ジェイコブ・バードマンの場合
甘い夢は一年も経たずに消えた。
強制的に直視させられた現実に数年耐えて、
気付いたら夢も希望も失くしてすべてが終わっていた。
◇◇◇
文官になる前はいずれは宰相になって、この国を動かして行こう、と思っていた。
文官になったら、前から無駄だと思っていた悪習に立ち向かうことが如何に困難なのか、現実を突き付けられた。
二年目以降は希望も何もなく、ただ仕事をするだけだった。
仕事ぶりだけは買われて、宰相補佐の一人になり、屋敷にも帰れない生活を送るうちに、宰相になった。
宰相になってまず手がけた改革は、宰相補佐たちの執務室に夕食代わりの軽食を届けさせることだった。
宰相補佐になった時点で寝食を忘れるような激務にさらされるのだ。出会いもなく、結婚生活を諦めきれなかった前任者に宰相職を押し付けられた自分は無理でも、元同僚たちには健康と結婚生活は与えたかった。
だが、物が見えるようになったと思っていた自分はまだ甘かった。
第二王子が婚約者である公爵令嬢に仕事を押し付けて、屋敷で夕食も食べられない時間まで働かせるようになった。
大臣たちも文官に仕事を押し付けていたが、まだ成人前の王族まで仕事を他人に押し付けて遊び惚けるとは思わなかった。
子どもは親や周りの大人の真似をするものだ。
自分がしている仕事の中にも、国王夫妻の仕事も混じっているかもしれない。
そんな絶望が脳裏を過ぎる。
◇◇◇
ゴードンスミス嬢に偶然を装って話しかけ、ビスケットを渡した。
連日の仕事で疲れ切った表情が、泣きそうな表情になる。気を張り詰めていた神経が切れたのかもしれない。
偶然、ゴードンスミス嬢の境遇に気付き、待遇改善をする流れは、これでできた。
ゴードンスミス嬢の部屋付きの侍女にゴードンスミス嬢にも夕食代わりの軽食を運ぶように命じたから、翌日からの空腹は解消されることだろう。
まだ成人前にも関わらず、大臣付きの文官のように働かされて搾取される公爵令嬢にしてあげられることは、これくらいしかない。
本来なら、王子の婚約者は外国の王族であるべきだ。同盟なり、関税の交渉なりを有利に運ぶ為の駒を、愚策に用いたのは、自分たちで仕事をしているように見せかけたい見栄の為。
本来、王族が必要な仕事など、友好や国民への励まし程度で、それ以外に仕事が必要なら、国民の為に最良の選択をすることだけだ。仕事をしている風を装う為に抱え込んだ仕事など、文官を増やして割り振っても良いことでしかない。
ゴードンスミス嬢はそんな王族の見栄の生贄に選ばれた哀れな子ども。
国を支えようと文官になった自分とは違う。
ゴードンスミス嬢の悲劇は父親である公爵が価値のない王命に従って、娘を王子の婚約者にしたことだ。
今の娘の置かれている状況も、知っていて何もしないのだろう。知っていれば、夕方に屋敷から差し入れをする。
それすらしないのは、娘を駒としても大切にしていないからだろう。
子どもを守るのは、大人の仕事だ。
親が守らないのなら、宰相として第二王子の婚約者を守らなければならない。