16.
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「アデル、ごめん。遅くなった。」
がちゃりとジルベルトの自室の扉が開き、ジルベルトが入室してくる。入浴したばかりなのだろう。髪が若干湿っている。
よほど急いで来てくれたらしい。
「我が国とガダル国、双方調べたんだ。矢張り、モービル伯爵とやらは存在しなかった。ザッカートリーは迂闊な奴だったらしい。強欲さと軽率さを見込まれて、嵌められたんだろうな。」
ジルベルトはそう言うと、深いため息をついてベッドへと腰かけた。アデルの視線が物言いたげなのを察して、ジルベルトは意を決したように口を開く。
「あの仮面の間者なんだが、……秘密結社ハナシュの間者で間違いないだろう。」
「秘密結社、蛇?」
アデルは目を瞬かせて反芻した。ジルベルトちらりと視線をアデルへ向けると、頷いて肯定の意を示す。
「古代ラーミア語ですのね。……そういえば、わたくしも梟と呼ばれたのですが。」
「ああ、彼らは古代ラーミア語を操る。アデルが≪梟≫だと知っていたようだね。」
「……わたくしの耳に入るのは避けていらしたの?」
ジルベルトが知っているのだ。実家のコルベット伯爵が知らないことは無い筈だが。アデルは俯いて顎を触った。
実家でも今まで、ナハシュと言う単語がアデルの耳に入って来たことは無い。
「ナハシュは世界規模の組織なんだ。謎の多い組織だが、世の悪事には必ず後ろで糸を引いている、と言われるほど後ろ暗い組織なんだ。」
思案するアデルに何を思ったのか、ジルベルトは淡々と説明を続けた。
「今回、コルベット伯爵家……君の兄達だが。最近他国へ長期出張していただろう?ナハシュが我が国に手を出そうとしていることを突き止めてくれたんだ。」
「兄様達……そんなことは一言も言ってくださいませんでしたわ。」
「確証がなかったんだ。君の兄を恨まないでくれよ。……しかし、本当に姿を現すとはな。」
ジルベルトが言うには、ナハシュの間者は姿を滅多に表に出さない、と言う事だった。痕跡も残さない事から、足取りも掴めない。
捕えられずとも、今回姿を見られただけで収穫はあった、とのことだ。
「どこが収穫ですの。……わたくし、己の未熟さを恥じていましてよ。」
言葉尻小さくなりながら、アデルは両手をぎゅっと握りしめる。
「まぁ、ザッカートリーがあのようになってしまうとは、予想外だったよ。彼はご乱心だと言って送還したが、ガダル国が難癖つけるとも限らない。……まぁ、死なれるよりマシだったかな?まだ言い訳が立つからな。」
喧嘩っ早い連中だからな、と遠い目をするジルベルト。
武者修行の地であったからか、ジルベルトはガダル国との縁がある。その縁を伝って、事を収めてきたことは想像に難くなかった。
「……ジル様が事態を収めましたのね。素晴らしい手腕ですわ。」
アデルは心からの賛辞を贈る。ジルベルトはちらりとアデルを見てから、すぐに視線を逸らした。
「今回は、君の手腕も見事だった。第三王子妃としての仕事も、≪梟≫としても。その……感謝している。」
ジルベルトからの意外な謝辞に、アデルは目を見開く。何故なら、アデルは任務に失敗したという事しか頭に残らなかったからだ。
ナハシュの間者には逃げられ、ザッカートリーから情報を引き出すことも出来なかった。
これが任務失敗と言わず、なんなのだろう。
「気休めはむしろ、心に刺さりますわよ?」
「いや、気休めではないさ。……改めて、俺にはアデルが必要だと感じたよ。」
勿論気休めで言われたことでは無いとアデルにだって解っていた。ジルベルトの表情はいつだって真摯だ。
夜会の時だって、彼が守ってくれなかったら、と思うと……。己の弱さによる悔しさと同時に、ジルベルトの強さに憧れた。
「そう……言ってくださいますの?わたくしも、ジル様に助けて頂きましたわ。ありがとうございました。」
「ああ、勿論だ。……どうだろうか、君に相応しい男だと思ってくれただろうか。」
「ええ、そう思いますわ。」
自然と口を突いて出た言葉に、自分でも二度ほど瞬いてしまう。――そうか。
母ミーアがなるようになる、と力強く言ったのを思い出した。
「そうか、そうだよなまだ相応しくは……、え。何だって?」
ジルベルトが呆気に取られた表情でアデルの顔を見つめる。自覚してしまえばその感情はストンとアデルの中に納まり、鼓動が高鳴った。
(ああ、そうなのね。わたくしはジル様を――。)
ジルベルトの瞳をしっかりと見返してアデルは告げた。
「わたくしはジル様に……、ジル様のお言葉を借りるのならば男として魅力的だと思いますわ。」
いつからだろう、と言われればそれはあの時。初めて交わった視線と殺気。
惹かれてみれば、強くて、この上なく大切にしてくれる彼に心許すのは当然の事のように思えた。……押しの弱い所はご愛敬だ。
「えっ、それは。」
「抱いてくださいまし。」
「はぇっ、」
「もう一度言わなくては分かりませんか、抱いてくださいまし。」
えっ、それは、そういう、本当に?彫刻のようなその顔を赤くして、ジルベルトはしどろもどろに視線を彷徨わせている。
「ぷっ、」
堪え切れず、アデルは吹き出した。くすくすと肩を揺らして笑うアデルを見て、ジルベルトはきょとんとした表情から、次第に気まずそうな苦笑いに変わる。
「あー……、すまない。」
ジルベルトが額を掻きながら謝罪を口にした。
「俺の妄想が現実になったのかと思ってしまった。何度も君の口から言わせてしまって済まなかった。」
ぽりぽりと後頭部を掻く様も愛おしいのだから、愛とはしょうがないものだ。
「まぁ、可愛らしい妄想をしていらしたのね。変な意地など張らずに、わたくしに手を出してくださればよかったのに。」
「だって……君に嫌われたら俺は死んでしまう。」
そう言うと、徐にジルベルトが手を伸ばした。アデルの指にするりと絡めるとそのままベッドへ押し倒す。
その顔は情けないほどに歪んでいた。
「大袈裟ですわ、ジル様。嫌いになんてなりませんのに。」
「アデル……俺は本当に、君が好きなんだ。」
「まぁ、奇遇ですわジル様。わたくしもですの。」
「……っ!本当に?」
彫刻のような顔が、今度は溶けるように甘く笑う。アデルは早鐘のように打つ胸に、ジルベルトの手を持っていくと、そっと押し当てた。
「なっ!」
「……早鐘のようでございましょう?お慕いしておりますわ。」
顔を真っ赤にしたジルベルトが、「反則だ」と呟いてアデルの首元に顔を埋めた。
「ごめん、加減できるかわからないんだ。」
「あら、そうですの。わたくしは初めてなのですから、少し思い遣りが欲しい所ですが。……ジル様になら仕方ないですわね。」
「……そんな事、絶対俺以外に言うなよ?」
「ジル様にしかこんなこと言えませんわよ。」
先ほどの情けないジルベルトは何処へやら。アイスブルーの瞳が獰猛な肉食獣のように揺らめいた。
(まるで、虎に捕食されるみたい――。)
ジルベルトの顔が近付いてくる。二度目のキスは、長く、長く、深く。
溶けそうな程に熱い口付けだった。
第一章終結に伴って、毎日更新は一旦止めます。
第二章書き上がりましたら再度更新しますので、ゆる〜くお待ちください。
お付き合い頂き、ありがとうございました!




