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銀獅子と乙女  作者: 悠月
8/16

乙女と吟遊詩人あるいは魔物

サンディアには廊下がいつも以上にひんやりと冷たく、ありえないほど長く続くように感じられた。

渡りきるために必要な歩数すら覚えているほど通いなれた廊下のはずなのに、全く別の場所のよう。

体調の悪さが見せるまやかしだ。

そう分かっているのに自室までは途方もなく遠い。


「寒い」


体が震えるほど寒いというのに背中にかいた汗のせいでドレスが肌に張り付き不愉快だ。

足元があまりにも不安定な気がして、踵の高い靴を今すぐにでも放り出してしまいたいが、いつサンディアの行動を見咎められるかもしれないと思うと、一歩一歩慎重に歩むしかなかった。

侍女のヒイナもここにはいない。

誰もサンディアに注目していない広間を1人で抜け出すのは簡単なことだった。


「おや、おや。お嬢さん。大丈夫かね」


庭先から男が声をかけてきた。

長いゆったりとした衣は夜空の色に染められ、小さな玉が縫い付けられ星のように輝いている。

ゆるく三つ編みにされた蜜色の髪には庭先で摘んだであろう花が差し込まれていた。

傍らにはリュートが一つ。吟遊詩人だ。

広間での出し物の一人だろう。

招待客、はたまた侍女でも誑かしたのか頬には紅の跡がついている。


「ええ。お気遣いなく」


まったく説得力のない声音だと分かってはいたが、どうにか告げるとサンディアは男に背を向ける。

その背に男の言葉が追いすがる。


「そこにいちゃまずいよ。こっちへおいで。今のあんたには石の気は強いのだ」


「石の気?」


振り返ったサンディアを吟遊詩人はちょいちょいと手招きする。

冷たい廊下とは違い、外には光が溢れている。

男の明るい髪色のせいか、手招きする爪の赤が懐かしい故郷の色を想わせるせいか男のいる場所はとても暖かそうに見えた。


「土の気の方が優しいよ」


男は首元に幾重にも巻いた布を解き、躊躇なく地面へと広げると、なおもサンディアを呼ぶ。


「さぁ、お座り」


言い争う元気もなくサンディアは呼ばれるままに庭に出ると素直に腰を下ろした。

髪を揺らした風が心地よかったせいもある。

いつぶりだろうか。地面に腰を下ろすなんて。

ヒューロムでは頓着なく木の上だろおうが土の上だろうが座っていたが綺麗なドレスを着るようになってからは、どうにもはばかられて庭に出ても用意された椅子にばかり座っていた。



「汗を冷やしちゃいけないからね。これを羽織りな。そんな窮屈な靴も脱いでしまいなよ」


男は手触りの良い毛皮を押し付けると、サンディアの静止も聞かぬまま靴を取り上げる。

解放された指先を風がするりと撫でていく。

土の匂いに緑の匂いがする。

日の光がじわりと体を温め、ほうと息が出ると、体中を冷やしていた真っ黒なものが一緒に吐き出されたような気がした。


「ほうら、顔色もよくなってきた」


言った通りだろと言わんばかりに満足げに笑う男につられてサンディアも僅かに微笑んだ。

それでも青い頬のサンディアを心配してか男は腰を浮かす。


「誰か呼んできてあげよう」


とっさにサンディアの手が衣を掴んだ。


「まって。吟遊詩人なのでしょう。一曲うたってちょうだい」


まだ広間には帰りたくない。

その言葉を飲み込んで、衣を握る力を強くした。

男は、少しだけ困った顔をのぞかせて、リュートを手に取った。


「仕方ないね。女性の頼みは断らない主義なのだよ」


弦がホロンと鳴る。


「今は愛の歌なんて聞きたくないだろう? 悲哀の曲もまっぴらごめんだ。なんたって側室さまの懐妊祝いの日だ」


暖かい場所をくれながらも耳に痛いこともいう。

男の衣から手を放し、毛皮に埋もれながらサンディアは唸った。


「こんな日に一人でうろつくなんてバカな事」


ホロホロと鳴る音に葉擦れの音が重なる。


「たまには一人になりたいわ」


居たたまれない。

ヒイナの気遣うような視線も。

シェラの取り巻きの勝ち誇ったような態度も。

ロードの幸せそうな顔も。


「そうだろうとも」


サンディアは世界が変わる音を聞いた。

リュートの音に合わせて雲がいく。

風の音も鳥の囀りもこの男のためだ。

彼の言葉を彩るために存在する。


「現実逃避したいお嬢さんには寝物語がよかろうよ」


吊り上がった唇から放たれる言葉は男とも女とも区別できない。

サンディア自身の声にも聞こえた。

遠い故郷に眠っている父の声にも聞こえた。






『アデラスト山より更に上

 世界を見下ろす塔の中、美しい姫様おりました。

 瞳は天よりなお青く、御髪は月の光のよう。


 姫様、いつも歌っています。

 ある日は、その日生まれた幼子のため

 ある日は、古の死者を悼むため

 あらゆることを悼み、喜び歌うのです。


 ある日、魔物が歌声聞きつけて、自分のためにも歌ってほしいと塔のてっぺんを目指します。

 けれど魔物には姿がありません。

 嵐を起こすことも、蕾を一斉に咲かせることも出来ましたが、魔物には姿がなかったのです。

 姫様に寄り添ったところで気がついてはくれません。

 歌を願ったところで、声は届きません。


 魔物はぴんと思いつきました。

 誰かの姿を奪えばよいと。

 街に繰り出し、物色し街一番の色男の姿を奪い取りました。

 姿を失った色男。

 誰にも知られず、さようなら。

 遠い街に旅立ったのと涙流した娘も次の相手にまっしぐら。


 色男の声は低すぎます。

 魔物はふうむと考えました。

 この声では姫様の歌には合わぬだろう。

 街道をめぐり、ようやく見つけた大陸一の歌うたい。

 彼は千の声を操れました。

 千もあれば姫様の好きな声があるでしょう。

 魔物は歌うたいの声を奪い取りました。

 声を失った歌うたい。

 職を失い名誉を失い、さようなら。

 街道を彷徨い消えました。


 魔物は、またまた考えました。

 歌を強請るのだから贈り物が必要です。

 美しいバラを売る少年一人。

 朝露を含んできらきらと光るバラを片手に「1ペイン」と告げました。

 魔物はコインなど持っていません。

 風おこし、露店からコインを巻き上げました。

 小さな銀貨と交換にバラ手にした魔物は塔のてっぺんを目指します。

 花売りの少年が盗人として捕まることも知らぬまま。


 世界を見下ろす塔の中、魔物は恭しく腰を折りました。

 

 「どうか私のために歌を歌ってください」

 

 差し出したバラの花を姫様はいらないと言いました。

 バラが嫌ならば、お菓子でも持ってこようかと言った魔物に姫様はいらぬと言いました。

 思いつく限りの贈り物を口にしても姫様はいらぬと言うばかり。

 魔物はほとほと困ってしまいました。

 姫様は何を持って来たら喜んでくれるでしょう。


 「人から奪ったものはいりません。すべてお返しなさい」


 姫様の言葉に魔物はさらに困ってしまいました。

 奪ったものを返せば、魔物にはなにも残りません。

 また誰にも気が付いてもらえない存在になるのです。

 魔物は、あっと思いつきました。


 「姫様、あなたに名を捧げましょう」


 魔物がただ一つ持っていたものです。


 「ジルフォード。この名をあなたに捧げます」

 

 「ジルフォード」


 お姫様が名を呟いた途端、魔物は姿を失い声を失い消えてしまいました。

 窓辺に落ちたバラの花だけが小さな変化でした。


 「ジルフォード。貴方が奪ったものと同じだけ人の願いを叶えなさい。願いを叶えたならば、一つだけ何かをもらってもいいわ」


 風がお姫様の頬を撫でて消えました。


 街一番の色男、再び人気を我が物に。

 街一番の美女と結ばれました。


 声を取り戻した歌うたい。

 王様に気に入られ宮廷歌人となりました。


 鞭打たれた少年は再び路上で花を売っています。

 少年の傍らに魔物はそっとバラを置きました。

 深い森の奥に咲く、一際美しい一輪です。


 少年は見えない魔物に向かってバラを差し出しました。

 

 「あなたにあげるよ」


 魔物には初めてもらったの贈り物です。

 嬉しくて何日も見続けましたが。次第に花は枯れていきます。

 それを惜しんだ魔物は、花びらの赤を瞳の色に貰いました。

 満月の美しい夜のことでありました。』























「魔物はどうなったの」


「さぁてね」


ホロンホロンと弦が鳴る。

世界はいつも通り、風も鳥の鳴き声もばらばらに存在する。


「これは寝物語なんだ。みんな好き勝手に結末を作るのさ」


「……そうなの」


「とびっきり優しい話にも残酷な話にもできるのさ。あんたはどうする」


「えっ?」


男が毛皮の上からサンディアの腹に触れる。


「あんたはどう語る?」


一陣の風と共に男が後ろに飛んだ。

広幅の袖がざっくりと切れ、男の腕が外気にさらされる。


「おお、怖い」


男は、両手が見えるように目の前でひらひらと振った。

一瞬の出来事に驚いたサンディアだったがひやりとした空気に振り返る。


「陛下?」


険しい顔をしたロードの姿があった。

牙をむく獅子のようだ。

サンディから毛皮をはぎ取ると、乱暴に自らのマントで包み込み、サンディアを一瞥したのち男を睨みつける。

ロードが構えた剣は揺るぎもせず男を狙っている。

すくみ上りそうな視線を受けても男は笑みを崩しはしなかった。


「そんなに睨みなさんな。病人を介抱していただけだよ」


「口を閉じろ」


「放っておいたアンタが悪いのさ」


男は次々に声音をかえて笑った。

少女のような高い声。老婆のようにしわがれた声。

伸びやかな少年の声からサンディアの声、からかうようにロードの声へと変わった。

ロードの顔が怒りに歪めば歪むほど、男は楽し気に声を変える。

最後の声音でサンディアの体が強張った。

嘲りの含んだ笑い声。

けっしてそんな笑い声を聞いたことなどないのに、サンディアにはそれがシェラの声だと分かった。

いいや、違う。

嘘の笑い声を聞いているだけ。


「もう、大丈夫。物語をありがとう」


サンディアに礼を言われ、男は笑い声をひっこめ慇懃に腰を折る。

ちらりとこちらを窺うような上目遣いの瞳が赤い気がするのは気のせいだったのだろう。


「陛下、大事ありません。剣をおさめてください」


「ほうらね、王妃様の言う通り。私は寝物語を語っただけさ」


一歩近づこうとした男の目の前を刃がはしる。

男の髪留めが切り裂かれ、はらりと髪が頬に降りかかった。


「次に見かけたら、その首、落としてやる」


男は地面に落ちた花を拾い、口の端をゆるりと上げる。


「次は……見つかってなんかやらないさ」


男の残像を刃が薙ぐより先に、男は軽快な足取りで駆けていく。

いつのまにか毛皮も地面に引いたはずの布もひとまとめにして肩に担いでいる。


「なぁ、王妃様よ」


サンディアはロードの胸に顔を押し付けられたまま、なんとか男の姿を視界に収めた。


「とびきり悲しい話にも優しい話にも残酷な話にもできる。あんたはどう語る?」


『その子に』とゆるく微笑んだ唇が小さく動いた気がした。

それが本当だったかどうか問いただすより先に、男の姿は見えなくなった。

サンディアは男が触れたように己の腹に触れてみた。

まさか。そんなわけはない。月のものはきたのだから。

サンディアの思考を遮る様に、さりとしたものが額に触れた。

瞼に頬にロードの口づけが落ちてくる。

耳元でため息をつかれ、急に居心地が悪くなる。


「急にいなくなるな」


「申し訳ありません。……気分がすぐれなかったので」


「大丈夫か」


「ええ」


「供もつけずに知らぬ者に近づくな」


僅かに怒りを含むロードの声に少しばかりむっとする。


「せっかくの祝いの席に要らぬ騒動を持ち込み、申し訳ありません。以後、気をつけます」


なんと可愛くない物言いだろう。

分かっていても一度出てしまったものをなかったことにはできない。

そっぽを向いたサンディアをロードが背後から抱きしめる。

すり寄る頬がひんやりとしている。

触れた指先も冷水に浸したかのよう。

さっきまでのサンディアのようにロードがしんと冷えているような気がした。

熱を分けるように手を握れば、強く握り返される。

回廊の先にシェラの姿が見えたような気がして、サンディアは体を離した。

これでは自分のわがままでロードを引き留めているみたいだ。


「サンディア」


縋るような声を振り切って、一歩を踏み出そうとして自分が裸足であったことにようやく気が付いた。

汚れた足を理由に部屋に帰ることはできるだろうか。

考えを読んだようにロードがサンディアを抱き上げる。


「陛下、下ろしてください」


「ダメだ。サンディアは目を離せばすぐにいなくなる」


「子どもではないのですから、大丈夫です」


「なお、悪い」


「陛下!」


「いなくなるな」


僅かに震えるその声に、サンディアは力を抜いた。

逆に力を込めたロードが家臣たちの静止をふりきり廊下を進む。

恐ろしいほど寒かった廊下は嘘のよう。




とびきり悲しい話にも優しい話にも。

残酷な話にも。

サンディアは誰もいなくなった裏庭に視線を向けた。

もう一度問いかけたい。


―ねぇ、誰にとって?













「ねぇ、詩人さん。何かうたってよ」


しなだれかかってきた侍女を抱きとめ、男は小さく笑った。

侍女の髪に花をさしてやり、広間からちょうだいした酒を更にグラスに注ぐ。


「そうさねぇ。では、魔物の話をしよう」


「魔物? 怖そうね」


酒精のせいで頬を赤く染めた侍女が、高い声で笑う。


「そうさ、怖い怖いお話だよ」


ほろんとリュートが鳴る。

ゆるりと空が陰りだす。

ひんやりとした風に男の声が乗る。


『月のまあるい夜のことだ』















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