五話
行動を起こしたのは中林達と別れた直後だった。バレイルにパソコンの使用を許可してもらい、『真夜中』がどのように日本に広まったのかを調べる。
「予想通りと言えばそうだな」
「なにがだ?」
共に画面を見つめるバレイルが独り言に反応してくれる。
「日本語は喋れるが、読むのは苦手なんだ」
ひらがな、カタカナ、漢字を使い分ける日本語は、外国人が勉強する上での難点だとテレビで聞いた記憶がある。
「都市伝説という奇談です。大概は根も葉もない噂話で、信憑性はありません」
「ほう……」
一つ流し読み程度に済ませて、違う主旨のサイトを探す。
「噂の自殺曲を検証……考察……こんなものか」
しかし、役には立たなかった。検証は何も起こらないで終わり、考察は筆者の妄想と言っても過言ではない内容だった。
「おじさんは目が疲れたな」
俺の目に異常はないが、確かに長時間画面を見つめているのは目に悪い。
「休憩しますか」
「そうだな。ああ、まだ寝室を案内してなかったね。場所を教えておくよ」
「お願いします」
寝室は五畳くらいの部屋だった。シングルベッドとラック。その上には給水ポットとコップがある。
「菓子ぐらいは置いてほしいな」
誰もいない部屋でひとりごつ。
ベッドに横になる。いい寝心地だ。このまま寝入ってしまいそうなほどに。
「……」
本当に眠りそうになって、起き上がる。まだ風呂を借りなければ眠れない。用意ができたら家政婦 (メイドではなかった)が呼びに来るとバレイルが言っていた。
「……暇だな」
携帯電話はあるが、俺はそれを弄る事をほとんどしないし、携帯ゲーム機の類もない。本でも持ってくれば良かった。
水を飲もうと立ち上がった時、天井から物音が聞こえた。ここは二階で、外から見たときも二階までしかなかったと思うが、天井裏からだろうか。
どうせ暇だ。不躾だがこの家を徘徊しよう。
廊下を歩くと、少し金持ちのイメージと違うことに気がついた。いかにも高級そうな壺や、壁のレリーフ、絨毯といったものが全く無い。屋敷の広さからちぐはぐな印象を持つが、庶民派な俺には落ち着いて感じた。
俺に当てられた部屋から二つ扉を過ぎたところで梯子を見つけた。掛けられている壁が少しへこんでいるから、見渡しただけでは見つけられなかったのだ。躊躇なく昇る。
上の階に顔だけ出すと一際大きな部屋が現れた。俺の部屋に音が聞こえたということは、単純に考えて五畳ほどの部屋を三つ重ねているのだからこの屋敷では一番広いかもしれない。
一通り見回す。この梯子は部屋の端にあり、壁には本棚とタンス、反対側には窓が並び、壁掛け時計があった。そして、奥には机があり、人がいた。女性である。おそらく使用人ではないだろう。バレイルの家族か?
人の気配に気がついたのか、その人が振り返る。俺の姿を認めると、近寄ってきた。言語に対して一抹の不安を感じながらも逃げることはしなかった。
梯子を昇りきる。幅は下の部屋より多少広がっているが、彼女が歩いて来ている縦だけ異常に長い。
「who are you?」
聞き取れた。難しい単語ではないのが幸いした。
「あー、アイム キョウ、サナミ……ジャパニーズ」
俺の英語の発音は最悪だ。改めて実感させられる。
「Japan……okay. なんで、ここにいるの?」
発音は完璧ではないが、日本語を話した。少なくとも、俺の英語よりは上手いのは確かだ。
彼女の名前はリエル・グレイという。白に近い金髪で長髪だ。目鼻立ちもしっかりしている。ファミリーネームは違うがバレイルに似ているように見えるのは気のせいだろうか。
「ここにいるのは偶然だ。部屋で休んでいたら天井から物音がしたから探っていた」
「物音……これ、落としたから」
彼女が示したのは地球儀だ。これを落とせばなかなかに音が響くだろうな。
「日本語はバレイルから習ったのか?」
「いいえ、昔は日本にいて……自然に」
少し納得した。
「ファミリーネームは違うが、バレイルの家族か?」
部屋の大きさを考えるに、それほどに距離の近い人間だと思った。
「そう……だよ。お父さんの代わりだ」
代わり……か。養子ということだろうか? それならば状況が理解できる。
「……真夜中という曲を知っているか?」
家政婦は日本語を話せないから諦めたが、彼女からなら情報を聞けそうだ。
「知って、ない」
「そうか。邪魔したな」
梯子へと戻る。机のある部屋の端まで来ていたので、移動が面倒だ。
「砂波」
降りようとしたところでリエルに呼び止められる。顔だけそちらに向けた。
「もう少し話ししてほしい」
声は必死に聞こえた。しかし、彼女の顔は無表情だ。
「風呂から出たらまた来る」
リエルの顔を故意に見ないようにして、階下へ降りた。
「探したよ。もうお風呂の準備が出来ている」
梯子の前でバレイルに呼びかけられた。
「家政婦さんが呼びに来ると聞きましたが」
「君が部屋にいないから私に相談しにきたよ」
嫌な沈黙が訪れる。バレイルに三階へ行っていたのはもうバレているだろう。
「……隠している理由は何ですか?」
「何のことかね。屋根裏でお宝でも見つけたかな?」
安易に深入りするなと言っているのだろうか。
「別に隠す必要はないでしょう。それとも何か……後ろめたい事があるんですか?」
バレイルは語らない。
「リエル・グレイ。彼女、外に出てないでしょう。それか出していないのかは知りませんが」
彼女は感情表現が下手だった。幼い時に自然に学ぶことができていない……それが表すのは人と関わっていないということだ。そして、俺の顔つき、黒の髪から国籍の判別をしようとしなかった。もしかしたら、国によっての顔や髪色の違いを知らない可能性がある。
「君には関係ない。そんなことより早く真夜中を……」
「俺も、彼女の事情なんてどうでもいいんですよ。過去の話なんて時間の無駄遣いです。つまり、俺が聞きたいのはそこじゃないんです」
真夜中には自分なりに答えが出た。
「ただ、なぜ彼女を外に出さないか……それだけです」
「……ここがバスルームだ。君の質問には答えない」
強情なおっさんだ。無理に隠そうとすると、かえって目立つのを知らないのだろうか。そんな個人の心情など知ったことではないがな。
風呂から上がる。隣接している更衣室には自分に用意されたと思しき下着とパジャマがあった。元々俺の着ていた服は洗濯されているのだろう。下着にはタグがついたままだが、ハサミも置かれている。新品であると教えてくれているのだと思おう。
自分の寝室には寄らず、真っ直ぐリエルの所へと行く。
「来てくれたんだ」
「あぁ」
どうやら俺を待っていたらしい。部屋の奥から早足で来る。俺と話をするのがそんなに楽しみだったのか。
「少し真面目な話をするからな」
そう言うと、彼女は不思議そうな顔をした。
「真夜中について客観的な意見が聞きたい。協力してくれ」