第八十四話 異常事態
その日、第二十八層にある庭先で、リネン・サンセットは珍しく一人でお茶を飲んでいた。
そんな片手には、御菓子ではなく携帯電話が握られている。
この『本部』から一度も出たことの無い魔術師ならともかく、大抵の魔術師は現代文明を浅ましい技術と馬鹿にしつつもその恩恵に預かっている。
何世紀レベルで過去の人である彼女も、それは例外ではなかった。
「・・・このように、悪魔の性質は一見バラバラにみえて共通点が多いのです、と。」
彼女は成れた手付きで器用に片手だけでメールの画面に文字を打ち込んでいた。
今日はメリスが研究にお熱で、お茶会には参加できないらしく、彼女は手慰みに“メル友”とメールでやり取りしていた。
「・・・送信。」
「お、リネン。またあいつと文通しているのか?」
すると、本日何度目かの送信ボタンを押した時、ファニーが突然虚空から現れた。
「ああ、ファニーですか。狩りは終わりましたか?」
リネンは彼が引きずるようして連れていた巨大な物体は、イノシシのような姿をした巨躯の魔獣だった。
最強の捕食者たる彼は、その圧倒的な肉体を維持するために大量の食糧を要する。
現在は人の姿を取ってその燃費は激減しているが、それでも常人の五倍以上を食べる時もある。
彼が魔獣を仕留めて取ってくる姿は、ちゃらちゃらした見た目に反していてなかなかにシュールである。
「ああ、血抜きは向こうでやった。これから捌くが、お前も食うか?」
「私は小食なので、少しで良いですからね。」
「ああ、わかった。」
とか言いながら、ファニーは10キログラムは有りそうな肉の塊を切り分け、テーブルの上に放り投げた。
「・・・・・これを食えと?」
リネンは彼を横目でにらんでそう言った。
肉塊が落ちた衝撃でテーブルの上が悲惨な状態になったのはいうまでもない。
「ああ、人間にゃ焼いた方が良かったよな。」
と、的外れなことをいうファニー。
彼の指先から炎が飛び出し、あっという間に肉塊はこんがりと焼けた。
ついでにテーブルも原型が無くなるまで解けた。
「存在の格が大きくなると、大雑把になるといいますが・・・。」
リネンはもう彼のアバウトさについては何も言わない事にしているのだった。
取りあえず彼女は、このこんがりと上手に焼けました肉塊をお隣の秘密研究所の連中に連絡して押し付ける事にした。
すぐにこの辺を警備している“メリス”が集まってきて、オリジナルが不在なのを良いことに“自分”の悪口を言いながらバーベキューパーティーをおっぱじめたのである。
どうせ彼女らは暇をしている面々だ。この辺一帯の魔物は、ファニーがここに居るから近づこうともしない。
そうしていると、彼女の携帯電話に着信音が鳴り響いた。
メールの内容を確認すると、リネンはそれの返信を打ちはじめた。
「そうそうリネン、何でも『盟主』から指令が来ていたわよ。」
ふと、研究所の方からサボって来ていたらしい白衣姿の“メリス”が、取り皿に肉を取りながらそう言った。
「指令? いったいどんな内容ですか?」
リネンは先日大暴れした一件のペナルティで、『盟主』から仕事が届くようになったのである。
その主な任務な、かの『黒の君』が作成したと言う“WFコレクション”の回収及び破壊であった。
一般的な魔術師にやらせれば、死んでください、と言うのと同義だが、彼女は一般的と言うにはいささか逸脱していた。
そして、世界の危機と言うのは案外安っぽいのだと彼女は知ったのである。
「で、次はどんな危険な魔具の回収ですか?」
この星の均衡を容易く崩壊させるような魔具を何百とばら撒く『黒の君』とそれの後始末をする弟子。
狂っているとは思っていたが、ここまで常軌を逸した師弟だとは流石のリネンも予想外であった。
「ううん、確か、今回は調査の依頼みたいよ。」
「調査・・・ですか?」
大抵は下見や調査などは事前にメリスが手配してくれているので、後は有り余る自身の魔力で事態を鎮圧させれば終わりだ。
リネンも偵察に使い魔を放つこともあるが、調査自体が目的であるのは初めてであった。
「どういう事ですか?」
「うーん、なんか大変っぽいけど、詳しくは後で詳細を貰ってちょうだい。」
「そちらで調査は行ったのですか?」
「出来るわけがないじゃない、下層といったら魔族の領域よ?」
どの口でそう言うのか、とリネンは思ったが口に出して改めるような性格ではないので何も言わなかった。
「そもそも、貴女の任務の共助に関してはオリジナルの返答待ちね。
だってその権限持ってるのオリジナルだけだし。」
「ですが、ここ二三日メリスはあの調子ですが・・。」
「たまに独自に研究を始めたと思ったら、誰にもその内容を教えないんだからホント困っちゃうわよね。」
と、研究員“メリス”は自嘲して肩を竦めた。
「でも大まかななことは『盟主』も把握しているようだから、そっちに聞いてみたらどう?」
「・・・・ふと思ったのですが、なぜ『盟主』にはそれが分かるのですか?」
現在、この『本部』にそこまで占星術に長けている者は居ないようだが・・・。
「残念ながら、それを言う権限は私には無いわね。
気になるのなら、オリジナルに聞いてね。どうやら、『黒の君』の系譜のみの秘密って奴らしいのよね。」
「それ、言って良いんですか?」
「何でもトップシークレットらしいけど、オリジナルは重要な秘密だと考えてはいないようね。」
「・・・その妙なところでいい加減な所、貴女たちの悪い癖ですよ。」
リネンはそう返答しながら、これは聞かない方いいな、と思うのだった。
後日、リネンはメリスに資料を取り寄せたところ。
「なんでこんな大変な資料を後回しにしたんですか!!」
「その、ごめんね?
でもほら、けがの功名って奴じゃない。」
珍しくリネンは彼女のいい加減さに激怒していた。
リネンの手にしていた要点だけをまとめた数枚の資料のタイトルはこう書かれていた。
『第五層における魔力異常の事前報告』と。
・・・・
・・・・・
・・・・・・
「ちょっとマズイことになっているわ。」
それはクラウンが着々と戦闘準備を整えるべく部隊編成を進めて待機している時だった。
我らが師匠ことメリスは、いきなり主要メンバーを集めるとそう言い放った。
「その・・・師匠? 分かるようにいってくれませんか?」
言ってからたっぷり間を置いてみんなの反応を窺う師匠に、俺は痺れを切らしてそう問うた。
ええ、と師匠は大仰に頷くと、俺達を見渡してから口を開いた。
「この『本部』内に存在する異常検出システムとでもいうのかしら?
それにこの第五層のある地域に引っかかったわ。」
「どういうことです?」
その不穏な言葉にエクレシアが眉を顰めて聞き返す。
「“外周”や“天井”の背景投影機能、疑似太陽や天候システムに異常が起こったりすると、メンテナンスが必要になるわ。
師匠・・『盟主』によると不具合による異常は百年に一度在るか無いからしいのだけれど、外的要因でエラーが起こるのはよくあることらしいわ。」
「つまり、何か異常が起こって、それを正さなければいけないってことぉ?」
アリーチェ族長がその事態を重く見て表情が硬くなる。
「具体的には何が起こっているんだい?
そして、それはこれから起こる戦いに関係あるのかい?」
クラウンが一番知りたいのはそのことだろう。
わざわざ部隊編成を中断してまでメリスの話をやってきたのだから。
「疑似太陽や天候システムも、魔術によるものに過ぎないわ。
しかし、それらが何らかの要因で阻害されることがあるの。
私は最初、あの霧の所為だと思ったわ。あれほど広域に干渉しているのだから、何かしら地脈に影響が及ぼしているのかも、とね。
だけどそれは違ったわ。あの空を覆う霧の魔術は地脈を利用して維持されているけど、それは地脈にダメージを与えるほどではないわ。
天候システムなども地脈を利用して自動化しているようだけど、それを阻害するほどではなかったみたい。」
一息ついて、師匠は話を区切る。
「だけど、エラーの原因は魔力の不足らしいのよ。
調べさせたら、とんでもないことが分かってしまったのよ。」
これを見て、と師匠は水晶玉を取り出すとテーブルの上に放り投げた。
「そこに浮かんでいるのは、ここから北に二十五キロの位置にある“外周”付近の映像よ。」
その水晶玉の中に浮かんでいるのは、一見何の変哲もない森の中に見えた。
ジャングルのように草木が生い茂っており、異常と言えば外周の“壁”に投影されたカモフラージュが壊れたテレビのように点滅している。
「なに、・・・これ? これがあの森だと言うの?」
だが、アリーチェ族長はそれ以外の異常も見つけたのか、食い入るようにその映像を見ていた。
「この植物は、こんなに成長しない。
この草も、こんな群生の仕方はおかしい。こんなの、私の知っている森じゃないわ・・・。」
信じられないといった様子で首を振るアリーチェ族長。
「これは、草木が魔力を地脈から吸収し、異常成長しているとしか思えない。
この現象は異常な速度で広がっている・・・付近の現在こちらに退避して無人の村が草木に飲み込まれていたわ。
私の言っていること、分かるわよね?
植物が異常繁殖し、あろうことか周囲の魔力まで根こそぎ喰らっているのよ。
このままでは、戦うどころか、私達はみんな仲良く草木の栄養よ。」
師匠は顔を顰めたまま、水晶玉に映る植物に埋もれて屋根しか見えない村の姿を指さした。
「全く、こんな時期に、何てことだ・・・原因は?」
「不明よ。全くの原因不明。いろいろ調べているけれど、望み薄かもね。」
クラウンにそう返答する師匠に、俺は何よりも驚いていた。
「師匠にもわからない事なんですか?」
「何かしらの魔具や魔術的現象を疑ったけれどもね、どれも私の知る範疇を超えていたわ。」
私にだって分からない事はあるわ、と師匠は難しそうに腕を組んだ。
「という事はつまり、何かしらの魔術や魔具の影響ではない、と?」
「魔術的現象に人の意思が介在しているのなら、すぐにわかるものよ。そうでしょう?」
エクレシアもその言葉に異論はないのか、硬い表情のまま押し黙った。
「『盟主』はこの現象を異常事態と認め、その調査と早急な終息を私に委任してきたわ。
忙しいところ悪いけれど、そこの弟子は徴集させてもらうわね。
できればこっちの植生や地理に詳しい者が借りれると助かるんだけれど。」
「・・・・・分かりました。」
師匠にそう言われては、俺は逆らう権利は無い。
『悪いクラウン、そういうことらしいから・・・。』
『そっちはそっちで大変そうだから、別に構わないよ。』
俺はクラウンに念話しながら、横目で謝っておいた。
そしてクラウンは師匠に視線を向けて言った。
「確認するけど、敵の攻撃とかじゃないんだよね?」
「北の端っこで植物を異常繁殖させのが、戦略になるのならね。」
現状不明、と師匠は肩を竦めた。
「分かった。エクレシア、君もササカ一人じゃ心配だろう。
君も付いて言ったらどうだい?」
「えッ、あ、はい・・。」
急にクラウンから話を振られてエクレシアは若干驚いた様子で頷いた。
俺も無神経なクラウンが気を使うなんて驚いた。
「サイリスちゃん、貴女も行ってくれる?」
「わ、私もですか!?」
そして、会議の書記に徹していたサイリスがアリーチェ族長に指名されて声を挙げた。
「むしろ、君以外の適任が居ると思っているのかい?
僕も君を推そうと思っていたさ。この辺の植物に詳しいし、何より専門の知識もある。」
「そりゃあ・・・そうだけど。」
「何より、君の使い魔の得意分野だろう?」
「ああ・・・私はおまけね。」
なにやら緊張していたサイリスだったが、それを聞いて脱力したようだった。
「あとはミネルヴァも連れて行くと良い。
あいつが居れば植物の栄養になることは無いだろうからね。」
「ああ、俺も植物と対話できる妖精の力は必要不可欠だと思う。」
俺も考えていたことなので、クラウンの提案に頷いた。
自然の乱れなら、あの妖精たちも力を貸してくれるだろう。
妖精は自然秩序の権化とも言える存在だ。植物の異常繁殖という異常事態で、これ以上心強い者はないだろう。
「というか、ここで貴方たちにこのことを話した理由の半分以上はあの娘の力を期待してなんだけれど。」
「ああ・・俺達もおまけっすか。」
奇しくも俺はサイリスと同じ反応をしてしまうのだった。
・・・・
・・・・・
・・・・・・
出立は出来るだけ早い方が良かったので、ミネルヴァの了解を得次第すぐに現地へと向かう事となった。
「え、おでかけするの!? いくいく!!」
あいつは俺が探すと大抵が見つからないが、必要な用事がある時は必ずと言って良いほどすぐ見つかる。
なにやら夢魔のお姉さん方とバスケット片手に食べられそうな草とかキノコとかを集めていたようだった。
「みんなつかれてるから、今日はいっぱいやくそうとってあげるんだ。」
えへへ、とそう言って笑うミネルヴァの健気さにちょっと感動した俺だった。
そんでミネルヴァの取り巻きの妖精どもに事情を説明して、同行を約束させた。
だが、こいつらにしては妙な反応で俺は少し戸惑った。
普段から自由気ままを体現した存在の妖精連中だが、今回はみんな揃って騒ぐでもなく気になるから行くと言ったのである。
或いは、もしかしたら、この一件は俺の想像を超えるヤバい事態なのかもしれない。
いつも人を食ったような笑みを浮かべる師匠も、今回ばかりは顔を顰めたまま出発を急いでいる。
しかし、急かしている当人は準備があるとかで俺たちにミネルヴァを探しに行かせたあとに、あの即席研究室に戻って行った。
「僕らは編成が終わり次第、攻勢作戦を開始する。
別に君らは気兼ねしなくていいからね。」
「悪いな、俺たちが出れなくて。」
「君らだけで戦況が変わるわけじゃない。気にしない事だよ。」
クラウンはそう言って立ち去って行った。
「原因解明とその解決、そのどっちもやらないといけないのが天才の辛いところよね。」
何て言いながら今度は師匠がやってきた。
「こちらはこれで全員ですね、そちらの準備は終わったのですか?」
「ええ、作ってたものを取りに行っただけだしね。」
「作ってたもの?」
俺とエクレシアは顔を見合わせた。
昨日、師匠が閉じこもって何かしていたのは、それのことなのだろうか。
「・・・何を作ってたんです?」
「作った、というのかしらね。これよ。」
師匠はそう言って、それを俺に投げ渡した。
「これは・・・!?」
俺はそれを見て驚愕した。
それは、あのエルフが遺した魔剣“リゾーマタ”であった。
しかし俺の驚きはこれだけでは終わらなかった。
『・・少年よ。聞こえるか?』
「えッ!?」
頭に直接響くような声は、あのエルフの物だったのである。
「まさか、魂をッ、物質に定着させたのですか!?」
信じられないとでも言うように首を振りながら、エクレシアが悲鳴じみた声を挙げた。
「今更貴女から魂の冒涜云々なんて聞きたくないわよ。」
「・・・分かっています、しかし、これが魔術師の道なのですか・・。
半ば覚悟していたつもりですが、ここまで背教じみた行為を目の当たりにするとは・・・。」
「大師匠もやっていることじゃない。何を今更。」
眩暈を起こしたかのように頭を押さえるエクレシアに、師匠は平然と言ってのけた。
人の魂は、神の物であり、死すればそれは神の下へと還る。
それを妨げるのは、まさしく地獄に堕ちても文句は言えない冒涜なのだ。
魂に関する魔術は魔術師においてもタブーであると言っていたのに、師匠はそんなものなど笑って踏みにじる。
師としてこれほどまで頼もしく、おぞましく、恐ろしく、畏怖しえないこともない。
「流石です、師匠。」
だから俺は我が師を褒め称えた。
師匠は俺を見て微笑んだ。
俺の内心を察しているのだろう。
俺も師匠を理解し、師匠も俺を理解している。
これが俺と師匠との絆とも言えるべきものである。
「流石の私も、通常の物質に魂を付与するなんて大それた真似は出来ない。
でも、それに非常に適した器が存在した。己の魂の分身とも言える、“魔剣”がね。」
師匠は自慢げに語った。
「おかげで良いデータが取れたわ、こんな機会をくれるなんて何て可愛い弟子なのかしら。ご褒美に、それを上げるわ。
彼もそれをお望みのようだしね。」
「ありがとうございます。」
俺は魔剣“リゾーマタ”を掲げた。
「何て呼べばいい?」
『・・・肉体の無い私に、もはや元の名は不要だろう。
故にこの精霊剣“リゾーマタ”として扱うがよい。』
“彼”はそう言った。
色々と聞きたいことはあったが、今は後回しにしよう。
「・・・・そろそろ行きましょう。」
俺たちのやり取りに付いていけなかったのか、ずっと黙っていたサイリスが口を開いた。
「ねぇねぇ、私もあのひととお話ししたいよ!!」
「ああ、じゃあ歩きながらにしようか、時間があんまり無いようだからな。」
物珍しさか目を輝かせて近づいてきたミネルヴァにそう言って、俺たちは目的の場所へと出発することとなった。
・・・・
・・・・・
・・・・・・
「それにしても、サイリス。
お前ってこの辺に少ししか居なかったんだろ? 大丈夫なのか?」
確かサイリスは余り同族と馴染めなかったから、ラミアの婆さまの下へすぐに帰ったと言っていた。
「ああ・・・少しと言っても十年くらいよ。
人間にとっては短くないと思うけれど?」
「・・・・ああ、そういやお前も魔族だったな。」
先行し森の中を突き進むサイリスの背中の翼を見ながら、俺はぼやいた。
分かっていてもその人間らしさの錯覚を受けるのが、夢魔の力なのだろうか。
「それに、馴染めなかったからこそフィールドワークとか励んでたし。族長もとても親切にしてくれたわ。」
「理解のある族長だったんだな、アリーチェさん。」
「ええ、普通なら何かしらの理由を付けて囲って放さないものよ。
でも、うちの種族ってその辺りは周りより余裕のある感じだったから。族長は好きに生きなさいって。」
「人は見かけによらないもんだな。」
だからこそ、今回の同胞が大きく減ったこの事件は許せないのだろう。
「でも興味深いわ。魔族と人間との異種配合の場合、ハーフが存在しないのよね。
夢魔の場合はほぼ確実に夢魔の子になるし。
遺伝子学的にはどういう理屈なのかしら。」
そこで、急に何だか俺の後ろを歩いている師匠が口を挿んできた。
「族長が子供の頃、人間が同族から生まれたことがあるようですよ。
しかも、母親はそれが人間だと直感的に分かっていたとか。記録によると、人間が生まれた場合性別は確実に男性になるとか。」
「それは本当に興味深いわね。本能なのかしら。」
ふむふむ、と知的に頷く師匠。
「おい、師匠が魔族まで切り刻み始めたらどうするんだ。」
「残念ながらもう色々とサンプルは受け取っているのよね。」
「・・・クロムたちに何やらせてるんです?」
「死体に限らせてはいるわ。引き取って解剖させているのよ。
お蔭で魔族の強靭な肉体を参考に、その力を再現したパワードアーマーが開発されているくらいよ。
現在小型化の目途がついて試行錯誤している所だわ。」
「またあんなの作ってるんですか・・・・。」
「むしろ、より完成度が高まった、と言うべきかしら。構造的に人型には限界が有るもの。」
アニメのようにはいかないわ、と師匠は首を振った。
「できれば、これ以上魔族の方々に手を出すのは止めてほしいのですが・・・。」
「私だってそのつもりはないわよ。」
殿を務めるエクレシアの声に、師匠がそう答えた。
「それに錬金術っていうのは、人体や人間の完全性を証明する学問なのよ?
実際に魔族に関しては専門外だし、ハッキリ言って異端だわ。」
「師匠が異端云々とか言っても、正直説得力無いっすね・・。」
「それはほら、魔術は正道ではないってことよ。」
・・・一本取られた。
「てか、この人数で良かったんですか?
師匠の想定した規模が、俺達だけで賄えるもんなんですかね?」
いくらミネルヴァが居るとは言え、妖精の力は未知数である。
完璧主義者の師匠がそれを考慮に入れて、万全とするには可笑しな話である。
「そういえば、私もそれが気になっていました。
話の規模に、我々だけで十全なのか気になっていました。」
どうやら、エクレシアも同感だったようである。
「・・・ああ、それについては別の人材に先行調査をさせているわ。
貴方たちは補助で、私とそっちがメインなのよ。」
「ああ、なるほど。」
何やら目を逸らして言い難そうにしていたが、一応納得しておくことにしておいた。
・・・・そして、このあと遭遇する相手を思えば、師匠のこの態度から想定できたのだと俺は後悔した。
「あ、お兄ちゃん、こっちよりあっちのほうがはやいよ。」
「ああ、ありがとう。」
そしてずっと魔剣“リゾーマタ”と楽しげに会話していたミネルヴァの先導もあり、半日を予定していた行程は三時間以上も縮まるのだった。
・・・・
・・・・・
・・・・・・
「・・・・これはどういう趣向ですか、メリス。」
冷徹な瞳が師匠を射抜くように差し向けられた。
「えっとほら、人手は多い方に限るでしょう?」
師匠は身振り手振りで彼女にそう説明した。
「それが何時間も現場を開けた良いわけですか?
・・・・これは『盟主』の依頼です。遊びではないのですよ?」
「・・・俺たちがここに居るのが、遊びだっていうのか?」
俺は問う。
現在、ここは一触即発の空気だった。
「数多の悪魔を従えさせてエルサレム神殿を建設させたソロモン王にも比肩しうるこの私がいるのに、一日どころかたった数人の為に数時間も無駄にしたのですよ。
私達は誓い合いましたよね、私と貴女がいれば出来ない事は無い、と・・・それは嘘なのですか?」
「ちょ、リネン・・・今その話を持ち出すの!?
ゴメンってば・・・。でも融通の利かない悪魔じゃできないこともあるでしょう?」
「話をすり替えないでください。
場合によっては、私はこのままボイコットさせてもらいますよ。」
彼女・・・リネンの更に鋭くなった視線が師匠を貫く。
「・・・・逆に問うけど、私が自分の作業に弟子を使うのに何の問題があるの?」
「・・・なんですって?」
「他の面々は使えそうだから連れてきた、文句ある?」
「まさかの開き直りですか・・・。」
流石のリネンも、師匠のふてぶてしい態度に溜息が盛大に漏れたようだった。
「・・・・この間、貴女が買ってきた一日限定二十食のアレを一週間で手を打ちましょう。」
二十秒近くたっぷりと沈黙して、リネンはそう言い放った。
「ちょ、あれって、毎朝三時起きで六時間も並ぶんだけど!?」
「勿論、魔術で複製も無しです。ちゃんと店の印の入った奴で。」
「うぐぐ・・・分かったわよ。」
師匠は苦虫を噛み潰したような表情で頷いた。
「大方、何が起こってるか分からないから助っ人を用意したと言ったところでしょうが・・・これでは望み薄ですね。」
リネンは俺たちを一瞥すると、あからさまな長い溜息を吐いてそう言い放った。
「と言う訳で、この場でのお互いの確執は無しにしましょう。ええ、お互い納得いかないでしょうが。
だから魔術を使うのだけは止めてくださいね、何が起こるか分かりませんから。」
そう言って、リネンは嘘くさい笑みを浮かべて肩を竦めた。
それだけでさっきまで充満していた殺意が霧散した。
・・・俺たちの確執の値段は限定のお菓子か何か一週間程度らしかった。
「ここは、師匠の顔を立てて剣を納めようぜ。」
「・・・・・分かりました。」
俺が魔剣を消滅させると、エクレシアも剣を鞘に戻した。
「ここで喧嘩されたらどうしようかと思ったわ。」
どうすればいいのか困っていたサイリスが、安堵のため息を漏らした。
それもその筈である。
何せ、ここは異常の真っただ中。
この森を一言で表すのなら、―――胎動の森。
異常成長を起こした木々がジャングルとなって生い茂り、今も草木や蔦が生き物のように背丈を伸ばしている。
油断すれば、あっという間に足元に蔦が巻き付いてしまうだろう。
そしてそのすべての植物が、まるで脈打つように魔力を滾らせている。
それ故か異常なまでの高密度な魔力が周囲にも満ち溢れている。
これほどの高密度の魔力は、フウセンが本気を出さなければ滅多にお目に掛かれない濃度だろう。
こんなものを長時間吸っていては毒である為、師匠からあらかじめ防塵マスクのようなものを手渡された。
こんなところで下手に制御の甘い魔術を使えば、即大爆発となるだろう。
だから一触即発というのは、ある意味では現状で最も的を射た言葉だった。
「それでは、肝心のそちらの助っ人の見解を聞きましょうか。」
「それが・・・。」
師匠はミネルヴァの方に目を向けた。
「だいじょうぶだよ、こわくないよ、だいじょうぶだよ。」
ミネルヴァは、彼女にしがみ付いて震えている妖精たちを両手で抱きしめて必死に宥めていた。
しかし、宥めている当人も不安なのだろう。ミネルヴァの表情は曇っている。
「妖精曰く、この森は普通じゃない。木々が話を聞いてくれない。・・・ですって。」
「この異常現象は、妖精たちにとっても未知という事なのですか?」
「そのようね。」
「そんなことが有り得るのですか?」
リネンが俺たちの思っていることを代弁した。
妖精とは自然の権化だ。それの知らない現象が、存在するなんてあるわけがないのだ。
「そのようね。」
流石の師匠もお手上げのようだった。
「アルルーナ、貴女は分かる?」
サイリスが己の使い魔に問うた。
「残念ながら、このような事態に心当たりはない。
何らかの魔力作用による異常な植物の生長である、としか言えぬ。」
植物の悪魔でさえこの調子だった。
「ごく小規模だけど、限定的に似たような状況を生殖魔術で作り出すことは可能よ。
だけどこの辺り一帯を侵食するような真似、それこそ魔王でもなければ不可能よ。」
「では、この一件に魔王が関わっているとでも?」
「生殖魔術に詳しい魔王には心当たりがあるけれど、多分それは十中八九有り得ないと思うわ。」
師匠もあの“二番目”の魔王が魔族同士の戦いに水を差すような真似はしないと思っているのだろう。
「じゃあ、いったい何が原因で・・・。」
『・・・少年よ。』
俺たちが手詰まりしていると、ミネルヴァの横に置いてあった魔剣“リゾーマタ”から声が発せられた。
「ん? どうしたんだ?」
『実を言うと、私にこの状況になった原因に心当たりがある。』
その言葉に、えっとその場にいた全員が“彼”に視線が向けられた。
ここに居るメンツは何がどうなっているのかも分かっていないのに、その原因に心当たりが有るとまでいうのだ。
注目しない理由が無かった。
「教えてくれませんかね、一体全体、これは何が原因なんですか?」
そしてリネンが真面目な表情で問うた。
魔剣は答えた。
『―――――“世界樹”。』
こんにちは、ベイカーベイカーです。
お久しぶりです。更新遅れてすみません。別にスランプとかじゃないですよ?
書く環境が変わって、なんだかやる気が起きなかったのです・・。
割と超展開かもですが、これは執筆に行き詰って展開を変えたとかではありません。
突拍子もない事態ではなく、ちゃんと理由と原因が存在します。これは前話から決まっていた展開ですから。
はてさて、思わぬ共闘に陥った宿敵同士。
いったいどのように物語が進むのでしょうか。
それでは、また次回。お楽しみに。




