしません。
なぜなら攻撃手段が無いからです。無抵抗を貫きます。私を退けたいのなら、好きにしてください。」
彼方は菊理を睨んだままそう告げた。
「分かったわ。」
対して、菊理は準備万端だった。
ウィッチクラフトは準備の時間で勝負が決まると言っても過言ではない魔術系統だ。
時間を掛けて準備すればするほど良い。
予想外の自体を想定して、幾つか触媒を持ってきておいたのである。
つまり、彼女が状況的に勝って当然。
ほぼ出来レースじみた結果になるのは予想が出来た。
意外だったのは、彼方が意外に粘ったことだった。
菊理は最初、動物霊を喚起した。
彼女は元々シャーマンとしての素質を大いに秘めていた。
周囲の希薄な霊を喚起し、攻撃することなんて容易い。
しかし、彼方は懐に隠し持っていた守り刀を抜いて対抗した。
かなり高等な魔術的加護を有していたのか、低級な霊はそれだけで四散した。
護身用にしてもなかなかの代物であった。
「これから私は、タロットから大アルカナだけで一枚ずつカードを引きます。
それぞれ、あなたの過去、現在、未来について占います。」
彼方は突然そんなことを言って、タロットを切った。
そこまで簡略化しては分かることが限られているが、占星術師は霊的な感覚がものを言う。
「吊るされた男の逆位置。
徒労、やせ我慢、自暴自棄、どうにもならない状況や悪化の一途を辿る。
骨折り損ばかりで、なにをやっても上手くいかない。これがあなたの過去。」
彼女の声を掻き消さんばかりに、無数のカラスが彼女に襲い掛かった。
地味なようだが、カラスは集団になるとかなり厄介な生き物だ。
体も大きく、そしてなにより頭が良い。
それが凶暴性を有したとなれば、どれほど危険か言うまでもない。
しかし、彼方はポケットから鈴がついた輪を取り出した。
それは錫杖の先端についている、動物避けの鈴を魔術的に簡略化した代物だった。
しゃらん、と彼方に纏わり付こうとしていたカラスの群れは、散り散りに去っていった。
そうして、彼女は二枚目のカードを引いた。
「悪魔の逆位置。
好転、覚醒、束縛からの解放。新しい出会い。
あなたは全て自覚している。見てみぬ振りをしている。」
「うるさい、黙れッ!!」
そう叫んで菊理が取り出したのは、密閉された袋に入ったネズミの死骸だった。
虚空に放り出されたそれは、一瞬にして空気を蝕んでいった。
ネズミは悪魔の下僕として言い伝えられている。
それを触媒に、魔界の瘴気が高密度で溢れ出したのだ。
「げほッ、・・・三枚目・・。」
教会の人間でもなければ耐性などあろうはずも無い。
彼方は数秒も持たずに地面に倒れ伏した。
だが、カードをめくる手は止まらない。
しかし菊理はその手を蹴り飛ばした。
「サンドバックみたいに無抵抗な癖して、舐めた事ばかりッ」
「・・ふ、ふ・・・よく私の学生時代のあだ名、分かりましたね。」
そういって笑みを浮かべる彼女は、決して強がりではなかった。
「油断、しましたね・・。」
彼女の手の中には、蓮の花の押し花があった。
それが地面に零れ落ちたとき、状況は一転した。
一瞬にして、魔界の瘴気が彼女の周囲から退いたのである。
いや退いたのではない、彼女との距離があまりにも遠くなったのだ。
「げほッ、持つべきものは、最高の師匠ですよね。」
咳き込みながら、足取りもおぼつかないふらふら状態で、彼女は立ち上がった。
それから先は、菊理がなにをしようとも彼女へは届かなかった。
逆に、彼方はカードの一枚すらも引けないほど疲弊していた。
事態は完全な泥仕合の様相を呈した。
私は折を見て、菊理の肩を叩いた。
「もうお終いにしましょう、あなたの負けよ。」
「まだッ、負けてない!!」
菊理は向きになってそう叫んだ。
「じゃああなた、今から儀式を行えるの?」
「そ、それはッ・・。」
「目的を見失うなんて未熟な証拠よ。
せいぜいもう一度魔術を使うくらいで精一杯でしょう。」
彼女も自分の体調は一番良く分かっている。
なにせ、魔力を一気に消費して、ふらふらなのは彼女も同じだからだ。
これ以上不毛な争いはさせられなかった。
「それになにをしても無駄よ、あれは蓮の花の神域。
蓮の花に座する御仏の結界。あなたはそれに捕らわれた。
あなたはもう、仏の掌で踊らされる孫悟空と同じ状況に陥っているわ。」
「そんなッ・・・。」
「格下と侮って油断したあなたが悪いわ。」
とはいえ、これを予想しろと言うのも無理な話だが。
しかし、相手がどんな切り札を持っているか、警戒しなかった彼女が悪い。
「今回は素直に、負けを認めなさい。
あなたに彼女の誇りは挫けないわ。」
「・・・・・・・・・。」
菊理はその場にへたり込んだ。
そして、そのまま魔力の消費過多のショックで気を失った。
見れば、彼方はとっくに倒れて意識を失っていた。
やれやれ、と私は肩を竦めると。
「これはどういう状況かしら。」
音も無く、ふわりとその女は出現した。
「彼方に渡した最終防御手段が発動したようなので、急いで駆けつけてみれば・・・これは一体。」
「やはりあなただったのね、“蓮華”。」
「あなたは・・・。」
私は菊理の体を借りて彼女に話しかけた。
「仏教系魔術と道教の混合術式・・・こんなのを使えるのはあなたぐらいよね。
“処刑人”が一人、通称“蓮華”。」
基本的にツーマンセルで行動する“処刑人”において、単独行動を許された数少ないベテランの一人だ。
見た目は若い日本人の女性。
しかし、見た目の四倍は生きている生粋の魔術師だ。
彼女は“処刑人”の中でも屈指の生存スキルを誇り、とりあえず危険そうな相手に威力偵察代わりにぶつけられることもしばしばらしい。
あの蓮の花の護符も、彼女の秘術の賜物だろう。
「ああ、こんなところにも居たの。“魔導師”『パラノイア』。
どうやら、私の弟子がご迷惑をかけたようですね。」
彼女も心得ているのだろう、すぐに理解したようだった。
「まさかあなたが弟子を取るなんて驚きだわ。
しかも自分の専門分野ではなく、占星術師としてだなんて。」
「そういうことは本来はやってはいけないことなんだけど、彼女の才能が著しかったもので。
それにちょうど探し人をしているので、ソナー役を現地調達できたと思えばちょうど良いタイミングでしたし。」
「呆れた、きっとほとんど独学でここまで到らせたのでしょう?
占星術師としての基本も出来ていなかったわ。それで魔術師としてやっていけているんだから、あなた面倒見切れないのなら弟子なんて取るんじゃないわよ。」
「それに関してはお恥ずかしい限りで。」
と、私の苦言に彼女はちっとも意に返した様子は無かった。
さすがの私も呆れてしまった。
こんな放任主義ほぼ100%の師弟など、始めてみたのだ。
これだから自分の魔術を教えられない弟子を取ってはいけないのである。
「とりあえず、無事は確認できたので私はこれで。」
薄情なことに、“蓮華”はそれだけ言うとさっさとどこかへ消えてしまった。
自分の弟子に対してここまでおざなりな師匠というのも初めてだった。
「まあ、今回は彼女も、平静を失えば格下にも負けるということを学んだようだし、良しとしましょうか。」
後の細かいことは、ダリアに任せれば良い。
人間というのは、自分自身を省みない生き物だ。
私の言葉に耳を貸さなくても、他人の言葉なら受け入れることもある。
今回は思わぬ経験を積めたと言う事で、収穫は十分といったところか。
「後継者候補の育成も、楽じゃないわね。」
私は自分のことならが苦笑するのであった。
・・・・・
・・・・・・
・・・・・・・
喧嘩とか、何年ぶりだろうか。
「あなた、結局なんて名前なんです?」
二人してぶっ倒れた私たちは、今はお互い鳥居の柱を背にして回復を待っていた。
「白山 菊理。」
「なるほど、ククリヒメノカミ、日本神話ですか。良い名前ですね。
それに縁に縁があるときましたか。どうやらこの度の邂逅は吉兆なのでしょう。」
私は答えてやると、彼方はそんな達観したことを言いやがった。
「あんた、この業界どれくらい?」
「本当につい最近ですよ。もう少し上手くやれると思ったんですけど、二度三度修羅場を潜り抜けた程度で駄目ですね。」
そもそも私とは場数が違ったようだった。
「あッ、そうだ。菊理さん、私の占い聞きましたよね。
あれ、一回500円なんですよ。支払いの要求をいたします。」
「はぁ?」
「さあ、私の旅費に貢献してください。」
こいつ、意外にがめつかった。
「あれってまだ途中だったじゃない。」
「そこはほら、聞くも聞かないも貴方次第って奴ですよ。」
「・・・・はぁ、わかったわよ。」
彼女は将来有望そうなので、年下だし先行投資ということにしておこう。
私は財布から五百円玉を取り出して放り投げた。
「確かに。」
「あんた、旅してるの?」
「正確には人探しの放浪でしょうか。」
「学校とかは? みたところあんた中学生でしょう?」
「俗世は全て捨てました。
親も友人も学校も家柄も、全てのしがらみを捨てて師匠の下で働かせてもらっています。」
「後悔はしなかったの?」
「少なくとも、私にとって俗世とは不良債権でしたから。
私にとって師匠は全てです。師匠は師事する代わりにそれ以外の全てのことは自分でやるようにと仰いました。
おかげで街道に立って占い師の真似事をする日々ですよ。」
だから、その年でここまで達観できるのだろうか。
なんとなく感じていたことだが、私と彼女は少し似ていた。
ただ、感じ方が違った。
魔術の啓示を受けて、彼女は自分の道を歩みだした。
私はまだ、足踏みしている。
まだ幼いと言えるだろう年頃の彼女に、私は少しばかり嫉妬した。
彼女には、いらないものを捨てる勇気があった。
私には無かった。
ただそれだけのことなのに、ここまで違うのだろうか。
「ねぇ、あんた。言っちゃ悪いけど、少し臭うわよ。
ちゃんとお風呂に入ってるの?」
「え? 毎日体は拭いているんですけれど・・・。
適当な水道探して髪の毛洗うだけじゃ駄目ですかね・・。」
「シャンプーは?」
「そんなの買うお金あると思いますか?」
それを聞いた瞬間、私は全身に鳥肌が立った。
たまらず立ち上がって、私は彼女を見下ろした。
「俗世を捨てることと身だしなみに無頓着なることは違うわよッ!!
どうせそのローブも何日も洗ってないんでしょう!! あんたそれでも日本人なの!?」
常日頃から私から魔術の指南だけでなく品やら優美さやらを叩き込まれた私には、そういうのは耐えられないのだ。
「ちょっと家に着なさい、あんたみたいなのに負けたなんて私の名折れだわ。
風呂場に叩き込んでやるから覚悟しなさい。」
「良いんですか?」
「どうせ寝るところも無いんでしょう? ついでに泊まっていけばいいでしょ。」
私がそういうと、かのじょはたっぷり十秒は考えて。
「素直じゃないんですね。」
「なんか言った?」
「いえ、お言葉に甘えさせていただきます。」
「その代わり。」
「はい?」
「占いの続き、聞かせなさいよ。」
「・・・ええ。」
この後、私は思いもよらなかった事なのだが。
私が近くに寄った時は宿ぐらい貸してあげると言ったのが原因だったのだが、彼女は思いのほか図太くて逞しく、図々しかったのである。
まさか、ちょくちょく尋ねてきては風呂と宿と、ついでにと言わんばかりに飯までたかりにくるとは。
それが彼女、神谷 彼方との腐れ縁の始まりだったのである。
こんにちは、ベイカーベイカーです。
リハビリと共に平行して本編のほうを続けて書いております。
正直タイトル的に関係ない話ですが、菊理ちゃん編はもう一話続く予定です。
その後、改めて本編を登校する予定です。一度書いちゃうと妙に愛着がわいてしまう私の悪い癖です。
戦闘はもう少し派手に行きたかったのですが、二人とも戦闘系でもなし魔術師としても日も浅いので地味になってしまいましたが、案外あんなもんなんです。
むしろ、毎回派手なことになっているササカ君たちの方が異常なのです。
その対比を楽しんでくれたりしてくれれば幸いです。
そんなわけで、また次回。菊理ちゃん編ラストでお会いしましょう。




