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魔族の掟  作者: ベイカーベイカー
第五章 魔族戦乱
109/122

番外編 フォーリンダウン

お待たせしました。

白山菊理は人生を楽しいものだと感じたことがなかった。

彼女は小中高と、ことごとく学校ではいじめを受け続けてきた。


気弱な性格もあるだろう、引っ込み思案で言葉数も少なく、根暗で自己主張も少ない。

積極的に友達を作ったりしたり、普段は読書ばかりで誰かと交流したりもしない。

そのくせ、勉強はそこそこ出来てクラスでは成績が常に上位だ。


これ以上ない、見本といえるほどいじめの標的として格好な対象と言えた。



しかしながら、彼女もはじめからそういう性格であったわけではない。

かつて、彼女には気の会う友人がいた。


最初は意気投合し、常に行動を共にするような仲であった。

だが、それは最初の半年だけだった。


きっかけは彼女もわからない。

彼女はいつの間にか、自分をいじめるようになっていた。


隣で笑いあっていたその彼女は、自分を周りと一緒に指差して笑うようになり、陥れるようになった。

彼女がそうなった理由は、きっと万年いじめられっこの自分の傍は具合が悪いからだと、私は分析していた。


そしてこの裏切りにより、私は他人を信用しなくなった。

他人とは所詮言葉を交わすだけの存在であり、心を落ち着けるには無心で本を読むことに没頭することだけなのだと。


そう、理解した。

そのときの私の怒りと憎しみと筆舌しがたい絶望は、きっと誰も理解できないだろう。


だから私は周囲に壁を作った。

毎日のように受けるいじめも、そういうものだと受け入れた。



そうして向かえた高校二年生の春先のことだった。

私は、別の意味で周囲から浮いていた。




「ねえ、ククリ。どうして机なんかに顔を突っ伏してなにをしているの?」

学校に登校し、自分のクラスの席で朝のホームルームの時間が始まるまで、寝てる振りを貫こうとする私に声が掛かる。


周囲から視線を感じる。

それは奇異の目だったり、怪訝な視線だったり・・・恐怖であったり。



「今日は本を読んだりしないの?

先生が来るまであと十分はあるわよ? それを無駄に過ごすなんて勿体無いわ。」

その視線の対象は、こんな私に声を掛けてくる輩・・・というわけではない。


なぜなら、その輩は誰にも見えないからだ。



「ほっといてよ・・・。」

私は誰にも聞こえないように、ぼそりとつぶやいた。

どうせ私の心情なんて、わかっているくせに。


私がそういうと、そいつはくすくすと笑った。

机に突っ伏して、目を閉じていてもその姿が私には見えた。



だって、そいつは私の心の中に住んでいるのだから。

寄生しているのだから。



「違うわ、あなたが感染(・・)したのよ。」

私と同じ姿、私と同じ顔、私と同じ声で、そいつは言う。

笑いながら。私が一度だって浮かべたことのないだろう悪質な笑みで。



「私は、あなたなのよ。」

私が、この私自身だと名乗るこいつと出遭ったのは、新学期を迎えてすぐのことだった。






・・・・

・・・・・

・・・・・・




その日、私は憂鬱だった。

新学期などというのは、気分を一新して新しいことを始めるのには適しているだろう。


しかしそれは青春を謳歌している一部の人間だけの話で、クラス替えのない私にとっては日々の拷問の始まりに過ぎなかった。


高校になって私をいじめる三代目は、髪は金髪耳はピアスにタバコを持参と、不良を体現したような女だった。

当然ながら、頭の出来もそれ相応だった。

ろくに勉強などしたこともない頭には、下品な言葉しか詰まっていないに違いない。


しかし、だからこそなのだろう。

小学中学時代の一代目と二代目より、その女は攻撃的だった。



平気で人は殴るし、目が合っただけでいちゃもんを付けてくる。

取り巻きと一緒になって人気のいない場所に連れ出すなんて日常茶飯事だった。

よくこんな奴に付き合う物好きな輩がいるもんだと、逆に感心してしまうような奴だった。


そしてそういう馬鹿な女に限って、危機管理というものがなっていない。




新学期初日が終わるのもそこそこ、私は連中に取り囲まれた。


いきなりのことに戸惑う私に、連中はにやにや笑いながら私を教室の真ん中の席に座らせた。

ほかのクラスメイト達が帰っていくと、なにやら準備をしていたのか机の上に紙を置いた。


それは魔方陣のような何かだった。

しかし、本で見るような魔方陣と比べて安っぽくて偽者っぽかった。


何でもこの魔方陣もどきで、何かを呼び出すらしい。

その際にイケニエとやらが必要らしく、見事その相手に選ばれたのが私だった。


そうしてコックリさんだかなんだかを呼び出せば、願い事が叶う云々。

途中から馬鹿らしくて、詳しく覚えていない。



この年頃の少女というのは、一定の確率でこんなアホらしいオカルトに興味を持つものらしいが、そうした心理が私には理解できなかった。

彼女らにとって、どうせ火遊びの延長にすぎないのだろう。

どうせなにも起きやしないのに、意味もない綱渡りをして面白がっているに過ぎないのだ。


とはいえ、下手に拒否して殴られるのもいやだったので、結局私は無抵抗に座ったままでいることにした。




そもそも、今はお昼時だ。

新学期初日なんて、そんなものだ。


暇なことにこいつらは、お昼も食べずにこんなことをしようとしている。

こんな真昼間にそんな儀式とやらが成功するとでも思っているのだろうか。


三代目の取り巻きたちが周りの机と椅子をどかすのをよそに、そんなどうでもいいことを考えていた。


やがて教室の中心に残された机に座る私を取り囲むようにして、なにやら呪文っぽいものを唱え始めた。

こうして取り囲まれることは毎日のことだが、この居心地の悪さだけは慣れなかった。

そして今日は、なにより彼女らが気持ち悪かった。




ふと、その時、


「(え・・・)」

風を感じたような気がする。


そんなはずはない。

だって、さっきこの儀式とやらをする条件に、締め切った部屋でやらなければならないとか言っていた気がする。


事実、この部屋は扉も窓も、完全に閉じていたはずだ。

誰かの息が頬に掛かったのだろうか。

それはそれで気持ち悪かった。




「あー、やっぱり何も起こんないじゃん。」

「あはは、そんなもんだよ。」

そして結局、何も起こらなかった。起こるわけがない。


「やっぱイケニエがこいつじゃダメだったんじゃね?」

「確かに、ギャハハハ。」

三代目と取り巻き連中はそんな勝手なことを言いながら、カバンを手に出口に向かった。



「白山、机戻して置けよ。」

と、後始末を押し付けるのも忘れずに。


私はしぶしぶと机を片付けようと立ち上がった。

何もしないで帰って、明日私の所為にされても困る。


幸い、新学期初日だけあって机の中はほとんど空っぽだ。

元の位置に戻すだけで十分だろう。


そう思ったときだった。






「ねぇ、なんであんな奴の言葉なんかに従うの?」

そんな声が聞こえた。




「え?」

思わず私は振り返った。

それはあまりにも聞きなれた声だったからだ。


最初は、窓ガラスに私の姿が映ったのかと思った。

だが、それにしてはやけに鮮明で、存在感があった。


学校指定のブレザーとスカート、地味な三つ編みの髪の毛、野暮ったいメガネを掛けていた。

それは、まごうことなく、毎朝鏡で確認している自分の姿だったのだ。



「ひっ」

それは私の理解を超えて、恐怖を抱かせるには十分だった。

私は脇目も振らず逃げ出した。


もしこの場で立ち竦んで怯えるのではなく、今回のようにもっと早く逃げるという勇気を持っていれば私の人生も少しは変わっていたかもしれない。




「あ、おい!!」

私は先に帰ろうとしていた三代目と取り巻きたちを追い越して、一心不乱に一階の昇降口から逃げ出した。

上履きのままで・・・。




「ねぇ、どうして逃げるの?」

だが、それは私にぴったりと併走して問いかけてくる。


いや、併走というのは語弊がある。

それは足を動かしてすらいない。直立のままスライドして私の真横に張り付いているのだ!!



「ひ、ひゃーー!!」

我ながら情けない声を上げながら、涙目になって逃げ足を速めた。


実は私、こう見えても体力には自信がある。

日課が早朝の散歩で6年前から一度も欠かしたことはなく、休みの日には遠出してまで山歩きするのだ。


根暗な文学少女が運動好きとかありえない? 知るかそんなもの。

今は未知の恐怖から逃れることのほうが先決だった。



「あらあら、ダメねこれは。」

それは、微笑むようにそう言うと。


「―――止まれ。」

私に言い聞かせるようにそう告げた。



「いッ!?」

その途端、私の両足は縫い付けられたかのように動かなくなった。

私は慣性にしたがって体だけが前のめりになって、情けなく転んだ。



「これでようやくお話が出来るわね。」

私と同じ姿をしたそれは、私を見下ろし笑っていた。

逃げようとしても、小指一本動かせない。


「い、いや・・・。」

「安心しなさい、私はあなたよ、恐れる必要なんてないわ。」

それは私にそっくりな顔を近づけて、優しく頬に触れた。


感触が、無かった。



「わ・・わたし・・・?」

「そう。ねぇ、あなたのお名前を聞かせて?」

私を名乗るそいつが、私の名前を訊いてくるなんて矛盾もいいところだが、そのときの私にはそんなことを考える余裕なんてなかった。


「白山、菊理・・。」

「シロヤマ、ククリ・・・白山、菊理ね。」

私の言葉を反芻するように、そいつは私の名前を繰り返した。

それは外国人が日本人の名前のイントネーションを確認するような、奇妙な違和感があった。


そして、一瞬目の前がぐわんとぶれた気がした。



「自己の定義完了。

精神同調率99.4%・・・素体の精査・・・ふむふむ、非常に良好か。」

それが全身をくまなく調べられたのだと、なんとなく理解できた。


「いい名前ね。この国の神話から取られているのね。

あなたの祖父は博識で、あなたもそれにふさわしい。」

寒気がした。

そいつは、私の名付け親が祖父だと知っていた。


それと同時に、中学の頃の国語の先生に、いい名前だな白山、と言われた理由を知った。



「驚くことはないわ。私はあなたなのだもの。

あなたの驚きも、あなたの恐怖も、あなたの悪寒も、すべて私も抱いている。」

「あ・・・」

そして、私の中に自分のものではない感情が芽生えた。


それは興味だ。

目の前の存在に対する好奇心だ。


それが、こいつが抱いている感情だというのを、不思議と理解できた。



「私を恐れてもいい。その恐怖を私が飲み下せばいいのだから。」

すると、目の前の“私”に対する恐怖心やら何やらが、諸々と萎んでいくのを感じた。


「あなたは・・・なんなの・・・?」

不思議と恐怖は消えていた。

感情を操作されたというのに奇妙な一体感を覚えていたのだ。

そうして、疑問だけが残った。




「私は――――」

「おい、白山ァ!!」

だが、その時、間が悪いことに三代目とその取り巻きたちがやってきたのだ。


「ちッ・・」

“私”があからさまに不機嫌そうになった。

その不機嫌も、私に伝わってくる。



「お前どういうつもりだ? あたしが片付けとけつったのがわからなかったのか? あ゛あ!!」

同じ人間とは思えない粗暴な言葉を吐きながら、三代目は胸倉を掴んで引き寄せながらそう言った。



「なにこいつ、私を持ち上げる力もないのにいきなり服を掴みにいくの?」

“私”があざ笑うようにそう言った。

私が言ったら即ぶん殴られているだろうが、彼女らには“私”が見えていないようだった。



「ねぇ、助けてほしい?」

“私”が私に問いかけてくる。


実を言うと、このとき私は迷っていた。

こんな得体の知れない存在に、頼ってもいいのか、と。



「言葉にする必要はないわ。

念じるだけで、私には通じるから。」

「でも・・。」

と、私は思わず口にしてしまった。


ハッとして三代目に意識を向けると、――――止まっていた。

何がでもだよ、とか、どこ見てんだよ、とか言われるかもと怯えたのだが、彼女らの動きがまるでスローモーションでも見ているかのように緩慢であった。


まるで、私が一昔前のビデオテープを操作している側のような距離感すらあった。



「それで、どうなの? 助けてほしいの?

こいつ、これからあなたを殴るつもりでいるみたいだけれど?」

「えッ!?」

「人目のないところに連れ込んで、散々脅してからお金でもせしめて、・・・こんな顔をしているのに、このあと何を食べようかなんてかんがえているわ。」

くすくす、と“私”は嘲笑いながらそう言った。






「・・・・・・助けて。」

それは、初めて言う言葉だった。


「お願い、助けて。」

親も、学校の教師も、クラスメイトも、絶対に私を助けてくれるはずなんてないと、ずっと思っていたからだ。

いじめというのは絶対に無くならず、ずっと続いていくものだと思っていたから。

助けを請うだけ無駄だと、思っていた。



「わかったわ。」

だけど。


「当然よね、だってあなたは私なのだから。」

相手が、人の理解を超えた存在ならば。






「おい、何とか言えよッ!!」

三代目の怒鳴り声で、私はスローの世界から現実に戻ったのだと理解した。



「じゃあ、・・いつも似たような言葉しか言えないの?

品が無いと語録まで貧相なのね。むしろ、あなたの場合下劣と表現したほうがいいかしら?」

「ん、なッ」

彼女が驚くのも無理は無いだろう。

断じて私が言った言葉ではないのだから。


しかし残念ながら、私の口からその言葉は発せられていた。

彼女もいつだって無抵抗だった私からそんな言葉が出てきたら、それは驚くだろう。



「こ、このやろう・・」

「あなた本当に女なの? 言葉遣いをちゃんと改めないと、女性として格が問われるわ。

まあ、あなたのようなハイエナ風情が人語を介する時点で見世物としては十分なのかもしれないけれど。

ほら、今日もみんながあなたを見てその珍獣っぷりを笑ってるわ。」

もう、怒声すらなかった。

問答無用で拳が飛んできたのだ。



「ッ!?」

そして、まるでスポンジでも殴ったかのような感触に驚いたはずだ。

私もクッションを押し付けられた程度感触しかなかった。


「ねぇ、あなた。」

今度は、私から彼女に詰め寄った。

いじめっこの顔に、初めて恐怖の色が浮かんだ。



「私、見ちゃったんだけど。

あなたが昨日、近所のスーパーで万引きしているところを。」

「な、なにをッ」

彼女は否定しようとしたのだろう。

だが、図星を突かれて驚愕しているのが顔に出ていた。


「どうしてあんな小物を盗んだりするの?

それにあなた、一度あの店で万引きを見咎められているでしょう?

今度やったら通報するっていわれていたのに、どうしてそんなことするのかしら。」

私は、人の顔が青くなっていくさまを初めて見た。


「なんで、お前がそれを・・。」

後ずさる三代目、しかし私は更に詰め寄った。


「自分の学費をちょろまかした事、まさかばれないと思ったの?

親のお金でしょう? 何でそんなことが出来るのかしら。そろそろ教師から、学費が未払いだって連絡が行く頃でしょうに。」

「やめろっ、なんだお前っ、近付くな!!」

「でも大丈夫、そんな心配しなくてもよくなるから。」

ついに“私”の不気味さに恐れをなしてか、三代目は逃げるように去っていった。

このやり取りを見ていた取り巻き連中も、何も言わずに彼女を追っていった。




「女は品で格を問われる。ああはなりたくないわね。」

ふん、と鼻を鳴らして“私”はそうはき捨てた。


「あなたは・・・何なの?」

私は呆然と彼女を見てそう訪うた。



「私は、魔女。あなたの心の裏側に住む、貴女自身よ。」







・・・・

・・・・・

・・・・・・




私はあの時、確かに助けてと、そう言った。


「だけど、ここまでしろだなんて、言ってない・・・。」

あの日、どんな報復を受けるのかと戦々恐々しながら登校すると。



原因不明の高熱で、三代目の取り巻きの一人が休んでいた。

それどころか、三代目も取り巻き連中もとてもダルそうにしていて、私にかまう暇などないようだった。


翌日にまた一人。翌日にまた一人。

そうして一人ずつ、教室から三代目の取り巻きたちが消えていった。


何日かしてからは、三代目も学校に来なくなった。

その前日に顔を合わせると、ひどく怯えた表情をしていたので、おそらく何か察したのだろう。


ちょうどその頃である。

私が、連中に呪いを掛けたのだと、そういう噂が広がり始めたのは。



「別にいいじゃない、間違いじゃないんだし。」

そしてそれを引き起こした張本人は、悪びれもせずに笑っていた。


「日本の法律では、人を呪い殺したところで裁くことは出来ない。

不能犯って奴ね。科学で証明できないからそれは罪にならないなんて、笑えるわよね。

それってつまり科学が基準ってことでしょう? 不完全なものを基準にするからこうなるのよ。」

「私は彼女たちを殺したとまでは思っていないのに。」

「ええ、あなたの気持ちはよくわかっているわ。やられた分しかやり返さないから大丈夫。

具体的には一週間ほど高熱で苦しんで、一年くらいそのあとを引きずるくらいね。」

それでも十分やりすぎだと思った。


「なんで? だって連中はあなたを一年もの間精神的苦痛を与え続けてきたのよ?

その分をお返ししただけじゃない。むしろ、倍返しだと言わないだけ慈悲深いと思ってほしいわ。」

私は頭を抱えた。現実逃避しようと流れる外の景色に意識を向けた。

私はいま、電車の始発に乗っている。


今日は日曜日。

絶好の山歩きの日である。


始発のような朝早くだからこそ、言葉にして彼女と話が出来る。



「やられたらやり返すって、それじゃあ何も始まらないじゃない。」

「ええ、でも終わらせたわ。

報復というのは生産的な行為じゃないもの。」

「それこそ、品が問われるのでは?」

「私の言う品とは、尊厳のことよ。

あなたの心配しているのは体面。人としての権利を踏みにじられ続けたら、それはもう人間じゃなくなるのよ。

つまり、あなたは私と出会ったあの日まで、人生を売り買いされる奴隷だったのよ。」

「・・・・・・。」

私は何も言い返せなかった。

私が死んだように生きていたのは、事実だから。


しかし、それから開放されたところで、だからどうなのだ、という話だ。

勿論、あのままがよかったなんて少しも思わない。


「私がしたことが正しいとは言わないわ。

私はただ、理不尽に理不尽で返しただけ。

それに彼女も、ふふ、これで改心するでしょう。」

「・・・・・」

私はあえて何も言わなかった。



「そうそう、助けてあげたんだから、私のお願いも聞いてもらわないと。」

「あなたのお願い・・・?」

「ねえ、魔術に興味ない?」

またその話か、と私は思った。


彼女は幽霊でも怪物でもない。

私の心を鏡合わせにして生まれた精神の虚像、なんだとか。


元々はちゃんとした一人の人間の精神だったらしい。

といっても、魔術師。それも何百年も前の人物なんだとか。


事情によって精神が保つのが難しくなったので、自分の魔術の知識や技術を避難させる方法を考え付いた。

それこそが他人の精神をベースにし、魔女としての人格を形成し植え付けることだった。

そして自分の後継者となりうる素質の持ち主を探しているのだとか。



なんだかとんでもない話である。

私がその突拍子の無い話を理解するのに三度は掛かった。


あのへんてこな儀式も、素質のある人間を探す手段の一つだったらしい。

あの儀式を行う時点で、魔術に興味があり、かつ生け贄などを使うことに躊躇いを持たないという条件をクリアできるからだ。

これで素質があれば、魔女の卵が誕生だ。


しかし、今回はその思惑がはずれ、魔術に興味の無い私が選ばれたというわけだ。



「あなたはかなりいい線いってるから、是非とも後継者候補になってほしいわ。」

「嫌よ。」

確かに魔術には興味はある。

ただ彼女の求める条件に、生け贄に抵抗を覚えないというのがある時点でお察しだ。


「サタニズムはお嫌?」

「悪魔なんか関わりたくないわよッ」

「あの体系も技術で誤魔化しているけど、廃れているものねぇ。

じゃあネクロマンシーなんてどう? 私はあなたに操霊術の適正があると見たわ。

名は体を現す。おそらく磨けば一番光るでしょうね。」

「お化けはもっと嫌いよ。」

「ならウィッチクラフトかしら。

才能に関係なく、あなたに向いているのはこれでしょうね。

若さを保つ秘薬とか特別に教えてあげてもいいのよ?」

「それは・・・。」

思わず生唾を飲んだのは内緒である。



「本当は、そこまで嫌じゃないんでしょう?

だったらどうして嫌がるのかしら。」

彼女は私の感情を読めても、私の考えを理解したわけではない。

思考は別々に存在し、互いに独立しているのだから当然だ。


「・・・・・・・。」

そこまで嫌ではない、というのは本当だ。

私も幼い頃から日曜日には魔法少女系のアニメを毎週視聴してた口だ。

憧れが無いかといえば嘘になる。


彼女は、私の虚像だ。

魔女となった私は、彼女のように自信に満ちているのだろう。


私だって、こんな根暗な自分は嫌だった。




「だって、血を血で洗うような世界なんでしょう?」

「教会は昔ほど過激ではないわ。

分相応を弁えていれば、田舎魔術師のひとりくらい見逃してくれるわ。

それに、逃れるすべなどいくらでもある。」

彼女は自信満々にそう言った。

その姿が、とても羨ましい。


「ま、別に回答は後からでもかまわないわ。

出来れば若いうちがいいけど、どうせ私はあなたが死ぬまで居座らせてもらうから。」

「図々しい居候ね・・・。」

「まあ、代わりはいくらでもいるから。」

なら、私でなくてもいいはずだ。



「と、言いたいところだけれど、あなたは五十年・・・いや百年に一度の逸材と見たわ。

捨て置くには少しばかり惜しいわね。」

「冗談にしても言いすぎでしょ。

私なんかどうせ木っ端に過ぎないに決まってるわ。」

「そりゃあ上を見たら切りは無いけれど・・・この時代の頂から百番以内には食い込むと思うわ。」

「ほら、結局その程度じゃないの。」

私が魔術師なんてそうごろごろいないと思っての発言だったが、これが結構すごいことだと知るのは後々になっての話だ。



「そもそも、なんであなたはそんなに魔術を教えたがるのよ。」

変わりはいくらでもいるとまで言えるほどの候補がいるのだから、ほかに教えてほしがる人はいるだろうに。


「それに魔術なんて、そんなほいほい教えていいものじゃないんでしょ?」

「これでも厳選しているつもりよ?

いくらでも代わりがいるというのは、あくまで手段を選ばなければの話。

でもそうなったら、教会は本気を出さざる得ないでしょう。あの『カーディナル』もね。

実際はこうして話を聞いてくれるだけでも希少なの。

この世界のどれだけが教会の圏内だと思っているの? すぐに教会に行って見切るのが大半なのよ。」

そりゃあいきなりあんな現れ方すれば当然だ。



「魔術師はね、孤独な生き物なのよ。

どれだけ友人や家族がいようとも、その人にしかないものを抱えているの。」

「それって人間なら誰しもそうなんじゃないの?」

「そうかもね。だけど、魔術の研鑽は話が違う。

魔術を極めるのには、多くのものを捨てなければならないの。

死ぬ間際になって、それが間違いだと思いたくない、そうやって私たちは生きているの。

代々魔術師の家柄ならそれはもっと顕著だわ。狂気といえるほどにね。

だから伝えるのよ。後継者にね。

せめて絶えることなく、後世へと自分の軌跡を残したい・・・人間なら当然の感情よ。」

「・・・私には、よくわからない。」

だって私は、苦労や努力なんて知らずに育った。


命を掛けて貫きたい主義も無く、そんな世界に軽い気持ちで片足を突っ込むことが躊躇われるのだ。



「焦らなくてもいいわ。

焦らなくても、どうせ神はあなたに試練を与えるのだから。」

「魔女がシスターみたいなことを言っていいの?」

「別に聖書の神を敬っていないわけではないわ。

魔女とは本来、地方の土着の神の巫女のことだけれど、私の場合教会の敵としての魔女。

言わば典型的でわかりやすい、それゆえに強固なイメージを有する魔術を修めているの。

特定の神を崇拝しているわけじゃないわ。だからヤハウェもキリストも否定する道理は無いの。」

「ふーん・・。」

確かに他人を呪い殺したり、彼女にはわかりやすいイメージが先行している。



「失礼ね、実は直接的に他人を呪い殺すのって、すごく面倒なのよ?」

「え、そうなんだ。」

「人の命は神によって定められているの。

それなのに、呪った、はい相手は死んだ、じゃああまりにも不自然でしょう?

そういうのは神が、『世界』が矛盾として処理するから抵抗が重いの。

だから間に病気というプロセスを挟んだり、或いは階段から転ばせたりして、手順は面倒でも間接的に息の根を止めるのよ。」

「でも、できないことはないんだ・・。」

「極めれば、念じるだけで遠くの相手の心臓をゆっくりと止めることも出来るわ。」

聞けば聞くほど恐ろしい話だった。

教会の人たちはよく彼女を相手に出来たもんだ。



「教会の尖兵である聖堂騎士たちは基本的に神の加護を魔術的に再現しているからね。

即死系の呪詛とかに耐性があるのよ。それだけでだいぶこちらに分が悪いわ。

我ながらよくもあんな連中と戦争できたものよ。」

「そういうことばかりしてるから争いになるんじゃ・・?」

「失礼ね、私の専門は黒魔術全般だけれど、呪詛は嗜み程度なのよ。

むしろこの国の魔術師・・陰陽師だっけ? 連中のほうが呪術に長けていると思ったけれど。」

「ってか、陰陽師なんてホントにいるの?」

「確か、ちゃんといたはずよ。この国の京都を拠点に幅を利かせていると『盟主』が言っていたし。」

「はー・・。」

じゃあ中学の修学旅行で京都に行った時に、陰陽師とすれちがっていたのかもしれないのか。

想像してなんだか私は笑ってしまった。


そうしているうちに、目的地の駅に着いた。

そのまま歩いて、山へと向かう。

今日の目的地は駅のすぐ近くだ。



「そういえば、時々でるけど『盟主』って誰なの?」

登山道もない草と木と林だけの山へと入ると、私は彼女にそんなことを尋ねた。


私の趣味は登山でもハイキングでもない、山歩きだ。

そうしている時は、平日のわずらわしい日常を考えずにすむからだ。

目的も無く山の中を歩き、イノシシに遭遇したり、遭難しかけたりしたことは一度や二度ではない。



「そうね、あえて言うなら恩人かしら。」

「へぇ。」

彼女には知識や経験があっても、記憶は無い。

経験と記憶が別なのは変な話だが、彼女自身からそういったプラスαを差し引けばその精神性は私と変わらないらしい。

私の虚像なのだから当然だが。


だから私いなくては成り立たず、裏切ることも無いのだという。

彼女の人格は私の裏、裏は裏だけでは存在できないそうな。


そんな彼女がかつての魔女としての経験から訓示を述べるのではなく、懐かしむように何かをいうのは初めてだった。



「魔術師の唯一の安息の地を守護する御方よ。」

「ふーん、魔法の国の女王様みたいな人なんだ。」

私がそういうと、彼女は急に口元を抑えた。


「うくくッ、そうね、くくッ・・・魔法の国の女王様・・言いえて妙でしょうね。」

相当つぼに入ったのか、彼女はしばらく笑ったままだった。





「そんなにおかしいのかな・・・・あッ」

油断した。


地面が少しぬかるんでおり、足を滑らせてしまった。



「い、つつ・・。」

私は斜面を数メートルほど転げ落ちた。

たいしたことは無い。少しばかり体を打った程度だ。

小さな崖から滑り落ちた時に比べれば、かすり傷に等しい。


「おっちょこちょいねぇ、大丈夫?」

「これくらい、少し休めば大丈夫・・・。」

私は斜面の上から見下ろす彼女に手を上げてそう言った。


この程度の痛みなら、すぐ引くだろう。

でも、二日三日は響くかなぁ、と考えていたら。


「とりあえず、その顔の傷を洗いなさい。女が傷を顔に残すものではないわよ。」

「え、・・・あ・・。」

言われてから、顔に切り傷が出来ているのが気づいた。

浅いが、結構範囲が広い。


これどうしようかなぁ、とカバンの中からミネラルウォーターを取り出して傷を洗い流す。

あんまり目立つ傷は作りたくなかったんだけれど。



「しょうがないわねぇ。」

すると彼女は、周囲をきょろきょろと見渡してから、草花を一本引き抜いた。


そして右手を私に翳すと、左手にあった草花が見る見る枯れ果てていった。

同時に、体中の痛みが急激に和らいでいったのだ。


「薬草の薬効と生命力を転化するウィッチクラフトの初歩よ。

どう、便利でしょう?」

「うん・・・」

そして、いつの間にか頬の傷まで無くなっていた。



「驚いたわ、あなたの体を介して魔術を行使したのにそれほど疲弊していないわね。」

「え・・?:

言われてみれば、なにやら頭が重くなったような感覚と倦怠感が顔を出してきた気がする。


「慣れていないと魔術の行使には多大な負荷を脳に与えるわ。

素人が魔術を使おうものなら、気絶のひとつもするものなのに。」

「魔術ってそんなに危ないもんなの!?」

「勿論、負荷はこちらでセーブしているわ。

人間には本来備わっていない機能なんだから、負荷が掛かるのは当然でしょう。

何の代償も無い力なんてあるわけが無い。それに下地さえあれば、そんなものはある程度は無視できる。

私の原型ほどになれば、処理できないリスクなど無くなる。」

確かに時々彼女が起こす不可解な現象で、彼女自身が不利益を被っている姿を見たことは無いが・・。



「今日は大事をとってもう帰りなさい。

魔力を消耗した状態で運動なんて体力気力を失うだけよ。」

「そう・・・ね。」

とりあえず、負ったはずの傷が治ったのだ。

今日はだるいし、こういうときは早く帰るのに限る。











帰路の電車に揺られ、家から最寄の駅へと到着した。

そこそこ広い駅で多くの店が立ち並んでいるから、カフェにでもよって一休みしようかと考えていたら。


電車に揺られるのも案外疲れるもので、あの山のある駅までここから鈍行で片道一時間半も掛かる。

倦怠感も手伝って、何か飲んでさっぱりしたいと思うのが人情だろう。


本当ならもっと山歩きしたかったのだ。

電車代も安くは無いのだから。

しかし、それを言っても詮無きことである。


ちょうど駅内にスタバがあったのを思い出し、少々根が張るが何か飲もうと、店内へと足を運ぼうとした。

そして、入り口に入る直前、ガラスの扉越しに店内の席に目が向いて、足が止まった。



「どうしたの? ・・・・ああ。」

納得したような彼女の声を背に、私は早足で駅を去っていった。






・・・・

・・・・・

・・・・・・




私は家に帰って早々、自分の部屋のベッドに飛び込んだ。



あの女がいた。

昔、私を裏切ったあの女だ。


何人もの友人と囲まれえて、笑っていた。

目が合った。


すぐに目を逸らされたが、私には分かった。

あれは私を見下していた目だった。

何度も、何度も向けられた視線だったから間違いない。



「ねぇ、ユダは赦されたと思うかしら?」

ふと、私に彼女がそう語りかけてきた。


「主を裏切ったユダは自らを深く悔いて首を吊った。

死後彼は使途へと格上げされた。・・・彼には恥があったのね。

人と猿とを分けるのは、恥があるか否かよ。

アダムとイブも恥を知ることで楽園から追放された。

つまり、原罪を背負わなければ、人間は猿と同じだったというわけね。」

「・・・・・・・。」

「駄馬に鞭打つことを罪と思うのなら、それは人としての感情ではないわ。」

「私に復讐しろっていうんですか?」

「あなたが望むのならばね。」

彼女は嫌に含みを持たせてそういった。




・・・・

・・・・・

・・・・・・




「ユダの罪は主を裏切ったことではなく、その後に最大の背徳である自殺を行ったことだとも言われているわ。

裏切りはね、後から改心すれば帳消しに出来るということね。」

「それは論点のすり替えでは・・・?」

「事実よ。私は悪魔から罪とカルマの秘密を聞いたもの。

罪というのはね、足し算引き算なのよ。

裏切った人間が後に改心して、敬虔な神の信徒として善行と功徳を積めば煉獄行きさえ免れるかもしれない。

神は、その人間を赦すかもしれない。無限の愛と慈悲を持って。」

私は慈愛を持って彼女に言う。

ベッドに顔を埋める彼女は、両手でギュッとシーツを握り締めた。



彼女の怒りが私に流れ込んでくる。

彼女の憎悪が私に飛び火する。

彼女の絶望が私へと奏でられる。


私はあなた。

私はあなたの影。

私はあなたの虚像だが、偽者ではない。

正確には、裏側に人格を持たせるのだ。


あなたの押さえ込もうとしている感情は、私に流れてくる。

押さえ込もうとすればするほど、私に流れてくる。


私たちは文字通り、一心同体。

私たちの文字通り、心は表裏一体。


私はあなたの心の裏側に住む、魔女。



「もし本当に・・・」

彼女(わたし)は言う。


「彼女が神様が許しを与えるほどの人間になっていたのなら、わたしは赦せたかもしれない。」

彼女(わたし)から流れ込んでくる怒りが、憎悪が、絶望がピタリと止まった。

それは、彼女(わたし)が感情を押さえ込むのをやめたからだ。



「でもね、どうしてかな、そんなこと絶対にしたくないはずなのに、ちっともそう思わないんだ。

私はね、赦そうと思ったんだ。あの子と過ごした時間は本物だったから、はぐくんだ筈の友情は本物だったはずだから。」

怒りの炎が、再び燃え上がっていた。


神は言う。

この世でいつまでも残る三つのうち、愛こそがもっと偉大であると。


しかし、人が裏切りによって愛を失った時。

神のように無限の愛を持って、その人間を赦せるだろうか?

その破滅に等しい絶望を味わわせた相手を。


愛は確かに偉大である。

そしてそれが裏返った時も、大きさは変わらず転化する。



これを、堕落という。




わたしはその醜さを、卑しさを、愛するのだ。

なぜなら、それは自分(かのじょ)だからだ。


この自己愛こそ、もっとも完結した循環である。



これこそ、“魔導師”『パラノイア』撒いた、精神系魔術の最高峰。

精神感染(マインドスピリット)』の完成である。


対象を陥れるのではなく、操るでもなく、自然と魔術を執る者とする・・堕落の魔術だ。



わたしは彼女にずっと言い聞かせてきた。

わたしは何がどういう風に出来て、どのような結果をもたらすのか。


ある日突然、拳銃を手に入れた人間は躊躇っていても、理性で分かっていても、無性にそれを使いたくなるという心理が働く。

それと同じだ。


一度でも魔術という魔性の力に魅入られればそれで最後。

麻薬のようにそれを求めていくのだ。


一度でも、たった一度でも力に溺れた時、もう引き返せないほど両足は泥沼に沈んでいる。



「わたしの最初の課題は、あなたがしたいようにすること。

それを成功させること。それを目標に、初歩的なことから教えてあげるわ。」

「・・・うん。」

「どうしてやりたい?」

「一生消えない傷痕と、一生掛かっても取り戻せない喪失と、終わりの無い後悔を。」

もはや私と彼女の精神は、完全に同調していた。

鏡合わせのように向かい、笑い合う彼女(わたし)かのじょ


その姿は、もう誰がどう見ても魔女そのものだった。













ご無沙汰しています。ベイカーベイカー。

壊れたパソコンの代わりがようやくできて、執筆できる環境が出来てきました。

最後に投稿したのが結構前なので、リハビリ的な番外編を書かせてもらいました。

筆力落ちてないですよね・・・? 皆さんには長らくお待たせしました。

本編の方も鋭意執筆中なので、もうしばらくお待ちください。

ちなみにこの番外編、実は続きの構想もあったり。彼女のこの先がみたい、という皆さんのご要望があれば、或いは気が向いたときに続きを書くかもしれません。

それでは、また次回。遅れながらも、今年もよろしくお願いします。

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