おぼろげ秋夢娘町
商店街はたくさんの人でごった返している。あるものはかごの中に野菜を。またあるものはかごの中に生活用品や今晩の食材をこれでもかというぐらいに詰め込んでいる。季節は夏から秋へと変わろうとしており、夕方になるとなんだか肌寒い。ふと周りに視線をやると、通りを歩く人達の装いも変化しており中には厚着をしている人もいる。
そんな中を僕はコロッケを求めて歩いていた。
「おぉ、肇君。久しぶりじゃないか。お父さんは元気かい?」
馴染みの八百屋の主人に話しかけられる。
「甚佐武郎さんこんばんは。父さんは元気ですよ。最近、雨ばかり降るから畑に行けんとぼやいてました」
「そうか。たしかにここ数日は雨ばかりじゃからな。お前さんも体には気をつけなさいよ」
「ありがとうございます。それじゃあ僕は急ぎますので」
そして、僕はまた歩きだした。
***
あれから十分ほど歩いただろうか。通りから少し離れたところに目的地の『岡洲田精肉店』がある。ここのコロッケはとても美味で食べるものの舌をこれでもかというくらいに唸らせる。
かくいう僕もここのコロッケの大ファンである。
「おばちゃんコロッケ五個と豚ばら肉百グラムちょうだい!」
「こんばんは。それにしても肇君は運が良い。コロッケは出来立てホヤホヤだ。豚ばら肉と合わせて合計七百円だよ」
店主の喜美恵さんは算盤を素早く弾きながらそう言った。
***
代金をしっかりと払って家に帰ろうとした時だ。
「そう言えば肇君、雪乃ちゃん緒海市に引っ越すって話本当かい?」
「えっ!?」
雪乃ちゃんが引っ越す――。初耳だ。幼馴染みなのに……。それも緒海市。この島からなら船と国鉄を利用して半日は掛かる距離だ。それに緒海市の範囲は広く正直もう会うことが出来ないのかもしれない。
「喜美恵さんその話本当ですか――。雪乃ちゃん引っ越すんですか?」
「ばあさんも詳しくは知らないよ。早蔵果物店の旦那が雪乃ちゃんのお父さんと同級生でね。そこから出た話だよ」
喜美恵さんは少々困りながらも僕にそう言う。
「そうですか……」
僕は肩をガクッと落とした。
雪乃ちゃんと僕は小学校からの同級生だ。お互い『詩』を書くのが好きということもあって仲良くなるのにそんなに時間はかからなかった。無論、小学校低学年の二人が『詩』という言葉を知ってるはずはなく、二人が交換してたのがそういう類いのものだとわかったのは中学一年生の時である。
高校を卒業してから少しの間は交流があったのだが、最近は僕が働いている印刷所での仕事が忙しいこともあり交流は途絶えていた。
もしかしたら僕は彼女に淡い恋心を抱いていたのかもしれない。彼女の黒髪からは鼻をくすぐるようにシャンプーの香りがしていた。宿題などは時間があれば二人で図書室でしていた。そしてそのあとは必ず二人で珈琲牛乳を飲んだ。
今、思うと楽しい思い出ばかりだ。
「今日はもう遅いから明日、雪乃ちゃんの家にいってごらんよ。まだ、いるかもよ」
「そうですね。そうしてみます」
僕は明日、朝一番に彼女の家に行くことにした。
***
次の日の朝、僕は太陽が昇るのを待った後、自転車に飛び乗った。彼女の家まで自転車を飛ばして約一時間。島の反対側まで行かなければならないのがとてももどかしかった。
もしかしたらここまでお互いの距離について深く考えたことはなかったのかもしれない。
雪乃ちゃんがまだこの島にいてくれればいいのだが
***
「あっ……」
彼女の家の前に来た時、僕は肩を落とした。家はもう誰も住んでいなかった。なぜ仲の良かった僕に一言話してくれなかったのだろう。いや、正直そんなことを今更考えること事態がもうすでに遅いのかもしれない。
もっと早くに自分の気持ちを正直に伝えることが出来たなら――。
その時の僕は何を考えても後悔にしか繋がることができなかった。
***
十分ほど誰も住んでない雪乃ちゃんの家を眺めて帰ろうとした時だった。
「ちょっと……」
不意に肩をトントンされる。誰だろうと思い僕は振り向く。
肩の位置で綺麗に切り揃えた後ろ髪。
魅力的な二重瞼。
ふわりとしたその雰囲気。
そして、あのステキなシャンプーの香り。
僕は夢でも見ているのだろうか。そこには雪乃ちゃんがいた。
「肇君どうしたの。久しぶり」
彼女はニコリとしたながらそう言う。
「えっ――。どうして。緒海市に引っ越したんじゃあ……」
「お父さんとお母さんと妹はね。私は今、四原乃市の看護学校に通ってるからこの島にいる方が近いのよ」
「で、でもこの家はどうみても空き家だよ」
「そりゃあ今、誰も住んでないから。私は今、港に近い中町のおばさんの家に住まわしてもらってるから。今日はたまたま置いたままになってる私の衣類を取りに来たのよ」
「えっ――」
中町……。僕が住んでいる町だ。まさかこんなにも近くに彼女がいるなんて。
「そ、それは知らなかった。なら早く言ってよ!」
「いや、だってあなた忙しそうだったから……。それに私も島に帰るの夜遅くなのよ。だからなかなか言えなくて」
「じゃあ……。キミが港に帰ってくるの毎日待ってるよ!」
「えっ!? よ、夜遅くなるのよ。そ、それに最後の船便になるのよ?」
「いいよ。キミの好きな珈琲牛乳を持って待ってるよ!」
「ありがとう。もうこれからは心の距離も近いね」
雪乃ちゃんは優しく微笑みながら僕にそう言った。
***
仕事が終わった後、僕は珈琲牛乳を二つ持って港へと向かう。きっとこの時の想いは生涯忘れることはないだろう。
船の汽笛が聴こえる。
僕はまだ見えない雪乃ちゃんに向かって大きく手を振った。
ここまで読んでいただきありがとうございます。ちなみにタイトルの読みですが、おぼろげ秋夢娘町になります。