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3話 封印されていた悪鬼

 椎原家の屋敷の裏山に悪鬼を封じた祠がある。最低限の手入れしかしていない鬱蒼とした雑木林だ。とは言っても、定期的に封印を確認するため、祠までの道は綺麗に整備されている。しかし当主夫妻が数ヶ月毎に見に来る時以外、基本的に誰も通ることはない。

 それは周囲に漂う瘴気が原因だった。封印されているとは言え、悪鬼の瘴気は裏山中に漂っていた。気の弱い者ならばすぐに飲み込まれてしまうだろう。

 小春は着物の裾で口元を隠した。


「すごい瘴気」

「本当に。ここまで凄いとは思いませんでした」


秋穂は小春の前に立ってどんどん歩いていく。瘴気のせいで気だるく感じる小春と違って、瘴気の影響が少ないのか秋穂は普段と変わらない足取りだ。


ーー怖くないのかしら。


まるでいつも通っているかのように秋穂の足取りは軽い。小春は違和感を覚えながらも黙って秋穂について行った。


「あ。ありました。あの祠ですよ」


秋穂にそう言われて小春は恐る恐る覗き込んだ。

 そこには、しめ縄で囲われた小さな祠があった。なんの変哲もない小さな祠だが、その中から漏れ出てくる瘴気は異常だった。

 小春が恐る恐る手を伸ばしてみると、封印に弾かれてしまった。封印に触れた指先が少しピリピリする。


「これ以上進めないわ」


小春は心の奥で安堵した。


ーーきっとこれで秋穂も諦めてくれる。


そう思って小春は振り返った。


「秋穂、諦めて帰りましょう」

「いいえ」


ドンッ!


「え?」


ニヤッと三日月の形に歪んだ口元が見えた。

 小春は何が起きたか全くわからなかった。

 体を強く押され体制を崩し、視界がぐらりと揺れる。そして全身の電気が走ったかのような痺れを感じたあと、お尻に強い衝撃を感じた。


「痛っ」


土まみれになった手のひらでお尻をさすり、何が起きたのか周囲を見渡した。


「え?」


そこは封印の中だった。

 秋穂に押し倒されて、封印の中に入ってしまったらしい。その時のせいか、少しだけしめ縄が緩んでいる。


「あ、秋穂!?」


小春は慌てて秋穂を探した。

 もしかして置いて行かれたのでは、と思ったが秋穂はしめ縄の向こう側のすぐそばに立っていた。満足そうに不気味に笑いながら。

 小春はすぐに封印の中から出ようとしたが、弾かれてしまった。


ーーえ?何で?秋穂に押された時は入ったのに?何で出られないの?


小春は慌てて叫んだ。


「秋穂!ここから出たい!手を貸して!」


しかし秋穂は「あらあら」と面白い見せ物でも見ているかのような態度だった。


「小春様なら大丈夫ですよ」


こんな秋穂、見たことがない。小春は次第に鳥肌が立ってきた。


「だって小春様は優秀なんですから」


そう言う秋穂の表情は小春を見下していた。まるで「優秀」と言われて舞い上がる小春を馬鹿にしているように。


ーーこれじゃあまるで私は道化師だわ。


小春は顔を真っ青にした。

 そんな小春の様子に満足したのか、秋穂はにんまりと笑った。


「優秀な小春様一人でも出てこれますから頑張ってください」


そう言って秋穂は高笑いした。誰もいない裏山に響く甲高い笑い声が、小春を絶望に叩き落とした。


「……いや」


そして秋穂は小春に背を向けた。


「いや!置いていかないで!」


しかし小春の声は届かない。秋穂はゆっくりと歩き出した。少しずつ遠ざかっていく秋穂の後ろ姿に小春は涙がこぼれた。


「秋穂っ!!」

「煩イ」


地を這うような低い声が聞こえた。

 その声に小春は息が止まった。

 漏れてくる瘴気の量がじわじわと増えていく。


「其処ニ居ルノハ誰ダ?」


小春は怖くて後ろを、祠の方を振り返れなかった。ずるり、と何かが這い出てくる音が聞こえた気がした。

 そんなはずはない。

 だって悪鬼は封印されているのだから、出てくるなんて事ありえない。

 小春は自分にそう言い聞かせて、一度深呼吸した。そして勇気を出しゆっくり後ろを振り返った。

 だが小春の心はすぐに恐怖で真っ黒に染められた。


「嗚呼、御前」


ニヤリと笑う男性がすぐ後ろに立っていたのだ。

 恐ろしいほど美しく妖しい男。しかし頭に生えた二本の角と、笑った時に見える鋭い犬歯が、この男が人間ではないと証明していた。


ーー悪鬼!!


小春は咄嗟にそう感じた。男から出ている瘴気が裏山全体に漂うものと同じだったのだ。

 小春が恐怖で動けずにいると、悪鬼が手を伸ばしてきた。そして品定めするように小春の頬を撫で回した。その手はゆっくりと小春の腕を掴む。

 そして、がぶりと噛みつかれた。


「痛いっ!」


小春は手を払いのけようとしたが、悪鬼の力に敵わなかった。腕を掴まれたまま、ただただ恐怖した。

 悪鬼は噛み跡から流れる血を堪能するように舌で舐めとった。


「嗚呼、ヤハリ美味イ」


悪鬼はうっとりした表情で小春の腕に頬擦りした。そんな悪鬼に小春は怖くて怖くて思いっきり振り払おうと必死になった。


「嫌あっ!」


なりふり構わず暴れた小春に驚き、悪鬼も思わず手を離した。


「貴様ノ血ハ極上。我ラ妖ノ求メルモノ。絶対逃ガサナイ」

「ひいっ!」


悪鬼の手が再び伸びてきて、小春は悲鳴をあげた。そして必死になって封印から出ようともがいた。通れない封印をドンドンと叩いた。その度にピリピリと手が痛み、少し火傷も出来ていたが、そんな事構っていられない。

 ゆっくり距離を詰めてくる悪鬼に、小春はパニックに陥っていた。

 そして小春はついにしめ縄を破った。

 その後のことは小春の記憶も曖昧だったが、とにかく死に物狂いで裏山を駆け降りた。


「クハハハハッ!!無駄無駄」


しめ縄の封印が解かれてしまったため、悪鬼も小春をどこまでも追って来る。

 それでも小春は必死になって屋敷を目指した。

 屋敷に戻れば両親がいる。助けてくれる。

 そう思って小春は死に物狂いで走り続けた。


ーー誰か助けてっ!!


小春は目に涙をいっぱいためて、ただただ裏山を駆け降りた。

 その時。


「小春様っ!?」


 教師の姿が小さく見えた。少し驚いた表情をしている教師を見た時、小春はようやく息ができたような気がした。椎原家から帰るところだったのだろう。そこに着物を泥まみれにした小春が走って来たのだから驚くのも無理はない。


「どうしたんですか?そんなに汚れて……それに怪我まで」


教師が小春の腕の怪我を見て、目をギョッとさせた。

 小春が事情を話そうと口を開いたその時。


「ミィツケタ」


小春のすぐ後ろに悪鬼がいた。ニヤリと笑った笑顔に小春はひゅっと喉を鳴らした。


「お、鬼!?まさか封印された悪鬼!?」

「ソノ娘ヲヨコセ!」


教師が小春を後ろに庇うと、悪鬼は苛立った表情に変わった。そして大きな腕を教師に向かって振りかざした。


「先生ぇぇーー!!」


教師も突然のことで対処できず、悪鬼の鋭い爪に切り裂かれた。そして大量の血を流してその場に倒れた。

 小春はカタカタと震える事しかできなかった。目の前で血まみれになって倒れている教師に手を伸ばそうとするが震えて上手く動かない。

 だと言うのに悪鬼は容赦なく小春に近付いてくる。


ーー誰か助けてっ!!


心の中でそう叫んだ。


「きゃあっ!!」


離れた所から叫び声が聞こえて後ろを振り返ると、騒ぎを聞きつけた使用人達がいた。小春は必死の思いで「助けて」と手を伸ばした。

 しかし、誰もが悪鬼を見て恐怖に支配された。

 悪鬼が使用人達を見てニヤッと笑い、標的を使用人達に変えた。悪鬼と目が合った使用人達は蜘蛛の子を散らすように逃げ出した。逃げるのに必死で、誰一人として小春のことなんて気にしていない。


「きゃああーーー!!」

「に、逃げろ!!」

「いや!早く門を閉じるんだ!」

「馬鹿!鬼なんだから門なんてすぐ破られる!」


そんな使用人達を悪鬼は面白そうに笑って見ている。


「人間ハ変ワラナイナ」


そう言って悪鬼は気まぐれに使用人近付いたり、雄叫びをあげて驚かせたりしている。


ーー完全に、遊んでる。


小春は血まみれの教師の体をぎゅっと抱きしめた。もうこの状況をどうしたらいいのか、全く分からない。


「何事だ!」


その時、騒ぎを聞きつけた椎原家当主、つまり小春の父親・椎原辰彦が駆けつけた。険しい表情の辰彦と、心配そうな千代を見て、小春は安堵の笑みをこぼした。


ーーお父様!お母様!


そして両親に助けを求めるように必死に手を伸ばした。


「な、何だこれは!!」

「皆!早く逃げなさい!」


そう叫んで二人も逃げ出してしまった。

 辰彦は取り乱して転びそうになりながら逃げて行く。だが、小春は千代と目が合った気がした。逃げ去る前に千代が悪鬼の方を振り返ったのだ。瘴気の匂いが気になるのか口元を袖で隠していたが、眉間には皺を寄せて、忌々しそうに睨みつけてきた。


ーーえ……?


小春は見間違いかと思った。そんな千代の姿もすぐに見えなくなった。使用人達が両親の後を追って我先にと逃げ去っていく。その人波に飲まれて、千代もいつの間にか逃げ去っていた。


「お……父様?お母……さ……ま?」


小春の伸ばした手は誰も握ってくれない。

 そして人気のなくなった椎原家に、小春は呆然とするしかなかった。誰からも見放され、一人残された小春は絶望した。

 悪鬼もあえて使用人達や両親を追いかけるような事はしなかった。 


「ふっ」


鬼は絶望の淵に立たされた小春を見て嘲笑った。


「無様デ可哀想ナ娘ダナ」


その通りだと小春も思った。

 悪鬼は小春の頬を掴んで自分の方を向かせた。

 絶望した小春の表情に悪鬼は満足そうに笑った。


「コノママ御前ヲ生カシテヤル。強クナレ。ソウスレバモット極上ノ血ニナル」

「血?」

「アア。オ前ノ血ハ特別ダカラナ。モット美味シクナルマデ待ッテヤル」


そう言って乱暴に小春から手を離した。


「失望サセルナヨ」


そう言って悪鬼は消えていった。



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