真夜中の祭り
私はその日、ひとりでその公園にいた。
すごく怖くて、寒くて、けれどなによりも悲しかったのを覚えている。
「どうしたの?」
その声はなんの前触れもなく私に降りかかった。
顔を上げると、彼がそこにいた。彼は、顔の上半分までしかない狐面をかぶっていた。
やさしく笑いかけてから、彼はもう一度、私に言った。
「どうしたの?こんな夜遅くにひとりで危ないよ?」
私はどうしてここに来たのかを彼に話したかった。けれど、家でのことを思い出すと、なにも言えなくなってしまった。
「…そっか。つらかったね」
彼がなにか言ったような気がしたけれど、よく聞き取れなかった。
彼のことを見つめていると、
「じゃあ、僕と一緒に遊びに行かない?」
「遊び?」
「そう。今日は向こうでお祭りがやっているんだ」
そう言って、彼は手を差し出してきた。
『知らない人には絶対についていってはいけません』そう言うお母さんの顔が思い浮かぶ。でも、同時にどうでもいい、とも思った。だって、どうせあの人は私の『お母さん』ではなくなるのかもしれないのだから。
「行く」
そう答えて、彼の手を握り返すと、彼はまたやさしく、でもどこかうれしそうに笑った。
「わぁ」
賑やかな、けれど耳障りではない人の話し声。屋台からのいいにおい。どこからか聞こえるお囃子の音。ー祭りだ。
「ここの祭りに来るのは初めて?」
「うん」
「そっか。じゃあ、楽しんでいくといいよ」
「うん!」
それから私たちはいろんなことをした。綿菓子を食べて、輪投げをやって、金魚すくいをやって…。
ー楽しい時間はずっとは続かない。帰らなければいけない時はくる。
帰り道の私の足取りは重かった。彼はそれにあわせて、ゆっくり歩いてくれた。
「…ねぇ、あなたはどこに住んでいるの?」
思いきって、今まで聞きたかったことを聞いてみた。私たちは祭りを一緒に回った仲ではあるけれど、お互いのことはなにも聞かなかった。ー名前さえも。なんとなく、踏み込んではいけない気がした。
彼はなにも答えない。
「ねぇ、もしよかったら、私をあなたの家にいさせて。私はまだこどもだけど、料理も洗濯もできるようになる。だからー」
「だめだよ」
そう、彼は穏やかに、けれど、反論できないような強さを含めた声で言った。
「…どうして?」
「君には帰らなければいけない場所があるはずだ」
「…でもあそこには帰りたくない」
「そうだね。今はつらいだろうし、これからも大変なことがたくさんあると思う。けれど、君はそこで生きなきゃならないよ」
そう言って彼は、私の頭を撫でてくれた。私よりも大きな手。けれど、お父さんよりは小さな手。
「ほら、君の家だ」
「ねぇ、また会える?」
「…そうだね。きっといつか」
「じゃあ、そのときは…」
そう言いかけて後ろを振り返ると、そこに彼はいなかった。
「行ってきます!」
そう叫んで、私は猛ダッシュで家を出る。急がないと遅刻だ。
あの後、彼のことを探したけれど、結局みつからなかった。
私が家に帰ると、お父さんとお母さんが泣きながら抱きついてきた。二人とも怒ってたけど、それと同時にほっとした笑顔をうかべていた。その一件で二人ともいろいろ考えてくれたらしく、それまであった離婚の話はなしになった。今ではとても仲のいい家族だ。
あの日、彼と一緒に行った真夜中の祭り。あのことは謎のままで、いまではもしかしたら夢だったんじゃないか、とさえ思える。けれど、あの日があるから今の私がある。
あの日、私のことを連れ出してくれた彼にはとても感謝している。
読んでくださり、ありがとうございます。この短編は「彼女が見せてくれた色」より後に書いたのですが、少しレベルは下がったかもしれません。彼目線からのものを、いつか書きたいです。なにはともあれ、楽しんでいただければ、幸いです。