五話
人だの人造人間だのクローンだのとややこしい言葉をあげつらってはいるが、そもそもその違いは何か明確にしなければならない。その線引きが曖昧であれば、結局人間でしょ? という過程を飛ばした結論で終わらせられてしまう。
まず、人造人間とは生殖行為を介さず、人が人間を生み出す事だと解釈している。辞典などで調べてみればもっと小難しい理屈で説明してくれるだろう。
次に、クローンとは人を模して造られた人間の事だ。オリジナルがいるという点で、人造人間とは区別できる。人造人間という枠組みの中での、クローンという種別とも言える。
最後に、人。人間……オリジナル。単純に考えればクローンとは逆に、生殖行為をもって産まれたと言ったところか。
しかし、それだけなのだろうか。もしそうであれば、この日常生活において人と人造人間は同じになるではないか。
相手の顔も見えない闇の中で園継先輩は力無く座り込んでいる。
どれほどの時間が過ぎただろうか。沈黙を破ったのは先輩だった。
「砂波、お前は誰だ? その写真の男か? それとも砂波響か?」
何と答えたものか。自分の意識では砂波響が俺だ。しかし、その人物は存在しない。かといって、辰巳さんを弟として見れるかと問われれば不可能だ。
「……固有名詞は本来、物体には存在しないものです。あくまで物の分別をつけるためであり、存在の前に名前があるのではない」
言い回しが面倒だ。簡単にしよう。
「名前があって俺が存在できるのではなく、俺に名前が付いているだけのこと。どちらでもなければどちらにもなれる」
都合の良い解釈だ。自分でも思う。しかし、そうしなければ自分を保てない。クローンは、余りにも不安定だ。
「それはそうだ。だが、そうは言えん事もあるだろう? 逃げの口上は無しにしよう」
お互い腹を割ろうと、小さく続けた。
「……自分が、一番わかりません。幼い時分より、砂波響と呼ばれた俺は、他の誰とも自覚できない」
しかし、自分が誰であるかを理由を含めて説明できる人がいるだろうか。人造人間だからでもクローンだからでもない。人とは、感覚でほとんどの物事を判断しているだろうから。
「そうか、そうだろう。ある意味、人とは自分の事が一番知れないのだからな」
なんだ、この人は何が言いたいんだ? その真意を読み取ることができない。
「砂波、親に愛されず育てられればクローンはどうなる?」
「……? 質問の意味が理解しかねますが」
急に何の話だ。たしかにちらっとその事は言ったが……。
「自分が誰であるか。それこそわからない。名前と空間を与えられ、存在と居場所を無くすんだ」
中津原の顔が浮かぶ。あいつは引きこもり生活から脱却した。しかし、それは奇跡だと言っても過言ではない。
「敵意の視線、容赦のない暴力、耳を覆いたくなる罵詈雑言が日常的に浴びせられる」
「先輩、もしかして……」
「ああ、私もクローンだ。愛を受けず、殺される事もなかった死にぞこないだ」
「お前の言葉を聞けて嬉しいよ。やはり砂波は自分の意見に自信を持っている」
間違っていると思えば発言しないのだから当然だ。
「それで、どうして俺にそのことを?」
「ん? なんとなくだ。少し愚痴を言いたくなったのさ」
特に返事もせず、鉄柵に寄りかかる。会話が途切れ、何となく下を覗いた。やはり地上も真っ暗で、街灯の明かりが何もない地面を寂しく照らすだけである。
「……先輩、ここって何世帯くらい人が住んでるんですか?」
「七だ。大きさの割に少ないだろう?」
ああ、そうだ。しかし、それ自体はどうでもいい。
「それだけ住んでいればこの時間、一部屋も明かりが点いていないって事はありませんよね」
そう、下を覗くと、真っ暗なのだ。人の気配もなく。
「……私はある日、親から侮蔑されるのに嫌気がさしてな」
……まさか、と。嫌な予想は的中する事になる。
「殺したのさ。両親とも」
いつもと調子を変えず、淡々と事実を告げた。
「他の人は?」
「想像に難くないだろう? 殺したさ」
「どうして」
「私を助けなかった。私に暴力を振る姿は何度も見られていた。しかし、知らぬ存ぜぬ。触らぬ神に祟り無し。一切関わろうとしなかった。ならば同罪だ」
この人は今まで殺意を抱えながら生活してきたのだろうか。その上で、学校では周囲に何も感じさせずに三年間を過ごしたのだろうか。
「しかし、殺人の後に俺を呼ばないで下さい。疑われたらたまったもんじゃありません」
「安心しろ。だいぶ日も経つし、疑われはしないさ」
「……日が経っている?」
「ああ、お前と諌野等がロンドンに行ってる間にな」
この人は、今まで知り合った誰よりもイかれている。つまり、あのロンドン旅行は先輩のアリバイ工作だったのか? クローンであれば既に死んでいる身として捜査は及ばないだろうが、保険をかけていたんだ。予約したホテルが三人部屋だったのもそういう事になる。
「どうりで……」
そう、一言口から漏れる。先輩に軽蔑も、死んだ人間に対しても何も感慨が無い。先輩への心象に何も変化はなかった。
「やっぱり、お前は私を責めないんだな」
「……あなたが俺の知らない人を殺したって、俺には関係ありません」
低く、小さく答えた。俺の頭にはなぜか迷いがあった。知らずの内に『たっちゃん』の存在が浮かんでくるのだ。まだ、別人だと切り捨てられないというのか。
「迷いが見えているぞ。『お前』の答えなのだろう?」
そうだ。他の誰でもない。今の自分の答えだ。言葉にしたのが紛れもない証拠だ。
「人間とは、経験により構成されるものだ」
先輩は語り始める。
「運動や食生活、少しの癖で性格や容姿が決まる。砂波。お前は、自分が積み重ねたもので自分を成り立たせているんだ」
それ言葉は、自分への皮肉の様であり、俺への助け舟にも受け取れた。
「たとえ双子でも同じ人間にはならんさ」
自分の中で、一つ決心した。自分が何者であるかを伝えるべき人がいる。
「俺への用事っていうのはそれですか?」
「ああ、いつかは言わねばと思っていたんだ。お前が気づかなければクローンのことも話すつもりだった」
「ずいぶんと先輩らしくない事をしますね」
とは言ってみたが、大して先輩の事など知らない。というか、興味も示したことはない。
「そうかもな。だが、最後くらいは良いだろう?」
最後……そうか。二度とあることは三度訪れるのか。
「死ぬ気……ですか」
「そうだ。私ができる罪滅ぼしだ」
また、人が死ぬらしい。今度は今までより近しい人が。
「砂波、私がお前に残す言葉はもう無い。だからここから離れろ」
「……」
俺の足は動かない。動かすつもりもない。
「私はここに火を点ける。だから早く逃げるんだ」
「コンクリートで作られたマンションは燃え広がりません」
「だから全ての死体を一部屋に集めた」
「そんなことをしたら他殺と断定され、最悪あなたの存在はバレるでしょう」
「私は死んでいる。警察は都合の良い解釈を探す捜査に切り替えるだろう」
「死なせない」
言葉のぶつけ合いが止まった。自分自身、意識せずに発言していた。ただ、頭の中にはあった。これ以上、目の前で人を死なせないと。
俺は古屋を見捨てた。リエルは救いようが無かった。だが、今は違う。これ以上、自分の罪を重ねるつもりはない。
「冗談か? それとも聞き間違いか?」
「いいえ。先輩をみすみす死なせるわけにはいきません。俺は俺で罪がある」
あくまで自分の為に、先輩の罪滅ぼしだかなんだか知らない自殺を止める。
「先輩が自分の罪から逃げたくても俺が止めます。俺だって罪を重ねるのは嫌だ。だから死ぬのは俺が関係無くなった時にして下さい」
「……本気か? お前は今までの自分に嘘を吐くことになるんだぞ?」
「嘘じゃありません。考え方を変えただけです。状況に応じた変化ができなければ同じ過ちを繰り返します」
「ふむ、そうか。だがな、私はもう覚悟を決めている。だから……」
先輩は立ち上がり、急に俺を突き飛ばした。尻餅をついた俺を一目見て、ポケットからマッチを取り出し、火をつける。
「許せ、お前だけは……」
そのまま下に落とした。
下の部屋にガソリンでも撒いていたのか黒煙が立ち上る。
「お前だけは死んでほしくないんだ」
俺の目は、古屋と先輩の姿を重ねなかった。今度は、三度目は引き止める。どう思われようと、何よりも自分の為に。




