転生 三回目
またも水中からのスタートだった。二度目なので、今度はそこまで驚かない。
周囲にはやはり兄弟姉妹の群れ。細長い体に、身体をビクンビクンと反転させながら泳ぐ独特の動き。どうやら今世はボウフラのようだ。
俺も同じように泳いでみる。やはりというか、違和感なく泳ぐことができるし、目が回るようなこともない。
ミジンコよりはマシかなとも思うが、ボウフラも色んな水生生物の餌になってるイメージしかないため、今世にも不安が付きまとう。二度も連続で捕食エンドだし、たぶん合計しても三日程度しか生きてないし、今回は少しぐらい長く生きたい。
いや、確かに人間に転生したいという気持ちはある。だけどよくよく考えれば、それは転生できるまで死にまくれってことで、でも死の恐怖と苦痛は慣れる気がしないし……でも、もう始まっちゃってるわけだし、足掻くしかないんだろうなぁ。
生まれてまずしたことが将来の悲観という幸先のいいスタートだったが、この場所はどこかの水溜りか何かなのか、生物の気配はほとんどない。でも食料にできる有機物は結構沈んでいるため、食事にはまったく困らない。
激しく反転しながら泳いで、お尻から空気を吸って、また水に潜って、食事をして、空気を吸う。
そんな、何の変化もない日常が長く長く続いた。体感ではミジンコの時と同じく、もう十年以上は経っているように感じる。実際はまだ数日しか経ってないと思うけど。
とても穏やかな日々だった。兄弟達と争うこともなく、食事の心配もなく、外敵の心配もない。何度か脱皮を繰り返し、やがて体に変化が起きた。
呼吸管が、お尻から頭へと移る。それに食事をしたいとも思わなくなった。どうやら蛹になったらしい。動くことは意外とできるが、あまり動くこともせず、ただただ水面に浮いてじっとその時を待つ。
やがて、その時が来た。体に力を入れ、古い皮を破り、蚊となって水中から空気中へと出ていく。水面へ慎重に足を付けると、表面張力のおかげで沈むことなく立っていられる。まるでアメンボになった気分だ。
出来たばかりの羽を動かし、空中へ飛び立つ。あまり飛ぶのは得意じゃないらしく、速度も出ないし結構体力も使う。それでも、自由に空を飛べるのはなかなかに楽しく、俺は外をふらふらと飛び回った。
しばらく遊んでいると、急に空腹を覚えた。好みの匂いを感じ取り、そちらにふらふらと飛んでいくと、きれいな花が見えた。花の名前は全く分からないが、とにかくいい匂いがするので、そこに止まり蜜を吸う。
満腹になったところで、再び飛び立つ。どうやら雄として生まれたおかげで、人の血は吸わなくて良いようだ。これなら殺される心配も少しは減るかもしれない。
少し風が吹くと、俺の体は簡単に飛ばされてしまう。そのため、基本的に草むらで風を避けつつ、花の蜜や草の汁を吸う生活を送っていた。時々、蜘蛛の巣に引っ掛かりかけたり、鳥が近くに飛んできてひやりとすることもあったが、概ね平和に暮らしていた。
体感的には、もう人間だった時以上に長く生きている気がする。でも成虫になってから数回しか暗くなっていないので、やっぱり数日程度しか経ってないんだろう。
そんなある日のことだった。その日はとんでもなく暑く、夏に活動している蚊といえども耐えきれないほどの暑さだった。
いつも以上にふらふらと飛び、どうにか暑さを凌げる場所を探していると、どこからか冷たい空気が流れてくるのを感じた。その流れを追って飛んでいくと、大きな建物があり、その窓の一つが小さく開いており、そこから冷たい空気が漏れていた。
何も考える間もなく、中に飛び込む。中は若干寒いくらいに冷えており、暑さで死にかけていた俺はホッと息をついた。
「あ、蚊!」
直後、そんな大声が聞こえ、俺は驚いて飛び上がった。比喩でなく、文字通り天井近くまで一気に飛び上がった。
「ああ、逃げた!誰、窓開けてたの!?」
「まだ誰も刺されてないんだろ?今のうちに蚊取り線香焚くよ」
ちょ、待て待て待て!俺、雄!刺さない!刺さないから!
そう心の中で叫ぶも、もちろん通じるはずがなく、そこの家の持ち主であるご家族のお父さんが、見慣れた液体タイプの蚊取り線香を用意するのが見えた。60日持つやつだ。
このままだと、確実に死ぬ。入ってきた窓から逃げ出そうと考えるも、恐らく娘さんが一足早くその窓を閉めてしまった。
「絶対逃がさない。蚊なんて絶滅すればいいのに」
何という暴言。でも俺も人間だった時はそんなこと思ってた気がする。てか最近人間だった記憶がちょっと薄れてる気がして少し怖い。
それはともかく、何とか逃げられないかと隅の方を飛んでみるが、部屋は閉め切られており、どこにも隙間がない。捕食されるのも嫌だけど、毒ガスで死ぬのも御免蒙りたい。
逃げ場を探して、見つからなくて、少しずつ頭がふらふらし始めた。平衡感覚が失われ始め、俺はくるくる回りながら床へと落ちる。
頭の中も視界もぐるぐる回り、もはや体を動かすこともできない。畜生、人間なら色んなものでこんな非道からは守られるのに、蚊である俺のことはジュネーヴ条約もワシントン条約も守ってくれない。まして、そもそもが冤罪なのに、問答無用でガス室送りなんてあんまりだ。
もはや目には何も映らず、感覚もどこか遠くなってきた。ああ、死にたくないなぁ……。
そういえば、最初の死の時は、そんなこと思う前に死んだっけ。転生後は毎回思ってるけど。人間の時は痛みはあったけど、こんな風に死にたくないと思いながら死ぬのは本当に辛いから、むしろ不幸中の幸いだったのかな。
そして、俺の体は完全に動かなくなり、呼吸も止まった。意識は闇に溶け、これまでで一番長い生に幕を下ろした。
蚊 みんなの嫌われ者。寝てる時に耳元で飛ぶことで、対象を蚊絶対殺すマンに変身させる。吸血するのは産卵に栄養が多く必要な雌だけで、雄は植物の密やら汁やらを吸って一生を終える。