三話
全ての授業が終わり、早速帰ろうとしたところで園継先輩に遭遇してしまった。
「砂波、このあと時間あるか?」
「理事長会役員ですか? 面倒ですね」
やれやれという仕草を見せると先輩は否定した。
「いいや、今日は私の個人的な事だ」
「……は?」
ほとんど自分のことを話さない先輩にしては珍しい誘いだった。
「お前に会わせたい人がいるんだ。何も訊かずについて来い」
連れて来させられたのはこぢんまりとしたカフェだ。店に客はほとんど居らず、その男は窓側の席に一人で座っていた。
先輩は躊躇なく、その男に近づく。
「お久しぶりです」
先輩は敬語で男に話し掛けた。一応俺も「こんにちは」と挨拶した。
「ああ、久しぶり。そしてこんにちは。君だね? 砂波君っていうのは」
「あ、はい」
まさか男が俺の名前を知っているとは思わず、間抜けな返事をしてしまった。
「砂波、この人は諌野辰巳という。近くの研究施設で働いている人だ」
諌野辰巳さんはおそらく二十代前半だろう。白銀の下縁メガネを掛けているのが特徴だ。レンズ越しに見える目は細いが、基本的に朗らかなおかげかキツい印象は無い。
「先輩、もしかして……」
「ああ、諌野舞の兄だ」
予期せぬ人物に、なぜ俺を呼んだのか……疑問が深まる。
「で……園継さん。僕を呼んだのは砂波君と会わせるためなのかい?」
「はい、砂波は賢い奴です。あの話を聞かせるべきじゃないですか?」
俺が間に入るまでもなく会話は進行していく。
「そうだね、君がそう言うなら信用しようかな」
辰巳さんは店員にコーヒーと紅茶を一杯づつ注文した。長話の予感がし始める。
「そうだなぁ……どこから語るべきかな。僕は、大学生の時に仲間二人に講師一人で集まってとある研究をしていたんだ」
「講師というのは大学の先生ですか?」
ずっと黙るのも嫌なので適当な質問を入れる。
「そう。ちなみに、他の二人はサークル仲間で一人は先輩。大学は君たちが通う高校の姉妹校だ」
姉妹校か、入学したときに聞いた覚えがある。校舎が完成したのが同時期で、当初から交流が深いらしい。俺らの通う高校からその大学に進学する生徒はおよそ三分の一とかなりの人数なのだという。
「蛇足だったね。その研究っていうのが、なかなか常識外れな内容だったんだ」
店員が飲み物を運んできた。辰巳さんは一度話を切り、立ち去るのを待った。横から園継先輩が紅茶を催促してきたので、先輩の前にカップを運び、コーヒーに口を付けた。
「うん、大きな声じゃ言えないんだけど、人を作ろうとしていたんだ」
無意識に背筋が伸びる。この人が嘘を吐いていないかを見極める癖だ。しかし、辰巳さんの表情はニコニコとしたまま変化がない。
「人造人間さ。ロボットなんかじゃない。自分で考えて自分で動く。見た目も普通の人と見分けがつかない傑作だ。そう、初めての実験で成功したんだよ!」
徐々に力を入れた声が、人の少ない店内に響く。辰巳さんは咳払いをして、自重したトーンで続けた。
「でも、都合良く進み過ぎた。簡単に言うと、調子に乗っちゃったんだ。いやあ、やりすぎたね」
「やりすぎたとは?」
「三十二体」
辰巳さんはコーヒーに口を付けた。俺は続きを待つ。
「……僕らが作った人造人間の数だ。少し多すぎて、全員をしっかり管理できなくなっていた」
今更だが、俺はなぜこんな話を聴かされているのだろうか? 長話は苦手なのだ。
「人造人間には親を付けて、その人の下で教育を受けさせた。それで一時は安心を得たんだ」
だけど……と、唐突に重い口調になる。
「数年経って、それぞれの親に連絡を入れたんだ。すると、とんでもない話を聴いてしまった。三十二体のうち、二十六体は死んでいた。さらに、ほとんどの人造人間達が発達障害、もしくは、すでに成熟した思考回路や精神だった」
穏やかでない内容になり始めた。
「辰巳さん、その死んだ人造人間は?」
「安心……というのも変だけど、問題にならないように対策は用意してたよ。体の中に特殊な装置を入れていたんだ。生命活動が停止すると、装置が起動して全身を原子レベルで完全に分解して塵も残さない。魔法のようだね」
その装置については何の感慨もないようで、最後の方はほとんど棒読みだ。
「砂波君にお願いしたいのは生き残った人造人間の保護だ。園継さんと協力して……」
「嫌です」
条件反射のように口が動いた。
「……まあ、ね。そう言われるだろうとは思ってたよ。大丈夫、こっちにも考えがあるんだから」
辰巳さんは独り言のように言う。そして、なにやら脇に置いていた鞄をあさって紙の束を取り出した。いや、ただの紙ではない。紙幣だ。
許可を貰って、調べる。偽札ではないし、全てが一万円札で十万円分ある。
「どうかな? これは前金で、成功報酬になると……」
不意に溜め息が漏れた。感嘆のものではない。呆れからだ。
「すみませんが、これが百万だろうとやりません」
辰巳さんは驚かず、園継先輩はひゅーと口笛を吹いた。
「ほら、言ったでしょう? 砂波は金で動かないって」
先輩はわかっていたようだ。なら、止めてほしいものだ。
「理由が聞きたいな。」
求められたので、答える。
「働いた時間が金になる。これは世の常識です。しかし、いくら金を払おうと時間を増やす事は出来ない。これが理由です」
辰巳さんは一度だけ大きく頷いた。そして、今度はB5サイズの普通の紙の束を取り出す。
「それは……」
さすがに動揺せざるをえなかった。さては園継先輩から入れ知恵されたな。表紙には大きな文字でタイトルのようなものが書いてある。
『二色一春 特殊能力保持者』
帰り道、園継先輩と二人という地獄のような時間が再び始まった。特に会話もなく、ただ歩みを進めている。
前振りもなく、園継先輩が言葉を発した。
「諌野さんが語ったのは、まだ全てじゃない」
少し驚いたが、すぐに聞き返した。
「じゃあ、先輩が話してくれますか?」
先輩は首を振った。
「私が喋っても意味がない。言葉に意味を持たせるのは内容ではなく、誰が語ったかだ」
「え?」
「例えば、スキーは難しいスポーツではないと未経験者が言うのと、プロが言うのとでは違うだろう?」
「ええ、後者の方が説得力がありますね」
「つまり、当事者が話す方が良いという事だ」
最初からそう言ってくれれば助かる。
「じゃあ、私はここでサヨナラだ。保護の件、健闘を祈っているよ」
そうして、先輩と別れた。
俺は結局引き受けてしまった。あの冊子が必要だったのだ。
二色一春というのは俺が調べている夏の事件の被害者の名前だ。しかし、タイトルに書いてある特殊能力とはなんだろうか? 中身は帰ってから読む予定だ。
最初に保護するように言われた人の名前は、古屋水樹。もちろん知らない人だ。だが、引き受けた以上やるしかない。
いつもより早い足取りで寮に帰ることにした。