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その2

◇


目が覚めたら、意識を失う前の出来事はすべて悪い夢だったのではないか――

そんな淡い期待を抱きながらゆっくりと瞼を開ける。


しかし、一番に飛び込んできたのは、心配そうで――

それでいて、太ったままの夫の顔だった。


「!? やっと目が覚めたか!」


一日中目を覚まさなかった私がようやく目覚めたことに、夫は安堵の表情を浮かべる。

けれど私は、「心配をかけてごめんなさい」という言葉が出てこず、


「……悪夢だわ……」


と、思わずつぶやいてしまった。


「……残念ながら、現実だ」


「ごめんなさい、そんなつもりじゃなかったの……

心配してくれて、ありがとうございます」


ベッドに横たわったまま、さらに落ち込む。

夫に何があったのかは分からないが、心配してくれていたのに、

ひどい言い方をしてしまった。


「わかっている。もし体調が戻ったなら、

これまでのことと――そして、これからのことについて、

話をさせてもらえないだろうか」


「これから……?」


これまでのことは、ぜひ聞かせてほしい。

遠征に出ていたなら過酷な環境のはずなのに、

なぜこんなにもぶくぶくと太って帰ってきたのか。


だが、「これからのこと」という言葉が、どうにも引っかかった。


(まさか――太ってしまったから、離縁しようとか言い出すんじゃ……!?)


シエラの頭に、カッと血が上る。


「わ、私は、離縁なんてしませんからね!」


ベッドの上からツンとして言い放つと、

夫は青天の霹靂を受けたかのように、

その肉に埋もれた小さな目をぱちくりとさせた。


「え……り、離縁? したいのか?」


なぜか、私以上にショックを受けた様子でこちらを見ている。


「そんなこと、言ってません!

それより――なぜ、そんなにお肉を蓄えてしまったのか、

理由をお聞かせ願えますか?」


「あ、ああ。もちろんだ。

少し長くなるから……そのままの体勢で聞いてもらえると助かる」


そう言って夫は、大きな身体をよっこらせと椅子に下ろし、

ポツポツと経緯を語り始めた。


◇


第三騎士団は、このあたり一帯の街の「外」で起きた、比較的軽い事件を管轄する部隊である。

今回の遠征は、国境付近の警備。普段は専用の部隊がいるが、若い団員たちの訓練も兼ねて、定期的にこういった遠征が行われる。

そんな中、隣国にいるはずの魔女が、突然近くの農場に現れて、悪さをしているとの知らせを受け、夫の率いる第一部隊が調査に向かった。


魔女とは、魔物でも人間でもない存在で、長命かつ魔法を操る。

ときには人間に紛れて生活を助け、ときには悪戯で困らせることもある。

しかし、悪さをしたからといって魔女を罰することはできない。

なぜなら、魔女はこの世界の魔力を正常に循環させる役割を持っているからだ。


魔女は各国に少なくとも一人は存在し、滅多に住処を変えない。

だが、若い魔女の中には国を転々とする者があり、そういう魔女は一様にして問題を起こす。


例えば――天候を操って三日三晩雨を降らせ続けたり、勝手に家畜を使ってチキンレースをしたり、家に落書きをしたり、悪ガキと喧嘩したり……

まぁ、言ってしまえばピンキリだ。


致命的な悪さはしないものの、騎士団は魔女の気まぐれのたびに対応を余儀なくされていた。


今回、夫は向かった先で魔女と対峙したらしい。


「俺たちが到着したときには、すでに魔女殿は――あたり一帯に呪いをかけた後だった」


なんでも、農場に勤める男性に失恋したとかで、その男性の農場の納屋に籠城し、

「今年の収穫物はほんのちょっと味が落ちる呪い」をまき散らしていたという。


農家にとっては死活問題だ。なんともはた迷惑な呪いである。


騎士団は魔女に籠城を解くよう説得を試みた。

その代表に選ばれたのが、夫であるディーノだった。


魔女は頑なだった。

自分の容姿が原因で振られたのだと、失恋の嘆きを繰り返していたらしい。


ちなみに、その魔女に惚れられていた男性に理由を尋ねると、

「押しが強すぎて、自分の手には負えないと思ったから」だという。

だが、彼女はその説明を決して認めようとはしなかった。


魔女は、

「やっぱりどんな男性も、痩せてる女の子の方が好きなのよね!」

と、自身の体型を自虐する。


確かに彼女は平均よりもふっくらしており、

よく言えば豊満、悪く言えばぽっちゃりとしていた。


と、ここまでの説明を聞いて、シエラは「あ」と思った。

体型にコンプレックスのある魔女に、みんなを代表して説得を試みていた夫。

――嫌な予感しかしない。


そして次第に、魔女の不満は説得にあたる騎士団の面々へと向けられていく。


「あんたたちだって、スタイルがいい子の方がいいんでしょ!」

「なんで世間は細い子ばっかり好きなの!」

「この世界のみんな、太ってたらいいのに!」


もはや、めちゃくちゃだった。


そうこうしている間にも呪いは広がり、

「ああ……ここの区画のトマトも、ほんのちょっと、いつもより甘くない……」

と、農場主の嘆きがあちこちから聞こえてきた。


夫も時間が迫っていると焦ってしまい、

つい、余計なことを口走ってしまったらしい。


「みんな、外見ばかりじゃない。

どんな外見でも、中身が伴っていないと――」


シエラは、夫の説明の最中に、思わず眉間を抑えた。


――これは⋯⋯やらかしたな。


その言い方では、

「おまえ、性格が悪いぞ」

と直球で言っているようなものだ。


シエラがそう思ったのと同様、

周囲にいた同僚たちも、農場関係者ですら、

「あちゃー……」

という声とともに、残念なものを見る目で一斉に夫を見たらしい。


「……俺の言葉に、魔女殿は怒り狂った」


(でしょうね)


シエラは、夫をさらに残念なものを見る目で見た。

その視線を感じ取ったのか、夫はプイっと顔を逸らす。


(……わ)


以前もやっていたその仕草が、今の姿だと意外なほど可愛らしくて、

シエラは思わずドキリとしてしまった。

それと同時に、姿は変わっても夫の癖は変わらないのだな、と密かに納得する。


「……魔女殿は、呪いの焦点を俺に変えた」


不貞腐れたまま、夫は話を続ける。


やはり、この姿は――

魔女の呪い、なのだろうか。


「彼女は言った。『じゃあ、おまえは、どんな外見になっても、おまえのことを好きでいてくれる人はいるのか』と」


シエラは、ごくりと息を呑んだ。

彼女の言葉に、果たして夫はなんと答えたのだろうか、と。


(黙っちゃった? それとも、話をすり替えて、さらに怒らせちゃった?)


しかし、夫から返ってきた答えは、まったく予想だにしないものだった。


「俺は言った。『もちろんだ。家に帰れば、俺には愛する妻がいる』と」


「――――ッ!!?」


シエラは、口をあんぐりと開けた。

結婚してから、いや、結婚する前も、そして今に至るまで、彼の口から「愛」なんて言葉を聞いたことがなかったからだ。


しかも、さらに喧嘩を売って、どうするつもりなのだろう。

間違いなく、火に油を注いだことだろうに。


今さらながら、なぜ、口がうまいとは決して言えない夫を、説得の代表なんかに選んだりしたんだろうか。

人選ミス過ぎやしないか。


「魔女は――何も言わず、姿を消した」


「え!?」


「そのときは、それで終わりだったんだ。ただ、魔女が消えた。

よくわからないが、説得に成功したのだと、みんな思っていた」


――いや、逃げられてんじゃん。


内心で激しく突っ込んだが、口には出さなかった。だって、大人だもの。


「けれども、その日――。俺の身に、異変が起こった」


夫はそう言って、自分の腹肉をむにっと掴んだ。

掴みきれないほどの脂肪が、そこにはある。


「一口、飯を口にする。すると、その分、太った」


「え」


最初は、特に気にすることもなく、同僚たちとその日の晩餐をともにしていたらしい。

しかし、すべてを食べ終えた頃には、夫のズボンのボタンは弾け飛んでいたそうな。


「同僚たちは、急にぽっちゃりし始めた俺に、驚愕していた」


「まあ……そうでしょうね」


「最初は、ただ、ちょっと丸くなったな、という程度だったんだ。

ちょっと腹肉が掴める程度の……。

けれども、日を追ううちに――いや、食事のたびに、異常なまでに太っていくことがわかった。

しかも、鍛えたところで、まったく痩せない……それなのに、普通に腹は減る。

これはおかしいということで、俺は任務を副長に任せ、あのときの魔女殿を探し回ることにした。

これ以上太らないように……食事の回数を減らして」


シエラは、顔を思いきり顰めた。


――食事のたびに太るだなんて、拷問以外のなにものでもない。

ただ、普通の量を食べているだけなのに、それがすべて脂肪に成り代わるのだ。

たとえ外見に気を使わない者であっても、おそろしい呪いだと思う。


「まあ、探し回るのに苦労したのもあって、帰還が遅れたわけなんだが……

結論から言うと、魔女殿は見つかった」


「あらま、そうだったんですね。

それで、やっぱりあなたのその姿は、彼女の呪いだったのですか?

解呪方法は?」


逸る気持ちを抑えきれず、シエラは夫に矢継ぎ早に問いかける。


「ああ……。魔女殿は、俺の姿を見て笑っていたよ。

『そんな外見になって、あなたの奥様がかわいそうね』と」


「ひどい……」


いや、実際、「私、かわいそう!」とは思った。

利害が一致した結果の結婚だったが、彼は安定した収入があるし、自分は領地経営ができてウハウハ。

夫婦仲も良好で、夫も無事に帰ってきた。

しかも、実は、夫の筋肉質なところが私は大好きだった。

――なのに、「あんまりだ!」とは、五千回くらい思いましたとも。


ただ、そんな自分よりも、かわいそうなのは夫のほうである。

身体を資本とする彼が、こんな重い身体になってしまっては、仕事にも支障が出るだろうに。


「俺は、腹が立った。

だから、『妻は、どんな俺でも受け入れてくれるはずだ』と言い返した」


「ん?」


また、想定と違う言葉が、彼の口から出てきた。

そこは、呪いを解けと、彼女に詰め寄る場面だろう。


夫は、どんと乗っかった大きなお腹に手を置き、そのまま続ける。

いい肘置きだな、と思ったのは内緒だ。


「彼女は、そんな俺に言ってきた。

『じゃあ、おまえの体型はそのままだ。ただし、呪いは解いてやろう』

そう言って、彼女は、また姿を消してしまった。

そんなわけで――実はもう、呪いは解けているんだ」


私は、今の言葉が信じられず、それまで横になっていた身体を、がばりと起き上がらせ、

強い口調で確認した。


「た、体型は……そのまま――ですか?」


お願いだ、嘘だと言って。

けれども、私の懇願も空しく、夫は「ああ」と、肉に埋もれた首を縦に振り、頷きを返した。


バタン。


夫の返事と同時に、私は再度、倒れてしまった。


続きは明日の夜21時。

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