誓い
いきなりフラれてしまったが、魔王としての俺が人間にとって良い存在でないのだから当然の答えと言えば、当然なのかも知れん。
だからといって、簡単にこの女を諦めるのは勿体ない。
無抵抗であり、攻撃される様子もないため顎に宛がうナイフは退け、俺の手からも離して地面に落ちるナイフ。
代わりにその空いた手で、女の顎に指を添える。
やはりこれも抵抗はされなかったが、若干眉間に皺が寄り始めた。
「嫌われているのは致し方無い事だ。だが、俺はお前が欲しい。名を教えてくれ」
「……怪しい奴に名前を教えては駄目と、教わった。だから教えたくない」
「……」
ふむ。魔王の俺相手に、なかなか根性のある女だな。
表情を動かすのが苦手なのか、眉間に皺が寄りむっとた顔にはなってはいるが、それでもほぼ無表情に近い。……可愛いがな。
「お前だの、人間の女だの、そう言われるよりは良いだろう?」
「……」
告げるが何も答えてはくれない。
女は顎に添えた俺の手を払い退け、視線も逸らす。
だが逸らされた視線の先には、俺の胸元──まだ包帯が巻かれた状態の、上半身全裸にじっと目が向けられた。
なるほど、この女は俺の身体が気になるか。
見たところ歳は二十歳を過ぎたばかりといった感じだろうか、年相応に求めたいものがあるようだ。
自然と俺の口元は緩む。
「なんだ? 俺の肉体美に惚れたか? であれば、好きなだけ触っても──」
「違う」
……違ったようだ。
これでも、かなり俺は身体を鍛えていた。
自分で言うのもなんだが、細身であるも鍛えられた筋肉は実用性もさることながら、見た目も良いと自負している。
女の目が、身体のあちこちに向けられた。
俺の腕や脇腹、腹筋の辺りと視線が動いているが……やはりこの肉体美に見とれているのではないのか?
と、そこで女の声が出る。
ついでに邪魔とばかり腰に回した俺の腕も、引き剥がされてしまった。
「傷……消えてるのがある」
「ん? これか」
何を言うかと思えば、そんな事か。
自然と笑みが溢れる。
「俺ほどの者になれば、このくらい普通だ。治癒魔法を使った訳でもないぞ? 勝手に治る」
俺は自身の身体に出来た傷口を撫でる。
小さな傷であれば、もう痕すら残っていない。
手当てしてくれたのはこの女ではあるが、しかし、何ヵ所もあった傷の場所を覚えていたとは関心だ。
何度か瞬きしながらも、いまだ女の視線が俺の身体に向けられるを見つつ、そんなに不思議だろうかと首を傾げ問う。
「急速に治っては気持ち悪いか?」
「別に。そんなに便利な身体なら、助けなくても良かったかな……て、思っただけ。魔王って言うのが本当なら、余計に」
その言葉に一瞬ポカンと間抜けにも口を開けてしまったが、すぐに口元を手で覆いくくっと笑う。
「なかなか面白い事を言うな。俺も余計に、お前を気に入った」
睨む視線が寄越されるも、微笑んで返す。
すると、ふと思い出したかのように、女は口を開く。
「街では朝から噂されてるの。勇者様が、瀕死の魔王を逃がしてしまったって。それがあなたなの?」
「もうそんな噂が出ているのか……人間の噂好きは相変わらずだな。まぁ確かに、事実だが」
「本物……なんだ」
俺が魔王であると、半信半疑だったようだな。
まぁそう簡単に信じるものでもないのか。だが傷の治り具合と、今の俺の言葉で少しは信じたようだ。
女の顔が少し青ざめ、一歩後ろに下がった。
そしてそのまま、俺が出てきた部屋とは別の扉へ向かって身体を向ける。
けど女がその扉に近付くよりも前に、俺は移動し扉の前に立つ。
「……っ!?」
一瞬の移動に驚いたようで、女の肩はびくりと跳ね目を見開き、踏み出し掛けた脚の動きも止まる。
「どこへ行こうとした? まさか俺がここに居ることを、街の人間に知らせる気か?」
「……」
どうやら図星のようだな。
女は無表情に近い顔で、だが目だけはすごい睨んできている。しかしそれでも、なんだ……一目惚れ効果かは知らんが、可愛いぞ。
と、それよりも。
俺という存在──魔王がここに居ると知られるのは、さして問題はない。
体力は回復した。魔力はまだ半分程度しか回復はしてないが、再び転移魔法で逃げることは容易。
俺が生きていると知られれば、また勇者とその一行パーティメンバーが襲いに来るくらいだろう。
問題があるとすればこの女だ。
知らずとはいえ、俺を助け手当てまでした。
人間側にとっての敵を助けたとなれば、良くて牢獄行きか悪くて死罪か。
惚れてしまった身としては、それは避けてやりたい。
まぁ今すぐ俺が他所へ行けば、その問題も解決だがな。
それにこの女ごと俺の住みかに連れ帰り、愛でたい──が、一方的に愛でるのはつまらん。
今までも人間の女を連れ帰り愛でた事はあったが、あれはあくまでも奴隷としてだ。大体の者は最後、死んだような目をしていた。
この美しき瞳に、そのような死んだ目をさせたくはない。
しかし、俺は正しい愛し方など知らない。それでも可能なら、この女からも同じように愛を向けてもらいたいものだ。
そうなるにはどうすれば良い?
「ふむ……俺はどうすれば良いんだ?」
心中で思った事がつい、口にも出てしまった。
「もう、悪い事をしなければ良い」
「なに!?」
「二度と誰も傷付けないと言うのなら、あなたがここに居るの……黙ってもも、良い」
心でも読まれたかと驚いたが、そうではないようだ。
俺という存在が、他の人間に知られるのを焦ったと勘違いしたようで、この女なりに提案をしてくれた。
誰も傷付けなければとは……魔王相手に良くそんな事を言える。
が、そう言えば先程〝悪さをする魔王は嫌い〟と言って、あっさりフラれたな。
であれば、もう悪い事をしなければ俺を好いてくれるのか? そうなるのか?
そんな簡単な事で良いのか?
「なるほど。よし、わかった。お前に誓い、俺はもう二度と人間に危害は与えないと約束しよう」
「私に誓われても……困る。でも、本当に?」
「ああ。だから俺の女になってくれ」
「断る」
「…………むぅ、即答。そう簡単ではなかったか」
俺は腕を組み、虚空を見上げる。
恋には障害が付き物とは聞いた事があるも、人間の女を落とすにはなかなかに難しそうだ。
時間を掛けて、俺のものにすれば良いか。
「もう一度聞くが、やはり名は知りたい。教えてくれ」
「……」
「そう睨むな……可愛いだけだぞ?」
「……」
視線を逸らされてしまった。
これは照れたな、確実に。
「男に二言は無い。人間にもう危害は与えん」
「魔王も辞める?」
「なに!? え……それもか!? むむ、しかしそうなると次代魔王決めを……」
「辞めないの?」
「ああ、わかった辞める! だからそう睨むな! 襲うぞ!?」
調子が狂う。
部下からも恐れられていた俺が、人間相手──それも弱き女にこんな慌てるところを見られたら、部下に卒倒されそうだ。
今後の事はゆくゆく考える事にしよう。
ふと女が、クスッと小さく笑う。
口元に手を当て笑うその仕草に、俺の心臓がどきりと揺れる。可愛い、本当に襲ってしまおうか。
黒と金の瞳が俺を見据え、囁くように呟く。
「リア・メルガン。それが私の名前」
「リアか、良い名だ」
漸く名を知れた事に嬉しく、頬が緩む。
俺はリアに近付き真っ直ぐ見つめ、そっと掌を取って指先に口付ける。
「改めて言おう、リア。俺の女に──」
「断る」
……やはり駄目だったか。
名を教えてくれたから、少しは心を開いてくれたのかと勘違いしたではないか。
まぁこれからゆっくり、俺の下に落としてやるさ。