悪役令嬢は泣かない
「どういうつもりなのかしら、チャーリー、シャーロット」
私は小広間の片隅に寄り添って立つ二人に、指さして言う。
「誤解だよ、メアリー」
「そうですわ、メアリー様」
二人は声をそろえる。
「まぁ白々しい。私の婚約者にベタベタとつきまとって、はしたない女ね」
そして私は彼らの罪をならべたててやった。
私という婚約者がありながら、チャーリーがいつもシャーロットと一緒にいること。
先日の舞踏会も、シャーロットのエスコートを優先したこと。
「違うんだ。シャーロットは虹魔法を使える聖女なんだ。国にとって大事な人なんだ」
「言い訳なんて聞きたくないわ、チャーリー」
私は扇子を取り出し口元に当てる。
「だからってひどいじゃないか。シャーロットの悪口を言って回ったり。彼女の魔導具やドレスをこっそり捨てたなんて話も聞いたよ。なぜなんだ?彼女はこんなに素晴らしい人なのに」
「そう。わかったわ……あなたの気持ちはね」
私は聖女や淑女なんて好きではない。
きれいごと過ぎて、わざとらしい。
いつもおしとやかで大人しく、にこにこと愛想がいい。
そんなのはありえない。
私が好きなのは歴史の中の悪女、物語での悪役令嬢だ。
悪役令嬢こそが、私がなりたいもので目指すべきものだ。
「つぎに会う時までに、その女を捨ててきてね」
「メアリー!」
「お嬢様!」
チャーリーと侍女の言葉を背に、私は勢いよく部屋を出て、扉を乱暴に閉める。
真っすぐ前を見ながら廊下を大股で歩く。
遠巻きに私を見ている人たちが、何やらこそこそ話しているようだが、そんなものは気にしない。
私は誰にもこびず、言いたい事を言って、自分の足で立って歩く。
それを悪というならそれもいい。
私はそんな女であるべきなのだ。
などと考え事をしているうちに、自分の居場所がわからなくなる。
私は平静をよそおって、周囲を見回す。
そういえば、王宮のこの区画には、あまり来たことが無い。
なるべく不審に思われないように、優雅にあたりに視線を投げかけていると、一人の女が声をかけてきた。
「メアリー、ちょっといい?」
「あら、マーガレット様。ご機嫌いかが?」
私はにっこり笑ってカーテシーをする。
彼女はエセックス辺境伯の娘で、私より二歳ほど年上だったはずだ。
「ちょっとお時間いただけないかしら。お茶でもいかが?」
「あら珍しいわね。もちろんよろしくてよ」
私はマーガレットに導かれサンルームに場所を移した。
彼女とテーブルを挟んで向かい合う。
既にテーブルにはティーセットやお菓子が並べられていた。
「良い茶葉ですわね。コーディール産かしら?」
私はカップの紅茶を一口すすると、笑みを浮かべてマーガレットに言った。
そしてミルクポットと砂糖の瓶に手を伸ばす。
悪役令嬢としては、ミルクや砂糖を使うべきではないのだろう。
だがどうにも、苦みと渋みで飲みにくいので仕方がない。
まだまだ私は、未熟な悪役令嬢であった。
だが、その私にマーガレットが発したのは、私が思いもよらない言葉だった。
「やっとこの時間軸であなたに会えたわね、メアリー」
鋭い目で私をにらむ。
「え、なんのことかしら?」
彼女の怒りをかった覚えはない。
そんなに睨まれる理由もなかった……と思う。
「エリンの白薔薇。アルスター公爵の一人娘のメアリー。いえ、エリンの黒薔薇、氷の悪女のメアリー」
「どうなさったの、マーガレット?そ、それより、このスフレはなかなか優雅な味でしてよ」
私はなんとかこの場の空気を変えようとした。
マーガレットが何を言おうとしているのか、全くわからない。
「私は未来を変えようとした。何度も何度も時を遡って。でも駄目だった。エリン王国に破滅をもたらす悪女、メアリー。あなたは昔から変わらない。高慢で残酷で。王子にすらあんな態度で」
「あの、あの……あれはだって」
私は何とか言葉を絞り出そうとする。
だが出てきたのは、あえぎと荒い吐息だけだった。
「私はこの世界に転生してきたの。この世界は私の元いた世界のゲームに似ている。だから破滅の運命を変えようとした。でもそのたびにあなた邪魔された」
「マ、マーガレット。ねぇ、落ち着いて」
「今の段階であなたに接触すべきではないのはわかってる。でもどうしても我慢できなかった。ひとこと言ってやらねば気が済まなかった。私が、いえ私たちがどれだけ苦しんだかを思えば当然でしょう?」
マーガレットは私の返答など必要としていなかった。
彼女は私の鋭い目でにらみつけながら、話を続ける。
「どれだけ努力しようと、あなたを殺そうと無駄だった。この国の運命は同じ。運命を変えるには、あなたの心を変えるしかない。でもあなたは昔からずっとあなただった。私の絶望があなたにわかる?」
「マーガレット。わたしは……わたしは……」
「破滅のたびに、私は時間遡行を繰り返した。そしてようやくこの時点に来れたの。あなたには私の言っていることはわからない。でもいいの。それに私の障壁で私の声は周囲には聞こえないし、まずくなったらあなたの記憶を消すだけのことよ」
マーガレットはにやりと笑った。
私には彼女が言っている事が理解できない。
彼女は私のこれまでの人生で、見たことがない表情をしていた。
憎しみと恨みにまみれた、恐ろしい顔。
その顔を見ていると、私の中にこみあげてくるものがあった。
「うぇ、うぇ、うぇえええええん」
涙がポロポロと零れ落ちる。
恐ろしかった。
ただひたすら怖かった。
涙の向こうに、びっくりしたようなマーガレットの表情が見える。
私が泣くなんて、思ってもみなかったという様子だった。
いや、あんな怖い顔をされたら、普通は泣くと思う。
だって私は……
「何をしているの!」
入ってきたのはチャーリーの姉のアンジェラ様だった。
「うぇ、ひぇぐっ……あんじぇら様……ひっく」
「マーガレット!メアリーに何したの?あなたの方がお姉さんでしょ。この子はまだ八歳なのよ」
「いえ、アンジェラ様。私はその……」
マーガレットの声も震えていた。
異変を察知したのか、次第に人が集まり始めた。
別室で私たちは、果実水とクッキーを手に、事情をきかれることになった。
私の両親と王妃様。
第三王子のチャーリーと、その妹のシャーロット、姉のアンジェラ。
そしてマーガレットと彼女の母親だ。
「一体何があったのかな?話してくれんか」
お父様が茶色のおひげをなでながら、穏やかに言う。
「あのね。悪役令嬢ごっこをしてたの」
「悪役令嬢ごっこだと?」
「うん。あのね。あのね。『虹の魔法と光の聖女』という、ご本があってね」
『虹の魔法と光の聖女』は、王都で大流行しているロマンス小説だ。
絵画や音楽や演劇にもなっている。
「ロマンス小説を読んで。『虹の魔法と光の聖女』ごっこをしようって。チャーリー様やシャーロット様も一緒にやりたいっていうから……でもこんなことになるなんて」
私はまたあふれる涙をハンカチでぬぐった。
チャーリーは私と同い年の八歳で、シャーロットは一つ下の七歳だ。
二人とも私と仲が良く、私は二人にも申し訳ない気持ちだった。
「ふむ。しかし子供にまで、そんな悪影響を与えるなど、けしからんな全く」
「あら、この年でそんなご本を読めるなんて、大したものですわ」
お母さまがお父さまをたしなめる。
「偏見はよくありませんよ、公爵。ロマンス小説は素晴らしいものですわ」
「王妃様までそんな……」
「ねぇあなた。この間私が、カーライル男爵夫人のサロンに行きましたでしょう?その時に紹介されて早速購入しましたの。他にもいろいろとまぁ……ほほ。おほほほ」
そこでマーガレットの母親が口を開いた。
「ごめんなさい、アルスター公爵様、王妃様。うちの娘は本当に慌て者で。そんなごっこ遊びとは気づかず真面目に怒り出すなんて……ほら、あなたも謝りなさい」
「ごめんなさい。メアリー様、チャーリー様、シャーロット様。ごめんなさい、公爵様、奥方様、王妃様」
母親にうながされ、マーガレットは立ち上がって私たちに頭を下げた。
「ううん。マーガレットは悪くない。私が本気で意地悪してると思ったのよね?でもこわかった。こわかったの」
「いやいや、伯爵夫人。うちの娘がややこしい事をしたせいですよ。お子さんが勘違いしても仕方ありません」
そしてしばらく談笑したあと、お母さまが口を開く。
「この物語の主人公はエミリアでしょう?物語の登場人物の名前でないと、本気なのかお芝居なのか、わからないではありませんか。誤解の元ですよ」
そこで第三王子のチャーリーが、顔を赤らめながら言う。
「あのそれは……僕が登場人物の名前を何度も間違えるから……もう本名でいいって、メアリーが」
「あの……すいません、私の勘違いで皆様にご迷惑をおかけして。本当に申し訳ありませんでした」
マーガレットが再び頭を下げる。
だが先ほどは、何やら私に理解できないことを並べ立てていた。
その時と様子が違う。
あれは何だったのだろう。
そして私を見る目が、やっぱり怖い。
でも、あの時のマーガレットの恐ろしい顔を思い出すと、あれは一体どういう事だなんて聞けない。
てんせいだとか、じかんそこうだとか、八歳の私にはよく理解できない。
別に詳しく知りたくもなかった。
勘違いというなら、勘違いのままでいい。
「私も悪かったです。もうしません。ごめんなさい」
「いやいや、謝る事はない。愛しているよメアリー。エリンの白薔薇」
「そうよ、メアリー。あなたは悪くないわ。母様もあなたを愛しているわ」
「はい、私も愛してます。お父さま、お母さま」
私はこぼれそうになる涙をこらえながら言った。
今回のことは、単なるマーガレットの誤解だ。
だがこんな怖い事になるなら、もうロマンス小説の真似をするなんてやめよう。
マーガレットのように勘違いする人間が出てくるかもしれない。
どこで誰が見ているかわからないのだ。
これからは心を入れ替えよう。
悪役令嬢に憧れるのもやめる。
穏やかに礼儀正しくしよう。
みんなに優しくしよう。
私はそう心に誓う。
もう泣かないために。
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