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銀獅子と乙女  作者: 悠月
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春と乙女

ヒューロムの春に色彩は乏しい。

どんより曇った空と灰色の岩場だけだ。

遠くに見える森は黒く、やはり新年に彩を添えはしない。

城とは到底呼べない粗末な屋敷に掲げられた旗だけが年の狭間の変化だ。

身を切るような冷たい風に翻る赤でようやくヒューロムは春を知る。

アリオスに嫁いで初めての春。

サンディアにとって花の溢れる新年は初めてことだ。

城中がふんわりと甘い香りに包まれている。

いつもは堅実で機能的なことを重視した城の中もシルトの花で飾り立てられていた。

サンディアはことさら花が好きだというわけではなかったが、やはり美しものに囲まれていれば心が凪いでくる。

侍女のヒイナの怒りっぷりが可笑しかった。


「何をそんなに怒っているの」


「何をですって! サンディア様どうしてそんなに呑気なのです。これです! このドレス」


トルソーには美しいドレスが着せられている。

胸元には真珠があしらわれ、ふんだんにレースがあしらわれている。

袖口とスカートの裾に施された刺繍は光の当たり方によっては美しい光沢が出る。

シンバ皇国の絹糸だ。


「美しいと思うけれど」


サンディアの言葉にヒイナは信じられないと目を見開いた。


「この色!」


「……緑?」


ロードの瞳に合わせた緑色だ。

同じような色のドレスは何着も持っているはずなのでサンディアは首を傾げた。

何をこの娘は怒っているのだろう。

目の前のドレスの色が特別悪いようには見えない。

それどころかサンディアの赤髪が映える良い色とさえ思う。

ヒイナは盛大にため息をついた。


「今年の春乙女はサンディア様が適任でしたのに」


「ああ、そういうことね」


祭りの期間中はシルトの花の色である白いドレスを着用することが許されるのは春乙女に選ばれた娘だけなのだ。


「ロード様の正室がようやく決まったというのに、そのサンディア様が春乙女に選ばれないなんて可笑しいですわ」



「仕方がないでしょう。私はまだエイナの舞いができないのだもの」


アリオスでは子供でも舞えるエイナの舞だが、ヒューロムからやってきたサンディアにとつては音さえもまだ耳になじまない。

右、左へと頭の中に指示が浮かぶが息をするように滑らかに動くことは到底無理だ。

正直に言ってしまえば、春乙女なんて大役を押し付けられなくてホッとしているところだ。


「でも!」


大きな声に驚いたサンディアを見て、ヒイナは唇を噛んだ。

ヒイナは聞いてしまったのだ。

春乙女に選ばれたビオラ・シセルダはロード王の側室候補だと。

サンディアがアリオスにやってきて季節が一巡りもしない間にそんな話が出ている。

サンディアには理解できていないが、春乙女はアリオスの娘中のあこがれだ。

その年で最も輝かしい娘。

春を告げる者。

納得できない。

サンディアであるべきだ。

ヒイナはビオラをよく知っている。

高慢ちきな親に輪をかけて嫌な娘だ。何人もの侍女がビオラのせいでクビにされたり、鞭打たれて一生消えない傷を負わされたりしている。

サンディアのことをヒューロムの山猿と呼んでいることなど侍女皆が知っている。

春乙女の役を勝ち取るためにどんな術を使ったのかも漏れ聞いている。

きっと輝かしい白のドレスを着てサンディアを嗤うのだ。


「ヒイナ。貴女が私のことを気にしてくれているのがとても嬉しいのよ」


ヒイナはスカートを握りしめた。

深い青の侍女服はヒイナの誇りだった。

サンディア付きとなって裾には銀の刺繍が入り、誇らしさは倍になった。

けれど何の役にもたてていない。それがとても悔しかった。

サンディアの言葉に、口さがない陰口でさえ彼女の耳から遠ざけることが出来なかったと知り更に情けなさが募る。


「……知っているのですね」


「ええ、親切な方はどこにでもいるの」


「……親切って」


「ええ。「自称」親切な方」


「そんなのばっかり。サンディア様、アリオスのこと嫌いにならないでくださいね。良いこともきっと、たくさんあるはずです」


サンディアは、クローゼットの中にしまい込んでいた箱を取り出した。

ヒューロムから持ってきた数少ない荷物の一つだ。

寝台に置くとそっと開ける。

目当てのものをみつけてサンディアは微笑んだ。


「シルトのお祭りは楽しみよ。花に囲まれた春は初めてなの。春乙女が誰であっても、きっと素敵だわ」


「アリオスの夏は短いけど、星見の夜も最高です。流れ星がたくさん降ってくるのです。ぴっかぴかに磨いた石舞台には鏡みたいに流れ星が映り込むんです。とっても綺麗です。だから、だから……サンディア様。ヒューロムに帰るなんて言わないでください」


ヒイナは真剣な顔をしていた。

目の淵にたまった涙は今にも零れ落ちそうだ。

ヒイナの慕ってくれる姿が愛おしかった。


「ねぇ、ヒイナ」


「何でしょう?」


「私もアリオスの人にヒューロムのことを好きになってほしいわ」


涙を拭いたヒイナに向かってサンディアは微笑んだ。

サンディアが抱いているものを見て滲む涙は完全に止まった。


「手伝ってくれるかしら?」














この年のアリオスの春はひと際暖かく、シルトはまさに花盛りだ。

広間を無数の花が飾られ華やかな年明けを祝っている。


「今年は良い年になりそうですな」


「ええ、シルトもアリオスを祝福しているのでしょう」


春乙女であるビオラ・シセルダの周りには彼女から寿ぎの言葉をもらおうと多くの人が集まっていた。

今日ばかりは皆の関心は王や王妃よりも春乙女だ。

シルトの刺繍が施された真っ白なドレスに玉とシルトの冠をつけたビオラの姿はまるで花嫁のようだ。

刺繍の一部にシルトを咥えたカラスの模様を見つけて幾人かが息を呑んだ。

マルスの化身であるカラスの意匠を許されるのは王家あるいは王家に属するものだ。

ビオラを側室に。

あの噂は本物だったのだ。


「これでお世継ぎでもいれば、アリオスは安泰ですなぁ」


ビオラはにっこりと微笑んだ。


「みなさまのお力添えがあれば、他国の血を入れずともアリオスを守っていけましょう」


シセルダ家を支持せよ。

言外の圧力に春を祝う会は貴族の欲の渦巻く場所へと変わる。

シセルダ家は強大だが、その分なりふり構わぬやり方で敵も多い。

何か一つでもやり玉にあがれば、芋づる式に悪事は公のものとなるだろう。

けれど、マルスの意匠を許されるとしたらかなり王家に入り込んでいる証拠でもある。

ビオラが側室となり、王子でも産めばシセルダ家は盤石だ。

国ではなくなったヒューロム出身のサンディアなど三流貴族の娘にも及ばない。

側室が誰になるにせよ、サンディアにつくよりも遥かに出世の可能性があった。

さわりと空気が揺れた。

「……王妃様」と誰かが呟き、視線を追えば広間への大扉の前にその姿はあった。

花の色など霞む赤がさらされた肌の白を際立たせている。

結い上げた髪に装飾は無くとも、燃え立つような赤が存在を主張する。

さわさわと揺れる人垣はサンディアの姿を目にして道を開ける。

笑顔を振りまいていたビオラがはたと気づき腰を折る。

真っ白なドレスの裾が誇る様に揺れる。

この日、ただ一人だけが身にまとえる白。


「ビオラ殿ですね」


サンディアが傍らに立てば、先ほどまで皆が称えていた春乙女の色は、其処ここに溢れた花の色に様変わりした。

広間中がその色で飾り付けられている。

いいや街中を飾るありふれた色。


「お初にお目にかかります。王妃様。ビオラ・シセルダでございます」


「春乙女の任、立派に果たしますように」


それだけ言って興味を失ったとばかりにサンディアはビオラから離れていく。

ビオラはようやく気が付いた。

もはや誰も自分を見ていない。

陶然と赤いドレスに魅入っている。


「あれか。ヒューロムの赤というのは」


「ヒューロムには命の湧く泉があるという」


「エイナの愛した色だ」


「なんと美しい」


ヒューロムの名を聞いて、サンディアはそっとドレスを撫でた。

これはヒューロムに残る最期の布だ。

城のてっぺんに飾られていた旗だったものをサンディは花嫁道具に忍ばせた。

誰にも咎められることは無いと知っていたが盗むようにして持ってきた。

母が染め、サンディアが初めて染に手を出した布でもある。

何十年たとうとも王の秘儀で作られた色は劣化しないのだ。

その布でドレスを作った。

張り切ったユイは最高の職人を見つけてくれた。

世界でただ一つ。

サンディアのためのドレス。

ビオラが憎々しげにサンディアを睨む。

サンディアにとって春乙女が誰かなどどうでもいいことだ。

絶えるのも待つばかりの故郷の名が誰かに口の端に上るだけでいい。

進んでいけば、ロードが出迎え、にっと笑った。


「そなたの色か」


「ヒューロムの春の色です」


「善き色だ」


「ええ」


ロードがサンディアの手の甲に口づけを落とせば、広間には歓声が広がった。















ビオラの目が覚めたのはあまりの寒さのせいだった。

ドレスのまま石の床に眠っていたのだ。

驚いて飛び起きようとしたが、頭の痛さで動きが緩慢になる。

広間で人々の関心がサンディアに移ったことに腹を立て、しこたま酒を飲んだせいだ。

そのあとの記憶はない。


「ここはどこよ」


僅かばかりの光源でも頭は締め付けられるように痛む。手

さぐりで進めば、冷たい格子に触れた。

ここが牢だと思い至ってビオラは驚愕した。


「……どういうこと!」


ビオラの側にはいつも誰かが側にいるはずだった。

護衛や父の取り巻きのこともある。

今や傍らには誰もおらず答えをくれるものはいない。


「誰か! ここから出しなさい。私を誰だと思っているの。シセルダ家のビオラよ」


「うるさいのは嫌いなんだ。騒ぐのをやめてくれ」


廊下の影の中から小柄な男が現れた。

不機嫌そうに金の瞳を歪めて格子に近づいてくる。

体格はビオラと同じほどだ。

年齢も変わらないだろう。

あまり危険そうではない男に安堵して、ビオラは格子に詰め寄った。


「名乗りなさい。そしてここから出すのよ。今すぐに」


「名乗っても知らないさ。知っているぐらいならあんたの使い道もあるのだけどね」


「どういうことよ! こんなことしてタダですむと思っているの」


「……あんたもただで済むと思ったのかね。お嬢さんよ」


男は視線を合わすようにしゃがみ、ナイフの柄で格子を叩く。

熱のこもらぬ視線を恐れをなしてビオラは後ずさりした。春乙女のドレスは今や薄汚れ見る影もない。


「なによ」


「マルスの意匠を勝手に使うのは大罪だよ。そんなことも分からぬほど愚かなのかい」


「私はロード様の花嫁になるのよ」


男はのけぞって笑い始めた。

不気味なほど抑揚のない笑い声だ。

それがナイフよりよほどビオラの恐怖をかきたてる。


「あんたがロード様の花嫁だって? 冗談じゃないよ」


ロード王に側室をという話は確かにある。

後ろ盾のないサンディアが役不足だというのは確かだ。

軍人気質で強硬派のロードを支え不足を補える後ろ盾が必要だ。側

室候補は幾人もいる。今、男の同僚たちが調べつくしているところだ。


「少なくともあんたじゃない」


「早くここから出しなさいよ!」


「んん。無理」


「お父様が知ったら」


「あんたのお父様は知ってるよ」


「はっ……? なら、なぜ」


「あんたのお父様は、全部お針子の仕業だと」


「お父様が言うのならば、そうよ」


「処分されちゃう前にお針子たちはこちらで確保したよ。家族を人質に刺繍することを強要されたっていうじゃないか」


断固拒否した一人の針子は家族もろとも行方不明になっている。


「お互いの言い分が食い違って困ったなぁ。ここで一つ提案をした。あんたを差し出せば、今回の件は不問にしてあげるって」


「そんなことお父様は認めないわよ」


「あんたのお父様はこう言った「私には娘などおりません」ってね」


ビオラの大きな目がさらに見開かれた。


「あんたはこれから行方不明になる。お針子と同じね」


「何を言っているの。そんなの許されるわけがないじゃない! 誰か衛兵を呼んで頂戴。私はビオラ・シセルダよ! 何をしているの! 不審者を捕まえなさい」


ビオラがはっと息を止めた。

男が己の胸を叩いたのだ。

そこには太陽を喰えたマルスの意匠が縫い付けてある。


「あんたが何を言っても無理だよ。これはあんたのお父様よりずっと上の立場の人からの命令なんだからさ。俺に訴えても無理。こういう仕事が専門でね」


この男の情に訴えても無理だということは、先ほどの笑い声で悟った。


「痛くしないであげるよ。あんたは春乙女の役割を果たしたからね」


「……やくわり」


「春がやってくると告げるんだ。悪いものを吹き飛ばして」


シセルダ家につながりのものをあぶりだせた。

サンディアに反感を持っていて側室を送り込み王家を意のままに操りたいと考えるものたちも。

娘さえ捨てるシセルダの冷酷さを知れば彼の支持者が瓦解し、悪事は公にされる。

悪いものは一掃される。

さほど遠くない時期にシセルダ家はなくなるだろう。


「さよなら、ビオラ・シセルダ」


彼女の最期をグラン家の黒い本だけが知っている。




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