四話
退屈な機内ではひたすら寝ていた。着陸前中林に起こされてようやくぼんやりとしていた頭も冴えてきた。
「……着いたか」
機体は完全に静止した。それとともに周囲が慌ただしくなる。
「着いたね~」
外に出てからタクシーに乗り、ホテルへと向かう。俺は英語が全くできないので、必要な会話は中林に任せる。
「さなみんも英語勉強したら?」
車内で中林に言われた事だ。それに対して短く返す。
「俺は生涯日本から出る気はなかった」
中林からは溜め息が漏れる。海外に行かなくとも多少は英語が必要になることくらいは理解している。だからといって、じゃあやりましょうとはならないのが勉強だろう。
「それでテストの点が良いって……どんな頭してるの?」
「お前の方が頭は良いだろ。俺を羨ましく思えば成績悪くなるぞ」
「あ、そうか。さなみんってそんなだから先生に良く思われてないもんね」
「……着いたんじゃないか?」
緩やかにスピードを落として路肩に停車する。荷物を下ろして眼前に堂々たる貫禄を感じさせるホテルが見える。
「高そうなホテルだな」
誰に話しかけるでもなく言った。
「どうだろうね」
中林が反応してくれる。
中に入る。オレンジがかった色の証明が落ち着くフロントだ。受付も中林に全て任せて俺と舞は従業員の案内する部屋について行く。
「広い部屋だな」
「まあ、三人部屋だからね。変な気は……起こさないか」
「当たり前だ」
言葉に詰まったようだが、信用されていると考えよう。
「しかし、変な話だな」
ベッドをイス代わりに使って中林に話しかける。
「うん、歌で人が死ぬなんてね」
「違う、それじゃない」
中林は驚きの表情でこちらを見た。
「このホテルは誰が予約したんだ? まさか学校が取ってくれているわけじゃないだろ」
「うーん? そうかな?」
「ああ、正当な理由が無いのに国外に生徒を送れば問題になる」
中林が頷いたのを確認して、舞を見る。相変わらず聞いているのかいないのかよく判らない。
「それに……ここは三人部屋だ」
それだけが、事実として存在する。園継先輩がなぜ俺達をここに来させたのか。その答えが今、ヒントとして出されているのだろうか。
「さなみん、真夜中は?」
「そんなもの本気にするな」
日本に帰ってからゆっくりと問いただそう。何のつもりなのかは、この現状ではわかるはずもないのだから。
「よし! さなみん、舞ちゃん行こうか!」
「行ってらっしゃい」
観光名所がまとめられたパンフレットに目を通すのに忙しい。それが、言葉のわからない異国で見つけた室内での楽しみだ。
「二人とも何しに来てるのさ!?」
反応を伺う限り、舞も拒否したようだ。大人しいが、我を通す妙なプライドを持っている。
「観光。お仕事ですか、精が出ますね」
「さなみん、殴るよ?」
ただの冗談のつもりだったのだが……まあ、いい。重い腰を上げる時だ。
今回の目的地、バレイルの家はホテルから徒歩二十分で着くらしい。その程度ならと歩きで行くことに決まった。
「ここ……だね」
バレイルの家とは表現が違うかもしれない。たどり着いたそこは、家というには豪華で広い屋敷だったのだ。
「金持ちは家を大きくしたがるな」
門扉を抜けて庭を通り、玄関に着く。呼び出しには扉に付いている金属の輪を掴んで叩くものだった。
少し間をおいてメイドらしき女性が扉を開けた。何か聞いてきたが、もちろん俺には理解てきない。一歩退いて中林を前に出す。
「中に案内するって」
俺達はメイドの後に続いた。
玄関からほど近い部屋に通された。室内には誰もいない。二人掛けのソファーに中林と舞が座る。
「俺は立ちか」
「そこ、文句言わない」
他にイスを探すが、テーブルを挟んだ向かいにある一人用の物しか無い。たぶんそこにはバレイルが座るだろうから、俺が腰掛けるわけにはいかない。やむなく膝を床に着いて脚を休める。
老紳士然とした男がこの部屋に入ってきたのは一分と経たないほどすぐだった。彼は俺を見ると、一度部屋から出て、英語で何かをメイドに話している。
「良かったね、イス持ってきてくれるって」
再び男が部屋に入り、案の定向かいのソファーに座った。
「コーヒーと紅茶、どっちが飲みたい? 持って来させるよ」
話したのはバレイルだ。どうやら日本語は堪能らしい。
「私は紅茶かな。舞ちゃんは? コーヒーがいい?」
首を横に振った。
「じゃあ、紅茶三人分で」
最後に俺が伝える。イスを持ってきてくれたメイドにバレイルは更に仕事を与えた。
「はるばる日本からだったね。大変だったろう」
「ええ、ロンドンに来たのは二回目ですが、長時間のフライトは疲れますね」
バレイルと中林の他愛のない雑談が始まる。あまり引き伸ばすまいと会話に割って入らせてもらう。
「失礼ですが、本題を……」
「ああ、ごめんね。件の曲だが、私の理解の範囲を超えていてね……力になれそうにないよ」
件……難しい日本語を知っている。生粋の日本人ですらほとんど使わない言葉だ。
「そうですか。ありがとうございました」
「早い早い! もうちょっとやる気だしてよ!」
「嫌だな。歌を聞いて人が死ぬなんてのは紛れもなく勘違いだろうし、俺は帰ってから園継先輩に問い詰めなきゃならないことが……」
「そんなの後で大丈夫だから。とにかく謎解きが得意な人が今は必要なんだよ」
ちらっと舞を見る。目が合っているが、その心は読み取れない。
「舞……お前はどうだ? 帰りたいか?」
首を横に振る。
「じゃ、多数決の原理で決まりだね」
「少数派の意見は?」
「日本人は大多数の決定に流されるのだ」
つまり聞き入れないというのか。
「わかったよ」
もう観念しよう。このままだらだらと水掛け論を続けるのが一番不毛だ。
「そうかい、それでは今日は泊まって行きなさい。ベッドの用意をしよう」
「いえ、俺たちはホテルを予約しているので……」
断ろうとしたところ、中林がなにやら考えているのが視界に映った。
「さなみん……私、考えたんだけど」
「……なんだ」
「男女が同じ部屋で寝るのは如何なものかと思うんだ」
こいつや園継先輩に少しでも賛同してしまったのが運の尽きか。
「つまり、俺はホテルに帰り、お前らはここに泊まるというのか」
「……」
中林よりも舞の突き刺す様な視線に負けてしまう。「冗談だ……」と、反射的にごまかしてしまった。
「じゃあね、明日は昼に迎えに来るからね~」
二人はまだ明るい内にホテルへ帰った。
「なんの罰ゲームだよこれは」
異国の地で、初対面の人の家に泊まる。俺は生還できるだろうか。たぶん、無理だろう。