Reverse the edge
あるはずのものが冷蔵庫に無かった。
このたぎるような熱帯夜を、冷えたコーラ抜きに果たして快適に過ごせるだろうか。いや、そんなはずがない。
仕方ないので彼はジョッキに氷と水を注いで、再び己の部屋へと戻った。
パソコン机の前に深々と座り、冷たいが精彩のない飲み物をグビグビとあおる。
生命と色彩あふれる季節、夏。
けれどその熱量が、生命力が時として人の精神を鈍らせる。
いかに真夏日の世界が情緒あふれるものであろうと、お構いなしに不快指数が日々のペースをひっかき回して、ついでにある結論を下す。
こんな時期に、エアコンもつけずにパソコンを稼働させるのは部屋をサウナに変えるようなものだ、と。
けれどそれでも人は、ペースや日課というものを重視する。
エアコンが壊れていようと、扇風機が熱風を吐いていようと、彼はキーボードとマウスを叩く。
今日は新しいゲームを買った。
だからなおさら、パソコンを離れるという選択肢は成立しなかった。
インストール画面の数字が100%になるまで、彼は笑いも飽きもせずぼんやりと見つめ続けた。
「あれ、もう空だ……」
ジョッキ一本分の氷水が瞬く間に消えた。
彼はわずかに残っていた氷を口にふくんで、ゲームを起動する。
その注意力は散漫だ。
さしたる感慨もなくオープニングムービーをスキップして、タイトル画面からゲームをスタートする。
【ゲームの初期設定をします】
・設定画面へ
・スキップする
画面に一文と選択肢が現れる。
マウスカーソルが無気力に二つの間を揺れて、結局なにも考えずにスキップを選んだ。
【本当にスキップしてよろしいですか?】
・設定画面へ
・スキップする
(何だこれ……)
二重の確認画面とか、いちいち面倒な設計だ。
うっとうしそうに彼はスキップの選択肢を選ぶ。
【え、本当に……?】
・設定画面へ
・スキップする
(しつこい、そんなの後で決めるからいいって)
【チュートリアルをプレイしますか?】
・チュートリアルを始める
・スキップする
今度はチュートリアルと来て、彼は不機嫌に顔をしかめた。
この後もいちいち確認メッセージが続くのだろうか。
きっとわざとだ。遊び心を越えてうざったい。
だからマウスの場所を下の選択肢に固定して、彼はめちゃくちゃに連打する。
(うっわ……)
浅はかにも推測は当たった。
コマンドクリック音がハイテンポで高く鳴り響き、何が何でも開発者はプレイヤーを妙な方向に誘導したがった。
スキップスキップスキップスキップ、全部スキップ。ほどなくして最後のメッセージが現れることになった。
【タイトル画面に戻りますか?】
・スキップする
・戻る
「あっ卑怯っっ?! ぐっ?!」
最後だけ、上下のコマンドは反転されていた。
マウスの左ボタンを押してしまったものの、長押しにとどめれば可決はされない。
カーソルをスキップの方に移動させて、彼はしてやったりとスキップを貫き通した。
「なんって意地の悪いゲームだこれっ?!」
だがついに勝利した。
彼はデフォルト設定を勝ち取ったのだ。
あとはゆっくりと、自分好みにゲームを染め上げてゆけばいい。
BGMの音量を上げて、解像度も一回り大きく、なめらかに画面が動く60FPSが彼のお好みだ。
ディスプレイは黒く暗転。
続いてローディング画面が現れて、ガリガリとハードディスクが暑苦しい音を立てる。
【それでは強情な貴方をゲーム世界にご案内致します】
【初期設定により、クリア条件は世界からの脱出となります】
(はいはい、そーいう設定ね。まるでゲーム世界から話かけられてるみたいで面白いなー)
(あ、さっきのしつこい選択肢はこれのためだったのかな……)
プロローグが始まるようだ。
ようやく画面にまともな映像が浮かび始める。
(そういや……)
ふと彼は思った。
(このゲーム……どこで買ったっけ……なんで始めようと思ったんだっけ?)
暑さのあまり、肝心の記憶が吹っ飛んでることに気づく。
すると急激な眠気が訪れ、そのどうだっていい回想作業を妨害していた。
【デフォルト設定でゲームスタート】
・
「おおっ、よく来た我が国の英雄よ! お前の父は魔王と戦い火山に落ちて死んだ! 今、その仇を討つ旅が始まるのだ!」
「……ずいぶんなんか、レトロなんだな」
彼の目の前に国王がいた。
王は厳めしい顔立ちと、上等なトーガをその身にまとい、ひざまずく彼の前に宝杖をついて立っていた。
「さ、この宝箱を開けて旅の準備を整えるが良い」
「……つか、なにこれ? あれ? 俺のパソは?」
パソコンは消滅し、目の前におっさん。
飛びきりファンタジックな謁見の間に今、彼がいる。
「どうした英雄よ、さあ宝箱を」
「ああ、はいはい。いやほんとレトロなのなこれ」
手渡してくれればいいのに、わざわざ謁見の間のはじっこに、赤い宝箱が置かれている。
よくわからないが彼はそこまで歩んで、言われたとおりに箱を開けた。
【ブロンズソードを手に入れた】
【レザーシールドを手に入れた】
【60Gを手に入れた】
どこからともなくメッセージウィンドウが現れる。
ゲーム慣れしていた彼は、気づけば武器と盾をしっかりと装備した。
それから気づく。
(うわ、めっちゃここゲームの中じゃん……)
お約束に従うならば、一度王から話を聞くべきだろう。
王の前に彼は戻る。
「武器と防具は装備をしないと意味がないぞ、さあしてみるがよい」
「もうしてる」
「……うむ、ちゃんと装備出来たようだな。ではゆけ、父の仇を討つのだ英雄よ!!」
RPGでよくある会話の不整合だ。
いちいち気にするほどでもないと、彼は王から背中を向ける。
「なんじゃ、英雄よ?」
「あ、あれ……?」
「それ以上近づくな、無礼であるぞ」
少なくとも彼はそうしようとしたのだが、身体は一直線に王の目の前にやって来ていた。
「何のつもりだ英雄よ?!」
「ちょっと待った王様、これはあれだ、うっ……?!」
王から離れなければならない。
彼は一歩後ろへと下がる。
「貴様っ?! よもやこの処遇に不満でもあるのか?!! 衛兵っ、コイツを止めろ!!」
下がろうとしたはずが、彼は国王を胸で押し飛ばしていた。
英雄殿がご乱心?!
どうすればいいのやらと、側近と兵士たちがうろたえる。
(や……やっべぇ……っっ?!!)
何か後ろぐらいものがあるらしい。
国王はよたよたと後ずさり、怯えの顔で英雄殿を見つめ返す。
英雄はこの国でちょっとした地位にあるらしく、衛兵も側近すらも介入を迷っているようだった。
「誤解するな、危害を加えるつもりはない。これはつまるところ……あれだ、何となくわかってきたぞ」
「ひっ、ひぃっ、ひぃぃぃーーっっ?!!」
何となく彼は理解した。
結果、彼の肉体は自動的に武装解除を選んだ。
物騒なブロンズソードを床へと下ろし、敵意はないのだと腰を抜かした国王に向けて、手を差し伸べる。
「な、なんじゃ、乱心したかと思ったぞ英雄殿よ……。グゲハァァッッ!!?」
王の身を引き起こし、丁重にその肩に手を置いた。
……はずだった。
「ああっ身体が勝手にっっ?!! ごめん王様?!!」
油断しきった腹筋に、彼の左のボディブローが突き刺さっている。
英雄殿の暴挙に、謁見の間の誰もが蒼白となった。
彼さえも等しく。
(誰かに操られているわけじゃない……)
下がろうと思ったらうっかり進んで、丁重に救助をしようとしたら全力顔面パンチ。
「ゲガッッ、アビヒュァァァァッッ?!!」
救助しなくてはいけない。
下がらなければいけない。
そう思えば思うほどに、彼は逆さまの行動を行った。
腰を折って苦悶する老王。
そのアゴに飛び膝蹴りを撃ち込み、また隙のあいた腹部にブロンズソードの鞘を突き込む。
(どっちにしろこれ、もうこの国にはいられねーな……逃げねーとこれ……)
そこまで連続攻撃を撃ち込むと、そのまま国王は背中から自分の玉座にぶっ倒れた。
「英雄殿、ご乱心めされたかっ?!!」
「いやたぶんこれ、入力ミス?」
「……は?」
「いやだからこれ、初期設定の入力系統がリバース設定になっててさ、間違って逆の行動とっちゃったっていうか?!」
「……何を言ってるのかわかりませんぞ、英雄殿!! ウギャァァッッ?!!!」
説明のために、騎士団長と話しやすい距離を作った。
でもアクセルとブレーキを間違える要領で、彼は加速を続けて全力疾走で騎士団長を吹っ飛ばした。
あわれ団長は謁見の間の階段から、重たい金属音を立てながら転げ落ちてゆく。
「うわっごめんっ、え、いやこれ生きてるっ?!!」
「…………ぅ、ぅ、ぐ……」
団長は立ち上がる力を失った。
(も、もう逃げるしかないしこれっっ!!!)
逃げよう。
このまま謁見の間から立ち去って、もうストーリー展開とかいいから隣国に行こう。
リバースの初期設定に慣れて、隣国で仕切り直そうそうしよう。
きっと魔王とかいうやつを倒せばゲームクリアだろうし、それでこのゲーム世界から帰れるはずだ。
少なくとも頭の中だけではそのはずだった。
…………。
……。
・
・
・
で、数ヶ月後。
「魔王に生まれてこの方、こんなにやさしくされたのは生まれて初めてです。ああ、貴方が望むなら私は世界を滅ぼしてその全てを英雄様に捧げましょう」
「あーー。うん、あーーー、そうだねー、うん。あっれぇぇ……?」
リバース設定に慣れる日など来ない。
右を向こうとしたら左を向いてしまう世界なんて、慣れるわけがない。まったく首を何度痛めたことか。
無事国外逃亡に成功した彼は、その後も見事にリバースな行動を繰り返した。
気づけば人類全てを敵に回して、倒せばゲームクリアのはずの魔王の味方をしている。
「いやはや、英雄殿の行動には予想がつきません。人が退く局面であえて突撃を敢行するその英雄体質、魔軍の勝利もそう遠くないでしょう。英雄殿、私はもう貴方のとりこです。貴方のいない世界なんて予想もつきません」
その魔王は彼にゾッコンだった。
クリアのために魔王を討とうとすればするほど、リバースな英雄は魔軍を決定的勝利に導き続けた。
「さあ、我が軍に勝利の演説を!!」
総数100万を越える異形の怪物の群れが、眼下にどこまでもどこまでも黒いシミとなって広がっている。
仕方ないので魔王城のてっぺんから、彼は叫ぶ。勝利の演説を。
「魔軍の勇者たちよ、よくやった!! 今回も実に良い!! 実にバットエンドっぽかった!!」
「いやもー正規ルート戻れそうもないし? もういっそ滅ぼし尽くせばゲームクリアみたいな? そんな可能性もあるんじゃないかなー、あるといいなー? 少なくとも利害は一致してるよねー俺ら?」
「ってことでこれからも頑張っちゃって下さいっ、ぶいっ!!」
100万の大歓声が彼を包み込んだ。
ダークヒーローをロールしていれば、これほど楽しい状況もないだろう。
だが……。
「あ~~……帰ってコーラ飲みて……」
楽しみとは快適なコンフィグの向こう側にある。
目下彼の夢は、エアコンの下でコーラをリットル飲みすることだけだった……。
Reverse the edge




