感覚の慣らし① ― 深淵の胎動と、最初のフィールド
ログインと同時に――
視界が一気に広がった。
「……ここが、AFOの世界か」
足元に柔らかい草の感触。
風が頬を撫で、陽光の暖かさが背中に落ちる。
遠くから、鳥の鳴き声や川のせせらぎも聞こえる。
五感の再現度は、現実と見分けがつかないレベル。
いや、それ以上に“快適すぎる”とさえ思う。
【感覚の慣らしエリア:ルーン草原】
ログイン直後のプレイヤーが最初に訪れる、訓練用のソロエリアだ。
正式フィールドとは違い、ここでは死んでもペナルティはない。
「歩行、っと」
一歩踏み出す。
視覚と筋肉感覚のズレは一切なし。
これはかなり──動きやすい。
並のプレイヤーなら、最初は酔いや違和感でぎこちなくなるはずだが、
俺の身体は、違和感なく世界の“ルール”を掴んでいる。
(制御型ヒューマンの補助機能が働いているのか?)
と考えた矢先、
――“音”が聞こえた。
正確には、周囲の動き・空気・敵感知・光の揺れが
すべて“旋律”として耳に届くような感覚。
《解析派生》の影響だろう。
視界の端に、敵の内部パラメータらしき薄い計算式が流れて見える。
「……なるほど、こういう視え方か」
俺は周囲に意識を向けた。
草原の向こう、ゆっくり徘徊するスライム型モンスター。
体色は淡い青で、レベルは1。
初心者用の弱敵。
普通なら、支援職のエンチャンターがソロで挑む相手ではない。
初手で戦うより、まず味方と合流してからが定石。
――だが。
「慣らしにはちょうどいいな」
ゆっくりと歩み寄ると、スライムがこちらに向き直る。
【“ルーンスライム”が敵意を示しました】
次の瞬間、
スライムの内部パラメータの“揺らぎ”が音として耳に届く。
ピン、と弦が弾けるような軽い反応。
これは――“行動待機”。
まだ攻撃してこない。
(なら、こっちが先に始める)
俺は手をかざす。
詠唱の必要はない。
《深奏》は意識で指定すれば発動する。
「――深奏」
胸の奥がひとつ鳴り、
空間に青黒い波紋が走る。
スライムの周囲に“演算の譜面”が現れる。
数値の流れが高音で少し上昇──攻撃準備。
なら――
「下降しろ」
旋律を指先で少しだけ押し下げるイメージをすると、
音階が反転し、“攻撃力”の内部傾向が一気に下がった。
【ルーンスライム 攻撃係数 ―42%】
「……これで半分以下か」
あとは、トドメを刺すだけ。
支援職のエンチャンターには“打撃スキル”はほとんどないが、
《解析》派生の基礎魔法、《データショック》だけは別だ。
「データショック」
視界に浮かぶ構造式へ指で触れると、
スライムの内部演算を一瞬だけ“停止”させる雷撃が走る。
【Critical ×3】
【ルーンスライムを討伐しました】
スライムは弾けて消えた。
「……一撃?」
演算停止による致命判定が入ったらしい。
弱い敵とはいえ、支援職のソロで瞬殺は異例だ。
そのとき、背後から声がした。
「ちょ、ちょっとアンタ今の……なに?」
振り返ると、同じくチュートリアル中らしい女性プレイヤーが立ち尽くしていた。
名札には《ミリア Lv1──プリースト》と表示されている。
「支援職でスライム瞬殺とか聞いたことないんだけど……
普通、こういうのは盾職か前衛がやるもので……」
俺は黙ったまま軽く会釈した。
別に隠す必要はないが、説明する義務もない。
すると彼女は、少し遠慮がちにもう一度問う。
「あの……攻撃職なの? それとも……特殊ビルド?」
「エンチャンター」
「えっ? 支援職なのに……今の?
エンチャンターって最弱職って言われてるやつだよね?」
(やっぱり、そういう評価なんだな)
スライムの残骸が消えると同時に、
草原の奥から別のプレイヤー達がこちらを見ているのに気づいた。
さっきの一撃を見られていたらしい。
「ねえあれ見た? 支援職でワンパン?」
「いやいや仕様かバグか? そもそもそんな火力出ないよな?」
「ディスペルとかバフ管理職じゃないっけ?」
「チート? RMT? 運営の関係者?」
ざわつきが広がる。
(あー、こうなるのか)
俺は、現実世界と似た視線にため息が出そうになる。
注目されるのは面倒だ。
――と、そのとき。
【システム通知】
《プレイヤー:深淵シンエンの戦闘データが
通常統計と一致しない値を確認。
解析ログ送信を要求します》
(最初の警告、早いな)
周囲のプレイヤーがヒソヒソ話す中、
ミリアという少女だけが不安げに見上げてきた。
「ね、ねぇ……
もしかして運営に怒られるようなことしてるとか、じゃないよね?」
「してない。仕様の範囲」
それだけ答えると、ミリアは小さく息を吐き――
次の瞬間、思いも寄らない言葉をぶつけてきた。
「なら……よかった。
だって、すごくカッコよかったから」
一瞬、動きが止まった。
現実では――
容姿を褒められることはあっても、
“戦い”を褒められたことはなかった。
言葉を返せずにいると、
ミリアはバタバタと手を振った。
「あっその! 褒めたつもりで!
迷惑じゃなかったら……また、戦い方見せてもらいたくて……!」
そこへ、遠くから大声が飛んだ。
「おーいミリアァ!! そっち先行きすぎ! 戻れって!」
彼女のパーティの仲間が呼んでいる。
「わ、わっ! い、今行く! ……またどこかで!」
駆けていく背中を見送りながら、
胸の奥で、ほんの小さな何かが揺れた。
現実では“孤高の神”。
崇拝と恐怖と距離の象徴。
だが――ここでは違う。
ただ純粋に、“強かった”と言われた。
「……悪くない」
視界の端に新たなチュートリアルが出る。
【次の目標:モンスター5体を討伐せよ】
グループが戻っていった草原の奥には、複数の敵反応があり――
内部演算の音が、確かに聴こえる。
まだ慣れていないが、
この“音”は俺の戦闘における最大の武器だ。
「続けるか」
歩き出す。
――俺一人の演奏が、草原へ深い波紋を落としていく。
その波紋がどれほど大きな渦となり、
のちに運営を泣かせる嵐へと成長するのか――
この時の俺は、まだ知らなかった。




