春の香り
うららかな春の香りというものが、どうにも私は苦手だった。仄かに甘く鼻腔の奥底に残るあのニオイが、どうにも堪らないのだ。
花の香りではない。私がそれを見てしまったのは、桜の蕾がまだ固い三月の中頃だった。
卒業式を終えた翌日。若輩ながらも人生の節目をまた一つ越えてしまったことに、感慨でも抱いていたのだろう。私は自宅の軒下から澄んだ青空を見上げていた。視界を埋め尽くすその色は、修学旅行で訪れた沖縄の海とよく似ている。だからだろうか、こうして無心で眺めていると、どうにも落ちてしまうのではないかと胸がざわつく。しかしそよ風が運ぶ香りは潮の匂いではなく、新たに芽吹いた草の香り。ほろ苦く、それでいて清涼な香りだ。
家の奥からは当時飼っていたハムスターが回し車を走る、カラカラという音が聞こえてくる。その音に、掛け時計の鐘が重なった。空気に余韻を残す鐘の音が、ひとつ、ふたつ……。
「2時かぁ」
鐘の余韻に代わり、今度は私の呟きが回し車の音に乗った。
予定はない。共働きの両親は仕事に出ている。
しばらく空を眺めたのち、私は何となしに出かけることにした。思い立ってから玄関の鍵を回すまで、3分とかからなかった。
乗り馴れた自転車を引っ張り出し、サドルに尻をおろすと心地のいい冷たさを感じた。しかしすぐに体温に溶けて消える。
自転車を漕ぎながら受ける風は、まだ冷たい。指の先から、冷気がじわじわと染み込んでくる。私は自転車の速度をゆるめた。どうせ、行く宛もない散歩なのだ。
自宅を出て突き当たりを右へ行くと、左右を田んぼに挟まれた道に出る。中央線も引かれていない、狭い道だ。両脇の田んぼには水が無く、土が剥き出しになっている。だが、あと少しすれば水を敷かれて緑色の細い線が並ぶはずだ。この狭い道も、トラクターのせいで泥だらけになってしまう。毎年のことだ。
「どこへ行こうか」
自転車を走らせながら、あえて呟いてみる。その拍子に冷気が口の中に滑り込んだ。
このままでは、通学路をなぞっているだけで面白みがない。私は田んぼ道の途中にある十字路を左へ曲がることにした。減速するためにブレーキを握ると、悲鳴のように耳障りな音が鼓膜に刺さった。十字路を左に曲がった先には、小さな山の麓がある。
細い山道の手前には、ぽつねんと自動販売機が置かれている。すぐ傍に立っている錆びだらけの看板と同じくらい年季がはいった自動販売機だ。財布から出した小銭で、あたたかいミルクティーを買った。ガゴンと小ぶりなペットボトルを吐き出す大きな音のあと、自動販売機の胃袋に小銭が落ちるチャリチャリとした音。
思った以上に指先が冷えていたのか、プラスチック越しに伝わるミルクティーの温度は熱いくらいだ。でもすぐに冷めてしまうよりも、ずっといい。
自動販売機の前を陣取ったままミルクティーを口にする。やさしい甘さが口に広がり、鼻を抜ける。何となく見上げた空には、いつの間にか大きな雲が浮かんでいた。海に浮かぶ舟のようだ。
さて、どうしようかな等と考えながら、ミルクティーをもう一口。この先の細い山道を自転車で登るのは酷だ。しかし山道を少し進めば、たしか寂れた公園があったはずだ。ミルクティーをまた一口。私は自転車をここに置き、歩いて山道を登ることに決めた。ペットボトルの蓋を閉める際、ちゃぷりとミルクティーが鳴いた。
山道を歩いて10分を少し過ぎた頃、公園に到着した。昔に一度訪れたきりだったが、記憶にある姿とそう変わりがない。誰も遊びに来ないのだろう。ブランコの上には朽ちた葉っぱや泥が乗り、砂場も固くなっている。公園の中央に盛られた小高い土の山には誰が捨てたのか、ひしゃげた空き缶と腐った雑誌の死骸がある。この死んでしまったように静かな空気が恐ろしく、今まで来なかったのだ。この日、足を運んだのも単なる暇潰し。些細な冒険心からだ。
ミルクティーで口を潤し、その優しいあたたかさが残っているうちに帰ろう。ペットボトルを傾ける私の頭上で、ざさぁざさぁと山の木々が囁いていている。その風に乗って、甘いニオイが私の鼻をくぐった。何のニオイだろうか。私は、わきだした生唾をミルクティーで誤魔化した。
どうにもイヤな雰囲気だ。しかし、だからと言って踵を返して帰るというのも味気がない。逃げるようじゃないか。卒業式を終えたばかりの私は、生意気にもそんな風に考えてしまった。
「公園を一周して帰ろう」
敢えて声に出した。狭い公園だ、さして時間はかからない。
だが、どうしてだろうか……。一歩進むたび、甘いニオイが濃くなってゆく気がしてならない。風に吹かれて木々がざわめく。枯れた小枝を踏んだ音すらも恐ろしい。しかし後悔したところで、振り返って戻るのも気がひけた。正直なところ、私の後ろに何かいるのではないかと心の隅で考えていたのだ。
自分を鼓舞しながら公園を半周した時、ひときわニオイが濃密になった。あたたかいミルクティーの蓋を開けた時のように立ち上ったニオイが鼻をくすぐる。
そこにあったのは、一本の大木だった。出入口からは土の山を挟んでいるために見えなかった大木だ。艶のある葉が風に揺られて鳴いている。木の下には枯れた葉が積もり、足で踏み潰すとパリパリという音が響いた。まるでポテトチップスを踏んでいるかのような感触に、薄気味悪さを感じてしまう。
「……」
声を出すことすら躊躇われた。だが急に走り出すのも恐ろしい。結局、私は勝手につくりあげた幻想に怯えながらも、同じ速度で前へ進むしかなかった。
大木を過ぎ再び出入口が見えた時、私はある事に気がついた。甘いニオイが……薄くなっている。それに合わせるように恐怖心も薄れていた。
幽霊の正体見たり枯れ尾花というものだろうか。雰囲気に飲まれてしまっていただけで、恐怖するようなものなど無かったではないか。
一周を終えて出入口まで戻った時、私は急に恥ずかしくなった。誰に見られているわけでもないのに、照れを隠すようにミルクティーを飲み干した。生ぬるくなった液体が喉を滑り、鼻から甘く優しい香りが抜けてゆく。それに上書きされてしまったのか、公園を出るとあの甘いニオイは完全に感じなくなっていた。
足取りは軽い。帰りの山道は下り坂だし、見上げれば突き抜けるような青空を大きな雲が泳いでいるのだ。心地のいい風が澄んだ空気を運んでくれる。
とても充実感のある散歩になった。公園での勘違いも、ほどよいスパイスだった。
そして自動販売機のところまで戻ると、甘いニオイが鼻腔に触れた。勘違いではない。
自動販売機と私の自転車との間に、妙なものがある。甘いニオイは間違いなく、それから臭っている。
それは陸にあげられた深海魚のような姿をしていた。青白いような、それでいて赤みがかった不思議な色合い。水気で膨らんだ肌。
それが『気をつけ』の姿勢で倒れた人間の死体なのだと、理解するまでに数秒ほどの時を要した。
「――っ」
本当に驚いた時、悲鳴なんてあげる事はできない。胸からせり上がった空気は喉の奥で止まり、声すら出すことができないからだ。思考回路がパンクし、音すらも聞こえなくなる。
ただ一つ、私が感じたのは甘いニオイ。鼻腔の奥底にこびりつくニオイだけだった。
意味がわからない――混乱する頭にまず浮かんだのは、そんな言葉だった。自動販売機の場所から離れていた時間なんて、せいぜい30分ほどだ。仮に殺人を犯した人間が置いて行ったにせよ、こんな目立つ場所を選ぶだろうか。私の自転車だってあるのに。いや、そもそも……これは本当に死体なのだろうか。等身大の人形が不法投棄されただけではないのか。
パニックに陥っていた私は、自分でも分からぬままに傍らに落ちていた小枝を拾い上げていた。
痛いくらいに鼓動が鳴っているせいか、小枝を持つ手が震える。その小枝の先端が、甘いニオイを漂わせる物体に触れ……ぐじゅり、と刺さってしまった。その穴から黒い液体がこぼれ、より一層ニオイが濃くなる。
うまい例えが浮かばないが、張りのある大福につまようじを刺した感触を想像してもらえばいいだろうか。僅かな抵抗の後、スルスルと先端が埋まっていくような感触だった。
そこからの事はよく憶えていない。気がつけば家の布団にくるまり、気がつけば翌日の朝になっていた。目が覚めてまず最初に思ったのは、あれは現実だったのかという事だ。恐る恐る自分の部屋から出てキッチンへ向かうと、朝食を用意する母がいた。噂好きの母だ。近所に死体があったとなれば聞かずとも話しだすだろうに、いつもと変わらない。
まだ見つかっていないのか。それとも感触がリアルだっただけで人形だったのか。はたまた、私の勘違いなのか……。
自ら訊ねる勇気も、再び現場に戻って確かめる勇敢さも、私には無かった。
釈然としない感情を抱えたまま、1日、また1日、と時間が過ぎてゆく。一週間も経った頃には、さすがに誰も見つけないのは変ではないか、騒ぎがないなら死体ではなかったのだ、と考えるようになっていた。
この文章を書いている今になっても、真相はわかっていない。しかしあの甘いニオイだけは、今も鼻の奥にこびりついている。鮮明に思い出せる。
この記憶のせいで、どうにも私は春の香りというものが苦手だ。
オチのない話で申し訳ない。
最後に、どうしてこんな文章を書こうと思い立ったのかを説明して締めようと思う。
また、あの甘いニオイがしたからだ。決して勘違いではない。
アレは首を吊った死体だと思う。それが腐敗して甘いニオイを発するんだ。だから公園で臭ったんだよ。知りたくなかった。本当に知りたくなんてなかった。今だってニオイがする。呼吸するたびに甘いニオイがする。
なんでいまになって
誰か、これを読んだ人のところに行ってくれないかなぁ……