【後日談】婚約破棄された悪役令嬢ですが、市場でコロッケ揚げてたら騎士団長に求婚されました
「……暑い。溶ける。これ、絶対35度は超えてるわよね……」
王都の夏。石畳からの照り返しは、前世の都会のコンクリートジャングルを彷彿とさせる。
店はあるが現場へ出張も大事!という事で、愛用の屋台『黄金コロッケの店・エレン』の前に立つ私は、手ぬぐいで額の汗を拭った。
市場の活気も、この暑さでどこか気だるげだ。
いつもなら「揚げたてちょうだい!」と群がってくる荷運び人の男たちも、今は日陰でぐったりとぬるくなったエールを煽っている。
「エレンちゃん、ごめんよ。あんたのコロッケは最高なんだけど、この暑さだと、どうしても揚げ物は胃に重たくてねぇ……」
常連のガン親方が、申し訳なさそうに言った。
そうなのだ。コロッケは冬の王様。だが夏は、その「脂の重さ」が仇となる。
「……商売上がったりね。よし、佐藤花子の『夏バテ知らず・スタミナ改革』、発動させなきゃ!」
私は屋台の火を落とし、市場の隅にある薬草ギルドへと走った。
目指すのは、胃腸を整え、食欲を爆発させる「あの香り」。
だが、異世界のスパイス事情は想像以上に過酷だった。
「……うぇっ。これ、ただの漢方薬じゃないの」
ギルドで見つけた『黄根粉(ターメリックに近い)』は泥臭く、乾燥した『赤尖実(唐辛子に近い)』は、ただ痛いだけ。前世で市販の「カレールー」に頼り切っていたツケが回ってきた。屋台で適当に混ぜて煮込んでみたら、出来上がったのは「健康には良さそうだけど、一口で悟りが開けそうなほど不味い泥水」だった。
「ダメだわ。これじゃ市場の男たちは一口で逃げ出す。……もっと、こう、脳を直撃するようなパンチが足りないのよ!」
頭を抱えて唸っていると、市場の偏屈屋、ヨハンさんが私の背後に立っていた。
「……エレン、なんだその酷い匂いは。魔物除けのお香か?」
「ひどい! これでも新メニューの試作中なんだから。……でも、どうしても『あの香り』にたどり着けないのよ」
「倉庫に、誰も買わねぇ乾燥ハーブが眠ってたはずだ。売れないから使いたきゃ勝手に持っていけ。それと……これを持ってけ。売り物にならねぇが、味は濃厚だ。少しはその匂いもマシになるんじゃないか。」
ヨハンさんが放り投げてきたのは、熟れすぎて皮が茶色くなった「蜜リンゴ」だった。
私は目を見開いた。
「これよ……! リンゴとハチミツ……じゃなくて、リンゴの甘み! それとヨハンさんの言ってた『スパイス』!」
薬屋の倉庫で埃を被っていたのは、まさに「クミン」によく似た種子だった。
私は帰宅して自宅のキッチンに籠もり、スパイスを煎り、リンゴをすりおろし、玉ねぎを飴色になるまで炒め抜いた。
そして、その日の夕暮れ。
王都の誰もが経験したことのない「暴力的なまでに食欲をそそる香り」が溢れ出した。
コンコンコン! コンコンコンコン!
「エレン! 無事か! 爆発か!? それとも新手の毒ガス攻撃か!?」
キッチンのドアを突き破らんばかりの勢いで現れたのは、黒い甲冑を脱ぎ捨てた私服姿のアルリック様だった。
顔が青い。
いや、鼻がピクピクしている。
「あ、アルリック様。爆発じゃないですよ、新作の試作です」
「……この匂いは……なんだ。胃の奥が、熱い。今すぐ何かを口に入れないと、狂ってしまいそうだ……」
最強の騎士団長が、スパイシーな香りの前に膝をつきかけている。
私はニヤリと笑い、木皿に盛った「それ」を差し出した。
「エレン流・王都カレーライス。食べてみます?」
アルリック様は、黄金色に輝くソースをスプーンで掬い、慎重に口に運んだ。
……一秒。
……二秒。
「……っ!!」
彼の瞳が、カッと見開かれた。
「辛い……! だが、奥に潜む果実の甘みと、鼻に抜けるこの芳醇な刺激……。体中の血が、沸騰するようだ! エレン、これは……これはなんだ!?」
「ただのカレーですよ。でも、これなら夏バテの男たちも、スプーンを止める暇なんてないはず!」
「……エレン、もう一口。いや、皿ごとくれ。これは、王都の食文化を根底から破壊する……禁断の味だ……」
夢中で皿を掻き込むアルリック様。
だが、私が「準備が整ったら市場で出すわね」と言った瞬間、彼のスプーンが止まった。
「……待て。市場で、これを出すのか? この香りを振りまくのか?」
「……」
アルリック様が、急にどんよりとしたオーラを纏い、部屋の隅へ移動した。
「……どうせ、俺よりみんなの方を構うのだろう。俺が来ても、『よそって、渡す』だけの流れ作業で、一言も喋ってくれぬのだろう……。……俺は、隅っこでコロッケだけ食っていろと……」
「……ちょっと、アルリック様? 騎士団長がそんなところで拗ねないでください!」
不器用で、食い意地が張っていて、そして何より私に構ってほしい最強の騎士。
彼の機嫌を取るために、私は「明日も一番最初に味見させてあげるから!」という魔法の言葉を、何度も繰り返さなければならなかった。
※
カレーの試作に成功した翌日。
私は市場の仕入れ先を回っていた。
「エレンちゃん、これ……受け取ってくれないか」 そう言って、肉屋の親方が差し出してきたのは、いつもの端切れ肉ではなく、立派な煮込み用のスネ肉だった。
「えっ、こんなに良いお肉、いいんですか?」
「ああ。実はな……うちの息子が、あんたの働きっぷりを見て『俺もエレン姉ちゃんみたいに、自分の力で誰かを笑顔にしたい』なんて言い出しちまってよ」
親方の後ろから、ひょっこりと10歳くらいの少年・カイが顔を出した。
「エレン姉ちゃん! 俺、力仕事なら負けないよ! 樽洗いでもなんでもするから、そばで商売を教えてよ!」
さらに、隣の芋屋の親方からも声がかかる。
「うちのハンスもなんだ。あんたがどん底から屋台を立ち上げた話、市場の子供たちの間じゃ英雄伝になってるんだぜ。……こいつ、算術だけは得意なんだ。エレンさんの手伝いをさせてやってくれないか?」
キラキラした目で私を見つめる少年二人。
一人で屋台を回す限界を感じていた私は、彼らの熱意に打たれた。
「……わかった。二人とも、明日から私の『一番弟子』兼『共同経営者』候補よ! お給料は売上から出すし、賄いは私の特製料理、食べ放題!」
「やったあああ!」 市場に子供たちの歓声が響き渡る。
……だが、その様子を、市場の影からじーーっと見つめている巨大な影があった。
黒い甲冑を纏ったまま、柱の陰で「……一番、だと?」と呟くアルリック様である。
※
翌朝。
新設されたカレー屋台では、カイが「いらっしゃい!」と声を張り上げ、ハンスが器用に銅貨を数えている。
私は二人の指導をしながら、巨大な鍋でカレーを仕込んでいた。
「エレン姉ちゃん、お肉入れたよ!」
「よし、カイ、いい手際ね。ハンス、お釣りは間違えてない?」
「バッチリだよ、エレン姉ちゃん!」
和気あいあいとした「チーム・エレン」。
そこに、一歩、一歩と、地響きのような重い足音が近づいてきた。
「……エレン。」
現れたのは、フル装備のアルリック様だ。
いつも以上に威圧感がすごい。
カイとハンスが「ひぇっ、本物の騎士団長様だ……」と身を縮める。
「あ、アルリック様。おはようございます! カレー、食べます?」
「……食べる。だが、その前に一つ確認したい。……その子供たちは、お前の『一番弟子』と言ったのか?」
「ええ、とっても優秀な助っ人ですよ!」
屋台が二つ並んでいるのを見て、アルリックは露骨に眉をひそめた。
「……俺はもう、お前にとって『一番』ではないのだな」
あまりの拗ねっぷりに、市場の人々がクスクスと笑い出す。
私はため息をつき、二人のバイトくんに目配せをした。
「カイ、ハンス! アルリック様は私の『特別なお客様』だから、お皿に一番いいお肉を山盛りにして差し上げて!」
「わかった! 騎士団長様、これ、俺がよそった特盛りだよ!」
「一番大きいジャガイモ、入れといたからね!」
子供たちに元気よく皿を差し出され、アルリック様は「……っ」と言葉を詰まらせた。
彼は不器用そうに皿を受け取ると、一口食べ、そして耳まで真っ赤にして呟いた。
「……フン。味は、悪くない。……エレン、今夜の『試作』は、俺の家でするのだな?味見は私がする!それだけは、譲らんぞ……」
「はいはい、わかってますって(笑)」
こうして、エレンの屋台は「活気溢れる子供たち」と「それを複雑な目で見守る最強の騎士団長」という、市場の新しい名物風景となったのである。
※
「さあ、本日のカレーはこれよ! 肉屋の親方直伝、『ゴロゴロお肉のスタミナカレー』!」
私の声と共に、屋台から立ち上るのは濃厚な肉の旨味を含んだスパイスの香り。
バイトのカイが「肉が重てぇ!」と嬉しい悲鳴を上げるほど、大振りの肉がこれでもかと投入されている。
「エレンちゃん、今日は特別に良い部位を安くしといたぜ! うちの息子を一人前にしてくれてる礼だ!」
肉屋の親方が威勢よく親指を立てる。
私はそれに応えて、最高の笑顔を返した。
「ありがとう親方! このお肉、ホロホロになるまで煮込んだから最高よ!」
市場の男たちが「おぉ、今日は肉の日か!」と列をなす。
一方、その行列の最後尾で、アルリック様が真剣な顔で看板を凝視していた。
「……エレン。本日は『肉』、なのだな。明日は何だ」
「明日はね、芋屋のヨハンさんとこから届く最高のジャガイモを使った、『ホクホク揚げポテトカレー』よ。素揚げした芋の甘みがカレーに溶けて、これも絶品なんだから!」
私の言葉に、アルリック様は絶句した。
「……明日は、芋。……そして明後日は何だ」
「明後日はね、八百屋の奥さんが持ってきた完熟トマトの『夏野菜カレー』にする予定よ」
「…………」
アルリック様は、その場に固まった。
鎧の隙間から、ゴゴゴ……という重苦しい悩みの気配が漏れ出している。
「……アルリック様? 注文しないなら後ろの人が困っちゃいますよ」
「……選べん。……肉も、芋も、野菜も。お前が作るものはすべて、俺の『一番』なのだ。……ならば、俺は毎日ここに来て、全種類を制覇せねばならぬということか」
「当たり前じゃないですか(笑)。毎日待ってますよ」
「毎日……。……くっ、午後の会議をすべて午前中にねじ込む必要があるな。部下たちには『王都の防衛体制の確認(屋台の列に並ぶ)』と言っておこう……」
最強の騎士団長が、カレーのために国家レベルの嘘を吐こうとしている。
私は呆れながらも、彼のために「肉増し」の特盛りを差し出した。
「はい、お騎士様。今日はこれ食べて、午後もお仕事頑張って!」
「……あぁ。これを食べれば、もはや敗北など有り得ん」
翌日。宣言通り、屋台は『ホクホク揚げポテトカレー』に様変わりした。
昨日とは打って変わって、素揚げされた黄金色のジャガイモが、スパイシーなソースを吸って輝いている。
「今日は芋の日だよ! 外はカリッと、中はホクホクだよ!」 芋屋の息子、ハンスが元気に呼びかける。
それを見たアルリック様は、昨日の今日だというのに、やはり一番乗りで現れた。
「……昨日あれだけ肉を食べて満足したはずなのに、この匂いを嗅ぐと、もう胃袋が『芋を入れろ』と暴動を起こしている……。俺の可愛い妻は魔女か?」
「ただの料理好きな元令嬢ですよ。ほら、揚げたての芋、多めに入れといたから!」
「…………幸福だ。」
一日の終わりに、私は売上金を数えながら、今日一日の市場の笑顔を思い出す。
肉屋さんも、芋屋さんも、野菜屋さんも。
みんなが「自分の食材が一番美味しく使われている」と誇らしげに笑ってくれる。
具材を日替わりにする。それは単なる商売の工夫じゃない。
私を泥の中から救ってくれた、この市場のみんなへの「ありがとう」の形なのだ。
※
市場がスパイスの香りと活気に包まれていた、ある日の昼下がり。
不自然なほど豪華で、そして空気の読めない金の装飾が施された馬車が、人波を割って現れた。
「……何の騒ぎだ。この鼻を突く下品な刺激臭は!」
馬車から降りてきたのは、顔色の悪いエドワード王子と、やつれた様子のマリアだった。
どうやら王宮の夏バテ対策が上手くいかず、市場の「活気の正体」を突き止めに(あるいは、あわよくば手柄を奪いに)来たらしい。
王子の目は、行列の絶えない私の新屋台と、そこに掲げられた『本日のカレー:エビとイカのシーフードカレー』という看板に止まった。
「……エレノラ! 貴様、このような泥臭い煮込みを作って、民をたぶらかしているのか!」
「お久しぶりですね、殿下。たぶらかすだなんて心外です。皆さん、代金を払って『美味しい』と笑ってくださっていますよ」
私はカレーをよそう手を止めずに微笑んだ。
隣ではバイトのカイとハンスが「あ、あの不審な金の人は誰?」とヒソヒソ話をしている。
「エレノラ様……。その、黄色い食べ物、王宮では見たことがありません。……きっと、毒か何かで依存させているのでしょう? 恐ろしい人……」
マリアが震える声で言うが、その鼻はピクピクとカレーの匂いに抗えていない。
エドワード王子も、本当はお腹が空いているのだろう。
喉がゴクリと鳴る音が、こちらまで聞こえてくる。
「殿下、そんなに気になるなら一口召し上がりますか? 今なら『特別価格』で銀貨1枚(※通常は銅貨2枚)ですよ」
「なっ……! 私に金を払わせる気か! そもそも、こんな下賤な食い物……」
「あら、嫌なら結構です。……あ、アルリック様。お待たせしました!」
私が列の後ろに声をかけると、ちょうど公務(会議をねじ伏せた後)を終えたアルリック様が、凄まじい威圧感で歩いてきた。
「……殿下。そこで私の妻の商売を邪魔しているのは、どこのどなたですかな?」
現れたのは、フル装備の騎士団長アルリック様だ。
その背後には、彼が連れてきた「腹を空かせた精鋭騎士たち」がズラリと並び、無言の圧力をかけている。
「ア、アルリック卿!? なぜ君がこんな場所に……。それに今、何と言った? 妻だと!?」
「左様。エレンは私の愛する妻であり、この屋台は我がヴァレンタイン家の誇りでもある。……殿下、我が家の家業に何か不服でも?」
アルリック様が魔剣の柄に手をかけると、エドワード王子はヒッ、と情けない声を漏らした。
「ア、アルリック卿!? なぜ君がこんな場所に……。まさか、君もこの毒のような煮込みを?」
アルリック様は、王子の言葉を鼻で笑うと、私の差し出した特盛りカレーを恭しく受け取った。
「毒、ですかな? ……これこそが、我が国の民を、そして騎士団の士気を支える『黄金の活力』だ。殿下、食わず嫌いは損をしますぞ」
アルリック様が豪快にカレーを口に運ぶ。
プリっとしたエビ、噛めば噛むほど甘みを感じるイカ、そしてスパイスの刺激。
そのあまりに「幸せそうな食べっぷり」に、王子のプライドはついに空腹に屈した。
「……ふん! そこまで言うなら、毒味をしてやろう。……おい、マリア、金だ」
「えっ、あ、はい……」
マリアが渋々差し出した銀貨を奪い取り、王子はカレーを受け取った。
そして、人目を気にするように一口……。
「……っ!!」
王子の顔が、一瞬で赤、黄、そして驚愕の白へと変わった。
「……なんだ……これは……。熱い、辛い……なのに、止まらん……。王宮の冷めたスープとは、何もかもが……違う……っ!」
夢中で皿を掻き込む王子。
マリアも我慢できずに横から奪い取って食べ始めた。
「美味しい……! これ、本当にエレノラ様が……?」
だが、彼らが完食した瞬間、私は冷ややかな笑顔で告げた。
「満足されましたか? では、お引き取りを。……あぁ、そうそう。殿下たちが『王妃教育の補佐』として私を連れ戻そうとしていた話、お断りしたはずですが……」
私は、市場の男たちがこちらを囲んでいるのを示した。
「見てください。私がいない間、殿下の領地の収穫高が落ち、市場の税収が減っているのは……私が『泥臭く』働いて支えていた部分を、殿下たちが『卑しい』と切り捨てた結果ですよ。……今さらカレーの美味しさに気づいても、もう遅いんです」
「な……っ!」
「私はもう、あなたの婚約者でも、公爵家の令嬢でもありません。……ただの、世界一美味しいカレーを作る、アルリック様の妻です」
「……その通りだ。」 アルリック様が私の肩を抱き寄せ、冷徹な視線を王子に放つ。
「殿下。これ以上彼女を煩わせるなら、騎士団は王宮の警備よりも『屋台の行列整理』に全力を注ぐことになりますが……よろしいかな?」
「く、狂っておる……! 騎士団も、民も、エレノラも……全員狂っておるわーーー!!」
王子は逃げるように馬車に飛び乗り、マリアを置き去りにせんばかりの勢いで去っていった。
残されたマリアも、空になったカレーの皿を抱えたまま、泣きながら馬車を追いかけていく。
市場には、今日一番の爆笑と歓声が巻き起こった。
「エレンちゃん、言ったねぇ!」
「王子様、カレーのお代、お釣りはいらねぇってよ(笑)!」
私は、空になった大きな鍋を見つめ、少しだけスッとした気持ちで、隣にいる最強の味方を見上げた。
「アルリック様。……今日のカレー、隠し味に『ざまぁ』を入れすぎちゃったかしら?」
「いや。……最高にキレがあって、美味かったぞ。」
そう言って、彼は今度こそ、練習していた「完璧なウィンク」を私に贈ってくれた。
(……まぁ、まだ少し両目が閉じかかってたけど、100点満点ね!)
※
市場の喧騒が遠のき、王都が深い紺色の夜に包まれる頃。
新居のキッチンには、屋台のスパイスの香りとは違う、甘く、深く、芳醇な香りが満ちていた。
「……ただいま、エレン。今日も一日、お疲れ様」
鎧を脱ぎ、すっかり「一人の男」の顔になったアルリック様が帰宅する。
私はエプロンを外し、彼を最高の笑顔で迎えた。
「おかえりなさい、アルリック様。今日は特別。屋台では絶対に出さない、あなたのためだけのビーフシチューを作ったわ」
テーブルに並べたのは、市場で一番いい肉を、赤ワインと数種類の香草で煮込んだ『特製ビーフシチュー』。
そして、今日のために何度も温度調整を繰り返して焼き上げた、『白くて丸い、ふかふかのパン』だ。
「……これは……。屋台のナンとは、また違うものだな」
アルリック様が、恐る恐るパンを手に取る。
指が沈み込むほどの柔らかさに、彼は目を見開いた。
「そう。これはね、ナンよりふわふわでしょ。ここはカチコチのパンが多いでしょ。このパンをシチューに付けて食べたら絶品よ。外ではみんなのために強く明るく頑張るけれど……家の中では、あなたに一番甘えてほしいから。これは、あなただけの、あなたのためだけのビーフシチューよ」
「…………」
アルリック様は無言でシチューを一口運び、そしてパンをちぎってソースに浸した。
口に入れた瞬間、彼の肩の力がふっと抜ける。
「……あぁ、美味い。……エレン、俺は世界で一番、幸せな男だ」
王都最強の騎士が、子供のような無防備な笑顔を見せる。
外では決して見せない、私だけが知っている彼の素顔。
ロウソクの灯りに照らされた彼の横顔を見て、私の胸にも温かな灯がともる。
(あぁ……幸せだな。泥水をすすれと言われたあの日、諦めなくて本当に良かった)
彼が美味しそうに料理を頬張る姿を眺めていると、私の「佐藤花子」としての魂が、ふと疼き出した。
(……それにしても、このふかふかのパン。もう少し改良して、中にあのカレーを入れたら『カレーパン』になるんじゃないかしら? 揚げたてのカレーパン……絶対売れるわよね……)
「エレン? 何か、怖い顔をしてパンを睨んでいるが……」
「えっ? あ、ごめんなさい! なんでもないわ」
私は慌てて微笑み、自分のシチューに口をつけた。
「……ねぇ、アルリック様。このパン、いつか市場でも売り出してみようかしら。もっとみんなが笑顔になると思わない?」
「……やはりそう来たか。……いいだろう。お前が世界を美味しくするのを、俺は一生、隣で支え続けると決めているからな」
夜は更けていく。
明日への新しいアイディアと、隣にいる愛しい人の体温。
私の「美味しい革命」は、これからも続く。
……次は、揚げたての「カレーパン」から、ね。
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おかげさまで本編は日間総合111位!
本当にありがとうございます!
お礼に新メニューと、後日談としてアルリック様のその後を書いてみました。
楽しんでいただたなら、とても嬉しいです。
2月14日誤字訂正




