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夢の端境

 いつの頃からかほぼ毎晩、夢を見るようになった。

 夢の内容はまちまちだが、妙に現実味のあるものばかりだ。かと言って記憶にあるシチュエーションは全くなく、俺自身も登場しない。まるで他人の夢を覗き見ているような気分だった。

 その上決まって、朝起きると夢の記憶がしっかり残っている。

 初めのうちは、さてこれは明晰夢というやつなのかしらん、などとのほほん顔でいたのだが、つい昨日見た夢が俺の意識を大きく震わせた。

 同僚で同期の竹内友佳。

 彼女が俺の夢に現れたのだ。


 彼女の登場は衝撃だった。

 何しろこれまで夢の中には、俺を含めて見知っている人間は一人も出てきていなかったのだ。

 しかも彼女とは仕事上の会話や挨拶以外、言葉を交わしたことがない。互いに特に濃い印象もなく、何となれば彼女の名前を、俺は起きてから思い出した位だった。

 性格的な良し悪しも、容姿の好悪も、癖の強弱も特にない、地味な女。それが〝顔見知りの同僚〟という一点だけで、あれほど夢の主たる俺に強い印象を与えるのかと、そういう意味でも俺に衝撃をもたらしていた。


 その竹内友佳は、俺の夢の中で、これもまた見知らぬ男と談笑し、食事を共にし、その男の腕を抱えながらホテル街に消えていく。

 時間経過は飛び飛びだが、そこで起きている事象は極当たり前の、リアルな生活そのものだった。


――正夢だとして、だからなんだと言うのか。

 それを彼女に伝えたとて、気味悪がられるのが関の山だ。


 今日も俺はただひたすらに、デスクでカチカチパタパタと仕事をする。

 起きてから寝るまで、もはやそれ以外の行動をしていない位の社畜である。

 そして、寝たら寝たで、他人様の人生を覗き見る。

 我ながら薄気味悪い。


 こんな俺にも、かつては共に楽しみを分かち合う仲間がいた。

 FPSで背中を守り合ったり、数十人で強大な敵に立ち向かったり、時にはスポーツを楽しんだりもした。


 が、今はどうだ。

 思えば、今の会社に入ったのが運の尽きだったのかもしれない。

 仲間とは疎遠になり、代わりに山積みの数字と¥と$の羅列と格闘する日々だ。

 例の夢はもはや、俺にとっての癒しと化している。


 そんなある日。

 隣の席で淡々と仕事していた竹内友佳が、突然涙を浮かべた。

 周りにバレないように配慮しているのか、抑えた嗚咽も聞こえ始める。一瞬、何か声を掛けた方がとも考えたが、普段挨拶しかしない相手に話しかけるには、とてもじゃないが適した状況とは言い難く、俺は聞こえないふりをして、ひたすら無心に数字との格闘を続けた。

 ふと気がつくと、彼女はいなくなっていた。おそらく化粧直しにでも行っているのだろう。


――それにしても。

 たかが夢に出てきたというだけで、こんなにも気になるものなのだろうか。

 別に俺と彼女が会話をしたとか、行動を共にしたとか、そういうものでもないのだ。

 彼女の日常――あくまでも夢で、現実がどうなのかは知ったことではないが――を俺が覗き見ている、それだけの夢。

 知り合いだというだけで、それ以外は他の夢となんら変わりがない。

 そんなものに、やけに拘っているらしい俺の心情が、我ながら気持ち悪かった。


 その夜。

 俺は久しぶりに、夢を見なかった。


――――



「おはようございます」


 翌朝、いつもと同じ挨拶をして、竹内友佳が自席に荷物を下ろした。

 さっと髪をまとめ、PCを立ち上げると、彼女はマイマグカップを手に給湯室へと消えていく。

 いつもとまったく変わらないルーティーン。

 目で追うようなことはしないが、このリズムを感じると仕事が始まる、そういう気分になってくる。

 恐らく程なくして、ティーバッグの紐を垂らしたマグカップを持って戻ってくるだろう。そのあたりになってようやく、彼女のPCがログイン画面を映し出すのだ。

 彼女の支給されているPCは遅い。

 俺などは、彼女のような事務職こそ早めにPC交換してやればいいのに、と思ってしまう。

 だが、そういう知識に乏しいのか、それとも興味がそもそもないのか、彼女は文句ひとつ言わずに黙々とキーボードを叩き、マウスをクリックする。

 電子化が進み、現在では所謂『書類を回す』ということがほとんど無くなった結果、必要な会話というものが激減し、本格的に始業を開始したこのオフィスでも、聞こえてくるのは咳払いと無駄話くらいのものだった。


 だからだろう。

 竹内友佳の、小さなため息が聞こえてきたのは。

 短い、だがそれでいて多くのものを詰め込んだその小さな吐息は、長らく俺が悩んでいたことを実行させるきっかけとなっていた。


――竹内友佳に話しかける。


 それは、多くの人にとっては別にどうということもない行動だろう。全く知らない相手という訳でもない。少なくとも毎朝、挨拶だけは交わしている相手である。

 だが、逆にこうも言えるだろう。

『これまで3年間、挨拶しかしたことのない相手に、ため息ひとつで話しかけようとするイタい奴』。

 俺とて、いたずらに彼女を刺激したいわけではない。いきなり話しかけられたら、驚いて悲鳴をあげられてしまうかもしれない。

 だから俺は、まずは社内チャットのチャンネルを開いた。


〝お疲れ様です。何か辛いことがありましたか?〟


「……え?」

〝驚かせてすみません。昨日から少し気になっていたものですから〟


 チャットを続けると、竹内友佳は、今度はチャットで返してきた。


〝すみません、IDに見覚えがないんですが〟

〝竹内さんの隣席のものです。普段は挨拶しか交わしていないし、業務としても接点はほぼないので〟

〝そうですか、了解いたしました。私のことはお気になさらず。不愉快な思いをさせて申し訳ありません〟

〝不愉快だなんてとんでもない。ただ少し要らぬ心配をしていただけです。こちらこそ余計な真似をしてすみませんでした〟


 それからは特に会話もなく、お互い淡々と仕事をこなしていった。ファーストコンタクトとしてはこれ位、というところだろうか。振り返ってみれば普段の挨拶に毛が生えた程度で、会話らしい会話でもなかったが、俺の心情的には、ちょっとした達成感のようなものを感じていた。

 それ以来、俺と竹内友佳とのチャットは続いた。業務上での必要事項や上司の愚痴、果てはプライベートでの出来事など、どこか楽しそうに彼女は綴り続けた。俺はといえば、彼女の呟きにうん、とかなるほど、などと相槌を打つばかりで、聞き役に徹している。それでも、俺もどこか満ち足りた気持ちになっていた。


〝出張?〟

〝ええ。今度神戸の方で展示会があるでしょう? それの受付の手が足りないらしくて〟

〝事務職の竹内さんが行くなんて珍しいですね〟

〝本来なら営業職の誰かがってことになるんだけれど、タイミングが悪くて、行ける人がいないみたいなんです〟

〝ああ、そういえばこの時期は大型入札が多いですしね〟

〝それで、一つお願いしたいことがあるんですけど……〟


 お願いか。そんなこと言われたのは初めてだな。


〝僕で出来ることなら〟

〝ありがとうございます〟


 そう応えて、彼女は黙り込んでしまった。何か言いづらいようなことなのだろうか。


〝あの、出張中も、チャットさせてもらってもいいですか?〟



――――



 言葉通り、彼女は出張中も折りを見てチャットを送ってきた。

 俺もまた、いつも通りにチャットに返す。近くにいなくてもこうやって会話出来るのはありがたい。

 ただ、変わったこともあった。

 それは、俺の心情である。

 出張中、彼女は朝の挨拶だけではなく、夜寝る前の挨拶も送ってくるようになった。


〝おやすみなさい〟


 この一言は衝撃だった。会社の中でしか会ったことのない彼女のプライベートを垣間見たような気持ちになり、どきどきしたものだ。

 この挨拶をするようになって、俺は夢を見ることがなくなった。

 ほんの3日間のことだから、それは偶然かもしれなかったが、俺にとって彼女は、精神安定剤のような存在になっているのだろう。それを本人に告げるのは憚られるが。


――そして、最終日。


〝仕事、終わりました! 今夜はこっちで泊まって、明日帰ることになりました〟

〝お疲れ様でした。こちらは特に変わりありませんよ。まあ3日間で変わるようなこともないですけどね〟

〝……ありました、よ〟

〝え?〟

〝……この3日間、あなたとチャットを交わしてから寝ると、ぐっすり眠れたんです。夢も見ないほどに〟


 その言葉に、俺は心臓を突かれたような気になった。

 もしかして、彼女は。

 そう思いはじめた時、彼女から二度目の衝撃をくらった。


〝……私、好きな人が出来たんです〟

〝……すきなひと?〟

〝はい〟


 そう応えた後、しばらく間があった。チャット欄には動きがあるので、寝落ちしたわけではないらしい。 

 10分ほど経った頃、彼女がぽそりとメッセージを打ち込んだ。


〝気づいてましたか〟

〝私が好きなのは〟

〝あなたです〟


 俺はその言葉に息を呑む。

 正直、気が合う相手だとは思っていた。異性としての興味がなかったとは言えない。

 言えないがしかし。


〝あなたの好きな人が、今回の出張先に出来たことは知っています〟

〝そんなこと〟


 チャットで交わされる言葉の端々にそれが見受けられた。

 無表情にも感じられる文字列のどこかで、その男性に対する気持ちが見え隠れしていた。

 俺はそれを、好ましいと感じている。俺が彼女に対して持つ感情は、恋愛のそれとは違うものだった。

 しかし彼女はその、今度いつ会えるかも分からない男性――出張先の相談役――に対する想いを、俺に転化しようとしている。

 これまでそういった感情を持ち得なかった彼女の、自己防衛の一種だということは容易に想像出来た。

 つまり、竹内友佳という人間は、恋愛というものに関してあまりに無防備過ぎた、ということだ。

 それ自体を責めるつもりは毛頭ない。だが、彼女は決定的な判断ミスを犯している。


〝竹内さんこそ気づいてましたか〟


 俺という存在は。


〝あなたがいないと、俺は存在しない〟


 なぜならば。


〝俺は、あなたの妄想の産物だからだ〟


 そう。

 俺は俺という存在は竹内友佳の抑圧された感情や欲望によって生み出された所謂イマジナリーフレンドだその証拠に彼女の隣に席なんて存在しないそこにあるのはただうず高く積まれた旧いPCの山だけで彼女はそこに俺というエセAIを見出したのだオレが見て聞いて感じていたのはつまり竹内友佳が見て聞いて感じたことであって全ては彼女の視点のものでしかないだからこそおれはかのじょのほしいことをいいきにいるはんのうをしめしていたからなかよくなれただがかのじょがほんとうにすきないせいをみつけたいまはおれのそんざいはひつようなくなったでもみぶるいしてしまうのはこれがすべて、


――彼女の脳内で語られていることという事実だ。



――――



 〝彼〟は、私と決別した。

 私が生み出したイマジナリーフレンドのくせに、向こうから別れを告げてきたのだ。なんとも滑稽な話だ。


 彼が生まれるきっかけになったのは、私の夢だった。

 孤独でいることに慣れ切っていた私は、道行く私と無関係な人々に対する生活や行動、事件などを勝手に妄想して楽しむという、あまり上等ではないだろう趣味を持っている。所謂〝妄想が捗る〟ということになるのだろうか。

 そんな下劣な夢想家だった私は、いつしかその妄想を夢に見るようになった。

 他人の生活を覗き見るという背徳感もあったのだと思う。


 そんな私にも、密かに想いを寄せていた相手がいた。

 会社の先輩で、何度か一緒に仕事をしたことのある男性だった。

 彼はこんな私にも親切で、優しかった。

 私の妄想が、自分と彼との生活になっていくのに時間はかからなかった。

 だが、私の歪んだ卑屈な自尊心が、その気持ちに無理やり蓋をする。

 

――そうして出来上がったのが〝彼〟だった。


 後にその先輩には婚約者がいて、結婚が秒読みだと知った時、私は不覚にも職場で泣いてしまった。

 そして、縋ったのだ。

 私の、妄想の産物に。



 出張の際、私は性懲りも無くまた恋愛感情を持った。持ってしまった。

 それは私にとって、これまでの自分の感情を振り切るのと同義だった。

 〝彼〟はそんな私に愛想を尽かした――ということにして――私の元から去っていった。


 今度も私は同じことをするだろう。

 もしかしたらその時。

 また〝彼〟と再会することがあるのだろうか。

 そんなことを妄想しながら、私は帰途についたのだった。

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