15.
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アデル達はベラの蜘蛛を頼りに廊下を歩き、シガールームへ向かっていた。
「ベラの能力、すごいわね。わたくしにも虫が扱えるかしら?」
「ベラは虫と共に生きる少数民族の生き残りだ。簡単にできる事じゃない。」
アデルが何気なく言ったことに対してジルベルトが律儀に返答してくる。お互い軽口を叩いているようにも見えるが、その佇まいには隙が無かった。
シガールームまであと少しだろうか。その時、俄にベラが立ち止まると、驚愕に目を見開いた。
「……蜘蛛さんが死んだ。」
その言葉を聞くと同時に、一気に周囲の殺気が膨らんだ。瞬時に4人は方々へ飛ぶ。4人が居たところにはいくつものナイフが突き刺さっていた。このナイフは形が変わっており、初めて見るものだ。
「ヤンシュフの姫君……。」
(古代ラーミア語?梟の姫君?――わたくしが≪梟≫の手の者だと知っている?それにこの声……男……いえ、女?)
どちらともつかない不気味な声である。……変声機を使用しているのか。
とすれば、この間者も異国の者だということだ。
間者は中肉中背の男とも女ともわからない背格好だ。特徴は顔面を覆った白い蛇を象った不気味な仮面。
間者はナイフを構えると、迷わずアデルに向かって突進してきた。
「っ!」
ドレスを素早くめくり、太腿からダブルタガーを抜いた。動きにくい夜会用のドレスに身を包んでいる為、いつもより反応が遅れる。
しかも……。アデルは逡巡なく繰り出される攻撃を受け止めながら舌打ちした。
(かなりの手練れだわ、)
応援しようとしたベラが一瞬で伸されてしまった。アンナは自分が手を出すと寧ろ足手まといになることを察して、おさげを逆立てながら目をぎらつかせて隙を狙っている。
間者の隙を狙っているのだ。相手の力量を正確に測れるからこそだろう。
しかし次の瞬間、アンナの表情が困惑に歪められた。
「こいつ、人間の匂いも生き物の匂いもしない……。」
「人間も生き物の匂いも……しない?」
ちらりとアンナを見る。
「おじょーさま!あぶない!」
(しまった!)
一瞬アンナに気を取られたのがいけなかった。アデルのドレスの裾をナイフで縫い留められてしまった。
ぐい、とドレスに引っ張られる形で動きの止まったアデルの隙を見逃すほど、敵は優しくない。
(やられる!)
「この下衆がっ!俺のアデルに触るな!」
ナイフとアデルの間に白刃が差し込まれ、弾き飛ばした。ジルベルトが愛刀のサーベルを構えて殺気を顕わに間者に対峙する。
間者がナイフを構えると、今度はジルベルトに向かって飛んだ。ジルベルトはそれを受け止めてナイフを弾き、逆にそれを奪って間者へと投げつける。
その衝撃で、蛇仮面の端が割れた。間者はじりじりと後退する。ジルベルトの力量に、不利だと悟ったのだろう。ジルベルトの白刃を掻い潜り、一気に窓に向かって飛んだ。
縫い留められたドレスをびりびりと引き裂いて、ジルベルトと共に窓辺から外を覗う。すっかりと夜の闇に紛れ込んでしまっていた。
(……もう、物音一つ拾えないなんて。)
おかしい、どうして。まさかそのまま消えたと言うのか。不可能だ。
しかしそうとしか考えられない程、静寂に包まれていた。息遣いも、何もない。先程、アンナが困惑気味に叫んでいたことを思い出す。
『人間の匂いも、生き物の匂いもしない――』
生物ではないのか?
アデルはどっと額に汗をかいた。時間にしてほんの3分程の出来事だ。しかし。
……先程、死んだと思った。
あれは死の間合いだった。アデルは今更ながらに思う。ジルベルトの助太刀が無ければ、死んでいた。
己の力量に失望し、放心しながらジルベルトを見上げた。ジルベルトが険しい表情をしながらアデルの頬を両手で挟み、「大事ないか、」と問うてくる。
それに頷いて、アデルは「先程のは、」と言いかけて止めた。ジルベルトがそれを遮ったからだ。
「今、その話はよそう。帰ったら必ず説明する。」
ジルベルトは襲撃者に心当たりがあるようだ。アデルは呆気に取られながら、事態に対処しようと動くジルベルトの背を眺めていた。
――――――――――
その夜、入浴を済ませたアデルは夫婦の寝室へ向かった。アンナは間者に対して手も足も出なかった事態に酷く落ち込んでおり、元気がなかった。
敵の襲撃に伸されたベラだったが、大広間から駆け付けたルナに介抱されてすぐに目覚めた。
傷は軽傷で済んでいる。ただ、相棒の一人であった蜘蛛が殺されたことに、悲し気な表情をしていた。
アデルも自身の未熟さに落ち込んでいたが、ベラを抱きしめて、アンナに励ましの言葉をかけてバークシー公爵邸を後にしたのだ。
帰り際に邸内に現れたリリーとイアンは惨状に言葉を失った。すぐ駆けつけられなかった事に悔しそうに歯噛みして、謝罪された。
帰りの馬車の中は、シンと静まり返っていた。
ジルベルトは、ルートとして残り現場の指揮をしてから帰る、という事だ。
入浴後、アデルの私室で待機すると言って聞かないアンナをイアンに託して今に至る。
アデルはベッドの上で幼子の様に膝を抱えて座っている。つま先を見ながら思い出したのは、襲撃の後の顛末だ。
シガールームに倒れていたザッカートリー侯爵。殺されたのかと思ったが、生きていた。しかし、その様子がおかしかった。
『ぴっぴっ、ピヨピヨ~、ぽーっぽっぽ。』
虚ろな瞳で言葉にならない声を発していたザッカートリー侯爵の変わり果てた姿。何か薬のせいなのだろうか、それとも特殊な手法で脳を弄ったのか。
いずれにせよ、それはザッカートリーの姿をした何かへと変わり果てていた。
ある意味、死よりも惨い有様である。
結局、ザッカートリー侯爵と間者の関係、クリーフ国で何をしようとしていたのか。知ることは出来なかった。
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