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【小説】先輩とぼく02

掲載日:2025/12/14

 一年生の時にクラブ見学で校内を見て回った時、この部室で今と同じように本を読んでいる先輩を見た。


 キュルキュルと音を立てて換気扇が回っている。

 ぼくは先輩がよこす粘度の高い視線を真正面から受けないように、眉間のあたりを眺めてどうにか耐えた。

「いや、単純に呼ばれたから来ただけですよ」

「始業式の日にかい?」

「そうでなくても呼ばれたら来ますよ」

 ぶっきらぼうに言い放ったつもりだったが、先輩は「おっと」と言うと口角をさらに上げて笑った。

 一緒に昼メシを喰いに行く友だちがいないのは先輩だって同じでしょ、と言いかけたところで先輩の友好関係を知らないことに気づいてしまった。

 



「まぁ部室で何か期待するなら制服の方がよかろう」

 そう言って視線を切った先輩は自分で吊るしたサマージャケットに目をやった。

 つまり今日は私服だから期待する何かは無いよ、そう遠回しに言っているように感じて体温が下がる。

「なんすか、それ。おじさんみたいな事を言わないで下さいよ」

 実際にオジサンたちがそう言うのかは知らない。

 父親たちもそんな冗談を言うのだろうか。

 気持ち良いものではない。

 しかし先輩は顔をこちらに向けると少し目を開いて真面目に言った。



「きみ、青春は戻らんぞ。制服とは期間限定の呪いだが、それゆえに有効だ」

「まぁ歳喰って着たらコスプレっすもんね」

「その通り。戻れないあの日と言う呪いを大人になってから解呪するのは大変らしい」

「その呪いから早くも自由になってるじゃないですか」

 ぼくもフィルターまで吸った煙草をバケツに放り込んで、サンドバッグに腰掛けている先輩の正面にしゃがみこんだ。

 掃除もされていないリングは埃だらけでぼくと先輩の足跡がうっすらと見える。

 先輩の視線が強く感じる。

 濁りのない白目には青白い血管すら感じられず、真っ黒い目がコントラストとして穴みたいに見える。



「わたしは、まぁ、そうだな」

 先輩は自身の服を見て少し笑った。

「わたしには別の呪いがあるからね」

「呪い、ですか」

 先輩の視線が柔らかくなる。

 けれどぼくは緊張したままだった。

 汗が頬をつたって流れおちる。

「そう、呪いだ。ところで君のクラスに処女の女子、新品の子は何人いると思うかね?」

「え?」

「40人ほどの生徒のうち半数が女子だとしてだ。その20人のうち何人が処女だと思うかね?」

 質問の意図が分からないままクラスの女子を思い浮かべて答える。



「えーと…10人くらい?」

 まるで自分が春情を抱いている相手の人数みたいだけど、先輩は取り合わなかった。

「残念、答えは恐らく0だ。逆に童貞は何人いると思うかね?」

 まずぼくはそこに入るから確実に1として、ほかのクラスメイトの顔を思い浮かべていると

「答えは15人だ」と先輩が言った。

「その15人は今後の人生でどうにか青春と制服の解呪をしようとする。コスプレや風俗で済ませる奴もいるだろうし、大学生や社会人になって高校生と付き合う事で解呪する人間もいる」

 先輩の声が熱っぽくなり、視線もどろりと腐敗した水蜜桃のようになっている。

「なる、ほど」

 ぼくは相鎚を打ちながら、腰のあたりがむずむずして姿勢を正した。

 どうせならあれのポジションも直したい。


「不純異性交遊で済むなら良いが、金銭が絡んで捕まってしまう場合もあるね。解呪どころか呪いの深みにはまってしまう人間もいる」

 先輩はそこまで言うと急に立ち上がり、スカートの埃を手で払った。

「まぁ偉そうに言うわたしも、こうして夏休みの呪いに縛られている訳だが」

 笑ってこちらを見た先輩の視線や声はいつものものに戻っていた。

「単なるサボりっしょ、それは」

 ぼくは安心して、むしろ血流が下腹部に集まるのを薄らと感じていた。

 いま立ち上がりたまえ、なんて言われたら大変だ。



「そういうな。夏休みの呪い、良い響きじゃないか」

「ホラー映画っぽいすね」

「そうだろう、花火にプール、焼きトウモロコシに流しそうめん。夏休みのイベントをコンプリートしないと終われない夏休み。まぁ使い古されたネタではあるが」

「先輩はそれ全部やったんですか」

 訊いた瞬間に後悔をしたが遅かった。

 石のように硬い唾をどうにか飲み込んだ。

「あぁ、まぁ一通りは」

 なぜか眉間に皺を寄せて答える先輩を見て、ぼくは心臓が跳ね上がった気がした。

「意外とアクティブなんですね」

 喉から絞り出した声はカラカラに乾いた真冬の雑巾みたいだった。

 

「自発的なものではないさ」

 先輩は唇を尖らせると再び煙草を容器した。

「と言うと」

 かぶせ気味に訊きながらソフトパッケージを振って出すと、白いセブンスターズが思ったより飛び出てしまい一本が落ちた。

 先輩は笑いながらそれを拾う。

 白く綺麗な手指が伸びる。

 窓から差し込む光が埃を照らす。

 切り取って保存できないのを悔やみながら、この瞬間だけは絶対に死ぬまで忘れないだろうと思った。



「まぁいいじゃないか。それとも誰としたか気になるのかね」

 ライターを渡すと先輩は顔をしかめて、それでも火をつけた。

 帰りにどこかで燐寸を買おう。

「えぇ、まぁ少しは。先輩の意外な一面を見られる気がして」

 さっきの先輩を脳裏に焼き付けると、少し心が落ち着いた。

 余裕が出て軽口を叩ける程度には。



「恋人」

 と言って先輩はこちらの顔を見ている。

 ぼくは顔を動かさずに先輩の視線を受け止めた。

 先輩は煙を横に吹いて笑った。

「……と言う訳じゃない。リアクションが無いのは寂しいものだな。まぁクラスメイトでもなく、家族や妹とやったまでだよ」

 先輩は意地悪そうな顔で笑っていた。


 ふと夏の夕方を一緒に歩く先輩の姿を想像した。

 夕立が降って先輩の肌の上を雨粒が滑り落ちてゆく。

 銀色のピアスから雨粒が滴る。

 濡れて透けたセーラー服から覗く下着の色が淡い。

 いや、いっそ深紅とか黒と紫のレースでもいい。

 風に煽られた枝から大量の雨粒が落ちる。

 先輩は肩を丸めて驚く。

 そうしてこうやって部室に逃げ込んで煙草を吸うのだ。



「ぼくはそのどれもやってないので、いつか夏休みの呪いを思い出すんですかね」

 私服の先輩に重なった制服の先輩は肌に張り付いたそれを剥がしている。

「あぁ、きっとそうさ。大学生になるとその影は濃くなるし、社会人になると一層濃くなる」

 先輩が咥えた煙草の煙が濃くなって視線を遮ぎる。

「見てきたように言いますね」

「案外と見てきたのかも知れないぞ」

 あっさりと言う先輩に少し驚くと、唇から煙草を剥がして笑った。

「お、初めて反応らしい反応をしたね」


 

「いや、どっちだろうと思って」

 しまった、と思ったが仕方ない。

 素直になろう。

 きっともう手遅れだ。

「どっちと言うと」

 先輩の悪戯っぽい視線が眼球から飛び込んで心臓に刺さる。

 この棘もきっと死ぬまで抜けない。

「先輩は人生を何周かしてるのかなって言うのと」

「それと?」

「……言わせます?」

「安心したまえ」

「安心」

「私はまだ新品だよ」

 それが今日だけのことなのか、そう思いたいぼくの中ではそうなのか訊こうとしなかった自分をとりあえずは褒めるべきだろう。

 これは確かに呪いだ。

 煙草の煙がやけに喉で引っかかる。

 換気扇が苦しげに回る。

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