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Prologue. 世界を救いし大勇者……の孫。










……。








 …音が……。













  …演奏が…何か、知ってる、この演奏を知ってる……。













  ……階段を…階段を上らなきゃ……。













   ……風が…気温が分からない…私に肌があるのかも分からない…。













    ………。













 ……幾重にも響き渡った不協和音が…一つの恐ろしい旋律を編み込んでゆく。

……劈くような北提琴(ガラノルグ)の音色……打ち鳴らされる戦太鼓(ダラツゥエ)……聞きなれたラドノルサ軍の風楽器(ツォルグ・ラザン)……そして――皇帝の鐃鈸ラディヌュルガ・ザラグの明快な音色…。


 それは……雑多に掻き集められた”楽器(戦利品)”の数々が紡ぐ…北狄の交奏曲(狂気を齎す妖術)――。

老兵が耳にすらば忽ち倒れ、いかような指揮官であろうとも――無謀な一手に走らせる魔導の類――!


 ……それだけではない、この……まるで飛び散るような…金属の音色――皇帝の鐃鈸ラディヌュルガ・ザラグを含む旋律は、かつて…魔王軍属の音楽隊が奏でた士気高揚の演奏にして、これより絶滅を迎える者達への(・・・・)哀悼歌(・・・)。今、眼前にて我らを包囲する集団が、魔王(・・)の系譜を継ぐ【 大首領(ズアク) 】の一人に率いられている事を意味していた――。



 ――馬小屋に帰りやがれ!この薄汚い魔族ども……!


ハッハッハ…!俺を射抜いてみろ…!さぁ――……!



 ……酷く…ぼんやりと(・・・・)…声が…声が聞こえる…。

変なんだ…それでもはっきりと…あぁ頭がおかしくなりそうだ、どうして聞こえるんだ、どうして…。


 城壁…あの城壁だ……歩廊に…歩廊に人が……。

ゆがんで…あ…ぁ……ダメ……そこは…そこに居てはいけない――!

 ――眼下の惨劇が見えるであろう!見下(みお)ろせ!見下(みく)せる所に居るのだから!

 城壁すらも飲み込むようなスプロールを経て……城塞都市から溢れ出した建造物群が、籠城初期の迎撃戦で灰燼へと帰した有様を、その直ぐ眼下にて拝めると言うのに……どうして、そうも楽観的に在れるのか!?なにせ――……!



 ……――そこも(・・・)決して(・・・)安全では(・・・・)無い(・・)というのに(・・・・・)



(※スプロール … 城塞都市の市街地が城壁を越えて拡大する現象。当然ながら、城壁外の市街地は城壁に守られない。)


…あぁ!どうして!どうして声が出ないんだ…!

身体が…身体が沈む……!…待って…待て!待ってくれ!そうじゃない!ひっ…!…こ…怖い!怖いよ!怖い…怖い!怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い!やめてくれ!ダメだ!待ってくれ!死なないで!死ぬ!死ぬから、待ってよ!そこじゃ、そこにはダメだ!やめてくれ!

そこじゃない、そうじゃないんだ、ま、違う、違う違う違う怖い怖い怖い怖い怖い…怖いよ…怖い……ダメだ沈む、怖い!床が――!











 ……――赤ん坊のように身を丸めて、私は狂疾的に泣き叫んでいた。

それに気付いた。気付けた。ここは寝室だ。私の、いつもの天井……分からない、また引き戻されそうだ…クソ……。

 私は布団を剥いで、本能的に…あの揺らめく足元を顧みた。沈みゆく床は…どこにも有りはしない…。

 …何かおかしい……ふぅ…大丈夫……大丈夫…

…大丈夫、大丈夫…ふぅ…



 ……ふぅ…ふ…ぅ…はっ、は、は…はぁ?!

呼吸が…呼吸が…息、息が、息できない、でき、息、は、ぁ、


は、







あ、









 …




  …



 ……醜態を晒してしまった。客人にも見られてしまった。

……我が廷臣達は…随分と前から…私のあれ(・・)を知っている…だが、 ()客人達は――。


 ……あぁ…人は――人の噂は――怖い…。

昨夜の客人は……どこぞと知らぬ管区の長官一行だったが、噂とは…思いのほか広く早く広がるもので…誰と繋がっているのかも分からな……いや…それに加担した事がない訳ではないが…。





(※客人 … この世界に於いて、行政長官アドラヤや大商人など”一定の社会的地位”を有する者の旅では、道中の行政庁舎(アドラヨルク)や貴族の邸宅に宿泊するのが一般的であった。また、辺境の行政庁舎(アドラヨルク)は旅人(ある程度は貴賤問わず)の宿泊施設を兼ねている場合が多々あり、こちらは臨時収入の一つでもあった。この場合の「客人」とは辺境の行政庁舎(後者)である。)





 ……祝福されし…人なのだと。…このような私を見てくれた、神官様は仰っていた。

あの、あの悪夢は、大神ラドングテンの御書を…覗いているのだと、後悔極まるばかり、私は…過ぎ去りし情景(過去の記憶)を顧みる業を許されたのだと。


……どうして…神様は…私にそのような苦を……お与えになられたのか…。





 ……あの記憶は…魔族の忌まわしき大首領(ズアク)が、ラドノルサ(化内の地)への侵入を試みた――あの防衛戦における一幕……。


 …敵騎兵隊の追撃を受けて……甚大な被害を出しながらも…近隣の城塞へと命からがら逃げこみ……そこで私は――……。



……。



 ……今朝の発作以来、我が廷臣達は……何時にも増して私を気にかけてくれた。

…どう…謝れば良いのか…分からない。分からない……。




 …私は…私は引き継げなかった。

我が祖父の如き勇敢さを。能力を。何もかも。私は酷く臆病だった。だが、我が祖父は違う……。


 ……アクェラシュ家初代当主、アクェル――私の祖父は、饗宴の席で魔王を討ったとされる……。


 魔族が際限なき争奪を繰り広げるラドノルサの化外(ナクラデナ)にて――「覇」を唱えた魔王は、邪教の魔を操って人心を掌握し、その奇怪な妖術で以って……如何なる戦にも勝利し続けていた…。


 やがて、その音楽隊が奏でる――恐ろしき不協和音が、我らラドン神に属する地(ラドノルサ)に響き渡ると……梟雄なる魔王は、苛烈なるVandalism(ヴァンダリズム)の末に北部高原の過半を征服せしめ、その音色は遂にラドノルサ帝国首都カハロルサにまで達する――。


 ……シフェトル道管区の道軍政長官に仕える狩猟隊長であった祖父アクェルは、停戦交渉と銘打った暗殺計画に参加。杯にシシリ花の毒が盛られたが、歴戦練磨の魔王にとっては戯れに過ぎなかった。毒が齎した微かな匂いの変化を、魔王は感じ取ったのである。


 魔王は祖父達(暗殺者達)に杯を投げつけ、激怒した。「我が愛馬にガハルス(カハロルサ)の壮麗なる大宮殿で飼葉を食わせてやる!」「皇帝の寵愛を受けし皇后を――吾の祝宴にて給仕と成し、皇帝を踏み台に(・・・・・・・)大広間の玉座で勝利の美酒を呷ってやるのだ!」と、怒りのままにラドノルサ帝国征服を口にしたのだ…!


 我が祖父の仲間達は……待ち受ける拷問と処刑の苦痛を思って身が竦み、眼前にて怒り狂う悪魔を前にして、身動き一つ取れなかった。だが祖父は――勇者アクェルは違う。勇者は守衛の直剣を奪うと、食卓を駆け上がり、乾坤一擲の思いで……運命の一閃(・・・・・)を放った。

 ……魔王は討たれた。終わらせたのだ。世界を襲った悲劇を、梟雄なる魔王の征服劇を。全てを終演に導いた。我が祖父は英雄と讃えられた。


 ――その後、窮鼠が猫を噛むが如く守衛を斬り伏せ、混乱の中で魔王の居城を脱した勇者アクェルは、畏れ多くも主上(イトラヌナ帝)の御前に於いて――魔王旧領の一つ「ルトゥエサ」の長官職へと任じられ、加えて……軍管区の(・・・・)私有地化(・・・・)世襲の権利(・・・・・)を認可される。


(※ 軍管区長官 … ラドノルサ帝国における地方行政長官職の一つ。軍権を与えられた軍政府長官に対し、民政権と財政権を与えられたもの。本来は世襲できないが、一部の軍管区長官には法外な権限が承認されている。)



 ……そうして…祖父が手に入れた称号を、父の死を経て……この私が継いでしまった。

私はアクェラシュ家(勇者の子孫)のホルセナ。ルトゥエサ軍管区の長官にして、ラドノルサ帝国諸侯が一人。

もっとも、祖父の性質をよく受け継いだのは…我が弟だったのに。







……どうしようもないぐらい…ぐったりだ。


◇ ― “アクェラシュの”ホルセナ

 長城以北に割拠する豪族の一人。勇者アクェルの孫(アクェラシュ家の長)。齢は24。

ルトゥエサ軍管区の長官職を拝命する立場……というより、ルトゥエサ軍管区の長官職を所有(・・)する立場であって、中央とは儀礼的な従属関係に留まる。


 ……性格は”臆病”で”神経質”。酷い妄想と幻覚に悩まされている。


◇ ― ルトゥエサ軍管区

  ()長城以北の北部高原地域に存在する諸軍管区の一つ。中央からは、長城以北は辺境地域……というより、もはや化外の地(・・・・)(国外)であると見做されている。


(※ 長城 … 数百年以上前にトゥケル帝が造営し、それ以来――アドナクナン帝までの(・・・)歴代皇帝が増築・維持してきた長大な城壁と城塞群。現在は建材用に芯材の土砂を削り出したり、製法が失われた還元焔焼成煉瓦の外装を剥ぎ取る為の採石場と化している。)

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