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Again  作者: 桜葉
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第三章―真実の証

この物語はイギリスが舞台ですが、作者の経験上イギリスには程遠いイギリスになっています。ご了承下さい。

また、探偵事務所が登場しますが、これも作者の経験上本格的な捜査部分まで記すことが出来ません。ご了承下さい。

以上を「許せる!」という方のみ、物語へお進み下さい。

 ずっとずっと、傍で見てきた。

 あなたが成長していくのを、幼い頃からずっと。

 素直に上手く伝えることは出来ないけど、いつもぶっきらぼうな分だけ大切で大好きなの。

 妖精と魔法使いでも、本当の家族より深い絆が二人の間にあると信じたい。

 だからどうか、目が覚めてもあなたがそこに居てくれますように。


 私を連れて行くと、あの人は言った。

 私の魔力が欲しいと、あの人は言った。

 どうすればいいの。この力をあげればいいの?

 それとも、私のいるべき世界へ戻ればいいの?

 私は此処にいたい。此処にいなきゃ、皆の傍にいなきゃ。

 そう思っていたけれど、もしかしたらそれは勝手な一人よがりだったのかもしれない。

 だって、誰も私を引きとめてはくれないから。

 振り返る、あなたがそこにいるんじゃないかと思って。

 でも、その先には誰もいなくて。

 ほら、また暗い迷路を彷徨ってる。



Again

第三章―真実の証―



 薄明かりが窓の外から差し込んでいる。

 少女は寝返りを打ち、そっとまぶたをあげて深い青色の瞳を覗かせた。

 閉まったカーテンの隙間から入り込んできた朝日に、彼女はゆっくりと身を起こす。

 久しぶりに嫌な夢を見ずに済んだという朝なのに、なぜか胸の奥が痛かった。

「……なんて言ったっけ」

 夢の出来事を思い出そうと顔をしかめた時、突然部屋の扉がノックもなしに開いた。

 驚いてティアラは顔をあげる。と同時に、彼女の足元で寝ていたウェンディも飛び起きた。

 戸口に立っていたのは、ぼさぼさの髪の寝間着姿のジーラスだった。

「ティアラ、サンが魔法界に帰るって!」

「え!?」

 休日の朝六時過ぎだというのにたたき起こされたオコジョは、ひどく機嫌が悪いままティアラに事務所まで引っ張ってこられた。

 夏の朝は涼しく、ティアラは半袖のワンピースの上からカーディガンを羽織っていたが少々肌寒いくらいだ。

 早速重い空気が立ち込める事務所に、ジーラスと三人して飛び込むと、どうやら起きていたらしいグレイスと荷物をまとめたサンが机を挟んで向かい合っていた。

 その机の上には、白い封筒が置かれている。

「もっもしかしてそれ辞表!?」

 ジーラスが真っ青になって声をあげた。

 グレイスは長袖のワイシャツ一枚で、少し髪が乱れているところからここで寝ていたに違いない。

「何が辞表だ」

 朝から呆れたようにグレイスがジーラスに言う。

 ウェンディが顔をしかめて机の上まで飛んでいく。

 ティアラは不意に呟いた。

「もしかして休暇届?」

 すると、サンはようやく小さく頷いた。

 ウェンディも机の上に置かれた封筒を持ち上げこちらにそれを見せる。

 その表には、間違いなく「休暇届」と黒いペンで書かれていた。

「突然ですみません。だけど両親が帰ってこいっていうので……」

 棒読みに近い声で話すサンは、いつもより暗いような気がした。

「でもサン、魔法界を追い出されたって言ってうちに来たじゃない。なのに何で両親が呼ぶわけ?」

 不審げなウェンディは、机からサンを見上げつつ尋ねる。

 ティアラも確かにそういわれてみれば、と納得した。

 だが、サンは何も言わず普通に頷いただけだった。

「…分かった。まだ未成年だしな、親御さんのご意向なら」

「真面目くさってるから皆忘れてそうだけど、あんたも未成年でしょ」

 ウェンディが小声でグレイスに言う。彼は無視して休暇届に印鑑を押した。

 別に喜びもせず、薄暗いままサンはあっさり事務所を出て行った。

 玄関口の扉が閉まる音が聞こえた途端、ウェンディがグレイスの頭に飛びつく。

「あっさり行かしてどうすんのよ! サンは魔法界を追い出されたって言ってたのに、今更帰したらひどい目に合うかもしれないわよ!」

 自分の黒髪を引っ張る妖精を引き摺り下ろし、彼は口を開いた。

「サンが成人しているならともかく、まだ未成年だ。親の意向にこっちが従わないのもおかしいだろう」

「常識があればいいってもんじゃないでしょうが。まったく……これだから人間は!」

 ウェンディがグレイスを睨む。

「人間が何だ」

 が、彼に睨み返されウェンディは少々気迫負けしたように視線をそらした。

「……サン、なんか変だった。いつもより暗いっていうか」

 ティアラは玄関口を見ながら呟く。

「何言ってんだよ。あいつはいつも暗いじゃねーか」

 ジーラスが真顔でそう言ったことに、ティアラは顔を引きつらせる。

正直を通り越して失礼なのでは。

 ウェンディは腹立たしそうに腰に前足を当てて、机の上を行ったりきたりしながらぼそりと呟く。

「いつも暗いのはあんたの兄でしょうが」

「…あんまり無神経なことを言うと朝食抜きだぞ?」

 彼女の台詞を聞いたらしいグレイスが明らかに冷たく言う。

 最近の二人は、仲がいいのか悪いのか分からない。

 ティアラはウェンディを視線で叱り付けながら、ジーラスに向き直った。

「ジーラスが見たらいつも暗いかもしれないけど、何かそれとは違う雰囲気だったっていうか。いくら暗くても台詞までは棒読みじゃなかったもの」

 フォローになってない、と全員が思うが本人は気付いていない。

 ジーラスは確かに、というように眉根を寄せて腕を組み頷いた。

 何となく、嫌な予感がしないでもない。

 ティアラはそう思うが、思うだけでどうしようもない。グレイスの意見が正論だからだ。

 重ったるい空気が垂れ込める室内に新しい風を取り入れたのは、がちゃりと音を立てて再び開いた事務所の玄関だった。

「サン?」

 無意識のうちにティアラは玄関を開けた主をサンだと思い、つい呼んでしまっていた。

 けれど入ってきた人物はサンより背が高い金髪の少年だった。

「なんだ、ゼブラ……」

 彼女の呟きに、挨拶をすることもなくゼブラは顔をあげる。

「サンとなら下で会ったよ。……何? この重苦しい空気」

 うっとおしそうに彼は部屋の中を見回す。

 ウェンディが顎で、グレイスの机の上にある白い封筒をしゃくる。

 ゼブラは机に近づきその封筒を持ち上げると、そういうことかと納得した様子だった。

「別に休暇届で、そんなに暗くならなくたっていいだろ。辞めたわけじゃないんだし」

 呆れた様子の彼に、ウェンディがまたこいつも分かっていない、というように目元を引きつらせてひげを動かす。

 ジーラスは眠たそうに欠伸をし、「まあ気にしなくてもいいじゃん?」とだけ抜けた声で言った。

「サンは魔法界を追い出されたって言ってたでしょ? なのに両親が呼んでるっていうし…今更帰しても大丈夫なのかって言ってたの」

 ティアラが急いで事情を説明すると、ゼブラはあっけなく息をついた。

「そんなこと、追い出された人間はどうせ入り口で追い返されるさ。両親が許可を得てたら別だけど」

「それだけじゃなくて、何か暗かったの!」

 彼女が更に説明するのに対し、ゼブラは分かった分かったというようにその頭に手を置いた。

「あんた気安くティアラに触るんじゃないわよ!」

 途端に牙を剥くウェンディを見て、ゼブラがおかしそうに笑う。

 ティアラはぼーっとしていたが、慌てて身を引いた。

「過敏過ぎるんじゃないか? ティアラはお前の所有物じゃないよ」

「ゼブラの所有物でもないわよ!」

 この二人の争いは一度始まったら納まらなさそうだ。

 少し前の美術館の事件の時から、ウェンディは異常にティアラに対するゼブラの態度に敏感になっている。

 手に噛み付こうとしたウェンディの翼をあっさり掴み上げ、ゼブラはポケットから手紙を取り出す。

 それに気付いたグレイスがようやく顔をあげた。

「下のポストに着てたよ、依頼の手紙」

 手紙を受け取り、グレイスがそれを開くのから目を外したティアラは、既にソファで眠りこけているジーラスに気がついた。

 まだ六時半過ぎだから仕方ないのだろう。彼の普段の起床時間は八時頃という遅さなのだから。

「放しなさいよ!」

 ぎゃいぎゃい喚くウェンディをあっさり放したゼブラに、彼女は床に落ちそうになり慌てて浮上した。

「何で急に放すのよ、落ちそうになったじゃない!」

「じゃあ永遠に縛り付けておいてあげようか?」

 自分勝手な意見をゼブラにぶつけたウェンディに、彼は人が冗談じゃないと思うような台詞を投げつける。

 結局生意気なオコジョはふんっと鼻息を荒くし、傍にいたティアラの肩に飛び乗った。

「ティアラ、あんまりあいつに近づくんじゃないわよ。あんの縞馬!」

 憤りを押さえ込むウェンディに、ティアラは呆れながら少し早い朝食を作りに台所へ向かった。


「踏切自殺事件?」

 隣に座っているジーラスは半目開きのまま、眠そうにパンを口に運んでいる。

 声をあげたのは、もちろんウェンディだ。

 ゼブラは平然と聞いているが、ティアラは自殺だなんて物騒だと思う。

「先月の終わりごろから今までで十件ほど一週間に三度くらいのペースで、すべて同じ踏切で事件が起きている。そのうち四人は電車に跳ね飛ばされて死んだが、助かった六人は全員自分から飛び込んだんじゃないと証言してるらしい」

 グレイスは食事の手をとめ、先ほどゼブラから受け取った手紙を見ながらそう説明した。

「てことは…自殺じゃなくて殺されてるってことか」

 ゼブラの台詞にグレイスは頷く。

「大抵の人間が踏切が降りてきた瞬間、後ろから背中を押され線路に落ちたようだ。犯行は被害者の証言を元にすると夕方四時から夜の十一時頃の間に行われている」

「警察は相手にしてくれないんでしょうか…」

 近頃、警察も決定的なことが起きない限りは事件を相手にしてくれない。

 ティアラの質問に、グレイスは手紙を見直しながら答えた。

「いや、一応署に駆け込んだら調査はしてくれたそうだ。警官数人で何日も問題の踏切地点に張り込んだらしいが、一向に犯人が現れず向こうも諦めて帰った。でも、その日の夜に線路に人が突き落とされて死んだらしい」

 背筋がぞくりとするのを感じ、彼女は小さく身震いする。

 ウェンディが「だからって何でうちの事務所なのよ」と呟く。明らかに依頼を嫌がっている。

「犯人は警察の動きを読んでいたってことか。……グレイス、厄介な依頼を受けたかもしれないよ」

 ゼブラが天井を仰ぐ。

 グレイスは小さく息をつき、手紙をたたんで封筒にしまった。

「ともかく、今日依頼者のところへ行く。これ以上死人が出たらまずいだろ」

 そういいきった瞬間、ジーラスがしゃきっと背筋を伸ばして目を見開いた。

「死人? 死人って何!」

 聞いていなかったらしい。

「で、依頼者は誰?」

 ウェンディがあっさりそれを無視して口を開く。

 グレイスは封筒の裏にある差出人の名前を読み上げた。

「ロンドン鉄道局長、アクティ・ボーンズ」

 


「で、何で俺らは鳥探しなんだよ」

 ジーラスが苛立ったように依頼人の住所が書かれたメモ用紙を握り締める。

 ティアラも同じように思うが、ため息をついて口を開いた。

「仕方ないよ、私がいるとまた危険なことが起きるかもしれないでしょ?」

 大通りは今日も騒がしく、煉瓦の地面を踏みながら歩いていく二人は何処にでもいるような人間に思えた。

 そう、グレイスはティアラを置いて踏切自殺、いや殺害事件の依頼者である鉄道局長の元へウェンディとゼブラの三人で出かけて行ってしまったのだ。

 もちろん、ティアラがまた危険な出来事に巻き込まれるのではないかという彼の心配からきている行動なのだが、彼女が思うにジーラスといたほうが隙だらけで何か起きそうな気がしないでもない。

 代わりに二人は期限が迫っている行方不明のペットである白い小鳥、ランを探してくれという飼い主の依頼に動いていた。

「大体白い小鳥なんていくらでもいるんだし、その…ランかなんかを見つけ出すなんて無謀なんじゃねーの」

 一応空を見上げ、頭の後ろで腕を組みながらジーラスは言う。もっともな意見だ。

「でも依頼を受けた以上は出来る限りで探してみないと。飼い主の人も心配してるだろうし。あっ、あと小鳥の特徴は首から鈴をぶら下げてるらしいよ。飼い主が分かるようにつけたんだって」

 グレイスの代理なのだからしっかりしなくては、と思って久しぶりに着てみた半袖のカッターシャツに締めたネクタイは少々荷が重い。

 はたから見ればどこかの学生に見えてしまうティアラだったが、ジーラスはまったくいつも通りの服装なために気が抜ける。

「兄ちゃんは心配しすぎだよな」

「……でも、本当にもう油断できないかもしれない。ゼブラもそういうことは言ってて…」

 大分前の病院の屋上でのことを思い出しながら、ティアラは小さめの声で呟いた。

 ジーラスはその言葉に、怪訝そうに隣のティアラを見下ろす。

「ティアラとゼブラって、前々から知り合いなの?」

 そういえばグレイスやジーラスには、ゼブラとの関係を話したことがない。まあ、彼が人間ではないことなら二人とも分かりきっているのだろうが。

「知り合いだよ、昔一年一緒にいたから」

 話してもいいよね、と思いあっさり彼女は言い切った。

「一緒にいた!? そ、それって……付き合ってたとか!?」

 が、予想もしなかったジーラスの誤解に、ティアラは立ち止まり不思議そうに首を傾げる。

「付き合ってたとか、そういう過去はないけど? その時は私もゼブラも小さかったし…単なる友達だったよ。何で?」

「…いや、だって仲良さげだからさ。違うんならそれでいいんだけど」

 ジーラスが、心の中で「よかったな兄ちゃん」などと呟いたことなどティアラが知るはずもなく、再び彼女は歩き出す。

 仲良さげって、人からはそう見えてるのだろうか。

 ティアラ自身、よく分からないまま考えに眉根を寄せる。

 確かに彼は自分にじゃれてくるように思えなくもない。今朝だってそうだった。

 でもまさかそんな風に誤解されるとは。

「でもゼブラってティアラに気があると思う、よ」

 歩き出した二人だったが、唐突にジーラスが言うのでティアラはまたもや立ち止まってしまう。

「ど、どこが」

 ジーラスもそれに気付き、少々後方に離れたティアラの方へ振り返った。

 案の定、彼女は動揺している。

「どこがって……鈍い俺でも見てれば分かるって。吸血鬼は鋭い上に欲深だってウェンディが言ってたけど、あいつはティアラには優しい。普段はすげー冷たい微笑をするくせに、ティアラにはちゃんと笑うし。美術館のときだって自分が怪我してまで……」

 ジーラスの声が止まったのは、ティアラがあまりにも茫然とした表情で立ち尽くしていたからだ。

 彼は慌てて両手を自分の前で左右に振る。

「でっでもこれはあくまでも俺の憶測だから! 本人から何かを聞いたわけじゃないし、そもそも魔界って魔法界の敵なんだろ!?」

 ゼブラを元人間と知らないジーラスは、わざとらしく言い再び歩き出す。

 当の本人は、まったく自覚がなかったというように目をしばたかせたまま、頭の中で同じ言葉をぐるぐると廻らせていた。

 ゼブラって、ティアラに気があると思う、よ。

 どうにか彼女はその考えを振り切ろうと、通行人が驚いて振り返るくらいの勢いで頭を振る。

 まさか。ゼブラはそんなんじゃない、事情を知ってる人間として心配してるだけで…。

 急いでジーラスの後を追い駆け出したティアラに、そんなことを喋ってしまった彼は少々まずったかなと思っていたりもしていた。



 辺りはどこまでも水田が広がっていて、踏切の周り百メートル四方に林が背伸びしている。

 踏切までは車が一台通れるくらいの狭い土がむきだしになった小道が続いていて、これでは目撃者もいないわけだと納得できた。

 林のど真中を通っている線路は古く錆びついていて、踏切地点の遮断機の色はところどころはげている。

 鬱蒼としている林の落葉樹は、季節が夏ということもあり緑を生い茂らせて薄暗い林の中に更に影を落としていた。

 そんな小道を通り、問題の踏切の前までやってきたグレイス達に案内したボーンズ鉄道局長は事情を話し始める。

 やけに背が低い鉄道局長は痩せていて、腕を掴めば細い木の枝のように折れてしまうのではないかと思うくらい弱弱しい。

 ぼさぼさの白髪を整えようともせず、ボーンズ鉄道局長はかけていた丸いフレームの眼鏡を杖に体重をかけつつ押し上げた。

「ご覧の通り民家も街灯も辺りにはありません。夜中になれば車が通る事ももちろんない。まさに、犯行に打ってつけの現場なのですよ」

 か細い声で喋る鉄道局長に、ウェンディは隠れていたゼブラの着ているパーカーの帽子からそっと顔を出した。

「…幽霊が出そうね」

 小声で呟く彼女は、怖いものが苦手だ。人間同士の憎悪に満ちた事件のほうがよほど恐ろしいというのに、幽霊のほうが死ぬほど苦手らしい。

 ゼブラはそれに気付いたように、小声で笑った。

「怖いの駄目なんだ?」

「うるさいわね」

 ひそひそとウェンディはゼブラを睨みつける。

 グレイスが何やら鉄道局長と話しているらしい姿を見た後、彼は踏切とは反対方向へ歩き出した。

「グレイスは馬鹿だ、ティアラを置いてこれば魔力を狙われることもなくなると思ってる」

 そういうゼブラの表情はよく見えない。

 ウェンディはボーンズ鉄道局長から少し離れた位置にやってきたことが分かると、すぐに彼の帽子から抜け出て舞い上がった。

「いいじゃない。グレイスはグレイスなりに守ってるつもりなんだから」

 彼女は乱れた毛を整えようと身震いし、前足を腕組みして宙に浮かんだ。

「油断したら突き落とされるよ」

 ゼブラはウェンディを見てそう言い、そして彼女が浮かんでいる方向とは逆の林の方向へ目をやった。

 木々が不規則に生え並んでいる中に、うっすらと黒い人影がうごめく。

 彼は瞳でそれを追い、一瞬で消えた影を見送ると小道を吹き抜ける急な風に、林を見たまま静かに口を開いた。

「あいつはどんな手でも使って、ティアラを手に入れようとするはずだから」

 その言葉に、ウェンディは片目の目尻を細めて顔をしかめた。

「…もしかして分かってるの? 今回の犯人が誰か」

 ゼブラは彼女へ視線を移し、口元をあげた。

 その赤い瞳が、底なしの炎の湖のように見えてウェンディは不意に身体が熱くなっていた。

「もちろん」



 午後になり、日差しはだんだんと強くなってきていた。

 昼食を事務所で取り再び小鳥探しを始めたティアラとジーラスは、そろそろ諦めに入っていた。

 この広いロンドンで一羽の鳥を見つけろという注文は、ティアラにとってある意味空を飛べといわれるより難しい。

 が、彼女よりジーラスのほうが疲れていてだんだんと二人の歩数はずれていく。

 ついに二人の差が一メートル以上に開いてしまった時、ティアラは立ち止まって額の汗を手の甲で拭った。

「ジーラス?」

「あーっ! もうやめよう。どれだけ探したって、鳥なんか見つからないって!」

 疲れて地面に屈む彼に、通行人が振り返る。

 アスファルトの地面は、暑い直射日光をまともに照り返している。

 ティアラはジーラスに近寄り、ため息をついた。

「…そうかもしれないけど……」

 そこまで言った時、突然ちりんと鈴の音が耳に届く。

 彼女は不意に顔をあげ、頭上を見上げた。

 張り巡らされた黒い電線の上に、一羽の白い鳩がとまっている。

 その首には、青いリボンで結ばれた鈴が確かにさがっている。

 鳩とは書かれていなかったがあの目印は間違いない、依頼者が探している鳥だ。

 ティアラがそれに気付いた途端、白い鳩は羽根を伸ばして舞い上がる。

「あっ待って!」

 彼女は無意識のうちに足を踏み出し、鳩が飛んでいく方向へ駆け出す。

「ティアラ!?」

 ジーラスが驚いたように顔をあげるが、呼ばれた本人はは立ち止まらない。

 通りに面する電線の上を飛んでいく鳩は、ティアラに「こっちだよ」とでも言っているかのようだ。

 通行人に肩をぶつけたが謝る余裕もなく、鳩は急に高いビルの路地に入って行くのを見れば彼女は更に足を速める。

 足を滑らせたがどうにか転ぶのを持ちこたえ、急いでティアラは人一人通れるかどうかくらいの狭い路地の中に飛び込んだ。

 日差しが届かないここは、ひんやりしていて気持ちがいい。

 走りながら、目の前に迫る二つの分かれ道に彼女は立ち止まり左右を見た。

 左に白い影が飛んでいるのを確認すると、ティアラは急いで駆け出す。

「ティアラ、待てって!」

 ジーラスもようやく追いついて路地に飛び込むが、既に彼女の姿はない。

 分かれ道までくると、彼は両側を見回してその場で地団太を踏んだ。

「どっちだよ!」

 そうしている間にも、ティアラは鳩に追いつきつつあった。

 目の前を飛んでいく白い鳥は、手を伸ばせば届くのではないかと思うほどすぐ前にいる。

 だんだんと続かなくなる息をどうにか吸い込み、彼女は両腕を伸ばす。

  どうにか白い鳩を捕まえる。

 両手で包み込むより少し大きい鳩は、嘴を大きく広げて暴れながらティアラの手の中に納まった。

「よかった…」

 息を切らして彼女は鳩を見ながら熱い呼吸を吐き出す。

 と、急に背後から風が吹きぬける。

 強い風に一瞬目を閉じかけ、彼女は前方を見てはっとした。

 黒髪の、見覚えのある少女が数メートル先にある分かれ道のマンホールの上に立っている。

「サン……?」

 ティアラが呟いた瞬間、少女は右に曲がって姿を消した。

 彼女は不意にそれを追いかける。

 すぐに分かれ道までくると、右を見るが誰もいない。

 ティアラは右にまがって足を踏み出そうとした。

 すると、途端に足元が抜けたかのように下に落下する。

「わっ!」

 驚いて鳩を放してしまう。再び空へ舞い上がった白い鳥は、首の鈴を鳴らした。

 真っ暗な空間を落下しながら、さっきまで立っていた路地が消えて行くのを彼女は見ていた。

 何処へ行くんだろう、と不安を感じながら、脳裏に黒いマントの男が浮かぶ。

 でも、あの少女は確かにサンだった。どういうことなのだろう。

 また、私の悪い夢?

 無重力に酔い気分が悪くなってきたとき、突然視線の先に小さな光が見えてきた。

 それはだんだんと大きくなり、ついには出口だと確信する。

 真っ白な光が溢れだす丸い出口に、ティアラはきつく目を閉じた。

 どさっと音がして、彼女は固い地面に背中を打ち付ける。

 痛みを堪え顔をゆがめながら、ティアラはどうにか起き上がった。

 すると突然、辺りが炎に囲まれ燃え上がる。白い壁の長い廊下、あの夢と同じ光景だ。

 いつもならここで現れるはずのマントの男は、彼女の視界には入ってこない。

 やっぱり夢?

 ティアラはどうにか立ち上がる。足がふらついて、打ちつけたときにすりむいたらしい膝が痛む。

 燃え上がっている壁を見て、彼女は歩き出す。この先に、皆が死んでいる。

 知っていても、なぜだか足を止められない。

「待って」

 唐突にかかった背後からの声に、ティアラは驚いて勢いよく振り返る。

 真っ黒なローブを頭からかぶった黒髪の少女が、目元を隠して彼女の視線の先に立っていた。

「あなたの死に場所はそこじゃない、あっちよ」

 聞き覚えのある、サンの声だった。

 不思議とティアラは口が利けない。

 少女は右のさっきまで壁だった方向を指差す。そこはいつの間にか長い廊下になっていた。

 ティアラはサンの方向を見て口を開こうとする。

 けれど、少女はもう姿を消していた。

 彼女は、急いで長い廊下を駆け出す。

 必死で足を動かして、終わりがないんじゃないかと思うような長い廊下を走り抜ける。

 と、魔法が解けるように辺りの景色が一変した。

 そこは静かな林に囲まれた小道だった。

 目の前には、古い踏切がある。本当に動くのかと疑いたくなるような信号機が傾いて立っている。

「踏切……」

 彼女は呟いた。

 そうして、グレイスの話を思い出す。

 踏切で殺害された人間の話が鮮明に思い出される。

 小鳥の声さえ聞こえない踏切の前で、ティアラは立っていた。

 不意に、風が林の落葉樹を揺らす。

 背後から吹き付ける風に、彼女は振り返った。

 そこには、さっきの炎の中で出会ったときと同じ服装のサンが立っていた。ローブの帽子をかぶっていないため、完全に本人だと分かる。

「…サン……」

 ティアラは不審げに口を開く。

「魔法界に帰ったんじゃなかったの? ご両親が呼んでるって……どうしてこんなところにいるの?」

 サンは答えない、感情のない瞳でティアラを見ているだけだ。

 その異変に、ティアラはサンの肩を掴んで揺さぶる。

「…サン、変だよ! どうしたの? しっかりして!」

 人形のように彼女はティアラに揺られるままで、何も言おうとしない。

 代わりに、後方から答えが飛んできた。

「そいつは私の魔法にかかっている」

 あの低くて深い声だった。

 ティアラはとっさにサンを離して振り返る。

「人間の少年はお前を守ろうとして此処へ連れてこようとはしなかったが、それが返って危険を呼んだようだ」

 あのマントの男が、反対側の遮断機の横に立っていた。

 目元を隠し、以前美術館で会ったときと同じ服装で。

「魔法にかかってる…?」

 ティアラの心臓が重く脈打った。

 男は何が面白いのか血の気のない唇に微笑を浮かべた。

「お前みたいな強い魔法使いがいると、私の人生に激しく邪魔だ。魔力を渡さないのなら此処で死んでもらおう。…大事な「友達」の手で」

 言葉が終わるやいなや、サンがティアラの背を思いきり押す。

 彼女の体は傾き、あっという間に線路に落ちた。

 鉄くさい線路に前のめりに倒れこみながら、ティアラはどうにか起き上がる。が立ち上がれない。

 足が凍ったように冷たく動かない。

「…あなた、サンをずっと操ってたの? 他の人を殺したのもサンにやらせたっていうの?」

 ティアラの心臓はどんどん速く重くなっていた。

「だとしたら」

 男は平然と言い切る、ティアラは胸の奥から怒りが沸きあがるのを感じた。

 唯一動く手で、きつく爪が手のひらに食い込むくらいきつく拳を握り締める。

「汚いことは人にやらせて…自分は上から見物でもしてるつもり?」

「その汚いことをやらされている元凶はなんだ?」

 マントの下から、一瞬だけ青い瞳が覗いた。

 背筋に冷たいものが走り、ティアラは自分と同じ色の瞳に嫌悪を感じる。

「私が…魔力を渡さないから操られてるって…言うのね」

 彼女は視線を落とす。

 ひんやりとした感触の線路に指先で触れる。

「…大事な人間を巻き込みたくないんだろう?」

 そう、巻き込みたくない。

 私なんかのせいで死なないで、汚れないで。

「ならここで死ねばいい。そうすれば「皆」は傷つかずに済む。……それも、人を守るひとつの方法だ」

 男の計画に乗せられている。

 そう分かっていても、ティアラは言葉が思い浮かばない。

 皆、私が消えれば傷つかずに済む。

「他人を傷つけることしか出来ない魔法使いなんて必要ないと思わないか、ティアラ」

 夏とは思えないくらい冷たい風が二人の間を吹きぬけていく。

 胸が締め付けられるように苦しい。

 けたたましいサイレンの音が鳴り響き、信号機が列車がくることを知らせようと点滅する。

 静かに降りる遮断機に、ティアラは慌てることもできずにまぶたを下ろした。

 だって、私は生きていても人を傷つけてしまうだけなの。

 生きていれば誰かを救えるだろうか。

 魔法も使えない、無力な私に誰かを幸せにする力なんて、宇宙の果てまで探しに行ったとしても見つからないような気がする。

 この人の言う事があまりにも正論を貫いていて、何も言えない。

 近づいてくる列車の走る音に、ティアラはそっと目を開ける。

 脳裏にいつかの言葉がよぎる。

 殺さなければ、殺される。

 でも、どんなに危機が迫ったって人を殺せるわけない。

 その人がどんなに悪人でも、どんなに人を簡単に殺めてしまう人でも、私は他人の命を、時間を奪うことは出来ない。

 他人を犠牲にして、何もかもを押しのけて人は生きてる。

 だからこそ、守らなきゃいけないルールがあるのに。

「ティアラ!」

 唐突にかかった聞き覚えのある妖精の声に、彼女はうつむいていた顔をあげた。

 グレイスとゼブラ、そしてウェンディがいつの間にか男の背後に現れている。

「あんまり俺を怒らせるなよ」

 ゼブラが男の腕を掴みあげるのを見ながら、グレイスが遮断機に近づく。

「早く、列車がくるぞ!」

 彼が自分に対して伸ばす手を見て、ティアラは足を動かそうとする。

 一瞬、その手を掴んでいいものか迷いながら。

 相変わらず冷え切って動かない足は自由が利かない。

「足が……」

「足がどうかしたの!?」

 呟くティアラに、ウェンディがはらはらしたように列車がくる方向とティアラを交互に見る。

 列車が林の木々の間に影を映し、徐々に近づいてくる。

 きれいごとかもしれない。

 誰かを守るために自分の命を捨てるなんて。

 動かない足に、ティアラは力を入れる。

 列車がいよいよ踏切のある直線に入ってくる。

 だけど、その中にこそ守るべきものがあるってことを信じたいの。

 不意に足の冷たさが解け、縛り付けられていたような痛みが消える。

 蹴られたように立ち上がりながら、ティアラはグレイスの手を掴んだ。

 魔法がなくたっていい、無力だっていい、何もなくてもいいから。

 だからどうか、私に大切な人を守れる力をください。

 遮断機の上を乗り越え二人して地面に倒れこんだとき、列車が激しい音と風を連れて通過していく。

 地面に横たわったままティアラは、助かったと安心して動けなかった。

 その片手を掴んでまだ倒れているグレイスも、間一髪だったとまだ緊張感の余韻にとらわれている。

 ゼブラが列車と共に消えてしまった男に「あと少しで封印できたのに」とため息をつきつつ、茫然としている二人を見下ろした。

「いつまで寝てるのさ」

 ウェンディも、ようやく上がる遮断機に宙に浮かびながら胸をなでおろしたようだ。

 ティアラは不意にサンのことを思い出し、飛び起きる。

 あまりに勢いがあったため、グレイスとの手を知らないうちに放してしまったことには気付いていない。

 線路を挟んだ反対側の小道には、もうサンはいなかった。

 グレイスも起き上がり、全身についた土を払いながら立ち上がる。

 上半身を起こしたものの、相変わらず立ち上がれないティアラはぼーっとしているように見受けられるだろう。

「ティアラ、早く起きなさいよ! 詳しい話を聞かせてもらうわよ」

 ウェンディが喝を入れ、ようやく彼女は立ち上がった。

 土を払いながら先に歩いているグレイスに礼を言いに行くティアラの背を眺め、ウェンディは顔をしかめ呟く。

「さっき……足が動かないって言った時、あんた魔法使った?」

 ゼブラがウェンディを見ながら、「いや」と答える。

「でも、ティアラが魔法で縛り付けられていたのは確かだった」

 魔法を使えるものは、通常何にどんな術がかかっているかが見えたり感じたりするものなのだ。

 彼女の小さな心臓は不意に大きく脈打った。

「じゃあ……あの子自分で魔法を使ったの?」



 ゼブラの車の中でグレイス達にティアラはすべての事情を話した。

 話し終わってからしばらくは重い沈黙が流れていたが、やがてウェンディが苛立ったように座席のシートに爪を立てる。

 それを見たゼブラが明らかに、引っかくなよという目で彼女を見たことは言うまでもない。

「何よそれ! じゃあサンを使ってあいつはティアラを殺そうとしてたわけ? 人がいない間に…ふざけんなっての!」

 マントの男が、ティアラに対して「大切なものを守りたいなら死ねばいい」と言ったことは三人には話していない。

 どことなく言えない上に言いたくない。

「ティアラを事務所に置いていても、結局はそういう方法であいつに狙われるわけか」

 ゼブラが運転席で腕組みして呟いた。

 助手席のグレイスはため息をつき、悩んだように眉根を寄せる。

「…どこへ行ったってきっと一緒だよ」

 美術館の事件の途中、ウェンディが自分に言った言葉を思い出しながらティアラはうつむく。

 人間界にいようと、魔法界にいようと、狙われるのに変わりはない。

 心のどこかで、もう一人の自分が言っている気がする。

『それならグレイスさん達が巻き込まれないうちに魔法界へ帰ったほうがいいよ』と。

 そうだよ、ほんとはそう出来ればと思う。

 でも踏み出せない。あまりにも、今の場所の居心地がいいから。

 クラウンの孫という肩書きも、使えない魔力という力も、此処では関係ない。私も人間でいられるの。

 逃げていると、分かっていても。

「ともかく、サンが犯人として操られているのなら放ってはおけない。夜のほうが事件が起きる確率も高いと局長も言っていたことだし…とりあえず夜までにジーラスを呼び寄せて実行に移すぞ」

 グレイスは決めたらしく言い切った。

 ティアラもウェンディも頷く、がゼブラが一人首を傾げた。

「何でジーラスを呼ぶんだ? 余計に面倒が起こりそうに思えるけど」

 確かにそうだ。

 既に作戦は考えてあるらしく、グレイスはそのことは気にするなと言うように彼を見ただけだった。



「――で、何で俺がこんなことしなきゃならないんだよ!」

 半袖のTシャツに長ズボンのジーパンと、灰色のリュックを背負いつばのついた帽子をかぶり、更に度の入っていない眼鏡をかけたジーラスが顔を引きつらせて言った。

 その声があまりにも夜の林に響いたため、ウェンディがしーっと人差し指を立てる。

 踏切近くの林の中は鬱蒼としているが虫一匹さえいず、正直不気味だ。

「普通の通行人をおとりにするわけにはいかないだろ」

 グレイスが平然とジーラスを見て言い切る。

「俺ならおとりになったっていいってのかよ、兄ちゃん!」

「いい」

 あっさり頷いた自分の兄に、ジーラスは今にも泣き出しそうだ。

 それもそのはず。

 夕方ここへ呼び出されたときも、ゼブラの魔法で連れてこられたのだ。もちろん乱暴に。

 その上おとりになれと言われれば、泣き出したくもなるだろう。

「ともかく、怪しまれないように普通に歩いてこいよ」

 ゼブラの極めつけな台詞に、ジーラスは口をへの字にしたまま乱暴に頷いた。

 そうして林の中を通り、小道の入り口へ向かっていくジーラスの背を見送ると、ティアラ達は踏切地点のすぐ傍にある茂みの向こうに三人と一匹して屈みこむ。

「でもジーラスをおとりにしたとこで、どうやってサンを取り戻すんですか?」

 ティアラが、グレイスとゼブラを交互に見ながら小声で尋ねる。

「まず現れたサンの意識を取り戻させる。そしてその間に現れたマントの男をゼブラが封印する」

「そう簡単にいくかは分からないけどね。…俺の魔力で封印できるかどうか」

 グレイスの作戦を聞いた後、ゼブラは静かに呟いた。

 やはり、あのマントの男の魔力はそれだけ強いのだ。

 ゼブラは、そこいらの吸血鬼や魔法使いと争ったとしても絶対的に負けないほどの魔力をもっている上、魔界の女帝の義弟でもある。

 その彼が封印できない魔法使いなんて、そのマントの男くらいなのかもしれない。

「……何が何でも封印するわよ。これ以上、あいつの勝手にはさせておけない…!」

 ウェンディがティアラの肩で、無表情のまま力のこもった声で言った。

 彼女はあくまでも平静だったが長年一緒にいるティアラにとって、ウェンディがあの男をどれだけ憎憎しく思っているのかは、自分の肩を掴む足に力が入ることで充分に分かった。

 今にも蛍光灯が切れるのではないかというほど薄暗い街灯が一本、線路の脇に立っている。

 一見ジーラスと分からないジーラスが、すぐそこまで歩いてきていた。

 小道の土を踏む音だけが辺りに響き渡る。

 誰もが、緊張した空気を感じ取り体に力を入れた。

 ジーラスが踏切に差し掛かる、変化はない。

 が、不意に踏切の信号がけたたましいサイレンの音を立てて、点滅しだす。

 偶然にしては出来すぎているタイミングだ。

「きた」

 ゼブラが呟く。

 降りてきた遮断機を見ながら、怖々立ち止まり横目でこちらを見ているジーラスの背後に、うっすらと黒い影が浮かび上がってくる。

 やがて完全に姿を現した影は、長い黒髪をなびかせ足元までの漆黒のマントを羽織った少女、サンだった。

 ジーラスが、耐え切れないというように恐る恐る振り返る。

「サン…!?」

 事情を聞いていても、彼はよほど驚いたらしく彼女の名を思わず呼んだ。

 サンは無表情のまま、目は死んだように光を取り入れない。

 彼女はすっと右腕を前に差し出し、人差し指をジーラスに向けた。

 と同時に、グレイスが立ち上がる。ティアラも慌てて跳ねられたように立ち上がった。

 サンの人差し指から橙色の細い光線が飛び出し、ジーラスの体を跳ね飛ばす。

 そのまま線路に突き落とされた彼は、打ちつけた背に痛みを感じるように顔をしかめた。

「ジーラス!」

 グレイスが暗闇に見えないまま近づいてくる電車の音に、線路の中にいるジーラスを遮断機の下を通して引っ張り出す。

 ティアラはこちらを見たサンの瞳に、光がないことに気付き背筋が冷たくなった。

「サン……」

 サンは一度は下ろした右腕を、もう一度ティアラに向かってあげようとする。

 彼女は急いでその右腕を掴み、サンの肩を揺さぶった。

「サン、サン! 私だよ、ティアラだよ!」

 けれど、昼間と同じように彼女は揺さぶられるだけだ。

 グレイスはようやく茫然としたままのジーラスを引きずり、林の木にもたれかけさせた。

「サン! ねえ、気付いて!」

 分かって、お願い。

 ゼブラが通過していく列車の向こうに視線を走らせる。

 ウェンディが翼でジーラスを仰いでいる。

 グレイスが顔をあげた。

「…私……サンのことちゃんと守るから」

 線路を列車が通り抜けたのと同時だった。

 サンの瞳がわずかにうごめく。

 そうして彼女の身体が傾き、不安定に地面に倒れそうになるのをティアラはとっさに腕で支える。

「あたし……」

 聞きなれたサンの声が掠れたそう言った。

 戻った、と一瞬心の中で思う。

 が、唐突なグレイスの呼び声に彼女は顔をあげた。

「ティアラ!」

 と同時にその場から押されてすぐ傍にあった木に背をついた。

 彼女を押したらしいグレイスのすぐ背後を、赤い何かが飛び去っていく。

 魔法だ。

 そうして、すぐに線路を挟んだ反対側の小道に彼女は目をやった。

 分かりづらいが、闇に溶けてしまいそうに黒いあのマントの男が、確かにそこに立っていた。

 気付けば、ゼブラが茂みから出て線路を挟み男を見ている。

「何……どうなってるの…」

「サン、意識が?」

 グレイスも呟いたサンに気付いたように目をしばたいた。

 ティアラは頷き、支えっぱなしだったサンの身体をそっと離す。

 彼女は少々ふらつき、すぐにその場に座り込んだ。

 それをグレイスが林の奥へ連れて行くのを横目に、ティアラはゼブラと男を交互に見る。そういえばウェンディの姿がない。

 猛獣が互いの隙をうかがっているようにしか見えない光景に、彼女の心音は徐々に大きくなっていく。

 突然だった。

 激しい風が吹くのと同時に、ゼブラが男のすぐ横まで移動する。瞬間移動だ。

 隙を突かれた男は一瞬戸惑ったように接近したゼブラと距離を置こうとするが、彼が美術館の時とは逆に左手でその首を掴んだ。

 男は身動きを取ろうとするが、ゼブラの力があまりに強いのか動けないままでいる。

 その様子に漬け込むように、彼は右の手のひらを宙に広げる。不意に手の中にナイフが現れる。そしてそれを振り上げる。

 躊躇いなんてなかった。

 ティアラが目を閉じるより先に、鈍い音がした。

 ゼブラが男の左胸に突き刺したナイフの持ち手を持ったまま、顔をあげる。

 一瞬、その命を終わらせたかと思った。

 けれど、男はふらつきながらも自由だった手で赤い光線を間近にいるゼブラに飛ばす。

 彼は軽々と背後に飛び下がり、それをよける。茶番でしかないようだ。

 刺さったままのナイフが直視できず、ティアラは視線を落とす。

 が、狭い視界の上を猛スピードで横切った白い影に、彼女は顔をあげる羽目になった。

 ティアラが林から飛び出すのに、グレイスもジーラスも、そしてサンも顔をあげた。

 とてつもない速さで飛んでいくウェンディは、まだ動く男の首に噛み付こうと牙を剥く。

 けれどあっさり交わされ、逆に赤い光線が飛び彼女の小さな体を直撃した。

「ウェンディ!」

 線路の向こう側で地面に落ちたウェンディに、少しでも近づこうと、ティアラは慌てて遮断機に駆け寄った。

 今すぐ飛び越えて彼女の傍に行きたいが、ゼブラが視線でとめるのでどうしようもなくそこで立ち止まる。

 大切な人を守る力なんて、とどまっていて手に入るのだろうか?

 再び男に向き直るゼブラの姿に、ティアラの心臓が重く脈打った。

 私も、同じかもしれない。

 あの人がサンを使って人を殺したように、私も今、人の手を自分のために汚させているのかもしれない。

「……お前に私は封印出来ないぞ」

 男の声は意外にしっかりしていた。

 ゼブラは彼に近寄ろうとした足をとめる。

「…封印できなくても、ここで八つ裂きにしてやるよ」

 赤い瞳が笑った。

 ゼブラが、これ以上汚れてしまう前に。

 彼が男に手を伸ばす、男が動こうとするのに対し無意識にティアラは叫んでいた。

「駄目…誰も殺さないで!」

 林に声が響き渡る。

 地面で死んだように動かなかったウェンディの耳がぴくりと動いた。

 不意にゼブラが手をとめる、彼女のほうを見る。

 彼は確かに、ティアラのそれに変化が起きたことに気付いた。

 途端に、激しい風がゼブラと男の間を吹きぬけた。

 それはまるで、巨大な竜が二人の間を裂くように素早く飛んでいったようだった。

 風の中、隙をついて姿を消したのに対し、ゼブラが少々不満げに顔をしかめる。

 しばらくし、徐々に風はおさまっていった。

 ティアラは男が消えたのを知ると我に返ったように遮断機を乗り越え、ウェンディの元へと駆け寄った。

「ウェンディ、しっかりして!」

 両足尻尾をぶらんと垂らし、ぐったりと萎えてしまってるウェンディを彼女はそっと地面に両膝をつき持ち上げる。

 すると、ウェンディは閉じていたまぶたを持ち上げて黄金の瞳を覗かせた。

 そうして少しだけ微笑むと、彼女は疲れきったように目を閉じて眠りに落ちた。

 寝息を立てるウェンディの汚れた毛を整えながら、ティアラも安心して優しく微笑む。

「よかった…」

 腰の抜けたジーラスをどうにか立たせたグレイスは、ようやく弟が線路で打身をしたのに気付いたらしい。

 サンのほうが意外にしっかり、その傍に立ってジーラスを心配している。

 ゼブラも何やら手で合図するグレイスに、すぐ傍のティアラを見た。

「行こう」



 夜が更けていく。

 太陽が顔を出し始める頃、ティアラは一人踏切に立って空を見上げていた。

 まだ皆は、鉄道局長が貸してくれた近くの古く狭い公民館の一室で休んでいる。

 徐々に薄い朱色から涼しげな青に変わっていく天の色合いは、限りなく澄んでいて美しい。

 ひんやりとした朝の空気を吸い込みながら、彼女は静かに吹き抜ける優しい風にそっと目を閉じる。

「一人でこんなところにいて、また突き落とされたらどうするのよ」

  聞き覚えのある声に、ティアラは不意に顔をあげた。

 線路の向こう側の長い金髪の少女が、灰色の瞳でこちらを見ている。

 十一年前よりは少し成長しただろう、プラシナが黒いマントを着て立っていた。

「…プラシナ……」

 まさか現れるとは思っていなかったため、ティアラは少々驚き目を丸くする。

 まだ敵意もあるが、あのマントの男に比べては充分に安心できる相手だった。

 髪の色はゼブラと同じだが、そこまで兄弟として似てはいないだろう。

「……いい加減、人間界に見切りをつけなさいよ。あの妖精の意見に従ってても、どんどん巻き込まれていくだけなのは分かってるでしょ」

 ウェンディのことだ。

 好きなようにしていては取り返しがつかなくなる、とでも言いたいのだろうか。

「…見切りって……」

 出来るものならとっくにそうしている。

 プラシナが呆れたように、あからさまにため息をついた。

「あなたが何も知らないみたいだから、教えてあげる。あのマントの男、シャトー・ミルキーは王家を狙って民衆を殺したのよ」

 唐突に突きつけられた事実に、ティアラは眉根を寄せた。

 そうしている間にも、プラシナは淡々と話していく。

「当時、ミルキー家は異常に落ちこぼれていた。それもシャトーの妻が何の力もない人間だった上、シャトー自身も魔法がほとんど使えない魔法使いだったのよ。今のティアラと一緒だった」

 私と一緒……?

「それで日常的にそこらの魔法使いから馬鹿にされてた。魔法界で暮らしていたのだから仕方がないことだわ。……だけど、シャトーはだんだん周りを憎むようになった。そして一番強い魔力を握ってやろうと考えたのよ」

 すべては自分のために。

「まず彼は魔界へ行って、当時の魔界一の権力者だった皇帝に自分が魔法を使えるようになるための最低限の魔力を貸してもらい、強くなったら必ず返すと約束したの。そして魔法界へ戻り、手始めに自分を馬鹿にした人間から殺してその魔力を奪い取った。やがて調子に乗ったシャトーは村を壊滅させ、更に隣の村もその隣の村も…と次々に魔力欲しさに人を殺していった。犯罪を繰り返す夫を見かねて、妻はやめるよう注意した。…でも、人間が自分を理解し切れていない事は確かだった。彼は妻を殺して、自分の息子には自分の魔力を少しだけだけどちゃんと魔力を与えたの。今のミルキー家があるのは、その息子のお陰ってわけ」

 きっと、愛さえも理解出来なくなった。

 信じるすべがなくて、自分を認めてもらえないことに絶望したから、人を殺してしまったのだろう。

「……それで?」

 ティアラが視線を線路に落としつつ、話の先を促す。

「…魔界は魔力の強い者が上に立ち権力を握るだけで王制はなかったからよかったけれど、魔法界には王家がある。シャトーは王族の魔力を狙ったのよ。そして、王宮に忍び込み衛兵を乗り切って当時の王を殺害した。もちろん、その魔力を目当てに。その頃は王の魔力が最大だった、たちまちシャトーは王族より強い力を手に入れたのよ。……でも、王様を殺しておいて生きていられるわけもない。その後すぐに警官に取り押さえられ、封印された。だけど、あまりのも彼の魔力が強くなりすぎていたのね。それから三百年も経たない今現在、再びシャトーは眠りから目覚めてしまったというわけ」

 同情は出来ない。

 でも、なんて哀しい人。

 愛すること、大事な人を守ることを捨ててまで、魔力を手に入れたかったのだろうか?

 やわらかな風が、林の落葉樹の葉を揺さぶっていく。

 その度に、葉がざあっと音を立てる。

 朝日を浴びた線路は光を反射させていて、眩しささえ感じる。

「……私、あの人に「他人を傷つけることしか出来ない魔法使いなんて必要ないと思わないか」って…言われたの」

 あの時のシャトーの声を思い浮かべながら、視線を落としたままティアラは静かに呟く。

 プラシナは腕組みしたまま、黙ってティアラを見ている。

「……っ…否定できなかった………!」

 吐き出すように、線路に向かって言葉を投げつける。

 だって、私は生きていても何も出来ないと思った。

 それでも誰かを守る力がまだあると信じたくて。信じないと壊れてしまいそうで。

 踏み出す勇気も、逃げ出す勇気もない。弱い私。

「……今、シャトーは再び魔法界を自分のものにしようとしてる。そのためにはティアラの魔力が必要なのよ。……殺されたくなかったら、魔法界を壊されたくなかったら、あなたが強くなるしかないのよ」

 魔法界へ、帰る?

 そうする、なんて頷けるわけない。

 だけど、ここにいてもまた。

 黙り込んでいるティアラに、プラシナが呆れたように言葉を投げつけた。

「まだ迷うの? 周りにいる人間は、関係ないのにティアラのせいで巻き込まれてるのよ。人を傷つけてまで人間界にいたいっていうの?」

 彼女はティアラの絶妙な弱みを突いてくる。

「……………」

 消えてしまうの。

 毎晩、苛まれる悪夢が徐々に近づいてくるように。

 大切な人。傷つかないで、汚れないで。

 無力な私のために、死んでいくの。

「…いたくない………だけど怖いの。ここにいれば、誰も魔力で私の価値を見出さない……けど魔法界に行けば自分の存在なんかなくてもいいって、絶対否定される時がくる」 

 ようやく顔をあげ、自分の目を見たティアラに彼女は苛立ったように顔をしかめた。

「結局、自己中なだけじゃない。……まあ、人は皆自分が一番だから仕方ないけど。私は助けないわよ、あなたがどうなろうと」

「…分かってる」

 頷いたティアラに、プラシナは言葉を残して消えていった。

「ゼブラをよろしくね」

 彼女が消えるのと同時に巻き起こったうっすらとした風に、ティアラは自分の髪がながされていくのを押さえる。

 どうすれば、いいんだろう。

 世界はこんなに明るいのに、彼女の視界は薄暗く灰色に染まっていた。


 林の小道を公民館に向かって一人歩きながら、ティアラは重たい足を引きずって歩いていく。

 やっぱりあの時、電車に跳ね飛ばされればよかった、なんて思いたくない。

 振り返る、あなたがそこにいるんじゃないかと思って。

 だけど……。

「ティアラ、こんなとこにいた」

 不意に飛んできた声に、うつむきながら歩いていた彼女は顔をあげた。

 ゼブラがティアラを探しに来た様子で、目の前に立っている。

「皆待ってるよ」

「あ、そっか。…ごめん」

 我に返り、急いで歩き出す。

 彼の横を通り過ぎて歩いていこうとするが、唐突に言葉が落ちる。

「姉さんに会った?」

 ティアラは立ち止まる。

 ゼブラがプラシナのことを「姉さん」というのには、少々違和感をおぼえる。

「……うん」

 嘘をつくのもおかしいために、小声で頷く。

 そうして、再び足を踏み出したティアラの背に、彼は言った。

「どうするか決めた?」

「……まだ」

 心臓がどくんどくんと、重く脈打ち始める。

 どうして私、此処にいちゃいけないの?

 私は、此処にいたいのに。

 どうして。嫌なのに、何も変えたくないのに、此処から消えなきゃいけないみたいに言われるの?

「…でも、魔法界には帰りたくない」

 足をとめて、右手できつく服の裾を握り締める。

 もう、どんな理由でもいい。

「ティ…」

「何でなの、何で帰らなきゃいけないの?」

 ゼブラの呼び声を遮って、ティアラは呟く。

「私は此処にいたいのに。やっと……やっと魔法がなくてもいい居場所を見つけたのに!」

 ぶつけるものなんてなかった。

 ただ苦しくて、林に響き渡るくらいの声で叫ぶ。

 涙だけは零れないようにと、奥歯を噛みしめる。

 幸せになったって、ならなくたって、人は何かを失っていくのかもしれない。

 絶望してから、また光を掴めるときがくるのか分からない。

 どうやって、笑っていたのかも今は思い出せない。

「ティアラ…」

 ゼブラが背後から呼びかける。

「…もうほっといて、私に構わないで!」

 ティアラは無意識のうちに駆け出していた。

 誰もさわらないで。

 誰も知らなくていい。同情なんてしなくていい。

 振り返る、あなたがそこにいるんじゃないかと思って。

 でもその先には誰もいなくて、まだ孤独のまま。

 どうやったら、ここから出られるのか分からない。

 ゼブラから数十メートル離れた場所で立ち止まる。

 乱れた呼吸を整えながら、ティアラはその場に屈みこんだ。

 何を、信じればいいの?

 何のためにここにいるの。



「ティアラが魔法を使った?」

 ゼブラは走り去ったティアラの背を思い出しながら頷く。

 姿を消し隠れていたウェンディが、不可解そうに姿を現した。

「…俺があいつに止めを刺そうとしたとき、ティアラが叫んで風が起きただろ? あの時、あの目が一瞬真っ白に光ってた」

 ウェンディは小道の先を見つめ、不安げに顔をしかめた。

「……魔法が目覚め始めてる、ってことよね」



 愛も希望も亡くしたあの人と同じで、私もそこへ近づいているのかもしれない。

 でも、泣かないように涙を押さえ込みながら歩いていくしかない。

 まだ、何かを迷いながらも。



  Three Fin


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