第1話 静かな村と、少しだけおかしな薬
朝露の残る畑を抜ける風は、まだ少し冷たかった。私はいつものように薬草を摘みながら、小さく息を吐く。夜明け直後のこの時間が、一日の中でいちばん好きだ。人の気配はなく、ただ土と草の匂いだけが広がっている。
「……これも、そろそろ採り頃かな」
しゃがみ込み、葉の色を確かめる。薄く青を帯びた薬草は解熱剤に使うものだ。ただし、そのまま煎じると苦味が強い。だから私は少しだけやり方を変えている。火にかける前に、別の草をほんの一摘み混ぜる。それだけで苦味が驚くほど和らぐのだ。どうしてそうなるのかは分からない。昔、おばあちゃんに教わった通りにしているだけだ。それで困ったことは一度もなかった。
「おーい、リナ。いるかい」
遠くから声が飛んできた。顔を上げると、村の入口の方で手を振る姿が見える。
「あ、はい。今行きます」
籠を抱え、急いで駆け戻る。この村は小さい。顔を知らない人はいないし、呼ばれる理由も大体は分かっている。声の主、ハルじいさんは少し困ったような顔をしていた。
「すまんね。また頼めるかい。孫が熱を出してしまってな」
「はい。大丈夫です」
私は家に戻り、手早く鍋を用意する。水を張り、さっき摘んだ薬草を入れる。そこに、いつものように別の草をほんの少しだけ加えた。火にかけると、やわらかな香りが立ち上る。この匂いは嫌いじゃない。薬というより、どこか落ち着く香りがする。
「できましたよ」
器に移して差し出すと、ハルじいさんは何度も頭を下げた。
「いつも助かるよ。本当にありがとう」
「いえ。たまたま効きやすいだけです」
そう答えながら、私は少しだけ首をかしげる。“すぐに効く”と言われることが多いが、薬は本来そんなに即効性があるものではないはずだ。体質の問題なのか、それとも偶然なのか。正直よく分からない。けれど考えても仕方がない。私はただ、できることをしているだけだ。それで誰かが楽になるなら、それでいい。
昼を過ぎた頃、店の前に見慣れない影が落ちた。顔を上げると、ひとりの男が立っていた。旅装の外套に、無駄のない立ち姿。村の人間ではないことは一目で分かる。
「ここが、この村の薬屋か」
低い声だった。
「はい。そうですが……」
男は店の中を見渡し、棚に並ぶ薬瓶や薬草を確認する。やがて、ひとつの瓶を取り出した。
「この薬を作ったのは、君か」
見覚えのある瓶だった。昨日、村の人に渡したものと同じだ。
「はい。そうですが、何かありましたか」
一瞬、失敗したのかと思う。だが男はゆっくりと首を振った。
「逆だ」
短く言い切る。
「王都の医師が三日かけても治せなかった熱が、この薬で一晩で下がった」
「……え」
思わず言葉を失う。三日かけても治らなかった熱が、一晩で。そんなことがあるはずがない。私は特別なことなど何もしていない。ただ、いつも通りに作っただけだ。
「偶然とは思えない。だから確かめに来た」
男の視線がまっすぐこちらを射抜く。
「君は、自分の作っているものの価値を理解していない」
静かな声だったが、その言葉には確信があった。
「王都に来てもらう。正式な要請だ」
差し出されたのは、見慣れない紋章の入った封書だった。手に取ると、わずかに重みを感じる。胸の奥が静かにざわついた。穏やかだった日常が、少しずつ形を変えていく。
――私の薬は、本当に“普通”なのだろうか。
まだ答えは出ない。けれど、その答えを知る日は、そう遠くない気がした。




