第六章 ナナセの反論
ナナセ・カオルとの面会を取り付けたのは、カイだった。
ナナセは、都市国家の制度設計局に勤める若手官僚だった。二十五歳。入局三年目にして制度改訂チームの副査長を務めているという。カイとは学生時代の知り合いで、お互いに「制度をよく知っている」という点で因縁があるらしかった。
「あいつは頭がいい」カイは言った。「俺と意見が合ったことは一度もないが、話す価値はある」
面会場所は制度設計局の一室だった。清潔で、無機質な部屋。中央の机にナナセが座っていた。黒髪を後ろで束ね、薄いフレームの眼鏡をかけている。表情は穏やかだが、目に油断がない。
「カイ。久しぶり」
「久しぶり。こちらはレン」
「知っています。乖離マップを作った人」
レンは少し驚いた。
「どうして知っているんですか」
「制度設計局は、市民の統計活動についての情報収集をしています。あなたのデータは、いくつかのルートで報告が上がっていました。注目していました」
注目、という言葉の温度が読めなかった。
レンはカイと目配せをし、準備してきたデータをナナセの前に置いた。
「乖離マップと、得票点の波形データです。二つには統計的に有意な相関があります」
ナナセはデータを見た。じっくりと、時間をかけて。ページをめくる手が止まらない。
五分ほどして、ナナセは顔を上げた。
「この乖離は確かにある」
「認めますか」
「数字が出ているなら、認めるのが当然です」ナナセは言った。「ただし」
「ただし?」
「これは制度の失敗ではありません」
カイが眉を上げた。「どういう意味だ」
「制度は公平です。試験は誰でも受けられる。評価点は誰でも贈れる。選挙は誰でも参加できる。制度の設計に、差別はない」ナナセは言葉を選びながら続けた。「あなたたちが見つけたのは、社会の失敗です。社会が、制度を公平に使っていない。資本の大きさが評価点の流れを決め、評価点の流れが得票点を動かし、得票点が政治を決める——この連鎖は、社会の問題です。制度を壊しても、この連鎖は消えない」
「でも制度がその連鎖を加速させているかもしれない」レンは言った。
「かもしれない。それは認めます。しかし、だからといって制度を変えれば解決するわけではない」
「じゃあ何も変えなくていいと」
「そんなことは言っていません」ナナセは少しだけ声のトーンを上げた。「制度を壊せば、最低保障も消える。選挙制度も消える。今の制度が不完全であっても、代替がなければ壊すことはできない。何で代替するつもりですか」
レンは答えられなかった。
「証明して、何をしたいのですか」カイに向かってではなく、レンに向かってナナセは問うた。
「……わからない、まだ」
「わからない、か」ナナセは言った。怒っているわけではなかった。ただ、正確に問い返していた。「それが正直なところでしょう。あなたの調査は丁寧で、数字は正直だ。でも、数字で何かを証明することと、何かを変えることは違う。それを理解していますか」
「理解しています」
「ならば」
「でも」レンは続けた。「見えていないものを見えるようにすることには、意味があると思っている。変える方法が今はわからなくても、見えていなければ、変えることすら始められない」
ナナセは少し黙った。
「……それは正しい」
静かな声だった。
「あなたのデータは正しい。問いも正しい」ナナセは言った。「ただ、正しい問いが正しい答えを生むとは限らない。それだけ言っておきたかった」
三人は、それ以上大きな合意には至らなかった。
しかしレンは帰り際に、一つだけ確かめた。
「あなたは、制度は公平だと思っていますか」
ナナセは少し間を置いた。
「公平であるように設計した、と思っています」
過去形だった。
レンはそれを、心に留めた。




