追憶:アナトマ
そのことを知ったエリオルは父親にそれを取り下げるように訴えた。そんなことをしたところで立場で縛れても心までは自分に向くことが無いと。彼はマーマンの中でも珍しい、個人と集団とを切り離して考えることが出来る人物だった。
エリオルの父であるオル村の村長、ダラノオルは集団を第一に考える男だった。オル村はすべてのマーマンにとっての新たな始まりの地である。それゆえか、村長になるためには血統以外に何か特別な能力を持っていることが必要だという伝統があった。ダラノオルもまたそのようにして選ばれた村長であり、彼の場合は集団を統率するための考え方がソレだった。幼い頃から村の猟師と共に狩りという命を賭ける行いをしていた彼にとって、集団とは己や己の大切なものを守るための盾であった。
確かに幾ばくかの親心があったことは否定しないだろうが、それ以上に予言に関わるあのトマ村との婚姻こそが最適だと思ったことが主要因なのだ。説明しておくべきだろうな。そう思った彼は黙り込む父親の姿を奇妙に思ったエリオルを制して語り始めた。
「トマ村の村長の娘には予言があってな。なんでも、村長の孫は次女である彼女から産まれてくるとかそう言った話だ。まぁよくある法螺だと思ったんだがな。」
と一言前置きを置いた彼は続けて眉をひそめながらこう続けた。
「その占い師は見事によく物事を当てるらしいんだよ。この間大物が出ただろう?あの海蛇だ、お前の恋敵が討伐したというな。奴の出現をもその占い師は予言していたらしい。」
父の話の意味がわからなかったエリオルは困惑しながら彼の父へと問いかけようとするが、止められる。そしてより真剣な顔で彼の父はエリオルへと問いかけた。
「エリオル、トマ村とはどういう村か知っているか?」
「トマの村、その名前の通りに戦士の村だという認識ですが…。それが一体どういうことでしょうか、話の繋がりが見えてきません。」
その問いにますます困惑を強めるエリオルだったが続く父の言葉に顔を強ばらせた。
「王家の古き予言を知っているな?宝玉のアレだ。」
「それは…!いえ、まさかそれで…確かにいささか強引かと思いましたがそういうことでしたか。」
「あぁ、マーマンの王家は宝玉の守護者だった。そして、戦士でもあった。先代は常々言っていたよ。どのトマ村がそうなのか分からないってな。次から次へと新しく村が出来ていくから管理ができないとな。」
父の言葉に息を呑んだエリオルは今度は真剣な顔をして尋ねた。
「父上は王との繋がりが欲しかったのですね。それも固い、血の繋がりが。」
「転換の宝玉の予言は確実に当たる。もちろん、必要ではなかったようだがお前のためでもあった。ただしその可能性を捨てきれない以上はお前には何とかしてあの娘と結婚して欲しい。彼等の規模の村では守れないだろう、宝玉を付け狙う竜共からな。」
どこか使命感に突き動かされているかのような父の姿に、エリオルは思わず納得してしまった。しかし、このことを彼女に話さないでいるのは不義理だと、そう感じたエリオルは、彼の父へと問いかける。
「このことは他に誰が知っているのですか。」
「お前とお前の母くらいだろう。そもそも王家の伝承自体が我々と、他には同じ最果ての村々の長にしか残っていないだろうからな。」
「ではアナトマさんはこのことを知らないのですね?」
そう尋ねたエリオルに対して彼の父は頷き、一つ溜息をついてから言った。
「あの娘は予言についてすら、知らない様子だった。驚愕したものだよ、彼女の姉にどこまで知っているか聞いてみたところで予言とは何かと問い返されたのだ、全てを説明するのに随分と時間を取られてしまったよ。」
「では、彼女の姉君は全てご存知なのですね?」
「あれだけ説明したからな、きっと理解しているだろう。本人が感じる衝撃が薄くなるようにあの姉には説明をするように頼んでいる。今頃はその説明をしている最中かもな。」
そのことを聞いたエリオルはいてもたってもいられなくなって、急いでトマ村の者たちが滞在している屋敷へと泳ぎ去っていく。
後に残された村長は、その様子をただただ見つめるだけだった。
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「お姉様?話とは一体……?」
突然彼女の姉から話があると部屋へと呼びつけられたアナトマは、部屋の中にいた尋常ならざる表情の姉を見て困惑しながら問いかける。
「アナ、落ち着いて。そう、落ち着いて聞いてちょうだい…ええ、落ち着くのよ…」
幼少期に村長の一族としてふさわしくないとして辞めた愛称呼びが出てくるほどに混乱している姉の
様子に、アナトマは深い困惑に陥った。このように取り乱す姉を見たことがなかったからだ。
「お姉さま、まずは落ち着いてください。お姉さまがそれほどに取り乱すなんて、私、一体何のことだかわかりません…」
自分が取り乱していたことでアナトマが混乱していることに気づいた姉は、急いで姿勢を改めてそして更に二呼吸ほど間をおいてから語り始めた。
「そうね…そうだわ、でもね、だからこそ落ち着いて聞いてほしいの。いい?……あなたとエリオルさんとの婚約が進められているわ。」
頭が真っ白になっているような感じだった。のちにアナトマはケレトマにそう語った。とにかく、アナトマはその時に人生がけがされてしまったような感情を抱いた。しかし、一方ではこの知らせを伝えた姉に対する申し訳なさのようなものも抱いていた。それは今まで村長に寵愛されて育ってきたことによる心の余裕であるとか身分差による「恋は叶わない」という諦観が、大切な姉がどのような思いでこの知らせを伝えに来たのかという部分に想像を巡らせたからだった。
衝撃に耐えたアナトマが何か言わねばと口を開く。
「お姉さま、ありがとうございます。私、夢を見ておりました。まだお付き合いもしておりませんもの、ケレトマ様は諦めます。」
ああ、どうしてこうなったのか。そんな嘆きを見事に隠していうアナトマに対して姉は思わず顔をゆがめた。そして、恐らくはそれ以上の衝撃を与えるであろう予言を教えるべきかと躊躇した。
言わざるべきか、言うべきか。いや、後になって知るよりは今のほうがましではないか。
「…っ」
「お姉さま?」
ダメだ、言えない。妹はまだそこまでのことを割り切れるほどではない、今は身分差があるからとあきらめられているが、実際はそれ以外のことが主要因だと知れば耐えれなくなってしまう。村長たちの思惑もわかる、確実に生まれる予言の子の血筋は確かなものであったほうがいい。ケレトマも優秀ではあるけれどまだ実績が足りない、それではだめなのだろう。
でも、それを伝えてしまえば妹は歪むだろう。きっと自分の意思というものを持てなくなってしまう。それはダメだ。
そう思った姉がごまかそうとしたとき、『気づくと、姉は妹に全てを話していた。沈痛な面持ちで、正直にすべてを。恋の終わりに耐えた妹の精神が自分が思っているよりもはるかに成長していると、今言わないほうが悪影響になると思ったことが理由だった』
「噓……そんなの噓です…。なんなのですか、予言?そんな…噓…」
『狼狽する妹の姿に失策を悟った姉だったが、もう後には戻れない。慰めようと口を開くものの、うまく言葉が出てこない。』
その様子に真実性を感じ取ったアナトマは、何かをつぶやきながら外へと泳いで行った。
「ケレトマ様に会いたい…」
『なにとも言えない気持ちに。なにより大切な姉が、偉大な父親が頼れない現状に。幼いアナトマの心は自分が恋するケレトマのもとへと足を向けさせたのであった。
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門番に部屋を聞き、駆け付けたエリオルが見たのは悔恨に苛まれる姉ともぬけの殻になったアナトマの部屋だった。
過去話は次で終わりです