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銀獅子と乙女  作者: 悠月
9/16

乙女と茶会

なんと底意地の悪い茶会だろう。

ササナ・ホープは喉の奥から苦いものがこみ上げてくるのを懸命に無視して笑顔を続けようと試みたが、失敗しているのは分かっている。

茶会の主人であるエメルダ・モルトが氷のように冷たい視線を寄越したのだ。

ビオラ・シセルダが病に倒れたと噂され一切公の場に姿を現さなくなった後、貴族の令嬢のトップに躍り出たのがエメルダだ。

こげ茶色の地味な髪を嫌っているエメルダは、美しい髪色の女を側に呼びたがらない。

エメルダに認められようと美しい髪をわざと染める令嬢もいるほどだ。

かくいうササナも重たい黒髪を良しとされ、茶会に招待されたのだ。

こげ茶、黒髪の集団の中ではサンディアの見事な赤髪はひどく目を引いた。

遠目にも彼女が的だと分かるほどに。


これはサンディアを嘲笑うための茶会だ。

サンディア以外は皆、承知で集まっている。


白磁のティーセット。

どこにでもある様に見えて、カップに仕掛けがある。

施されているのはイールという架空の花だ。

幾重にも重なった白く丸い花びらを持つ花として表されることが多いが、サンディアのカップに描かれた無数の花のうち一輪だけ淡くピンクの色がついている。

カップの裏に描かれたその花はサンディアの目には触れぬ代わりに、彼女がカップを傾ける度に他のものにはよく見えた。

イールの元はおとぎ話だ。

人のふりをした魔物が近づけば、イールは花びらの色を変え教えたと言う。

仲間ではないものをあぶりだす花。

総じて仲間内から追い出したいものがいるときに用意されるカップでもある。

他国育ちのサンディアが知ることは無い。

ササナとて、そのカップの存在を知っていたが実際に目にしたのは初めてだ。


暖かな日よりに反して、なんと冷たい席だろう。

エメルダに睨まれては、やっと城に入ることを許されるような下級貴族の娘は生きていけない。

机の下で組んだササナの手の平は自分のものとは思えぬほど冷たかった。

視線を感じて顔をあげれば、エメルダの視線が突き刺さる。

黙ってただ笑っているだけでは許されない。

サンディアを嗤うための情報提供ができねば、

明日にはホープ家は取り潰されるかもしれない。

ササナにはまだ幼い弟がいる。あの子が成人するまでは何とかササナが家を支えなければいけないのだ。

緊張のあまり、ササナの喉がきゅうと鳴った。

一瞬の沈黙の後、笑い声が起こる。


「こういった場所は初めてでしょう。緊張なさっているのね。おかわりをどうぞ」


エメルダの言葉に従い、さほど減っていないカップに侍女が茶をそそいでいく。

ササナは小さくなって礼を言う。

侍女に礼は不要だ。

侍女の扱いに慣れていないササナにまた小さな笑い声が起こった。


恥ずかしい。

悔しい。

エメルダの自尊心を満たすためだけに選ばれた自分。


逃げ出したい。

消えてしまいたい。

厭うてはいない色をエメルダが己より下としてササナを呼んだ。


否と言いたい。

貴方の引き立て役ではありませんと。


爪あとがつくほどきつく手を組んだ。

いつもはひっかき傷も作れぬほど短く整えた爪。今日に備えて伸ばし、磨き色をつけた。

こんな爪は農作業には不要だ。

民に混じり収穫を喜ぶホープの娘には不要だ。

エメルダに媚びて収穫の喜びを捨て去って何を得ると言うのだろう。

誰かを踏みにじって何を得ようとしているのだろう。


そろりとむけた視線の先で、サンディアは微笑んだ。

ササナを嘲笑うためではない美しい笑みだった。

娘たちの醜悪な意図など全く気が付いていないようなその表情にしばし見とれ、ササナはため息をついた。


「素敵なカップですね」


「そうでしょう。エメルダ様が特別に用意してくださったのですよ」


サンディアの言葉にすかさず一人が同意すれば、こらえきれずに誰かが噴き出した。

他のものがごまかすように咳ばらいをしたが、嫌な空気があたりを支配する。

ササナの背をひんやりとした汗が伝った。


逃げ出したい。

サンディアの顔に軽蔑が浮かぶ前に。

伝えたい。

貴女のことを貶めたくはないのだと。


「あのっ」


声を出した拍子に、勢い余ってカップを倒してしまった。

お茶が溢れ白いクロスを汚していく。

ササナのドレスを濡らす前に白いハンカチが差し出され、それも瞬く間にお茶の色で染まっていく。

ハンカチの主はサンディアだ。


「も、申し訳ありません」


「お体にかかってなければよいのだけれど」


「ええ、大丈夫です」


サンディアの言葉に頭を下げていると、冷たい声がササナを突き刺した。


「ササナ様は少々、そそっかしいのですね」


無作法なササナを睨みつけた後、エメルダは侍女に指示を出す。

見るも無残にササナのドレスが汚れてしまえばよかったと思っているに違いない。

そうすればササナをすぐさまこの場から追い出すことが出来たのだから。

エメルダの機嫌の悪さを敏感に感じ取った一人が提案する。


「お庭に出てはどうでしょう」


「まぁ、それがよいのではなくて。モルト家のお庭はすばらしいと聞き及んでいますもの」


幾人もが賛同すれば、エメルダも気を良くして席を立つ。


「お庭でお茶をいただくのも素敵ですわ」


「ヒューロムでは床にお座りになるのでしょう」


ふいに誰かがサンディアに尋ねた。


「ええ」


サンディアの答えにまた誰かが笑った。

ヒューロムでは食事をするときは古の習慣にのっとって絨毯の上に座る。

その場の格によって絨毯の柄と色が変わり、座るもの位によって厳密に座る位置も決められていた。

一つだけ例外は女たちだけの茶会だ。

この時ばかりは座る席に優劣は無く、中央に配置された料理を囲むように円形になって座るのだ。


「ヒューロムでは茶会の時には、皆に指先が見えるように組みますの」


「まぁ、そうですの」


「誰の指先が一番赤く染まっているか見るためです」


赤く染まったハンカチに皆が同じ想像をしただろう。


「確かヒューロムの誉れと」


エメルダの口が苦々しげに歪む。

ヒューロム産の染物の美しさは知れ渡っている上、作り手のいなくなった染物の希少価値が上がっているのは確かだ。

かの色で染めたドレスならば大陸の華と謳われたエスタニアでさえ羨望の的になると証明して見せたのは、サンディアだ。

シルトの祭りに招待されたエスタニアの貴族が国に帰って話して聞かせたため、ヒューロムの注目度が日増しに上がっていると聞く。


「一番多く、長く赤い毒液に指先をつけた娘だけに贈られる名です」


誰が一番多く毒に指先を浸したか。

それで地位が決まると言う。

見えるように手を組むのは己の色を見せるためだ。

敵いっこない。

先ほどまで哀れだと思っていたサンディアが堪らなく恐ろしい相手に思えたのだろう。

サンディアに見つめられた娘たちの頬も若干青ざめている。

サンディアの視線がササナを越してエメルダを見つめた。


「エメルダ様、綺麗な指先ですこと」


白い指先を褒められているのではないとすぐにわかる。

青ざめた娘たちのなか、名指しされたエメルダの頬だけが羞恥に染まる。

まるでイールの花だ。


「自分の色を誇れぬ娘に何を言われても響きませぬ」


サンディアは心底愛しているのだ。

国の体裁さえ保てなくなったと嘲笑されるヒューロムを。

アリオス王家にふさわしくないと罵られる血を。

ササナが心配することなど一かけらもなかったのだ。

それどころかササナもエメルダと同じく誰かを陥れて自分を上位に見せようとする女に見えただろう。

頬が熱い。

目じりも熱い。

ササナは自分の手に視線を落とす。

小さな傷はたくさんある。美しい娘たちの中では気後れするばかり。

だがササナはこの手が好きだ。ぎゅっと握りしめた。


「サンディア様!」


ササナが大きな声を出すは思っていなかったのだろう。

娘たちの視線が一気に集まった。


「ホープの領地ではサザの収穫が最盛期です」


サザは食用の花だ。ササナの名もそこからとった聞く。

主役にはなれない。皿の中の添え役だ。

食べられずに残されることだって多い。

それでもホープ家はアリオス一の生産量に誇りを持っている。


「いつかホープの地へおいで下さい。アリオス一美味しいサザを召し上がっていただきますから」


「ぜひ、お伺いいたしましょう。ササナ殿」


きゅっと唇をかみしめたササナに向けたサンディアの笑みはぞっとするほど美しかった。





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