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銀獅子と乙女  作者: 悠月
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死と乙女


街全体が揺れたかと思うほど一行を向かいいれた歓声は大きく、侍女が告げるより早く城の主が戻ってきたと伝えた。

先の戦いで勝利を収めたロードたちが歓迎されている姿は容易に想像できた。

城内も彼らを向かいいれる準備で大忙しだ。


「はい! 完璧ですわ。さぁさ、ロード様のところへ行きましょう」


侍女のヒイナに太鼓判を押されたサンディアは、冴えない顔をしている鏡の中の自分を見てそっとため息をついた。

戦から帰って来た夫にどう声をかけていいものか思い浮かばないのだ。

なかなか鏡の前から動こうとしないサンディアにしびれをきらしたヒイナはドレスが崩れない程度にサンディアの背を押して部屋を後にする。

何も小難しく考えることはない。

大好きなサンディア様から「おかえりなさい」と言われただけで、単純なロード王は喜ぶのだ。

そう何度言って聞かせても、サンディアは納得してくれない。

早く早くと急き立てて門まで出向かえば案の定、人垣が出来ている。

皆、我先に王の無事を確認して、挨拶をしたいのだ。

先に来ていた側室のシェラがサンディアに気づいて会釈する。

けれど、サンディアの馬上のロードに釘付けだった。

銀の髪を靡かせ哄笑するロードの顔は頭上に広がる空と同じく晴れやかだ。

けれど、鎧の一部は大きく欠け、腕にはどっぷりと血をすった布が巻かれている。

小さな傷は全身に及んでいる。

こびりつき変色した赤からは、どっと死の匂いがする。

その匂いが今だ建物と外の境界にいるサンディアにまで届くわけもないのに、サンディアの指先は熱を失い微かに震え始めた。


馬から下りたロードを気遣いシェラが何かを話している。

そして、傷の具合を確かめ、ほっと息をついたのを見てサンディアは踵を返した。

あの場所に居たくなかった。ロードの姿を見たくは無かった。


「ちょっと! サンディア様?」


サンディアとロードを交互に見合ったヒイナは慌てて小さな背中を追った。

顔をあげたロードが何事かと此方を見たが、それどころではない。

今日のサンディアはちょっと変だ。

ぎゅっと腰を締め上げたドレスだというのに思った以上にサンディアの足は速い。

ヒューロムの荒れた土地で育ったサンディアにとって踵の高い靴こそ苦労するが、すべらかな廊下の上を侍女より早く走ることなど造作もないことだった。

部屋にたどり着くと、侍女頭のお叱りも覚悟で大声を出すヒイナの鼻先でぴしゃりとドアを閉め中からしっかりと錠をかける。

ドアを背にして座り込めば、どんと背が揺れた。


「ちょっとサンディア様? どうしたんですか? 気分でも悪いんですか?」


ドン。ドン。ドン。

三度衝撃があった。

次第に小さくなるヒイナの声を聞きながら息を一つ。

足が震えている。

指先も熱を失っていた。

一度唇を噛み締め、気を落ち着ける。


「しばらく一人にしてちょうだい」


なんとか声が震えることはなかった。


「……はい。何かありましたら、すぐに声をかけてください。絶対ですよ」


しぶしぶといったように小さな足音が遠ざかっていく。

それが完全に聞こえなくなるとサンディアは小さな子どものように膝を抱いた。

なんということだろう。

いつの間にこんなにも弱くなってしまったのだろう。

背筋を伸ばしてしゃんと立っていることさえ出来ないなんて。

たったアレだけのことで足が震えてしまう。

失ってしまうのではないかと心が震える。

けっして沿うことなどないと思っていた想いなのに、いつのまにか失うことを恐れている。

サンディアに残された最後の矜持さえ悲鳴を上げていた。


「……もともと無理なのです」


あんな傷を見て、よく勝利をおさめたと称える事など到底出来ない。

国全体が希望に湧いても自分だけはどこか冷たく暗い場所に突き落とされたかのようだ。


「戦王の妻など」


戦いとはきっても切れない関係。

そして死の影もずっと付きまとう。


「サンディア」


低く深い声が名を呼ぶ。

その声が耳朶に触れただけで小さな背中はひくりと揺れた。

分厚い木の扉に阻まれているというのに、その様子が分かるのかロードが背後で苦笑したような気がした。


「一月ぶりに帰って来た夫を出迎えてはくれないのか?」


「おっ、おかえりなさいませ」


「私はそなたの顔がみたい」


「……嫌です」


「なぜ?」


なぜ? 

そんなの決まっている。

顔を合わせるときっと泣いてしまう。

怖い。怖ろしいと。縋って泣いてしまう。


「……どうしてもです。シェラのところに行けばよいでしょう」


ロードの前で泣いた瞬間に自分は壊れてしまう。

もう元のサンディアには戻れない。


「私はサンディアの顔が見たい。サンディアに出迎えて欲しい。サンディアからの祝福が欲しい」


聞こえなくなってしまえばいいのに。

自分の耳もロードの耳も。

どうか嗚咽が届かぬようにとサンディアはさらに体を抱きこんだ。


「一つぐらい褒美をくれたっていいじゃないか」


耳を塞いだ手をすり抜けて、拗ねた声が鼓膜を揺する。


「だって……」


「何だ?」


「あなた、嘘をついたわ」


「私がか!」


ロードの声には驚きばかりか怒りも混じっていた。

嘘吐き呼ばわりは心外だ。

ことにサンディアには誠実に接してきたつもりだ。

少なくとも、「おかえり」と出迎えてくれたもいいぐらいには。

この扉一枚分の距離がどれほど煩わしいか彼女には分かるだろうか。


「無事に帰って来ると言ったじゃない」


サンディアの声に馴染みきってしまっていた血の匂いがむわんと全身から立ち上った。

もう血は流れていない。

引きつるような痛みは日常と化し、まとわりつく匂いにすら無頓着。


ああ、これは彼女にとっては無事では無いのか。

はっとロードの口からは小さく息がもれた。

生きて、呼吸して、思考する。

成すべきことを終え帰って来た。

それでは足らぬと。

もっと。

もっと。

全身の血が煮えた。




背後が静かになった。

ロードはあきれ果ててどこかへ行ってしまったのだろう。

シェラの所かもしれない。自分で言ったくせに喉の奥が締め付けられたように痛い。


「なぜ……?」


のろのろと視線を上げるとロードが目の前に居る。

先ほどまで廊下に居たではないか。

しっかりと閂をかけたはずだ。

その上、絶対に開かないようにサンディアがずっと背中を押し付けていたというのに。

窓から差し込む陽を受けてロードの髪が煌く。

目がくらむ。

くらくらと。

幻を見ているのかと思考がとける。

幻影が指を伸ばす。荒れた指先がサンディアの唇をなぞる。

さりとした痛みに幻が現に変わる。


「ここは私の城だ。抜け道はいくらでもある」


崩れる。

がらがらとサンディアだけの砦が。

透明な雫がぽたりと落ちた。頬に。添えられた指先に。


「あ」


絶望の吐息が途中で途切れた。

柔肌に無骨な鎧が押し付けられる。

頬に柔らかな鬣が触れた。銀獅子の。


「すまん」


言葉とは裏腹に声には笑いが含まれていた。


「何が……可笑しいのです」


「お前に望まれるのが嬉しいのだ」


無事に戻って来いと。傷一つおってくれるなと。

獣が笑う。

嬉しげに喉を鳴らす。

碧玉の瞳がサンディアを射る。熱い舌が涙をなぞる。

零れ落ちる吐息を掬う。


「戦に行かんとは言えん。怪我とも縁遠くはなれない。だが、必ず戻ってくる」


サンディアは何度も首を振った。

聞いてなるものか。

これ以上、ロードの想いなど知りたくないのだ。

自分の想いなど知りたくないのだ。


「お前のもとに」


サンディアはそれがどれほどあやふやな約束であるか分からぬような幼子ではない。

死は皆に平等にやってくる。

懐かしき故郷に足をつけるのを待ってくれるほど優しくはない。

愛しき人の名を口の端に乗せさせてくれる時間をくれるほど慈悲深くもない。

それとも、この男が寝台の上で緩慢な死を迎えるというのだろうか。

檻の中で弱っていく獣のように。きっと似合わない。

涙がほつりと伝った。

「嘘吐き」その言葉を飲み込んだ。

しょっぱい塩の味がした。



―けっして好きになどならぬと誓ったのに








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