第5章 桃太郎側の証言
鬼側の証言が続いた後、法廷の空気は重く沈んでいた。
桃太郎は、かつて自分が「正義」と信じていた行為が、鬼たちの生活を破壊した事実を突きつけられ、深い後悔の中にいた。
裁判官が静かに告げた。
「では、被告人側の証言に移る。
桃太郎殿、証言台へ」
桃太郎はゆっくりと立ち上がり、証言台へ向かった。
その姿は、昔話の英雄ではなく、罪と向き合う一人の若者だった。
◆桃太郎の証言 ― 正義と無知の狭間で
桃太郎は深く息を吸い、静かに語り始めた。
「私は……鬼が悪いと信じていました。
村の人たちがそう言っていたからです。
誰も疑っていなかった。
だから、私も疑いませんでした」
裁判官が尋ねた。
「鬼が本当に悪であるか、確認しようとは思わなかったのか」
桃太郎はうつむいた。
「……思いませんでした。
鬼は悪いものだと、当たり前のように信じていました。
それが間違いだとは、考えもしなかった」
傍聴席の村人たちがざわめいた。
桃太郎は続けた。
「私は、村の役に立ちたかったんです。
自分がどこから来たのか分からないからこそ、
誰かに認められたかった。
“桃太郎は村を救った”と言われたかった」
その言葉は、英雄の仮面の裏に隠された孤独を露わにした。
◆犬の証言 ― 伝聞による憎しみ
次に証言台に立ったのは犬だった。
彼は背筋を伸ばし、真剣な表情で語り始めた。
「私は、鬼が家族を殺したと聞いていました。
誰から聞いたのかは覚えていません。
でも、村の誰もがそう言っていた。
だから、鬼を憎むのが当然だと思っていました」
裁判官が尋ねた。
「その話が事実かどうか、確認したのか」
犬は首を振った。
「いいえ。
確認しようという発想すらありませんでした。
“鬼は悪い”という言葉が、村の空気のように当たり前だったからです」
鬼側の弁護士が静かに言った。
「つまり、あなたの憎しみは伝聞によるものだったのですね」
犬は苦しそうに頷いた。
「はい……。
私は、事実ではなく噂を信じていました。
その噂が、桃太郎さんの行動を後押ししてしまったのだと思います」
◆猿の証言 ― 恐怖が生んだ偏見
猿は、少し震えながら証言台に立った。
「私は、鬼が人間を襲うと子どもたちが言っているのを聞いていました。
怖かったんです。
だから、桃太郎さんが鬼退治に行くと言ったとき、
“それが正しい”と思ってしまいました」
裁判官が尋ねた。
「鬼が実際にあなたを襲ったことはあるのか」
猿は首を振った。
「ありません。
でも、怖かった。
怖いという気持ちが、事実よりも強かったんです」
その言葉は、偏見がどれほど簡単に人の心を支配するかを示していた。
◆雉の証言 ― 正義の盲点
最後に証言台に立ったのは雉だった。
彼女は静かに語り始めた。
「桃太郎さんは、正義感の強い人でした。
誰かのために行動したいという気持ちが、
誰よりも強かったと思います」
裁判官が尋ねた。
「あなたは、鬼が悪であると信じていたのか」
雉は少し考え、ゆっくり答えた。
「……信じていました。
でも、それは事実ではなく、
“そう教えられてきたから”です」
鬼側の弁護士が言った。
「あなたは、桃太郎殿の正義感が暴走する危険性に気づいていましたか」
雉は静かに首を振った。
「いいえ。
正義はいつも正しいものだと思っていました。
でも、今は違うと分かります。
正義は、事実を知らなければ暴力になることがあると……」
◆桃太郎の崩れゆく心
犬、猿、雉の証言を聞き終えた桃太郎は、深くうつむいた。
「私は……みんなの言葉を信じていました。
鬼が悪いという言葉を、疑いもしなかった。
でも、それは偏見だった。
私は……偏見で鬼を傷つけたんです」
裁判官は記録にこう残した。
「被告人側の証言は、偏見がどれほど容易に暴力を生むかを示している。
正義感は美徳であるが、事実を伴わなければ危険である」
桃太郎は涙を流した。
その涙は、英雄の涙ではなく、
偏見に囚われた若者が初めて真実を知ったときの涙だった。




