ある日の共和国陸軍兵器開発構築本部、あるいは魔女の日常
ブランカ郊外、共和国第7工廠。自前の飛行場を持ち、重装甲車両から戦闘機まで生産する巨大な軍需工場は、研究開発施設も併設する。共和国陸軍兵器開発構築本部、RAWDOCと略称されるそこには、半世紀前から魔女が棲むと言う。
魔女の棲家は彼女の玩具であふれているが、そのひとつに鉄筋コンクリート造りのビルも含まれる。最近増えた鉄骨構造にガラス壁面を備えた高層建築のようなスマートさや華やかさはない。それどころか窓ひとつ無い不審な建物だった。
寸法としては10メートルかける60メートルの敷地に高さは25メートルほど。人畜無害をアピールしたいのか白く塗られたその建物は、しかしそんな努力をせせら笑うかのように、建物容積の半分を占めるサイレンサーでも消えることのない神経を逆なでする金属音のうなりをあげ、堅気であることを拒否していた。
その建物は、第2テストセルと呼ばれていた。
すべてを押し潰さんとするかのごとき金属製の悲鳴が空間を満たしていた。
天井まで20メートルあまり。しかし広々とした印象を与えないのは、天井に走る異様にがっちりとしたレールから、これも頑丈そうなアタッチメントを介してぶら下がるジェットエンジンの寸法にあった。全長5メートル弱、重さ2トン。幅はともかく大型のセダンにも匹敵する長さと重量を持つそれは、高級セダンどころか全くの比喩なしに同重量の金にも匹敵する費用がかけられていた。ジェットエンジンを屋内で稼働させ各種データを収集するという特殊な建造物であるテストセルの建設費も、それに含まれる。
その費用に見合う成果が出ているかといえば、出ていない。材料である耐熱合金の融点からして設計要求に届かず、その加工法も組み付け精度も未解決の難問が山積していた。それでも問題を見つけ、それを潰していくためにエンジンは試作され、テストが繰り返される。
吊るされたエンジンが正面に見えるように2階相当に嵩上げされ、思いつく限りの防音工事を施されたもののその効果がいまいち実感できない管制室では、陸軍指定のブラウスと紺のスタイトカートの上から白衣を羽織った人物がテストを見守っていた。年の頃ははたちかそこらか。しかし白に近い金髪を揺らしながらいくつもの計器を読み取る灰色の瞳は強い意思を示し、制御卓につく技術者たちへ指示を出す所作には妙な場慣れと変な貫禄がある。計器の表示に納得がいったのか、彼女は一言告げた。
「バイゲイト」
技術者のひとりがうなづく。無造作とも言える操作で制御卓のレバーを行き止まりまで押しこみ、ロックゲートで少し左に傾けてから、さらに押し込んだ。排気音がさらに高まる。可変排気ノズルが広がるときの油圧アクチュエータが動作音が、妙にはっきり聞こえた。排気音ごろごろと雷じみた音が混ざった直後、どん、と建屋が揺れる。アフターバーナーへの点火。エンジンはさらに3回、建物を揺らした。アフターバーナー4段全開。轟音は最高潮に達し、ノズルから白く輝く炎がサイレンサーにまで伸びる。技術者たちが喜びをにじませたどよめきを上げた。
スロットル1本の操作によって、エンジンが最大出力を達成したからだ。
たしかに共和国軍の保有する軍用機のいくつかはアフターバーナーを装備しているが、その利用は限定的だ。戦闘機であれば離陸時か戦闘空中哨戒での巡航状態からの超音速ダッシュに使われる程度であるのは、アフターバーナーを動作させる諸条件とそれに合わせた操作が面倒であるからだ。特定の速度、高度、スロットル開度からのアフターバーナー点火こそ自動化されていたものの、戦闘中に、こと空中戦の最中に設定条件を外れた状態から計器を確認しながら可変排気ノズルのコンバージェンスを解除し、エンジン回転数の上昇を待ち、ストールしない圧力になってからイグネイターに点火するまでの煩雑な操作をパイロットがひとりで行うのは事実上不可能で、むしろ専任の航空機関士がエンジンを預かる超音速戦略爆撃機のほうがアフターバーナーを使いこなしているとまで言われていた。制限なしのアフターバーナー点火の自動シーケンスの確立、そしてアフターバーナー出力の増加を図るための多段燃料噴射が今回の試験の目的であり、それは一応の成功を見たのだ。
とはいえ、エンジンそのものの完成までの道のりが遠いことに変わりはない。すでにやることが決まっているエンジンコアの一部再設計で再びサージの問題が再発するかもしれないし、そもそもどの部品をとっても耐久性が足りていない。にも関わらず共和国政府が戦闘機用大出力エンジンの開発を続けるのは、次の20年のイニシアチヴを握るためとされていた。ドライで推力2万ポンド、アフターバーナーで3万ポンドの目標値を持つそれに、どれほどの価値があるのか。実のところ軍にも政府にも、それを正しく理解している人間などいやしなかった。
しかし予算は審議され執行された。それが正しいことだと告げられたからだ。遮音ガラスを透かしてなお届くエンジンの轟音と振動に、恍惚とした表情で身をまかせている少女に。
「冗談じゃない」
空軍参謀総長のケルマディック中将は、他の面々を前にしてはっきりと言い切った。当然だ。マイアナスの技術遺跡で大型の軍用コンピュータが発掘された。それも、まとめて20基もだ。再開発された電子工学はまだまだ未熟だ。固体回路の量産化の目処が立ったと科学技術院の筆頭研究員が誇らしげに報告に来たのは先々月のことだ。
これだけの数の軍用コンピュータがあれば共和国全土をカバーする防空網を構築し、完全自動化をしてお釣りが来る。何基かが余るだろうから、それを海軍の戦艦に搭載して射撃の管制をさせる。劣勢と認めたくはないが情勢次第では優勢と虚勢を張れなくなる海軍戦力も、これでほとんどカネをかけずに大幅な戦力の向上を図ることができる。そのチャンスを俺の目の前にいるバカ女が潰そうとしている。信じられない。
「なぜ、こいつを陸軍に回さなきゃならないんだ。納得のいく説明をしてもらおうか」
声は大きかったが、彼なりに自制はしていた。相手はなまいきではあるが、無能でも無力でもない。共和国陸軍兵器廠開発一課の主任だ。陸軍の技術大佐という肩書きではあるが、航空機や海軍の艦艇の設計、開発までをも手掛けている。陸軍に籍を置いているのは、彼女がこの仕事を始めた当時、共和国で組織されていた軍隊は陸軍だけだったからだ。
海軍のときとは違って反対が多かった空軍独立にあたっては積極的な活動をとったことから、癪な話ではあるが現在でも身内である空軍内に支持者が居る。軍に入る前は出土品探索…俗に言うトレジャーハンターとして地元に多くの利益をもたらし、フィルン出身の国会議員は彼女限定でイエスマンになると噂されている。遺伝子疾患による特徴的な外見から、対立陣営からは「小娘」信奉者からは「お姫さま」そしてより近しい人間に限定して年齢差と無関係に「お嬢」そこまで関わりのない有象無象からは「魔女」と呼ばれるクローディア・ケーシー技術大佐は、ゆっくりと会議の参列者を見まわして、言った。
「発掘された技術遺構のうち18基が陸軍。残りが空軍の戦略験と海軍の技研とに1基づつが配備される。陸軍の18基はそれぞれが戦術兵器の管制用として搭載される。これはすでに空軍と海軍の次官が承諾する旨を文書にして提出している。つまりこの配備計画は陸軍兵器廠、空軍戦略験、海軍技研の三軍共同プロジェクトであると認識していただきたい」
クローディアはたいした抑揚も付けずに言った。ケルマディックはまわりを見回した。不満な顔をしているのは陸軍の実施部隊の指揮官たちや、海軍の艦載砲改善計画の責任者くらいで、あとの者は表情を出していない。
「私が聞きたいのはそんなことじゃない」
ケルマディックはテーブルをばんと叩いた。我慢にも限度がある。
「AGE計画はあとコンピュータの選定だけなんだぞ、ここで発掘コンピュータを使わないでどこで使うっていうんだ」
AGE計画…自動防空組織計画は、共和国全土をカバーするレーダーサイトとAWACS、高射陣地、SAMサイト、そして防空戦闘機をデータ通信回線で結び、戦略爆撃機の侵入を完全に阻止するという空軍最大の野心的なプロジェクトだ。これが実現すれば、防空司令部の一元管理のもとで共和国全土のSAMが発射され、防空戦闘機は自動操縦される。パイロットなど寝ててもいいくらいだ。だが、そのためには膨大な情報を処理し、戦術単位を管制できる従来に無い高性能で信頼性の高いコンピュータが必要とされた。
当初はこのコンピュータを真空管で作ろうと試作機の建造まで話は進んだが、要求性能を満たす規模で構築した場合の信頼性が担保できず、現在はトランジスタや固体回路を用いたものへ計画は変更されている。メーカーを決めてから建造、納入までに3年がが見込まれているが、発掘コンピュータ、それも人工人格が戦争…有り体に言えば殺人を忌諱しない軍用コンピュータが入手できるというなら、膨大な開発費用も年単位の時間も不要だ。
「AGE計画については私も承知している。だが、AGEは必ずしも技術遺構を必要としない。先ごろ再開発に成功した固体回路でもシステムの構築は可能。現在、マッハ2級の戦闘機を保有しているのは我が国だけ。だから要求をいくらか落としたとしてもアドバンテージを維持できる。また海軍も同様に大量の技術遺構を必要とはしていない。時代遅れの思想で建造された水上打撃艦に射撃管制のために搭載しても、宝のもちぐされにしかならない。逆に無為に貴重な出土品を失いかねない。つまり、現在これらを必要としているのは陸軍だけ」
クローディアはやはり抑揚を付けずに、静かな、だがよく通る声で話した。
「じゃあ陸軍が使う戦術兵器なんぞに、発掘コンピュータを搭載するのは無駄にはならないというのか」
そんな話があるものか! ケルマディックは訳がわからなくなってきていた。空軍の制服組の事実上のトップである参謀総長の肩書きを持つ俺が知らないところで次々に様々な決定が下され、かつ俺に知らせるに不都合な事があるとは!
「保安資格B2以下の者は退席していただく」
クローディアが静かに宣言した。数人が席を立った。AGE推進論者で残ったのはケルマディックと空軍参謀本部AGE室長の大佐だけになった。
共和国はふたつの国と国境を接している。同盟と帝国だ。これらの国は王国や連邦と共に全く同じ日に誕生した。いまから79年前、新歴元年の事である。
かつて、地球には百数十の国家があり、それぞれが連立したり対立したり、戦争したりしていたという。だが、当時の年号で西暦2100年を目の前に核戦争が勃発し、地球人類は破滅した。大戦直後にすこしでも余力のあった国は、自国民を宇宙に脱出させた。その一方で地球を復興させて確たる覇権を握ろうとした国もあった。しかし人類社会と生存環境を破壊してなお、戦争は終わらなかった。最後まで戦い続けたのは、同じ髪の色と目の色を持つものの奉ずる神話の異なる別々の民族の間でのことだったらしい。最終的に、宇宙に逃げ出したほうが勝利した。もっともそれは戦闘の結果というよりは、地球に残った方が戦争と復興の取捨選択を間違えた果ての虻蜂取らずによる自滅だったという。
結局、人類は宇宙に脱出できた数億人にまで減らされた。これは核戦争前の十分の一にも満たない数字である。世界の中心を誇る民族以外の人々との連絡は、彼らと宇宙人類の戦争が終わる前に途絶えていた。22世紀を迎えて間もなく、地球は滅んでいたのである。
クローディアはたまたま窓側に座っていただけの海軍の少将に当たり前のような顔でブラインドを降ろさせると、スライド映写機ののスイッチをいれた。
「このたび発掘された軍用コンピュータの情報を開示する。これらはある兵器の管制のために搭載されていた」
映写機のファンのモーターがひくい唸りをあげ、正面のスクリーンに発掘現場を映しだした。そこには永久凍土の下から掘り出されつつある「なにか」の姿があった。事情を知らない幾人かがざわめいたのも無理はない。その「なにか」は、兵器としてはあまりに異様な形態をしていたからだ。
一見それは土砂に埋もれた人間のように見えた。だが、それを掘り起こそうと周囲で作業しているのが「人間」であるなら、埋まっている方が人間であるはずもなかった。作業員との対比からするに、腰から上だけで5メートルはあることになる。
次の写真に切り替わる。天井の高さから軍の持つどこかの基地の航空機用整備ハンガーと思われた。中央にクレーンでぶら下げられた巨人の姿がある。全高は10メートルくらい。ほぼ人間とおなじプロポーションだ。が、装甲の都合だろうか。所々シルエットが人間のそれから大きくはずれている。他にも目立つのは背中と足だ。背中には二個、足にはそれぞれ一個の筒が取付けられている。
「これはAllround Withlegs Grand Attacker、AWGAと呼ばれていた」
地球を脱出し月に本拠をおいた宇宙人類は、地上と連絡が途絶えてからも人類絶頂期の科学力を武器に勢力を太陽系全域に拡大していった。軍事費という支出項目がなくなり、すべてのインフラ投資と福祉の少なからぬ部分が生存環境の整備となったことは、すなわち宇宙開発予算が一般歳出の7割を占めたことになる。彼らは、もっとも宇宙開発に費用をかけた国家のさらに数十倍という人類史上かつて無い予算規模で、宇宙を開拓していった。
だが、地球だけは例外だった。放射能と有毒物質の海に沈んだ直径1万2000キロの汚物入れだけは、どうにも手をつけかねた。それでも放射能の半減期を早める方程式が実用化されると、懐古主義の議員たちによって地球再生事業法が議会に提出され、たいして会計を圧迫しないことから年度末の未支出予算の範囲内で計画が実行に移されることとなった。
予備調査は翌年から行なわれ、事業完了後の地球は全域が国定公園扱いとなる予定であった。同じ年にアルファ・ケンタウリへの最初の恒星間探査船の派遣が決定されていたが、地球再生事業法の全予算は恒星探査計画の予算の0.0015パーセントでしかなかった。一山いくらでろくに審議もされずにその他諸々の雑多な法案と一緒に予算が可決されたことが、地球にいまなお人類が居るという再発見に繋がった。地球再生事業法による執行予算は、そのまま人道支援に横滑りした。
あの何を考えているかわからない宇宙人共が、地球にいた頃から益体もないことを重ねていたのは承知している。洒落にならない技術格差を考えれば、道楽で巨人の軍隊くらいは作ってみせただろう。だがなぜ共和国軍が、そのバカどもの玩具に関わらねばならないのか。ケルマディックは怒りでかすかに震えた声で言った。
「するというとなにか、この機械人形を作るために私の計画を壊すというのかね」
「表面の事象だけをとらえると、そうなる」
感情の薄いクローディアの顔には「まぁ、決まったことなのだし」と書いてあった。彼は急激な血圧の上昇を軽い平衡感覚の喪失という形で感じながら、言葉を続けた。
「その機械人形の有効性はだれが立証したんだ?」
そう問われたクローディアは、形の良い眉をすこし寄せた。
「それに関する回答は少しむつかしい」
クローディアの、ちょっと困ったような声を聞けたせいで、ケルマディックはすこし落ち着きを取り戻した。だが、ある者には保護欲を、ある者には嗜虐心を呼び起こしそうな儚げな表情は、一瞬で消えた。クローディアはケルマディックを見据えると、淡々と言った。
「私が再開発をした兵器のすべてが有効性の立証を事前に行なえた訳ではない。しかし、私が、この兵器を再開発するのが共和国の国益に合致するだろうと判断したもので、その後、有効性が疑問視されたものはない。いうなれば、私が有効だと判断することが有効性の保証と言えないだろうか」
そしてクローディアは唇の端を少し歪めた。嗤ったのだ。それを見た瞬間、ケルマディックは突然腹部に激痛を感じた。食あたりだの腹下しだのではない、胃の裏側あたりに身体の芯を握りつぶされるような痛みが走ったのだ。だがいまは重要会議中で中座するなどありえない。不調を無視して反論を試みようとしたが、数秒を経ずして思考は激痛に支配され、無意識のうちに背を丸めていた。会議の参加者たちはケルマディックの異常に気づき、数名が駆け寄った。どさりと倒れ、弱々しく「痛い」としか言えなくった。霞がかかる意識の片隅で、インターホンを取り上げて衛生兵を呼ぶ声が聞こえる。
振り返ってみれば、彼は歳相応の健康管理というものに関してあまりにズボラであった。甘いものが好きで、辛いものが好きで、しょっぱいものが好きで、脂っこいものが好きで、20代のときと変わらぬメニューで変わらぬカロリーを摂取する喫煙者にして自称酒豪の50代は、会議室の外で待機していた副官をパニックに陥れながら隣接する陸軍病院に担ぎ込まれた。
「ケルマディック中将は気の毒だったわね。っていうか、びっくりしたわ。ただでさえ会議でテンパってるのに、いきなり倒れるんだもの」
クローディアはコーヒーカップを二つ用意しながら言った。ひとつは自分、もうひとつはオフィスを訪れたロバート・マッキンタイア中佐のためのものだ。文句を言ってるようでありながらケルマディック中将の生命に別状はないという連絡があったことから、その声は明るい。
内弁慶なところのあるクローディアにとって、他人が並ぶ連絡会議は大の苦手だった。しゃべるべきことを事前にメモにまとめ、会議が始まる前には手のひらに書いたのの字を飲み込み、それでも緊張で棒読みするのがせいぜいなのだ。
そこへ出土品の分配で突っかかられて、せめて気まずい空気をほぐそうと微笑んだら、いきなり相手が腹をおさえてぶっ倒れた。あのまま死なれでもしたらトラウマになるところだった。
「中将殿も激務が続いておいででしたから今度の療養はよい骨休めになるでしょう。中将殿が任務に復帰されるころには、AWGAもロールアウトしているでしょうし」
「お見舞いに行ったほうがいいかな?」
「その必要は無いでしょう。向こうだって親しくもない人に見舞われたら困ると思います」
もう会うこともないでしょうし、とまでは口に出さなかったマッキンタイアは、カップに手を延ばした。そっかー、そりゃそうかもねー、と一人納得する「お嬢」手ずからのコーヒーに頬を緩めると、その湯気をあごにあてる。
呑気そうなことを言っているが、ケルマディック中将の病名は大動脈解離。不摂生による慢性的な高血圧によって大動脈が疲弊し、劣化し、裂けたのだ。大動脈は内膜、中膜、外膜のみっつの層から成るが、内膜と中膜が裂けて外膜との間を引き裂きながら血流がどばっと流れ込み、偽腔がぷくー、っと形成された。これによって本来の動脈である真腔が圧迫されたり心臓への血流が阻害されれば、激痛にのたうち回った挙句、数時間と経たず比喩ではなしに本当に死ぬ。
幸いなことに裂けた部位が真腔や臓器への血流に悪影響を与えなかったことからケルマディックは投薬で治療されることになった。宇宙人であればスタンフォードBと分類したことであろう。裂けた部位がもっと心臓に近ければ、半丁博打じみた大手術を必要とするところだったのだ。まことに運のいい人間である。
とはいえ、丸裸に剥かれてからぺらぺらの病人服を被せられ、左右両腕に加え鎖骨下の静脈にまで点滴のぶっとい針にシモにはカテーテルと、寝返りさえうてない身の上である。この先1週間以上、飲まず食わずの降圧剤漬けにされることは確定していた。血圧を80にまで落とされて酸素吸入を受ける彼が、自分の口でモノを食べれるようになるにはまだ10日近い日数が必要だろう。投薬治療といっても薬が直接的に何かを治すわけではない。動脈に血圧がかからない状態にして、裂けた箇所が血漿で塞がるのを待つという、ある意味暢気な治療である。ここから軍務に復帰となれば、年も年だしその他諸々の不摂生のツケもある。さて数カ月で済むかどうか。
もちろんその間、空軍参謀総長を空席にしておけるわけがない。後任は速やかに選出された。
「後任のキンケード中将だけど」
「ええ、AWGA計画には大変理解を示して下さいました。大佐のご心配には及びません」
嘘ではないが、真実でもない。そこにはもう少し紆余曲折があった。
参謀総長が代わったからと空軍の装備計画が急に変わるわけではない。核爆弾を搭載した仮想敵の戦略爆撃機の絶対阻止は空軍の存在理由でもあるから、AGE計画のために出土品をよこせという声はなお消えなかった。
マッキンタイアとて軍人だし技術者だ。そういう気分は理解できる。腹の中で思うのも構わん。しかしお嬢に向かってそれを億面もなく口に出すなど言語道断だ。マッキンタイアは単身空軍省に乗り込んだ。陰では庶務の女性下士官に「若頭」などという渾名を付けられてしまう強面の40男は、キンケード中将を呼びつけると階級差などガン無視して怒気も露わに説教した。いわく空軍が存在していられるのは誰のお陰なのか。いわく生みの親に対する敬意が無い。いわくあのような要求を出すこと自体が自ら推進する装備計画に対する不勉強の極みである、云々。
もちろん軍隊式敬語という最低限のオブラートに包んではいた。だが、それは贔屓目に見ても新任少尉を叱りつける小隊付軍曹の図でしかなく、実態としては中佐が軍種を超えて中将を面罵したに等しい。もとより、マッキンタイアが至誠を捧げるクローディアがコケにされたのだ。黙っているつもりはさらさら無かったからこそのカチコミであるし、詫びないなら将官の首のひとつやふたつは道連れにしてやろうとしていたから若頭の渾名は性格に由来するものなのかもしれない。
参謀総長着任早々に陸軍相手の抗争で全面降伏か全面戦争かの両極端な二択を迫られたキンケードを救ったのは、共和国空軍の7個防空戦闘飛行隊を統括する第1防空戦闘航空団司令官のベンソン少将と、空軍の装備を開発するシステム軍団の技術的実務、こと電波兵装におけるトップであるマーカム技術中佐だった。ふたりは揃ってケルマディック中将の出土品引き渡し要求が実施部隊とも、開発部隊とも関係がないと説明した。マーカムは共和国で設計し、製造し、改良できるコンピュータが採用の絶対条件であるとまで言った。彼にしてみれば拾いものに国の命運を預けるなどバカでしかなかったし、そもそも宇宙人のコンピュータは使いづらいのだ。
マッキンタイアは掘ってきて動くようにするまでが専門分野だったが、マーカムは掘ってきたものを使ってみろと押し付けられる方の立場だった。出土品とてI/Oとしてのキーボードとモニタは使えるのだが、その動作において人間がプログラムを作って実行させるという命令形態をとらない。というか、とれない。彼がいままで携わった全ての出土品が、人工人格をインターフェイスとするもので、標準米語か宇宙人公用語の会話しか受け付けないし、そもそもこれらの旧世界のコンピュータがわかるようなプログラムを書ける人間がいない。逆に出土品にこちらのプログラム言語を覚えろというと、腹立たしいことに高サンプリングレートの音響データを生成して鼻で笑う。
もっともマシな仕事の命じ方は映像と音声の入力ができるようにした上での「やってみせ、言って聞かせてさせてみせ」式だった。これをエキスパートシステムがどうこうと言い出す同僚もいたが、何のことはない、手間数もそれで覚えられる仕事の少なさもまんま新兵教育だった。そのくせ桜のマークが筐体に描かれたコンピュータ以外は、戦争だの攻撃だの破壊が絡むと途端に仕事をしなくなる上にキュージョーを守れと呪文を唱えては怠業は正当な権利だとほざく。
どこも分配された出土品の使途や成果については口をつぐむから他所はどう扱っているのかを具体的に知らないが、少なくとも空軍で一番稼働時間が長い出土品は、軍病院の心療内科でカウンセリングという無駄話に興じている奴だったはずだ。20年近く前は回路そのものや結線で必要な出力を得るワイヤードプログラミングでレーダーFCSを組んでいた男にしてみれば、機械としての構造がコンピュータであろうと、人語しか解せず、ましてデータの処理ができないことを逆に誇るような出土品群など断じて計算機としてのコンピュータとして認められなかったし、そんな面倒くさいものをよりによって参謀総長御自らが魔女を敵に回してまでこっちに押し付けるつもりだったのかと思うと背筋が寒くなった。こんな話、何がなんでも辞退しなければならないし、こんな馬鹿げた理由が発端での遺恨なんざ願い下げだった。
「ですので、ケルマディック中将の述べた技術遺構に関する希望とは、何かの間違いです。発言は撤回します。申し訳ありません。本人が面会謝絶ですので直接確認はできませんが、幸いなことに新任の参謀総長もいらっしゃることですし、差し支えなければこの場で書面で回答させていただきます」
マーカムはこれ幸いと出土品を押し付けられる危険から逃れようとしていた。参謀総長のお墨付きで。
キンケードは戸惑っていた。引き継ぎでは出土品の確保は最優先とあったからだ。キャリアや実績はともかく、責任は階級相応しかないマーカムに被せきれることではない。キンケードはベンソン少将を見た。ベンソン少将は水を向けられると年より10は若く見られるハンサムぶりを無駄に発揮して言った。
「どうせRAWDOCに頼み事をするなら、固体回路でのコンピュータの建造にしときましょうや。正直、出土品なんてあの姐さんでなきゃ手に負えませんぜ? この先、戦闘機でもSAMでもAAMでも真空管から半導体にごっそり変わる。ケルマディック中将やウチの上司は超高性能なコンピュータがあればと思ったのかも知れませんが、空軍が必要なのは自分で作って数を増やせる固体回路だ。いまだってあんだけ大騒ぎして運用したディーゴのFCS程度の演算は、使い捨てのミサイルのガイダンスセクションに詰めたペーパーバック程度の基盤でやってるんですから」
キンケードはうーむと唸ってから、探るようにベンソン少将に確認した。
「それは実施部隊の意見と受け取って良いか?」
露骨な保身にベンソンは思わず苦笑したが、表情を真顔に戻すとキンケードに噛んで含めるように言った。
「防空戦闘航空団は、システム軍団の開発した機材に全幅の信頼を置いております。こう言ってはこちらのお兄ぃさんに失礼かもしれませんがね、マーカムの旦那がオッケーを出さなきゃ怖くて戦闘機なんて乗れませんや」
キンケードは目の前の形式上は部下にあたる男を見た。中尉の時に首都夜間防空戦で実戦デビュー。当時の、最新鋭ではあったが扱いの難しいレーダー夜戦を駆ってまたたく間にトリプルエース。その後、全天候化によってレーダーが戦闘機の標準装備とされていくなかで「もっともレーダーを上手く使うパイロット」として64機の撃墜確実戦果を挙げた共和国空軍のトップエース。そしてその8割がマーカムとのコンビによる。かつて少佐時代に出世競争において対抗陣営からマーカムとデキているという悪質な噂が流され、一部の危険思想を持つ女性兵士から熱狂的な支持を受けたが、年上の女優と結婚して「公私ともに姉さん女房最高」と発言して煙にまいた男だ。だいたいやっとこ厄年を過ぎたあたりなのに士官学校の卒業が5期も6期も上の一選抜と中将への出世レースを対等にやってるという時点でおかしい。同期の出世頭のキンケードでも元帥昇進、すなわち陸海軍の一選抜と椅子を取り合う統合参謀本部議長は怪しいのだが、ベンソンは余程のドジでも踏まない限り就任確実、問題は時期だけとまで言われているのだ。動かしようがない年齢差を鑑みるに、キンケードが退役するあたりで空軍の最高権力者となっている可能性が高い。かつての空軍のプリンスから近い将来のキングへと順調に成長している男を敵に回せば、天下りという再就職に響く。
キンケードはあっさり変節した。前動続行が軍の倣いとはいえ、言い出しっぺが退場済みなのに無理に我を通す意味も義理もない。
結局、空軍は魔女のお人形遊びを全面的に支持し、陸軍は空軍の新型コンピュータの再開発に協力することで話はまとまった。RAWDOCの若頭とシステム軍団の電波王の合意となれば、統合参謀本部議長だっておいそれとは嘴を挟めない。空軍の王太子である撃墜王の口添えもあるとなればなおさらだ。急遽実施された実務者レベル協議による合意事項として文書に残っているのはここまでだが、非公式にその影響を受けたものは存在する。
空軍のAGE計画のコンピュータは新任の参謀総長から再開発技術によってソリッドステート化される方針が明示された。これによって技術遺構の推進派はあっさりと抹殺された。その中にはなお集中治療室から出てこれないケルマディックも含まれる。閑職に飛ばされるか、病気退役か。いずれにせよ今後、RAWDOCの玩具箱に関われるような立場に復帰することはない。マッキンタイアにとってケルマディックが既に過去の人だった理由だ。もっとも「魔女の腰巾着」と呼ばれたとしたら「そんなに褒めるな」と答えかねないマッキンタイアが所用で会議を欠席していなければケルマディック中将が三軍の高官居並ぶ中で罵倒されたのは確実だから、最低限の体面を保ったままフェードアウト出来たという意味でもまことに運のいい人間である。
魔女に楯突いたタイミングで梯子を外された格好の海軍だが、RAWDOCに何かを言われる前にとっとと無かったことにした。無かったことにされた結果、海軍の将来の建艦計画に多少の変更が加わったようだ。クローディアにあまり評価されていない戦艦部隊が編制表から消えたわけではないが、駆逐艦の建造を何隻か取りやめて、空母を追加することになった。それも空軍の最新鋭機であるエレクトラが運用できる大型空母を。満載排水量は5万トン近いというからずいぶん思い切ったことをする。これによってRAWDOCとは艦艇設計、空軍とはエレクトラ艦上型の開発で新たに協力関係を結び「前から仲良しですよ?」というポーズをとるのだ。不毛な内輪もめをするよりは万倍マシではある。
これで世は事もなし。マッキンタイアは魔女の宸襟を安んじ奉ったというわけだ。
「まーキミが言うなら心配いらないんだろうね」
「はい、大佐のご心配なさることはありません」
それを聞いたクローディア大佐はソファに座り、のほほんと自分のコーヒーをすすった。それを見て、マッキンタイアもコーヒーを飲む。
「そうだ、今度の連休にフィルンに帰ろうと思うんだけど、一緒にどうかな?」
「ご一緒します」
即答だった。
「クリスは帰ってくる?」
「帰らせます」
マッキンタイアは幼年学校にいる息子を本人の意思の確認も躊躇もなく帰省させる決定を下した。もっとも、クリス・マッキンタイア候補生もクローディアに心酔することでは父親にも負けていなかったから、その知らせが届いたところで喜びこそすれ不満に思うことなどありはしないだろうが。
そもそもマッキンタイア家とクローディアの付き合いは祖父の代まで遡る。12歳の孤児は、クローディアと出会うことで人生を一変させた。当時、トレジャーハンターとして技術遺跡を荒らしまわり「レイダース」の異名を奉られていたクローディアの気まぐれから助手となったセバスチャン・マッキンタイアは、その余録に預かることで一代どころか10年と経たずに地位と財産を手に入れ、一端の名士となりおおせた。
もちろん本人の努力や才能もあったが、それが実を結んだのは40歳でも30歳でもなく19のときであり、技術遺構を取り扱う商会の会頭として分不相応の社会的信用を得られたのは間違いなくクローディアの気まぐれによるものであり、それがなければセバスチャンが幼なじみの少女と結婚することはあり得なかった。陳腐なメロドラマのような展開だったが彼にとってはまごうことなき現実であり、絶望に他愛なく押しつぶされはずだった口先だけの約束が守れたのはクローディアのおかげであると深く感謝していた。その念は息子や娘が生まれるたびに強まった。
共和国が建国され、数年と経たずに技術遺構探索の大口の顧客だった政府の要請で設立されたばかりの陸軍にクローディアが奉職することになると、セバスチャンも陸軍に志願した。年齢にせよ財産にせよ地位にせよ事業にせよ、彼が陸軍に入隊しなければならない理由はなかったが、クローディアの助手であり続けるには必要なことだった。晩年の彼は、助手というよりは生まれた時からの執事のような物腰を備えるに至ったが、半世紀にわたる献身を経てなおクローディアに与えられた恩に報い得たとは考えなかった。
マッキンタイア家そのものは三代を経て一族と言って良い規模に数を増やし、ゴミ拾いを始祖としながらフィルンの商工において一都市を支配するほどに権勢を増し、生まれた時から飢えも寒さも知らない分家にはセバスチャンがクローディアと知り合ったことは幸運な出来事という「歴史」で捉えているものもいた。
だがセバスチャン本人は、引退して孫たちに囲まれながらも「もしクローディアに拾われていなかったら、家族の誰ひとりとしてここに存在していない」というまったくの事実に基づく恐怖に囚われ、終生解放されることはなかった。親の因果を子に引き継がせることに思うところがなかったわけではなかったが、せめて直系だけでもクローディアに奉公させられないか。彼はすでに息子のアルバート・マッキンタイアにトレジャーハンターとしての教育を施し(そしてクローディアへの洗脳と言って良い忠誠を叩きこんで)軍に志願させ、自らの退役年限に達するとあらゆる伝手を使ってクローディアの側近としていたが、これを孫の代まで続けるかどうか、息子に相談した。だがよく訓練された跡継ぎでもあったアルバートは、クローディアが滅するまで、何代でも仕えるべきと答えた。まだ小学生だった孫のロバートへの意思確認も行われた。セバスチャンがクローディアと出会った時と同じ年齢だったロバート・マッキンタイアの答えも、父と同じだった。
以来、マッキンタイア宗家は始祖の怨念じみた遺志を受け継ぐことこそを誇りとし、クローディアの世話を焼く特権を得た。セバスチャンが亡くなったのは四半世紀ほど昔の話であるが、マッキンタイア一族の事業規模はその当時の倍ほどにもなっている。当主は代替わりしたが一族が栄えるほどに「得られなかったかも知れない現在の幸せ」が大きくなり、その恐怖から逃れる術はクローディアへの更なる忠誠しかなかった。すでに現世利益が示されているのだから、空手形しか切れない宗教どころの話ではない。他人が聞けば何の呪いかと思うような事柄ではあったが、マッキンタイアの長子は喜んで呪われるような偏屈揃いだった。
「なにかご希望はありますか」
「そんな大げさにしなくていいわ。実家に帰ってみんなの顔見るだけだし。あとは休みが終わるまでのんびりするつもり」
フィルンの郷土料理についてひとしきり雑談したのちにきっちりとカップを空にし「ごちそうになりました」と言って退出したマッキンタイアは、自分の執務室に戻る廊下を歩きながら頭の中ではクローディアのふわっとした意向を実現すべく、クローディアの帰省を伝えるべき人間の選別や小心な彼女が気後れしない程度の宴会や不自然にならない程度に好物を盛り込んだ献立、クローディアの親族のスケジュール調整や汽車の予約といった段取りを進めていた。
だが、実務として真っ先にやったことはフィルンに駐屯する連隊の、マッキンタイア家が鼻薬をたっぷり効かせた、訓練も装備も国軍とは別立てのもはや私兵と言って良い非公式部隊の司令部と盗聴防止措置がとられた特殊回線を通じて行われた彼女の身辺警護の打ち合わせであるあたり、一介の技術士官とは程遠い男ではあった。
しかし、ロバート・マッキンタイア陸軍中佐は、クローディア・ケーシー技術大佐の本当に忠実な部下なのだ。おそらく死ぬまで。
おしまい