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Again  作者: 桜葉
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第五章―追憶の涙

この物語はイギリスが舞台ですが、作者の経験上イギリスには程遠いイギリスになっています。ご了承下さい。

また、探偵事務所が登場しますが、これも作者の経験上本格的な捜査部分まで記すことが出来ません。ご了承下さい。

以上を「許せる!」という方のみ、物語へお進み下さい。


 いつも、人のことばかり気遣ってお人好しで、けれど肝心な他人の気持ちに鈍感な君。

 でも、頑張ってるってことは知ってるよ。

 俺もそうだから。大事な人を励まそうとお気楽なことを言って、いつも呆れ顔をさせているけど、これでも精一杯皆を元気付けようとしてるんだ。

 だからそんなに頑張らないで。

 頼りにしてくれるなら、魔法も使えない俺だけど出来る限りで立ち向かうと、約束するよ。

 魔法なんかなくても、人は幸せになれるんだ。


 炎の廊下の先は、薄暗い森だった。

 そして、森に囲まれた小屋の前に、少女は立っていた。

 いつもとは違うパターンに少々顔をしかめつつ、壊れそうな扉を通り抜ける。

 少し透けている彼女は一見軋みそうな床を音を立てることなく歩き、汚れた部屋の中を見回した。

 火が入っている暖炉の前のソファに腰掛けている黒く広い背に、少女は一瞬肩を震わせる。

 見覚えのある魔法使いと、その正面に立っている漆黒のマントを頭からかぶった少年の姿があった。

「時間がない」

 黒いマントの男は、少年に向かって神妙に言葉をつむぐ。その声にひどく心が冷え込む。

『分かってます、僕にお任せを』

 薄笑いを浮かべた少年が、男に向かってそう言った。

 その瞬間、激しい風が吹き少女はその場から飛ばされるように足元の感覚を失った。

 真っ白な世界を飛ばされていく中、少年の声だけが耳に届いた。

『今度こそ、必ず始末をつけます』



Again

第五章―追憶の涙―



 十一月中旬。街路樹はすっかり葉を落とし、目立つのは一年中葉を落とさない落葉樹達ばかりだ。

 北風が絶え間なく街を行く人々に吹きつけ、自動車の通行量ばかりが増えていた。

 だが、自動車に乗れない人間もいるのだ。

 風でぐしゃぐしゃにならないよう、寒いのに淡い水色の髪を二つに結いティアラは一人、封筒を入れた鞄を肩から提げてロンドン市内一の大学病院へ入っていった。

 確かロビーで待っているという約束のはずなのだが。

 赤い針の腕時計を、コートをめくり覗き込む。時刻は午前十一時だ。

 事務所から病院までは、バスで三十分ほどと結構遠い。お昼はウェンディとサンに任せてきたものの、少々不安だ。

 そのためにも早く帰りたいと思いロビーを見回すが、探している馴染んだ姿は見つからず彼女はため息をついた。

 だが、不意に飛んできた怒鳴り声にティアラは顔をあげる。

「ふざけんなよ!」

 明らかにガラの悪そうな、いや、行いのよくなさそうな髪を赤く染めた少年と薄暗そうな黒髪の少年が、見慣れた彼を取り囲んでいる。

 辺りの病人が振り返る中、看護師が何やらひそひそと耳打ちをして話し合っている。

 退院早々、問題を起こされては困るのだ。

「こいつの風邪がひどくなったらどうすんだ!」

「ぶつかったくらいでひどくなるような風邪なんてあるの?」

 金髪に赤い瞳の少年は、相手を見て呆れたようにため息をつく。

 ティアラは書類が詰まった重たい鞄をかけなおし、数メートル離れた場所にいるゼブラに駆け寄った。

「ゼブラ、何してるの!」

「ティアラ」

 ようやく気付いたようにこちらを見た彼に、彼女はようやく向かいの相手の顔をみる。

 英国人ではなさそうだ、肌が褐色の二人に睨まれて、ティアラは後ずさる。

「女連れかよ」

 少々なまった英語を喋り、舌打ちして更に恐ろしい形相でこちらを睨む赤い髪の少年に、彼女は顔を引きつらせた。

「悪い? きみたちこそ、早く行かないと午前の受付が終了するよ」

 ゼブラがティアラの肩を引き寄せたものだから、彼女は硬直して慌てる。

「何……」

「それとも、風邪がひどくなる前にさっさとあの世に逝くか?」

 にやりと笑い、彼は自分のコートの内ポケットに手を入れた。

 銃でも抜くような素振りに二人は固まり、顔を見合わせた後すごすごとその場を立ち去る。

 ようやく離れていった少年達の背を見送りつつ、人の視線を感じてティアラはゼブラの腕を振り払った。

「もう、退院早々喧嘩なんてしないでよ!」

 自分を見て顔をしかめるティアラに、ゼブラは平然と言った。

「違うよ、向こうがぶつかってきたんだから」

「そうじゃなくて!」

「ああ、銃なんて持ってないよ。そんなものを持ってるような病人を、病院は収容してくれるほどあまくない」

 気付いたようにあっけなく言ってのけたゼブラに、彼女は脱力しつつ受付に向かって足を動かす。背後から彼がついてくる。

「…とにかく、早く帰りたいの。お昼をウェンディ達に任せてきちゃったから、どうなるか分からないもの」

「確かに、それはまずいね」

 うんうん、と頷くゼブラに、ティアラは思う。

 こいつ、本当に一ヶ月も入院が必要だったのだろうか。

 受付にて今までの礼を言い、忙しくて振り込めなかった入院費が入ってる封筒を手渡した後、彼女は彼を引っ張って足早に病院を出た。

「そういえば、肩は大丈夫なの?」

 病院から徒歩数分のバス停に向かって歩きながら、ティアラは隣のゼブラに尋ねる。

「うん、もう平気。ティアラのお陰で」

「…私のお陰って、皆のお陰でしょ」

「でも、ほとんど毎日見舞いに来てくれたじゃないか。それが効いたんだよ」

「それは! 依頼で皆は忙しかったけど、私の仕事がなくて暇だったからです!」

 なんか、前より元気になってない?

 少々ぞっとしつつ、見えてきたバス停にてティアラは速かった足取りを徐々に落としていく。

 ゼブラもそれに合わせながら、「依頼あったんだ」と少々驚いた様子だった。

「それもだけど、ネワンさんのご両親が飛んできて大変だったの。自分の娘が幽霊屋敷で意識不明になったとか何とか……誤魔化すのに苦労したんだから」

 次のバスの時間を見ながら、ティアラはため息を吐き出した。

 一人暮らしの娘に何かあったなんて、両親が飛んでくるのも当然だ。まあ、魔法使いはともかく。

「魔法のせいで意識不明になったんですなんて、頭おかしいと思われるでしょ? 色々面倒だったの」

「相手の脳から記憶を消せばよかったのに」

 とんでもないことを平然と言ったゼブラに、彼女は時刻表から彼に視線を動かした。

 真顔の彼に呆れつつ、五分後のバスを待つために人気のないバス停のベンチに、ティアラは腰を下ろした。

 ゼブラも荷物を置いた後、彼女の隣に座った。

「……シャトーの影は?」

 声を落とした彼に、ティアラはわずかに緊張しつつ答える。

「今のところはないけど……昨日変な夢をみたの。シャトーが出てきた」

 森の中の小屋の夢を思い出しつつ、彼女は膝の上で手袋をはめた手を握り合わせた。

「…注意深くならないといけないよ、戦いを決めたんだから」

「……わかってる」

 神妙に頷きながら、彼女は自分の魔力が徐々に目覚め始めていると実感していた。

 この力も使いこなして、危険を回避しないと。

 もう、誰も怪我をしないように。


「だから、まず殻を割ってから卵を焼くんだよ!」

「ジーラスさん、オコジョが手で卵なんか割れると思ってるんですか?」

「うるさいわよ二人共、私だって卵くらい割れるわよ!」

「とかなんとか言って、全然出来てないくせに! キッチン汚しすぎなんだよこの妖精!」

 事務所の扉を開けた途端に、一斉飛び込んできた騒音に近い怒鳴り合いに、ティアラは顔を引きつらせた。

 無論、ゼブラは予想通りだな、というように平然と玄関付近に自分の荷物を積み上げる。

 奥のキッチンで、ジーラスとサン、そしてウェンディがたかが卵を割るという作業に悪戦苦闘している。

 まあ、サン一人だったら普通に作業が進んだと思われるが、問題なのはあの二人だ。

 唯一静かにしているグレイスは、やはり書類に何かを書き込んで仕事をしている。

「た、ただいま」

 ティアラはその騒ぎに割り込むように、そう言った。

 グレイスがわずかに視線を上げ、「おかえり」と呟きほどの小さい声で言った。

 そうしてキッチンからこちらに振り向いた三人は、結局昼御飯が作れなかったというように肩を落とした。が、すぐに言い合いが始まる。

「ジーラス! あんたが余計なこと言うから終わらなかったじゃない!」

「お前、人のせいに出来るようなことはしてねーだろ!」

「…今から真面目に作ればいいじゃないですか」

「なあサン、どっちが悪いと思う!?」

「どっちって……」

「絶対ジーラスよ!」

「ウェンディだっつの!」

「いい加減にして!」

 騒ぎを打ち切るようにティアラが怒鳴る。

 と同時に、三人は口を閉じた。

 まったく、本当に呆れものだ。

 腰に手を当ててため息をついた彼女は、ずかずかとキッチンに近づいていく。

 既に卵の殻や液体でぐちゃぐちゃに汚れているキッチンを見て更なるため息をついた後、ティアラはサンを除いて残りの二人を睨みつけた。

「たかが卵を割るかどうかくらいで喧嘩するのはよしてよ! 今日は私が作るから、他のことでもしてて!」

 時刻は午後一時を回ったところだった。

 ウェンディとジーラスは不謹慎にも解放された、と思ったらしく事務所のソファに身を投げる。

 サンは少々疲れたらしく、小さく息をついて汚れたキッチンの壁を拭き始めた。

 ウェンディなんかに頼んだのが間違いだった。

 心の中でそんなことを思い、顔をしかめつつ調理を始める彼女のことなどもう気にもせず、ジーラスはぐったりとソファに仰向けに寝転ぶ。

「敵の前で堂々と寝るのは命取りだよ」

 彼はゼブラの存在を忘れていたらしく、自分の視界に入ってきた金髪の吸血鬼に飛び起きた。

 向かいのソファでうずくまっていたウェンディも顔をあげる。

「お前どっから現れたんだよ!」

 ティアラを取るなとか何とか言ってきたあの日以来、ジーラスはゼブラにわずかだが警戒心を抱いているようで、いつも彼に視線を突き刺してくる。

「現れたら迷惑だった?」

 意地悪に微笑む赤い瞳の悪魔に、ジーラスは相手を睨んだ。

「あんた達、何敵対してんのよ」

 ウェンディがソファの間に壁をつくっている低い机の上に飛び乗り、ゼブラとジーラスを交互に見る。

「別に」

 何もない、という様子のジーラスは、ゼブラから視線を逸らして再び横に寝転ぶ。

 敵ではないとでも言いたいのか。

 だが、ゼブラはまたもや悪戯するように袖口から見えている手首に人差し指の爪をぴったりと当てた。

 それに驚いたジーラスは硬直する。

「これがナイフだったら死んでたね」

「………」

 青ざめた様子の彼を無視し、ゼブラは踵を返して向かいのソファに腰を下ろす。

 ウェンディが顔を引きつらせたままこちらを振り向いた。

「前より性格ひねくれたんじゃないの?」

「さあ」

 知らぬふりをし、宙を仰いだゼブラに彼女は腕を組んで息を吐く。

 そうして何か言おうとしたウェンディだったが、言葉はノックもなく開いた事務所の玄関口の音によって飲み込まれた。

 あまりにも激しい音だったため、ジーラスは飛び起き、その他の全員も戸口を振り返った。

 ウェンディが素早く翼を隠し、ただのオコジョになるのと同時に机から飛び降りる。

「…ご依頼ですか?」

 玄関の前に立って扉を閉めた色素の抜けた白い髪の少年が、グレイスの台詞に彼を見る。

 せいぜい十四、五歳と思われる少年は丸い黒縁の眼鏡をかけていて、その向こうから緑の瞳を覗かせていた。

 どこかのスクールの生徒なのか、ブレザーを着ている。身長はティアラと同じくらいだろうか?

 ようやく首を縦に振った少年は、一応依頼者のようだった。

「あんなちびっ子が依頼だって?」

 ジーラスがぼそりとゼブラに呟き、不可解そうに眉をあげる。

 が、どうやらその台詞は向こうに聞こえたらしい。

「ちびで悪かったですね。僕にはビリー・リファインという名前があるんです」

 ぎろりと睨まれたジーラスは、少々引いた様子だ。

 ティアラは料理の手をとめつつ、何とも生意気、いや利発そうな依頼者がやってきたと唾を飲み込んだ。

 ビリーと名乗った少年は、勧められもしないというのに視線でジーラスを押し退けてソファに腰掛ける。

「で、内容は?」

 グレイスも子供に気を遣う気はないのか、机に向かいながらメモ帳を取り出した。

 ソファの後ろに立っているジーラスは、俺を気遣ってはくれないのかよ、ともごもご言っている。

「ここ最近、僕の祖父が村長をしている村の森で、毎日人が首を吊って死んでいるんです。昔から鴉の森と呼ばれて、入ったら二度と出られなくなるとか何とか、人から恐れられてる場所で…人を殺してる犯人が誰なのかを突き止めてほしくて」

 一応手早く入れた紅茶をビリーの前に出しながら、ティアラはまたもや物騒なと思いつつ、森と言うキーワードに奇妙な感覚をおぼえていた。

 夢の中でシャトーが出てきた場所も森だった。

「大人の了解は得てるのか?」

「こ、子供扱いしないで下さい! こう見えても僕は十四ですよ!」

 十九のグレイスから見れば、十四のビリーは充分子供だ。

 とはいえ、思春期の彼にとっては子供扱いされるのはいやだという思いがあるのだろう。

 グレイスはわずかにため息をついた後、訂正するように口を開く。

「日取りの希望は?」

「出来れば今日か明日で……」

 今日は、と時計を見るグレイスだったが、正午を過ぎた今では少し遅すぎるだろう。

「なら明日の午前、また事務所に来てくれ。道案内を頼む。それと、ミスター・リファイン。一応未成年なんだからその村長と話をさせてくれる約束で」

 彼なりにビリーを大人として扱ったつもりらしいが、ビリー自身は少々物言いたげな様子で口をとがらせた。


「グレイス。あんな小生意気なガキの依頼なんか受けていいの?」

 ビリーが去った玄関口を見やり、ウェンディはグレイスの仕事机の端に腰掛けてその黄金の瞳を面倒くさそうに細める。

「ガキでも一応依頼者は依頼者だろ」

「…あの、気をつけてくださいね」

 ティアラは不安げにまだ食事をしているジーラスの皿をちらりと見た後、重苦しく呟いた。

 疑問げにこちらを見返す皆の視線に、彼女は夢の事を思い出していた。

「昨夜の夢で、森とシャトーが出てきたので…調査に行くなら油断しないで下さい」

「またそういう夢?」

 ウェンディが怪訝そうに顔をしかめた。ティアラは浅く頷く。

「……お前の夢は侮れないからな」

 グレイスは静かに言う。

 サンはそれに合わせ、神妙に頷いた。

 皆で協力し合って戦うと決めたのだから、きちんと話して力を合わせなければいけない。

 こちらの均衡が崩れれば、シャトーの思うつぼだ。

「何だっけ、ビリーとか言ったよな?」

 ゼブラが向かいのソファで腕を組み、真剣な表情をしている。

「あいつがどうかしたわけ?」

 ジーラスが顔をあげたのに対し、彼はうん、と呟いた。

「あのガキを信用しすぎないほうがいい。…夢に関係がある箇所に誘う者は操られてるかもしれない」

「まさか。私は何も感じなかったわよ?」

 ウェンディがわずかにひげをぴくりとさせる。

 そうなれば、ゼブラはふっと馬鹿にしたように笑った。

「そこいらの動物は自分の欲にしか目がないんだから、相手に神経を張り巡らせる事もない。危険を感じないのは当たり前だよ、あくまでも予測だけど」

「な……ん…あんたも動物でしょうが、この縞馬! 退院したばっかなんだから少しは自粛しなさいよ!」

 また始まった、というようにグレイスとティアラがため息をつくのを横目で見つつ、サンは紅茶を口に運びながら瞳に陰を落とした。

「でも、この仕事。あまくないかもしれないですよ」



 翌朝、正午より少し前だった。

 ロンドンから一時間ほど車を走らせた郊外にあるという、ビリーの住んでいるヴィラーイン村に到着したティアラ達は、土気のある地面に降り立った。

 森、とか何とか聞いていたために、黒いワンピースの下にズボンを穿いてきたティアラだったが、そこまで気合を入れなくてもよかったかもと今頃思う。

 やはり山間に囲まれた村でも、寒い風は吹き抜けていくばかりで彼女は着ていた茶のコートの前をかき合わせた。

 退院したばかりだというのに一時間も車を運転して大丈夫なのだろうか、と村の中に入り込みながらちらりとゼブラを見やる。

 彼も少々人間に協力する気が出てきたように思える。

 村の建物は高くても三階までで、ほとんどの外壁が煉瓦で造り上げられていた。

 一体いくつなのかと思わず問いたくなってしまうほど腰を曲げて老いたビリーの祖父である村長は、象牙の杖をつきよろよろとした足取りで村の奥にある問題の森へとティアラ達を案内する。

 山間の真下に当たるような場所まで案内されたそこには、黒く重々しい門が森の入り口を呼びかけていた。

「この入り口の向こう側で死んでいるんですよ、今朝もまた一人……」

 弱弱しく頼りない声で村長が話す。

 不気味ね、とティアラのコートについている帽子からウェンディが顔を出して身震いした。

 それと同じようにまたもやジーラスが恐怖でかちんこちんになって、サンのコートの裾を掴んでいる。最近あの二人は仲が良いのだろうか。

 グレイスは呆れ顔でそれを見つつ、村長に視線を戻した。

「殺される対象は決まっていますか?」

「いや、無差別に殺されるだけです」

 なるほど、と頷いたグレイスが門に手をかけようとするものだから、腕を組んでいたゼブラが声をかけた。

「入る気?」

「…見るだけで何か分かると思うのか?」

「思わないけど」

 そうして、ついてきていたビリーが面白がるように口を開く。

「ここは鴉の森ですよ、一回入ったら二度と出られなくなるかもしれない」

「お伽話、と言いたいところですが実のところ深入りした者が村へ戻ってくる事はありませんでした。……どうしても行くというのなら引きとめはしませんが、どうぞお気をつけて」

 村長も不安げに語る。

 けれど、この森にシャトーがいるのなら行く義務があるのだ。

 ティアラは深呼吸して心を落ち着かせる。

 グレイスは注意を聞いたにも関わらず、迷いもなく蔦が伸びている黒い門を手前へ引いた。

 何を言うわけでもなく躊躇なく足を踏み入れた彼に、ゼブラがついていく。ティアラもウェンディを落ち着かせながら恐る恐る進んでいく。

 最後にくっついてきたビリーは、門を閉めた。

「な、なんでお前がついてくるんだよ」

 震えたまま、ジーラスがビリーを見下ろす。

「いいじゃないですか。僕、一度この森に入ってみたかったんです。一人じゃ行く気になれなかったけど、これだけ沢山入るのなら」

「…あなた、オカルトマニアみたいなたぐい?」

 サンが怪訝そうにビリーを見る。

 森の中は広く、そして昼間だというのに薄暗かった。

 葉を落とした落葉樹達が、鋭い裸の枝を天に向かって伸ばしている。

 森の中は広く、永遠に落葉で埋まった地面と木々が続いているようにも思える。

「気をつけろよ、何が起こるかわからない」

 ゼブラが声を落としてグレイスとティアラに忠告する。

 ティアラがわずかに頷いた、と、不意に頭上で激しい羽音が聞こえた。

 黒い鳥が数羽一緒に舞い上がっていく、鴉だ。

 一瞬びくっとしたとき、突如として激しい風が吹く。

 何?

 落葉が舞い上げられ、木々が軋んで唸る。

 目を開けていられなくなり、ティアラは自分の髪を押さえつけた。

 そうしてまたもや突如として風が止む。

 静寂につつまれた辺りに、彼女は恐る恐るまぶたを持ち上げた。

 気付けば、ティアラは一人森の中に取り残されていた。辺りには誰の姿も見当たらない。

 あの幽霊屋敷の出来事を思い出し、魔法で散り散りになってしまったのだろうかと不安になる。

「ウェンディ…?」

 自分の帽子の中にいたはずのオコジョを思い出し、帽子に手を伸ばすがそこにはもう何もいなかった。

 代わりに風で飛んできたらしい茶色の枯れた葉がついてくる。

 どうしよう。

 急に周りがさっきより静まり返った気がして、背筋がぞくりとした。

 背後が気になって振り返る、そこにはさっきまであったはずの出入り口はなく、どこまでも森が続いているだけだった。

 屋敷の時とは違う、ゼブラもいない。一人ぼっちだ。

 とにかく、皆を探すしかない。

 そう思い、重たい足で落葉を踏んで歩き出す。

 でも見つかるだろうか、この広い森で……。

 恐怖心と不安が混ざり合って膨らんでいくのをどうにか押さえ込もうとする。

 途端に、背後から何かが落下するような音が聞こえた。

 それは本当に一瞬だった。

 首に巻きつく何かに引っぱられ、近くの木の幹に背をぶつける。

 植物の太い緑の弦が自分の身体を幹に縛り付けようとしているのを見て、ティアラは顔をゆがめた。

 魔法だ、でも一体誰が?

 近くに魔法使いがいるのではないかと、彼女は辺りを見回す。が、誰の姿も目に入らない。

 首を締め付けようとする弦と自分の首の間に手を入れてどうにか防ごうとする。

 だが、植物のあまりの力に痛みさえ感じるようになっていた。

 何か、切るもの…。

 不意にティアラの脳裏にコートのポケットに入れたはずの果物ナイフのことがよぎる。

 彼女はとっさにまだ自由な右手を動かして、コートのポケットを探った。

 冷えた白い素手が折りたたまれたナイフを掴む。

 急いでそれを取り出すと、ティアラは開閉のボタンを押してナイフを広げた。

 そのナイフを勢いづけて、木の幹に巻きついていた太い弦に突き刺す。

 すると、機械音にも似たような悲鳴をあげて、弦が一気にティアラを離した。

 彼女はその勢いに地面にすっころびそうにそうになりながらもどうにか持ちこたえ、その場を駆け出す。

 背後を振り返れば、自分で木の幹にへばりついたくせにこんがらがってしまって解けなくなった弦が蛇のように体をうねらせて動いているのが見えた。


 そこは小高い丘のような場所になっていた。

 ふかふかした黒に近い茶色の土は湿り気があり、地中深くのものだったと考えられる。

 その土を隠すように落ち葉が散りばめられているその場所で、金の髪についた枯葉を彼は払いのけた。

 横でまだ気絶しているらしい銀髪の少年は顔をしかめたまま、まぶたをゆっくりと持ち上げた。

 ゼブラはその場で立ち上がりながら、もう少し力を入れたら土にはまるのではないかと思い、丘を駆け下りる。

 そうして、丘の下でしりもちをつき茫然としていたビリーの隣に立った。

「な、何が起きたんでしょう」

 彼も驚いていて、ずれた眼鏡を押し上げる。

「…その鴉の呪いみたいなものじゃない?」

 と、不意に丘の上で飛び起きる姿があった。ジーラスが目を覚ましたのだ。

「な、なんだよここ……ってあ、ゼブラ! これ、お前の仕業だろ!」

 どうして何でもかんでも人のせいにしたがるのか、この連中は。

「いちいち人のせいにしないでほしいね。それより早く下りてこいよ」

「この土の盛り上がり方、異常ですね…何か埋めてあるのかな?」

 ビリーは顎に手を当てて腕を組みながら、丘を眺めやった。

 この少年はやはりただの人間かもしれない。

 だが、事件を引き起こさせているのは間違いなくシャトーだ。それは確信できる。

「古い土器とかじゃねーの?」

  ジーラスが丘を下りてきながら不可解そうに眉根を寄せる。

「もしかしたら、鴉に殺された人の死体かもしれないよ」

 ジーラスが何でも自分のせいにすることに少々むかつき、ゼブラはにやりと口元をあげた。

 予想通り、彼は一気に顔を青くする。ビリーもわずかに丘から後ずさった。

「お、脅すようなこと言うんじゃねーよ!」

「とりあえずグレイス達を捜すのが先決だ、この森でばらばらになったままは危険だろうから」

 ビリーは気付いていないだろうが、明らかにシャトーに注意するよう遠まわしに言ったゼブラに、ジーラスはごくりと息を飲み込んだ。

 そうして頷き歩き出そうとするゼブラに、ビリーは彼のコートを掴んだ。

「ちょっと待ってくださいよ。この森を知ってるみたいに歩き回るのは危険です! 何が起こるのかも分からないのに……」

 緑の瞳が本心を語っている事が分かると、ゼブラはわずかに少年に赤い目を向けてからすぐに行く手の木々の間を見る。

「なら興味本位でついてこないほうがよかったんじゃないか? もう遅い、事は既に始まってるよ」

「は、始まってるって……」

 ジーラスが背筋を強張らせるのと同時に、木々の間を黒い影が飛び移りながらこちらへ向かってくる。

 ビリーが後ずさるのを意識しつつ、ゼブラはコートの内ポケットから折りたたまれたナイフを取り出す。

「や、やめろよゼブラ! その肩じゃ無理だって!」

 ジーラスが刺された後のある彼の左肩を思い出したらしく、大声で叫んだ。

 まったく、余計なことを言ってくれるものだ。

 まっすぐにこちらに向かって飛んでくる鴉の影は、一瞬にして人の形に変わる。

 ゼブラがナイフを広げるのと同時に、黒い巨大な翼を背に持った幼い少年になった鴉は明らかに彼の肩を狙っていた。

 やられる、とジーラスとビリーが目を閉じかけた時、ゼブラは身を屈める。鴉は、彼の頭上を通り抜けて思い切り丘に突っ込んだ。

 やわらかい土にすっぽり嵌ってしまっている鴉の精霊はしばらくもがいていたが、やがて土から脱出するとすぐにこちらへ向き直る。狙いはどうやらゼブラに定められたらしい。

 薄黒い鴉の肌が殺気立つのを見ながら、彼は何かを躊躇している相手に口を開いた。

「どうした? 来いよ」

 そうしてゼブラは口元をあげる。

 そんな挑発するようなことを、と言うようにジーラスとビリーが顔を引きつらせる。逃げ出す絶好のチャンスだというのに。

 鴉が真っ黒な目でゼブラを睨む。その外見はせいぜい十歳くらいだろう。

『……災いを引き寄せた……お前達が我々の森に災いを……』

 シャトーがティアラを嗅ぎつけてきたと言いたいのか。

 押し殺すような声で鴉が話す、がその口は動いていない。

 腰の抜けそうなビリーを支えているジーラスも、その場に座り込みそうだ。

『これ以上余計な動きをされては困る…』

「でも俺を殺したところでこの森に平和は戻らない。元凶が何かも分からないなんて、精霊も落ちぶれたものだね」

 馬鹿にされたというように鴉が顔をしかめ、凄まじい形相で更にゼブラを睨みつける。

 平然としていられる金髪の少年を知らない人間は、必ず何者なのかと問いたくなるだろう。

「殺らないの?」

 にやりと笑う吸血鬼は、その炎が宿る赤い瞳の目元をわずかに細めた。

 と同時に、鳴き声のような激しい悲鳴をあげた鴉は、みるみるうちに煙を出してその場に崩れ、数秒で灰になってしまった。

 落葉の上に落ちた黒い羽根をわずかに見下ろした後、金髪の悪魔はジーラス達を振り返った。

 無論、二人とも固まって動かない。まあ、それが普通の反応と言えるのだが。

「早く行くよ、此処にいると今の鳴き声に気付いた鴉の仲間が集まってくるかもしれない」

「な、何平然としてるんですか! ぼ、僕は見ましたよ!」

 ビリーがとうとう腰を抜かし、落葉の上にしりもちをつきながら人差し指でゼブラを指差す。

「見た? 何を?」

 真顔でゼブラが問い返す。 ジーラスは近くの木の幹にもたれかかり青ざめたままのことから、俺に攻撃したときは本気じゃなかったんだな、とかなんとか思っているに違いない。

「だ、だから……今の鴉を灰にしたじゃないですか!」

 明らかに怯えているビリーは、もはやゼブラに対して恐怖心を向けている。

「それがどうかした?」

「どうかしたって…」

「じゃあ殺されてもよかったの? 俺が殺らなきゃ、今頃皆死んでたよ」

 嘲るように冷たく笑い、ゼブラは歩き出す。

 腰を抜かしたビリーの腕を引っ張り、ジーラスは慌ててそれを追いかけた。

「な、何なんですかあの人。まさか邪悪な魔法を使う化け物じゃ……」

 さすがオカルト好き。

「そんなもんじゃないけど、まあ……それに近いかもな」

 ジーラスはゼブラをフォロー出来ないまま、数メートル離れた先を歩いている彼の背中を見つつ、顔を引きつらせた。

 それに対し、鴉の精霊が現れたときよりビリーは緊張した様子で、ごくりと生唾を飲み込んだ。


 本当に深い森だ。

 歩きながら何度同じ事を思っただろう。

 足取りが徐々に重くなる背後の妖精に、彼は立ち止まり振り返った。

「遅い」

「遅いって……それが疲れた妖精に対する台詞?」

 背の翼を羽ばたかせつつ、ウェンディはグレイスを睨んだ。が、あまり迫力がない。

 もう何時間歩いているのか、と空を見るが太陽も月も確認できないままだ。

「あんたね、もうちょっと優しくなるべきよ! そんなんじゃ、ティアラにも愛想尽かされるわよ!」

「人のことをごちゃごちゃ言うな。こういう性格なんだから仕方ないだろ」

 ため息混じりにグレイスは腕を組む。

 オコジョはあくまでも反抗する気のようだが、わずかにひげを動かしただけだった。

 そうして再び歩き出しながら、ウェンディは疲れたらしく彼の肩に舞い降りた。

「この森、異常よ。私なんかの魔力でもどんどん吸い取ろうとしてるわ」

 どうやらそのせいで疲れているらしい。

「それはシャトーの仕業なのか?」

「そういうわけでもないわよ。……シャトーの気配はまだ遠いわ、でも他にもっと邪悪なものを感じる」

 一瞬背筋の毛を逆立てたウェンディは、身震いした。

「鴉の呪いとかいうものかしら」

 弱弱しく呟いた妖精に、グレイスは少々不安になってくる。

 いくらウェンディでも、ここまで弱ってしまったらまずいのではないか?

 そう考えた途端、突如として頭上に鴉の鳴き声が響いた。

 はっとして顔をあげる。

 だが、鴉達はこちらに向かってくるわけでもなく、少し離れた場所まで連れ立って飛んでいった。

「鴉?」

 不意にウェンディははじかれたように立ち上がる。

「……かなりの数だった」

 グレイスはまだまばらに空を舞っている鴉を見ながら、眉根を寄せる。

 さっきまでの気だるさはどこへいったのか、ウェンディは厳しい表情で翼を広げた。

「急ぐわよ!」


 凄まじい数の鴉だ。

 彼女は木々の間をすり抜けながら森の中を全力で駆けていく。

 背後から追ってくる鴉を時々振り返りつつ、行く当ても考えずにただただ走る。

 それにしても、さっきより鴉の数が増えているのは気のせいではなさそうだ。

 ティアラは、自分がどうして鴉達に狙われているのか理解できない。

 やはりシャトーの仕業なのか、それとも魔法使いだから?

 冷たい風が吹きつけて、頭がもうろうとしてくる。

 けれど立ち止まったらそれこそ命はなさそうだ。

 途中、木の幹に激突して地面に落ちる鴉もいれば、上手く木を避けて更に加速してくる者もいる。

 そこまでして追いかけられても、と思うが、どうせ言葉など通じない。

 そんな考え事をしながら走っていたせいか、不意に落葉に隠れて見えなかった木の根に足をつまづかせる。

 そのまま地面に倒れこみ、思い切り額を打ち付けた。

 痛みに顔をしかめつつ、彼女ははっとして顔をあげる。

 まずい、と思ったときにはもう遅い。背後から黒い塊になって押し寄せてくる鴉の群れに、ティアラは無意識のうちに地面に張り付いた。

 頭上をうるさいほどの羽音が通り過ぎていく。と同時に旋風が起き、地面の枯葉を舞い上げる。

 数秒して静寂につつまれた辺りに、ティアラはそっと顔をあげ身を起こす。

 鴉達が上空に舞い上がっている。どうやら彼女を捜しているようだ。

 見つからないうちに逃げよう、と思い立ち上がろうとするが、転んだ際に捻ったらしい左の足首が痛い。

 木の幹に手をつけば、どうにか立ち上がれた。気持ちを焦らせながら、右足に体重をかけつつ歩き出そうとする。

 ふと顔をあげ前方に目を凝らすと、小高い丘が見えた。

 何の変哲もなく、ずっと平地続きだった森の中に丘が現れたのだ。ティアラは少々疑りぶかい目でそれを眺めた後、行ってみようと歩く速度をあげる。

 相変わらず頭上でギャアギャア鳴きながら旋回している鴉達を気にしつつ、彼女は丘の前までやってきた。

 丘と言っても、土が盛り上がったような場所だ。何か埋めてあるのだろうか。

 そして地面を見やる。そこには鴉のものと思われる黒い羽根が無数に落ちていて、ティアラは思わず屈んで一枚の羽根を拾い上げた。

 羽根の根元にはまだうっすらとした温かさがあり、平熱が高い鳥の体温の名残があるように思える。

 ということは、此処で何かがあったに違いない。

 羽根が落ちているすぐ上の丘の土には穴が開いていて、何かが突っ込んだ後に見える。

 この近くをうろついてみようと思い、踵を返そうとすれば視界で何かが光った。

 一瞬鴉かと思いびくりとするが、違う。地面に落ちている石のようなものが光もないのに輝いている。

 恐る恐る近づいてみる、落葉の上に投げ出されたようにあった石は深い青色をしていて、時折中でうごめくように光の色を変える。

 首から下げれるように紐がついている石に、ティアラは顔をしかめた。誰かが落としたのだろうか。

 でも、この森に人なんて……。

 そう思った瞬間、突然青い石が真っ白に光る。

 驚きと眩しさとで目を閉じて後ずさった彼女は、丘に背をぶつけた。やわらかい土の感触がティアラの背に触れる。

 ようやくまぶたを白く染めていた光が消えたことから、彼女はそっと目を開けた。そして心臓を飛び上がらせた。

 真っ青な髪の少年が、漆黒のマントを着てティアラから数メートル離れた場所に立っていたのだ。

 一度も陽に当たった事などないような真っ白い肌の少年の右頬には、赤い十字架が描かれている。

 そうして、人ではないことがよく分かる。その証拠に、人間の耳の代わりに犬のような毛の生えた大きく茶色い耳が髪の間から顔を覗かせている。

 宝石と同じ色の髪と瞳の少年は、腕を組んでこちらを見た。その爪は武器になると思えるほど長い。

「……あなたは誰?」

 こちらが黙っていては一向に喋らなさそうな少年に、ティアラは怖々口を開く。

 なんとなく、夢の内容を思い出す。

『あんたの先祖の従者さ』

 口を開く事もなく、彼はわずかに口元をあげて言った。声は普通の少年だが、妖精っぽくない。妖怪に近いのかもしれない

 先祖、ということはシャトーの従者に違いない。

 となれば危険ではないか。

 後ずさりたくとも後ずされない、背後は丘だ。

 警戒した様子のティアラに、少年は足を踏み出そうとする。裸足の足の爪は手よりは伸びていないが、普通の人間に比べれば充分長い。おまけに両足首に鎖のような仰々しいものをつけている。

「ちょっと来ないでよ、待って! だいたい、名前は何? ちゃんと名乗ってからにして!」

 ティアラは声を張り上げる。そのせいで鴉を引き寄せてしまう事には気付かない。

『名前? ディオン』

 そう言っている間にも、ディオンと名乗った妖怪はどんどん近づいてくる。

 やはり、この少年はあの夢の中の少年に違いない。

 仕方なく丘を駆け上がりながら、ティアラは口を開いた。

「そ、そう。あなたのご主人様がシャトーなら名乗るまでもないと思うけど、私はティアラ。ティアラ・ミルキーよ」

 まったく馬鹿馬鹿しい会話だろう。だが、ティアラは面と向かって敵と戦う事などないのだから仕方がない。

『あんた本当に馬鹿だな、今の会話で僕達の居場所はもうあいつらにバレたよ』

 おかしそうに笑いながら距離を詰めてくるディオンは、わずかに上空に目をやった。

 ティアラもつられて上を見上げる、鴉達がさっきよりせわしなく動き出している。

 隙あらばとはこのことを言うのだろう。

 唐突に、ティアラは自分の視界に迫る攻撃的な手に気がついて身を屈めた。そのせいで丘を転がり落ちる。

 さっきまで自分がいた場所にディオンが爪、いや、刃を突き刺していた。

「……」

 驚きのあまり口をぱくぱくさせているティアラに、彼は土の上から刃を抜く。

 そうして、またもやこちらに向き直る。

「な、何でそうなるの!」

 やはり、誰とでも話し合えば…なんて有り得ないかもしれない。

『僕の目的はあんたを殺すこと。あんたの力はシャトー様の邪魔だ、命が惜しかったら僕にその魔力を渡すんだな』

 ディオンの口元に鋭い牙が覗く。こいつ、もしかして狼とかの妖怪?

 彼女は背に感じる木の幹に全身に力を入れた。

「い……命も魔力も渡さないよ」

 ティアラが強く言い返した途端、ディオンが跳んだ。

 猛烈なスピードでこちらへ跳んでくる。どうにか交わすが自分が背をついていた木に穴が開くのを見てしまい、彼女は血の気が引いた。

 や、やっぱり魔力を渡したほうがよかった?

 弱気になりつつ、自分は何が出来るかと辺りを見回している間に、狼は跳ぶ。

 またもや襲いかかってこようとする影に、ティアラは慌てて駆け出す。

 ぎりぎりで交わすが、彼女の髪が彼の刃でわずかに散る。

 この俊敏さに敵うものなんていないのではないかと思うほど素早いディオンは、躊躇なくティアラに向かって腕を振った。

 避けようとして地面に生えていた木の根にまたもや足を引っ掛け、仰向けに倒れこむ。

 しまった。

 そう思った瞬間に、もはや相手はこちらの首筋目がけて刃を振り上げたところだった。

 声をあげる間もなく振り下ろされる。その瞬間、ティアラは自分の首をかばおうと腕で隠す。

 と同時に、ディオンが吹っ飛んだ。

 狼は近くの木の幹に頭と背を打ちつけ、ずるずると地面に座り込む。

 彼女は驚いて飛び起きると急いで立ち上がり、目をしばたかせつつ彼を見る。

『……さすが魔法使いだな』

 獣の目をしたディオンが顔をあげてこちらを見る。

 ようやくティアラは自分が魔法を使ったのだと理解した。

 けれど、普段から人を突き放せない彼女に攻撃魔法が使えるはずもない。身の危険を感じて無意識のうちに魔力が働いてしまったのだろう。

 そうして何もなかったように立ち上がる、只者ではない。

「ちょっと待って、それ以上近づかないで! ……ち、近づいたら封印するから!」

 そんなもの杖がないのに出来るわけもなくただのはったりだったが、自分に向かって右手のひらを広げたティアラに、ディオンは足をとめた。

 封印という台詞が効いたのだろうか、少々怯えたようにこちらを睨みつつ耳を倒している。

 き、効いた?

 目を丸くしたティアラだったが、不意に跳ぼうとしたディオンに我に返る。

 油断させる作戦だったようだ。

 攻撃を交わすために動こうとしたが、自分とディオンとの間に割り込んできた黒い影が応戦した。

 黒髪の少女は、左手のひらを広げて狼に赤い粉を浴びせる。

 粉を少々かぶってしまったディオンは飛びのき、相手と数メートルの距離をとった。

「サン!」

 ティアラは驚いて声をあげる。

 サンは振り返らないまま、神経を張り巡らせた声で口を開いた。

「早く逃げて」

「でもサン一人じゃ……」

 言い終わるか終わらないかのうちにディオンが再び跳んだ。

 サンは読んでいたようだ、自分から彼に向かっていくと右手の人差し指をたてる。そこから黒い光線が飛び出す。

 ここを年下のサン一人に任せるなんて、いくらティアラでも出来ない。

 どうしようと辺りを見回すと、落ちていた長い枯れ木の枝が目に付いた。

 杖の代わりさえあれば、自分の魔法を発動させられるかもしれない。

 急いでそれを拾い上げた彼女は、無謀とも言える行動に出た。

 ディオンが全く弱らないのに対し、サンの不安定な魔力は低下しつつあった。

『この森で魔法を使うのは自殺行為だぜ、よほど魔力が強くない限りはな』

 彼は弱ってきた相手をしとめようとする猛獣のように牙を見せる。

 サンが身構えようとしたとき、唐突にティアラが枯れ木の枝をディオンに向けた。

 お願い。

 彼女はきつく枝を握り締めると、それを軽く振る。

 両者共、目を見張っただろう。

 そこから真っ青な光線が飛び出す、と同時にそれは狼を包み込み、一瞬にしてあの凶暴な妖怪を元の石の姿に変えてしまった。

 ティアラはその場に腰が抜けたように座り込み、枝を持ったままだった手を見た。

 サンも驚いたように目をしばたかせる。

「ティアラ、魔法使えるようになったの?」

「わ、わかんない……」

 頼りない返事を返した後、ティアラは足に力を入れて立ち上がり、石に変わったディオンを拾い上げた。深い青色は静寂に包まれたようにしんとしている。

 革の紐がついているそれをとりあえずコートのポケットに入れると、彼女はサンを振り返った。

「ティアラ…まずいみたい」

「何が?」

 無表情のまま、サンはわずかに顔を引きつらせて上空を指差した。

 ティアラもふとして顔をあげる。

 視界に飛び込んできたのは、真っ黒な塊になろうと集まっている鴉の大群だ。

 …忘れてた。

 さーっと、頭から爪先まで一気に血の気が引いていくのが分かる。

 二人して後ずさっていると、突然一羽の鴉が嘴を大きく開いて第一声をあげた。

 けたたましい鳴き声を合図にしたように、他の鴉達も一斉に鳴き始める。

 そうしてこちらに向かって一気に急降下してくる。

「走って!」

 ティアラが足を踏み出しながら叫ぶと同時にサンも走り出す、またさっきと同じように背後から鴉が追ってくる。

「ど、どうなってるの?」

 ティアラの隣に追いついたサンが、舌を噛まない程度の声で彼女に問いかける。

 走りながらティアラも口を開いた。

「分かんないけど私を狙ってるみたいなの! 立ち止まったら今度こそ生きて帰れないかも!」

「魔法でどうにか……」

「あんなにいっぱい無理だよ!」

 大体、ティアラが魔法を使えるのはまぐれで、しかもかなり切羽詰っている時だけなのだ。

 ということは、彼女は自分で魔法を使おうと思って使えるわけではない。

 それを理解したらしいサンは、本気で走る気になったらしく速度をあげる。

 木々の間をすり抜けながら、不意に前方に現れた茂みにティアラは立ち止まる。が、サンは立ち止まれずに茂みに突っ込んだ。

「サン!」

 茂みの向こうの急斜面を転がって落ちていくサンの姿に、ティアラは声をあげる。

 背後に迫る鴉達に、彼女はさっきのことを思い出し、急いでその場に伏せた。

 次々に茂みに突っ込む鴉たちは茂みを突き破り再び上空へ舞い上がっていく。

 どうやら行ってしまったらしい、辺りに静寂が戻る。

 ティアラは警戒しつつ身を起こすと、急いで茂みを乗り越えた。

 傾斜は一体何度なのだろう、ほぼ垂直だといえる急斜面に出っ張るようにして生えている木に掴まりながら、恐る恐る彼女は下へ降りていく。

 落葉は時として足元を滑りやすくするため、一歩間違えば同じように自分も転落しかねない。二人して落ちてしまってはどうにもならない。

 そうしてゆっくりゆっくり、正確に歩数を進めながらティアラはようやく急斜面を下り終わった。

 そこにはまたさっきと同じような森が広がっていて、サンの姿は見当たらない。

 おかしいと、不審げに顔をゆがめてもう一度辺りをよく見回す。

 気付けば鴉達の大群もどこかへ行ってしまい、上空は地上と同じく静まり返っていた。

「…サン?」

 小さく呼んでみる、返事はない。

 彼女の姿も見つけられないまま、不安な気持ちになりながらティアラは下れはするが登るには無理そうな急斜面を見やり、仕方なく前進する事にして体の向きを変えようとした。

 振り返った視線のかなり先に、見覚えのある銀髪の少年が髪をくしゃくしゃとかきあげながら立ち止まっている姿が確認できた。

 驚いて、ティアラは思わず大声で彼の名を呼んでいた。

「ジーラス!?」

 その瞬間、彼がこちらに振り返る。彼女は急いでジーラスの元へ駆け出した。

「ティアラ? 本物!?」

 失礼な。

 そう思いつつ全力疾走して彼に駆け寄ると、ジーラスはしばし驚きを隠せない様子だったが、すぐに泣きそうな表情になった。

「ど、どうしたの?」

「ゼブラ達と一緒だったんだけどはぐれちまったんだよ…どうすればいいのか分かんなくて……ここめちゃくちゃ気味悪いしさ」

 そうだったのか。

 なるほど、と頷いたティアラは辺りを見回す。先ほどの風景と、なんら変わりはない。

 と、近くで落葉を踏む音がして声が聞こえた。

「はぐれてなんかいませんよ! あなたがちっともついてこないんじゃないですか!」

 生意気な少年、そう、ビリーだった。どうやら近くの木の影に隠れていたらしい。

 ジーラスはまたもや安堵したように頬をゆるめる、ティアラは目をしばたいた。

「まあこのままはぐれてもよかったんだけど、一人じゃ永遠にこの森を彷徨いそうだからね」

 呆れたように出てきたゼブラに、ティアラは三人を見比べてわずかに顔を引きつらせた。

 かなり不揃いなメンバーだ、というより自己中心的そうなこのグループでよくここまで行動しているものだ。

「ティアラ、無事でよかったよ。襲われそうになったりしなかった?」

 ゼブラが赤い瞳をこちらへ向ける。

「……襲われそうになったりしなかったって、そんな軽いものじゃなかったよ! 鴉の大群には二度も追いかけられるし、一人になるや否や弦に縛り付けられるし…おまけに……」

 ディオンのことを言おうとして彼女は我に返る、ビリーがいたのだ。

「おまけに?」

 ジーラスが首を傾げて続きを促す。

「な、なんでもない」

 だが、ティアラは首を横に振った。

 そうしてポケットの石を意識する。まだあの妖怪を完全に封印しきれたわけではないだろう。

 戸惑う彼女の様子に、ゼブラは話を打ち切るように背後を振り返った。

「この先に古い小屋を見つけたんだ。この森は何かの魔力によって支配されているなら、あの小屋が中心になってると思う。中に入って結界を解かないと永遠にここからは出られないよ」

 結界?

「も、もしかしてそれでサンとはぐれたのかな? 私、さっきまでサンと一緒だったんだけど……そこの急斜面ではぐれたの」

「急斜面?」

 ビリーが怪訝そうな顔をしたものだから、ティアラはえ? と思い自分が歩いてきたはずの道を見る。が、そこには急斜面などなく、ただの森が続いているだけだ。

 背筋がぞくりとして、彼女はわずかに身震いした。それ以上にジーラスが真っ青になったのも知らずに。

「行こう」

 歩き出したゼブラに続き、ティアラも頷いて足を踏み出した。


 近いように思えて意外に遠かった鴉達が上空を舞うその下へ、グレイスは辿り着いた。

 ウェンディが小高く盛り上がった丘を見て顔をしかめつつ、腕を組んでいる。

 ティアラのこととなれば疲労もどこかへ飛んでいってしまうらしいウェンディは、一人丘を越えて行こうとするものだから彼は急いでその後を追いかけた。

 そうして、やけにふかふかしている丘を下りると、真っ先に目に飛び込んできたのは穴の開いた木の幹だ。

 今にも折れて倒れてしまうのではないかと思えるほどの穴、というより抉られた後が目に焼きつく。

 落葉の上に木屑が落ちているのを見ているウェンディに近寄ると、彼はそっと手を伸ばして木の幹に触れる。

「この森には鴉以外の生き物がいるのか?」

 ライオンや虎でもつけられなさそうな傷だ。

「…動物ではなさそうよ。でも、何かあったことは間違いないわ」

 ウェンディが神妙に黄金の瞳を細めつつ幹を睨んだ。

「その傷から強い妖力を感じるの、妖怪がいるのかもしれない」

 縁起でもないことを口にした彼女に、グレイスは手を引っ込めつつ顔をしかめた。

「見つかったら餌食になるだけだな」

「まあ心配する必要はないわよ。この近くにそういうものは感じないもの、きっともう何処かへ行ってしまったのよ」

 そう言って背の翼を羽ばたかせ、丘の周りをぐるりと一周するように動き出す。

 彼もその後を追いかけながら、不意に丘に穴が開いていることに気がついた。

「ウェンディ、この穴は……?」

 不審げにそれを見ているグレイスに向き直ったウェンディは、すぐにこちらへ近づいてくる。

 そうして穴を見た後、地面に落ちている黒い羽根を見やる。

「……ゼブラよ」

「ゼブラ?」

「鴉の精霊を殺したんだわ」

 苦々しげに顔をしかめた彼女に、彼はため息をつくしかなくなった。

「何でゼブラだって分かるんだ?」

「あいつの魔法には特徴があるの、見分けくらいすぐつくわ。まあ……単にひどく邪悪な魔法っていうだけだけど。この術も普通は使わないわよ」

「普通は使わないって、どういう…」

 ウェンディは地面に舞い降り羽根を掴み上げた後、ひどく不快そうにひげを動かした。

「骨を砕き内臓を焼いてついには肉体も灰にする死の魔法よ。こんなもの使えるなんて本当信じらんない、物騒ね。並大抵の魔力じゃ使えないわ」

 その並大抵の魔力じゃ使えない魔法を、視線だけで使ってしまったとはウェンディは知らないが。

 グレイスは少々聞かなければよかったと心を沈ませつつ、ゼブラを絶対敵に回したくないと思う。

「…この森はシャトーの力でループされるようになってるわ。だから、この先を走っていってもまた同じ場所に戻ってくる。出入り口には結界が張られている上に隠されている、それを解くための場所がどこかにあるのよ。そこを見つけてどうにかすれば、この森から出られるわ」

 なるほど、と頷く。どうやら人間の力だけではどうすることも出来ないようだ。

「シャトーとの対決は避けられるか?」

 なるべく危険な目に遭わずに此処を出たい。

「……無理でしょうね、その場所には必ずあいつがいるわ。私達を面白がって高みの見物でもしてるのよ」

「…分かった」

 ため息と共に言葉を吐き出したグレイスに、ウェンディは目元をわずかに引きつらせた。

「な、何かいるわ…」

「は?」

 ウェンディが見ている木々の間に、彼も視線を動かす。そこには、黒い何かがうずくまるようにして倒れている。

 彼女がごくりと固唾を飲む音を聞きつつ、グレイスは神経を張り詰めた。

「ひ、人かしら? まさか妖怪…? ちょっとあんた見てきてよ」

「なんで私が」

「いいから早く!」

 背中を後ろ足で蹴られ、彼は顔をしかめつつゆっくりとその黒い物体に近づいていく。

 というより、妖怪だったらどうしてくれる。殺されてもいいと?

 だが、すぐにそれは妖怪ではなく見知った少女だと気がついた。

「サン…!」

 驚いてグレイスは彼女の名を呼ぶ。

 うずくまり、うつ伏せで気絶しているらしいサンを抱き起こす。固く閉じられたまぶたは動かないが、息はしている。

 ウェンディは相手が味方の人間だという事に安堵したのか、すぐにこちらへ飛んできた。

「気絶してるの?」

「…どこかから落ちたのかもしれない、怪我をしてる」

「かすり傷じゃない」

 彼女の頬には少々かすったような跡があった、でも平地続きのこの森で怪我をするか?

 転んだりすれば別だろうが。

「グレイス」

「何だ」

 ウェンディが強張った声を絞り出す。

 彼は顔をあげた、そして固まる。景色がまったく別の風景になっていたからだ。

 目の前に現れたのは傾斜が何度あるのかと問いたくなるほど急な斜面で、そこからサンが転げ落ちたらしいことが分かる。

「シャトーの魔法だわ。ていうか……どういう繋ぎかたしてあるのかしらね。この森」

 身震いしたウェンディは、グレイスの肩に舞い降りつつサンを覗き込む。

 彼は背後を振り返り、そこにはまた平地が続いていることを確認した。

「この子、手が切れてるわよ」

 ウェンディの言葉に、彼はその手を見る。手の甲に血がべっとりとついていることに、そんな簡単な話じゃないじゃないかと思う。

 とりあえず持っていたハンカチでそれを縛ると、グレイスはどうにかサンを負ぶった。

 本当、こういうときはサンが十五歳でよかったと思う。

「どうするのよ」

 舞い上がったウェンディは、歩き出したグレイスに眉をあげる。

「どうするって、放っておくわけにはいかないだろ」

「じゃあ、ずっとサンを背負って行動するわけ?」

 背負う、って。

「この先に小屋が見えたからそこまでは」

「…もしかしたら、そこが結界を張ってある場所かもしれないわね」

 かすんでいる木々の間に、確かに見えるうっすらとした小屋の影を睨みつつ、ウェンディは呟いた。



 古びた木の扉の蝶番は錆び付き、今にも外れそうだ。それが夢の中と重なり、彼女は眉根を寄せる。

「本当に開くのかよ、こんな扉」

 不安げなジーラスは、触っただけで取れそうな汚れきった扉を睨みつけた。

 ビリーが腕を組みつつ、眼鏡を押し上げる。

「この森には昔狩人がいましたから、もしかしたらその頃使われていた小屋かもしれませんね」

「まあ、開かなかったら壊すまでさ」

 ゼブラが躊躇なくノブに手をかける、そうして外開きの玄関口をゆっくりと手前へ引く。

 ギギ、という木が軋む音が、静寂につつまれた森の中に響き渡り、やけに大きく聞こえた。

 完全には開かなかったものの、人一人は通れるくらいの隙間は確保できた。

 中は薄暗く、此処からではよく見えない。

「入るよ」

「や…やっぱ止めようぜ、変なのがいたらどうすんだよ」

 ジーラスが怯えながら後ずさる。

「変なのって…」

 ティアラは少々呆れつつ、そんな彼を無視して中へ入っていったゼブラに続くビリーを見やり、自分も急いで入る。仕方なくジーラスもついてくる。

 小屋の中の床は激しく軋み、夢の中と同じように暖炉とその前に置かれている黒いソファが目に付いた。

 床には獣の毛皮のような汚れた絨毯が敷かれ、部屋の角には蜘蛛の巣が張っている。

 古びた本棚に並ぶ怪しげな題名の本は埃をかぶり、一応ある水周りの水道からはポタポタと音を立てて水滴が水受けの銀のバケツのなかに溜まっていく。

「水が出てるってことは、誰か生活しているんでしょうか」

 ビリーが水道へ近づき、顔をしかめた。

 ティアラは埃だらけの天井からぶら下がるガスランプを見る。

「むやみに動くのはよしたほうがいいよ。どこから何が飛び出してくるかも分からないんだから」

「ぶ、物騒なこと言うんじゃねーよ!」

 脅しのような台詞を吐いたゼブラに、ジーラスは怯えたように出入り口付近の壁に張り付いた。

 ビリーが呆れたようにそれを見ている、一体どっちが年上なのか。

 ふと、ティアラは暖炉のすぐ横の木の壁に張られている紙に気がついた。

 なぜか目を引く紙は、よく見れば埃をかぶっていない。ここに持ち込まれて新しいように思える。

 それに近づいていくティアラに気付いたゼブラも、その紙を見て難しい顔をする。

「……これ何?」

 緑色の線が走り回っている紙は、何かの地図のようだ。

「森の地図、みたいだね。まだ新しい」

「ならこれを見れば外へ出られるってこと?」

 ジーラスとビリーが希望に目を輝かせた事など知るよしもなく、ゼブラは腕を組んだ。

「分からない。もしかしたら余計に、どつぼに嵌るかも」

「何か刺さってる」

 ティアラは地図の中心より少し左に離れた場所に刺さっている黒いピンに、手を伸ばす。

 触れようとした瞬間、目に見える黒い光が彼女の手に電気のような痛みを走らせた。

「な、何?」

 驚いて一歩後ずさったティアラに、ゼブラはそのピンを見たまましばし考え込んだ後、口を開いた。

「これが境界線のつなぎ目だ」

 これが?

「じゃ、じゃあこのピンを抜けば森は元に戻るってこと?」

「でも強力な魔法がかかってる、そう簡単には抜けないよ」

 確かに、今彼女の手を弾き飛ばした。

 どうすればいいのだろう。

 方法を考えようとした時、突然背後で閉めたはずの扉が開く音がする。

 警戒して四人全員が一気に振り返ると同時に、小屋の中へ見慣れたオコジョが入ってきた。

「ウ、ウェンディ……」

 ビリーの存在を知らない妖精は、平然と黒い翼で宙を舞い、ティアラの姿を見つける。

 もちろん、ティアラもビリーの存在を忘れていた。

「ティアラ! 無事でよかった…!」

 泣きそうに顔をゆがめたティアラに、ウェンディは飛びつく。

 しばしの再会を喜び合っていると、今度はジーラスが声をあげた。

「兄ちゃん!」

 ティアラも我に返り、戸口を見る。サンを負ぶって入ってきたグレイスに、ジーラスが顔をほころばせた。

「サン……」

 ティアラは不意にウェンディを離し、急いでグレイスに駆け寄った。

「グレイスさん、怪我はないですか? サンも……」

「大丈夫、どっちも無事だ」

 よかった、と胸を撫で下ろす彼女を横に、グレイスは部屋の隅にサンを下ろす。まだ気絶したままの彼女を壁にもたれかけさせると、彼は立ち上がった。

 そうして、水道の傍に居たビリーに気がつき、はたとする。

 今まで思い切りウェンディが飛び回っていたのでは?

「グレイス、無事でよかった、とでも言っておくよ。でもタイミングが悪い」

 ゼブラが地図の傍から口を開く。

 彼は気がついたように金髪の少年を見た、そうして先ほどの穴を思い出す。

「タイミング?」

「此処へこないほうが正直安全だったのに」

 ゼブラは地図をわずかに見て、呟いた。

「ど、どういう意味だよ」

 ジーラスが怯えたように後ずさる。

 ティアラはサンの無事を確認して、かすり傷だがその傷跡を自分のハンカチで拭う。

 ゼブラの意味深な台詞の先を聞く、はずだったがその前にビリーが叫んだ。

「オコジョが喋って飛んでる……さては、妖怪ですね!?」

 指差す先で、ウェンディはようやくビリーに気付いたらしい。

 だが、もはや開き直った様子で口を開いた。

「失礼ね、妖精よ!」

 墓穴を掘ったことに気付いていない彼女だが、ビリーは妖精? と顔をしかめた。

「どこが妖精なんですか。妖精はもっとふわふわしてて、あなたみたいにつんけんしてないですよ!」

「んな……このガキっ…噛み付くわよ!」

「自分で妖精のイメージを壊してるんでしょ!」

 ティアラはもう隠し通せないと思い、仕方なくウェンディに怒鳴った。

 つくづく、ウェンディは人間と仲良くしようとしない。ゼブラより往生際が悪いものだ。

「い、一体何者なんですか? あなた達。妖精引き連れてるなんて、まさか地底人じゃ…」

「だからその思考やめろって」

 ジーラスが呆れ顔でビリーを見る。

 すべてを白状するべきかどうか迷っていると、グレイスがあっけらかんとした態度で口を開いた。

「地底人じゃない。私とジーラスは単なる人間だ。後の三人は魔法使い、それとティアラの相棒の妖精ウェンディ」

「ま、魔法使い…?」

 ビリーは恐れたというよりは目を輝かせたように思えた。

 その様子に、ティアラは首を傾げる。

「すごい…すごいや! 僕、ずっと魔法にあこがれてたんです! 本当にそういう世界があるなんて…!」

 急に笑顔になったビリーは、人懐っこそうな印象を与える。

 普通の少年らしさが出ていて、ティアラは頬をゆるめた。

「魔法使いでも、いい魔法使いと悪い魔法使いがいるものだよ。区別がつかないと、とんでもないことに巻き込まれやすい」

 ゼブラがこちらへ歩いてきながら言う、確かにシャトーたちは悪い魔法使いの分類に入るのだろう。

 だが、自分自身はどうなのよ、と言いたくなる。

「そ、そうなんですか……。じゃあ、あなたは悪い魔法使いなんですね?」

「勝手に分類しないでほしいんだけど」

「だってさっき鴉を…」

 ティアラは、頭の中であの黒い羽根が何なのか分かった気がした。

 もうその話は忘れたら? とゼブラが薄暗く笑う。子供相手にそんな笑顔みせなくても。

 その微笑が恐ろしかったのか、ビリーは口をつぐんだ。

 ティアラはサンの傷を拭き取り、立ち上がる。と、カツンと音を立ててポケットから床にあの石が落ちた。

 はっとして拾い上げようとするが、その前にすぐ横にいたビリーがそれを掴んだ。

「これ、何の石ですか?」

「さ、触っちゃ駄目! それは……」

 慌てたティアラに、その場にいた誰もが顔をしかめる。

 不意にビリーの手の中の石の深い青がうごめく、と同時に宙に跳ね上がった。

 反動で壁に頭を打ったビリーは痛みを堪える、ティアラはとめようと立ち上がるが遅かった。

 暖炉の前に落ちた石は一瞬で少年に姿を変える、彼女はその場で硬直した。

 赤い十字架が映える白い頬の妖怪は、ゆっくりとその場に居る人間を見渡す。

 ウェンディが慌ててティアラの肩に飛びついた。

「…妖怪じゃない…」

 彼女の呟きに、グレイスが振り返る。

「それはさっきの丘の?」

 その話が少々気になったが、今はそれどころではない。ここで暴れられたら交わすスペースもない、皆殺しだ。

 ジーラスはそろそろと出入り口から移動し、ディオンから離れる。

 青ざめているビリーの元へと彼は辿り着くと、表情を強張らせた。

「…シャトーの手先?」

 ゼブラが口を開く、相変わらず動揺した様子さえみせない。

『そうだよ』

 ディオンの茶色い耳がかすかに動く。長い爪が今にもゼブラを切り裂いてしまうのではないかと思う。

「お前のご主人様はどこだ? さっさと始末をつけてやるよ」

 ぞっとするほど冷酷な笑みを見せるゼブラに、ディオンも相手が只者ではないと分かったらしくティアラの時より警戒している。

 鋭い瞳で睨みつける狼に、怯える様子もなく彼は立ったまま相手を見ているだけだ。

 どっちが先に動くのか、とハラハラしだしたとき、突然ディオンが動いた。

 跳ぶとまではいかなかったが、ゼブラに向かってまっすぐその刃を振る。

 けれど彼には当たらなかった、いつの間にやらディオンの背後に回っていたからだ。

 躊躇なくゼブラは左手のひらをディオンに向ける、そこから飛び出した黒い弾が狼を貫いた。

 ふらついて床に膝をつく少年に、彼は呆れたように眉をあげる。

「もうちょっと相手を見たらどう? 俺がただの魔界人じゃないなんて、すぐ分かるだろ」

 ディオンの貫かれた腹から滴る黒に近い紫の液体は、妖怪の血なのだろうか。

『…あんた、噂の女帝の義弟だな? プラシナとかいう吸血鬼の』

 それでも平然と立ち上がるディオンはゼブラに向き直る。

 ティアラの鼓動は緊張でだんだんと早くなっていく。

「その通りだよ」

『…ねえ、僕らと手を組まないか? その魔力をそのままにしておくなんて勿体無い』

 突然取引を持ちかけたディオンに、ゼブラはわずかに眉根を寄せる。

 ティアラは驚いてディオンとゼブラを交互に見た。

 そうして、彼女は彼が口を開きかけた事に、急いで二人の間に割って入った。

「だ、駄目!」

 両腕を広げ、ゼブラの前に立ちはだかるティアラに、その場にいる全員が目を見張る。もちろんゼブラ自身も驚いたようだ。

『何が駄目なんだよ?』

 ディオンは不満そうに顔をしかめ、口をとがらせた。一瞬一瞬の仕草は、攻撃的でない限り普通の少年のようだ。

『あんたなら、魔界も魔法界も手に入れるのは簡単だろ?』

 そう言い、青い瞳でゼブラを見る狼に、ティアラは不安げに背後の彼を見た。

「確かに簡単だよ。人間をすべて焼き払えばいいだけだからね」

 なんてことを、と言うようにウェンディが苛立ったように一瞬牙を剥く。無論、グレイス達も顔をしかめた。

「でもお前達と手を組む気はない。俺はずっとティアラの騎士ナイトだから」

 彼はわずかに冷たく笑った。

 そうして目の前にいた彼女を自分の背後に回したゼブラに、ティアラは固まった。

 騎士って……誰がそんなこと決めたのよ。

 そんなことを思いながらも、気恥ずかしさに彼女は息を吐き出す。

『魔力と地位がある魔法使いならいいのかよ』

「じゃあそっちはどうなのさ。無差別に殺人を犯すような魔法使いでもいいの?」

 不機嫌そうにディオンが再び刃を構えた。

『シャトー様を悪く言うな』

 ゼブラは何も言わずに突っ立ったままだ、殺されてしまうのではないかと思う。

「本当にあいつに仕えてるんだ? 気の毒だな」

『何がだよ』

「王制を崩そうとした魔法使いなど処刑されて当然だ。お前は犯罪に手を貸すのか? 何ならこっちの仲間にしてやってもいいよ」

 にやりと笑ったゼブラに、ティアラは顔を引きつらせた。

 そんなこと言っちゃまずいんじゃ。

 案の定、ディオンの瞳がわずかに揺らめいた。

『馬鹿なことを言うな。僕はシャトー様を裏切ったりはしない。その女を殺すために来たんだ!』

「それは残念」

 ゼブラに飛びかかろうとした狼は、空中で動きをとめた。

 いや、止めさせられたと言うほうが正しいだろう。

 金髪の悪魔は、右手の平を相手に向かって突き出したままだ。そこからわずかに薄青い光が出ていて、それでディオンが動けなくなったのだと分かる。

 並大抵ではない魔力が、ティアラにも感じ取れた。

「お別れだ」

 ゼブラがいかにも楽しげに、それでいて冷たく微笑む。

 その赤い瞳が、わずかに揺れた。

 誰もが息を飲んだだろう。

 狼の体から激しい煙が立ちのぼり、耳を劈くような悲鳴があがる。

 ティアラは思わず耳をふさぎ、その後目を閉じた。

 ようやく静けさが戻ったと思えば、さっきまでディオンがいたはずの場所には灰が積もっていた。

 死の魔法だ。

 背筋をぞくりとさせつつ、目の前のゼブラを背を見上げる。

 彼は平然としたまま、ゆっくり右手を下ろした。

「…しまった、ピンを抜く方法を聞けばよかった」

 そうしてぼそりと呟く。

「……ディ、ディオンなら知ってたかな…?」

 ティアラは強張っている唇をどうにか動かした。

「ディオンって言うんだ? …でもシャトーしか知らないかもね、こればっかりは」

 ビリーとジーラスは、腰が抜けたようにその場に座り込む。

 ウェンディがようやく振り返ったゼブラに、一気に罵声を浴びせた。

「なんてことしてるのよ! あの魔法は魔界でも魔法界でも禁断になっているはずでしょうが!」

「禁断? 俺の中ではそうはなっていないけど」

「あんたの問題じゃなくて!」

 ゼブラの金の髪を引っ張りながら、オコジョは嘆くように喚く。

 グレイスが腕を組んだまま、しかめっ面でこちらを見ている。

「誰でも彼でも消せばいいってものじゃないだろう」

 気付いたように彼はグレイスを見た。そうしてせせら笑う。

「人間はそうだろうね。でも魔法使いや妖怪相手となるとそうはいかないのが普通だ。殺さなければ殺されるだけだよ」

 そう言われ閉口したグレイスだったが、心のどこかではそういう問題じゃないと思っているに違いない。

 ティアラもこの手荒なやり方には賛成することが出来ないが、他に方法がないのだから仕方ない。

 と、腰を抜かしていたビリーがサンの異変に気付く。

 まぶたを動かした彼女は、うっすらと黒い瞳を覗かせた。

「サン!?」

 ビリーが何か言う前に、ジーラスが飛びつくようにサンを覗き込む。その声に他の四人も振り返った。

「……ここは…?」

 掠れた声でサンが呟く。

「森の中の小屋だよ」

 ジーラスが応答するのに対し、ティアラも彼女に駆け寄っていた。

「サン、大丈夫? グレイスさんがここまで連れてきてくれたんだよ」

「そうなの…」

 まだぼーっとしているサンに、ビリーも胸を撫で下ろしたらしい。

 一方で、ウェンディは未だゼブラを殴り続けている。

「あの魔法はねぇ、法律に反するのよ! 魔法に関する憲法二○五条の……二○四条だったかしら?」

「というより、俺があいつを殺してなかったら今頃皆殺しだったっていうのに、感謝もされないわけか」

「と、とにかく私はあんたのその不敵者な態度が許せないのよ! この強欲縞馬!」

 とうとうゼブラはオコジョをとっ捕まえた。両手で彼女を持ち上げて真顔で言う。

「なんなら同じ灰にしてあげようか?」

「ゼブラ!」

 それに気付いたティアラが、慌ててウェンディを取り返した。

「冗談だよ」

「そ、そういう心臓に悪い冗談はやめて!」

 ウェンディを抱きしめつつ、彼女は怒鳴る。

 が、まったく懲りていないらしく彼は軽く笑んだだけだった。

「今は、そういう場合じゃないんじゃないか?」

 騒ぎを終わらせようとグレイスが割り込む。

 確かにそうだった。

「そうだったわ、化け物の親玉が現れる前にさっさとそのピンを抜きましょう!」

 ティアラの腕の中から、ウェンディが言う。

「だから抜けないんだってば!」

「…もう、小屋もろとも吹っ飛ばしたほうが早いんじゃないの?」

「ウェンディ!」

 手段を選ばないオコジョを叱り、彼女はウェンディを放した。

 そうしてピンに恐る恐る近づく、が手を伸ばす気はそがれる。

「銃で壊せるか?」

 グレイスがコートの内ポケットから銃を取り出すのに対し、ビリーが顔を引きつらせた。

「いや、壊せてもやめたほうがいい。あのピンを抜けば、空間がねじれてこの小屋が押しつぶされるかもしれない」

 ゼブラが神妙に言う、ウェンディとジーラスが絶望的な表情をした。

「そ、それじゃあ助からないってことかよ!」

「冗談じゃないわ!」

 口々に文句を言う二人をティアラは睨みつけた。こんなときに言い争ってどうするのか。

「……グレイス、その銃貸してくれる?」

「何に使うんだ」

 警戒したように自分を見たグレイスに、ゼブラはわずかに微笑した。

「このピンを壊すよ。銃弾を命中させれば確実に抜けそうだからね」

 とはいえ、二センチあるかないかのピンだ。当たるのだろうか。

「とにかく皆を連れて此処から出て、あの急斜面まで行ってほしい。辿り着いたらこれで合図して」

 ゼブラは魔法で出したらしい銀色の小さな笛をティアラに渡す。

 受け取りながら、彼女は眉をあげた。

「待って、じゃあゼブラはどうするの? ピンを抜けば、空間に押しつぶされるかもしれないんでしょう?」

「犠牲を払わないと此処からは出られないよ。まあ、俺は死ぬつもりはないから二、三日で帰るけど」

 真顔の彼に、ティアラは戸惑う。

 ゼブラでも彼女にとっては大切な仲間だ、そんなの見殺しにするような真似は出来ない。

「ゼブラ! あんたの犠牲は無駄にしないわ!」

 薄情なオコジョは縁起でもない台詞を吐き、さっさと翼を羽ばたかせて小屋の出入り口を開ける。

 ジーラスとビリーがぼんやりしているサンを立たせるのを見ながら、グレイスはゼブラに銃を差し出した。

「勝手に死ぬような真似は許さないからな」

 そう言ったグレイスがいつになく真剣に思えて、ティアラはどきりとする。

「それは上司としての命令?」

 銃を受け取ったゼブラは、弾を確認しながらわずかに視線を動かした。

「…そうだ」

 グレイスは深く頷いてそう言う。

「分かったよ」

 口元をあげてゼブラが笑う。

 そうして出口へ向かうグレイスに呼ばれ、ティアラはゼブラの傍を離れようとして足をとめる。

 死ぬなって言われても、もし間違って押しつぶされたりすれば命の保証はないのだ。

 これが、最後だったら?

「……ゼブラ、私……っ」

 何が言いたいのかも分からないまま口を開いたティアラに、彼はその言葉を聞くまいとするように彼女の背を軽く押した。

「早く行きな。斜面の上に辿り着いたらその笛を吹いて合図して、そうしたら撃つから」

 握り締めていた銀色の笛を意識した途端、グレイスに腕を引っ張られた。

「行くぞ!」

 そういって小屋を出る、何を言うわけでもないまま彼女の視界から金髪の少年が消える。

 ゼブラ。私……ゼブラが死んじゃったりしたら泣くからね。

 一人でも仲間が欠けたら、悲しいに決まってるんだから。

 だからお願い。ちゃんと、生きて戻ってきて。

 正面を向いて走り出しつつ、ティアラは苦しみを飲み込んだ。

「本当に馬鹿じゃないの?」

 透き通った呆れ声が小屋の中に響く、いつの間にやら暖炉の前に現れていた金髪の女がゼブラを見た。

「そうかも」

 合図を待ちつつピンの位置を確認している彼に、プラシナは哀れんでいるとしか言いようのない目を向ける。

「…死の魔法だけでも魔力を消費してるっていうのに、まだ結界を解き放って圧力をかぶる気? それこそ死ぬわよ」

 床に積もっている灰の残骸を眺めやり、彼女は腕を組んだ。

 そうして汚れた、火のついていない暖炉にもたれかかる。

「その肩の傷もあるのに」

「この傷に死の魔法がかかってるから?」

 義姉を振り返ったゼブラは、自分の左肩をわずかに押さえる。

 その表情には痛みの色などない。

「そうよ……本当、運が強いのか何なのか。シャトーの死の魔法で生き残るなんて」

 プラシナは幽霊屋敷の出来事を思い出しつつ、ため息を吐き出した。

「生き残ったわけじゃないよ。どのみち俺はこの呪いで死ぬだろうから。まあ、シャトーが封印されるまでは死んでやらないけど」

 彼は皮肉っぽく笑う。

「……こんな仕事、さっさと辞めればいいのよ。魔力を使わなければ生きてられるかもしれないんだから」

 痛々しげに彼女は目元を細めながら呟いた。

「同情してくれるの?」

「まさか。馬鹿だなって思ってるだけ」

 そう、と息で笑ったゼブラに、プラシナは灰色の瞳に影を落とす。

 静寂が聴覚にまとわりつく。

「本当馬鹿みたい。……このままじゃ後二年も生きられないわよ」

「いいよ。死んだときに、ティアラが少しでも俺のことを心の隅に置いてくれるのなら」

「…置いてくれなかったら?」

 置いてくれなかったら、か。

 そうなったらそうなったでいい。

 投げやりに思い、ゼブラは赤い瞳をわずかに細めた。

「彼女が幸せならそれでいい」

 きみを幸せに出来るのは、僕じゃないから。


 息を切らしながら急斜面を上りきったところで座り込んだジーラスを、ようやく本調子が出てきたサンが心配そうに見ている。

「な、情けないですよこんなことで!」

 ジーラスに対してそんな言葉を投げかけるビリーだが、彼も息切れして動けなくなっていた。

 唯一地面を這いずらなくてすんだウェンディは黒い翼を羽ばたかせながら、ティアラが笛を取り出すのを急かす。

「早くしないとシャトーが現れるかもしれないわよ、そうしたら今度こそ…」

「…分かってる」

 でも、どうしても笛を吹く気になれないのだ。

 彼は帰ってくると言っていた。けれど、あの赤い瞳には力がなかったような気がしてならない。

 グレイスが迷うティアラを見ている。言葉をかけてやりたいが、見つからないのだろう。

「ティアラ…! あんな男のために迷うんじゃないわよ!」

 ウェンディが怒鳴る。その声に、ジーラス達も緊迫した空気を感じて顔をあげていた。

 ティアラは銀色の笛をきつく握り締める。

「…そう、かもしれないけど……でも、ゼブラだって仲間なんだよ。見殺しにするなんて真似……やっぱり出来ないよ…」

 一番、私のことを守ってくれた人なのに。

「……ゼブラが、そう簡単に死ぬと思うか?」

 彼女は不意に顔をあげ、隣に立っているグレイスを見上げた。真っ黒な瞳と目が合う。

 彼は問うようにティアラの目を見つめ返していた。

「………死なないと…思います」

 今までの出来事を思い出し、彼女は呟く。

 ウェンディがじれったそうに宙で地団太を踏む。

「なら迷うな。助けるだけが仲間じゃない、あいつを信じろ」

 グレイスの言葉がなぜか心に沁み込んで、ティアラは泣きそうになった。

 信じることは強いこと。

 私が、今出来ることはそれだけだから。

 そうして、笛に震えながら口をつける。ゆっくりと吐き出すように息を吹き込む。

 高く超音波に近いのではないかと思われる音が、森中を駆け巡った。

「合図よ」

 薄暗い小屋の中で、プラシナがゼブラを見る。

 彼は壁のピンに向かって銃を構えた。

「押しつぶされる前に逃げたほうがいいよ」

 彼女は、物言いたげな表情をしていたが、静かに目を伏せた。

 背景に混ざるようにして消えていった義姉を見送り、ゼブラは地図に向き直る。

 自分が何かを後悔する前に、と一瞬目を閉じた後、躊躇なく引き金を引いた。

 激しい銃声が、急斜面の上にいたティアラ達の耳にまで届いた。

 当たったのだろうか、と不安に思う。

 と、不意に強い風が森の中を吹き抜け、無数の鴉達が上空へ舞い上がった。

 強風に目を閉じたティアラは、自分の足元に感覚がなくなるのを感じていた。



「それは何の真似だ?」

「何って、土下座ですよ。そんなことも分からないんですか?」

「そういう意味じゃない」

「だから、その…で、弟子にしてください!」

「弟子ぃ!?」

 無事、ゼブラを置いて事務所へ戻ってきたティアラ達は、あれから数日の経つのに彼が戻ってきていないことに不安を感じていた。

 今日はスクール帰りのビリーが事務所へやってきていて、事件が起きなくなった礼をしにきたところだった。

 が、そこまではよかったのだが、突然彼はグレイスの前に土下座をして「弟子にしてくれ」なんて頼みだすのだから、ウェンディとジーラスが同じように声をあげた。

「……弟子は募集していません」

 グレイスが戸惑ったのか、呆れたのかはその表情から確認することはできなかったが、その代わりにウェンディが飛び出した。

「あんた本気なわけ!? こいつの弟子なんかになったら、毎日召使のようにこき使われて……」

 台詞が遮られたのは、こいつ呼ばわりされた彼がウェンディの首根っこを掴みあげたからだ。

「人聞きの悪いことを言うな」

「事実じゃない!」

「………お前の夕飯は抜きだな」

 冷たく睨み合う二人にティアラは苦笑しつつ、ビリーがまさかこんな方向に出てくるとは思っていなかったので、少々驚いている。

「いいじゃんか兄ちゃん、雇ってやれよ!」

 意外にもジーラスがグレイスにそう言う、ビリーのことを目の敵にしていたはずなのに。

 ビリーも驚いたように顔をあげ、突然の協力者の登場に目を輝かせた。

「駄目だ。まだスクールに通っている生徒だぞ? 何かあったら親御さんに合わせる顔がないだろ」

 おまけに、今はシャトーとの対決もあって危険だ。命の保証がない。

 断固反対のグレイスに、ジーラスはこっそり耳打ちする。

「往生際悪いこと言ってんなよ。こいつが入ったら、ゼブラの代わりになりそうじゃん」

「最低ですね、ゼブラさんが死んだかどうかも分からないのに」

 ソファに座り本を広げていたサンは、どうやらその内容が聞こえたらしく、ジーラスを鋭い視線で睨みつけた。

 ウェンディはティアラが運んできたクッキーをもらいながら、にやりと笑う。

「ゼブラの代わりがそんなガキに務まるわけないでしょうが。ははーん、さては自分が楽したいがためにビリーを引きいれようとしてるわね?」

 ぎくりとした様子で肩をすくめたジーラスに、グレイスが明らかに不機嫌そうに眉をあげた。

「ゼブラがいなくなって、ここ数日お前が郵便を出しに行っているからか? それとも手紙を取りに行かなきゃならないから? 朝寝坊できないから?」

「ち、違うっつーの! 俺はビリーの才能を見抜いたからこそ……」

 慌てるジーラスに、ティアラは無意識のうちにとどめをさした。

「そんな嘘くさい」

 頭を殴られたように撃沈するジーラスは、そのまま床に屈みこむ。

 正座をしたまま、ビリーは呆れたようにジーラスを覗き込んだ。

「でも、本当あいつ生きてるのかしらね」

 ウェンディが窓の外を見て、クッキーを頬張りながら呟いた。

 ティアラはソファに座り込んだまま、静かに息をついた。




 今、どこにいるの?



 Five fin


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