中編 特別な依頼
「ねぇ、トト、今日は春キャベツ入りのペペロンチーニじゃなかったのだよ?」
モニは厨房で調理をするトトにいう。
宿ではフードを外している。そこには長い耳があった。
兎人と呼ばれる種族だ。
トトが用意しているのはベーコンとトマト、きのこにパセリ。
そもそもスパゲッティではなくペンネだった。
「きょう、葬ったやつはペンネ級だったからな、予定が変わった」
「それ大事?」
「……大事だ」
「まあ、トトがつくるパスタ料理はみんなおいしいからいいのだよ!!」
「ああ」
トトはとくに構いもせずに麺の茹で上がりを見張り、一方でベーコンの焼き具合を見ながらトングを操っている。
「ところでさ、あの感じの悪いやつ死んで大騒ぎなんだって。上級市民でも喜んでいる人がいるみたいよ」
モニが新聞を手にしながら言う。
「それに載っているのか。カルチョの専門紙だろう?」
「たぶん、書いてある」
「嘘をつけ」
「うん、嘘。たばこ屋のおばちゃんに聞いた」
「あまりひとりでうろつくな」
「夜になっていないから、平気」
「俺は朝に暗殺した回数が最も多い」
「うっ……。でも、ずっと、どうやってやっつけるか考えてたのに、あっけなかったね」
「事故みたいなものだ」
「みんなの前で殺しちゃったね」
「そのほうがいいときもあるだろう」
「バレちゃわないかな」
「問題ない」
トトはフライパンの上でトマトソースとペンネを絡めている。
「ほら、できたぞ」
「わー美味しそう!」
トトは皿をリザーブしてから。まず片付けや洗い物の下準備をして、席につく。
トマトソースとニンニクのペンネ。
「ペンネ級を倒したのはじめてだよね!? SPの最高ランクだよ!」
「そうだったか?」
「そうだよ。私と出会ってからは。えーとね、SPだとオレッキエッテ級が3人、コンキリエとリガトーニ級が一人ずつ、LPだと、フェデリーニ級が一人」
「よく覚えているな」
「日記に書いてあるもん。敵を倒した日はトトがつくるパスタの種類が違うからね。いつもはスパゲッティだけど」
「そうだな」
「なんでそんなことするの?」
「俺も、記録しているようなものだ」
「でも、SP最高ランカーの敵にしては弱かったね」
「SPは兵隊として使われることのほうが多いからな。組織化されていると面倒だが、個々はたいしたことがないことが多い。あと、ランキングは給与体系のちがいであって、そのまま強さということもない。下から四番手のファルファッレ級が最高位のペンネ級より強かった事例はある」
「LPとSPはどっちが強いの?」
「種別が違う。LPはスピードとテクニック、SPはフィジカルとパワー。簡単に言ってしまえばな」
「トトはLPなんだよね。元?」
「ああ。元な」
LPは主に諜報活動などに従事することが多く、そこらへんを警備警戒している兵隊のようなSPと違って存在があまり知られていない。
「ランクはどれくらいだったの? もしかして、いちばん上のフェットチーネ級?」
「元、だからな。ランクは今となっては意味がない」
「そういえば、なんでスパゲッティ級ってないの? こんなによく食べるのに」
「さあな。普通すぎるんじゃないか。どうせただの階級名だ」
「ふーん」
「それから」
「わかってる。自由暗殺者はお尋ね者だから、懸賞金をかけられているんだよね。私、絶対に言わないよ」
「ああ……」
※ ※ ※
エスポージト殺しは近隣でかなりの話題になっていた。
治安部隊は血眼になって犯人探しをしている。
どう考えても能力を使っての暗殺だ。
とはいえ、身内である〈上級市民〉にたいして捜査は行われなかった。
自由暗殺者を使っての犯行であればありえる。だが、事件は突発的なように思えた。
捜査対象になったのは、貧民街に住む〈下級市民〉に対してだった。
「どう考えてもおかしいよな」
メルカートで青果店を営む蛙人のジジが言う。
「下級市民には能力が使えないのにね。それに自由暗殺者を雇う金ももっていない」
モニも同意する。
「どうせ仲間割れなんだろうけどな。エスポージトはあっち側でも評判が悪かった」
「だったら、なんで」
「これを口実に俺たち下級市民……いや違う、コンパーニョに嫌がらせをしているんだ」
コンパーニョは同類を意味する。イタロから除外された人間、熊人、蜥蜴人など下級市民が自らを名乗る名称だ。
「この街で能力をもつ人が現れて、暗殺者を殺しているってウワサになっているけど」
モニが屈託のない顔で聞く。それをトトは愉快に思っていない。制止するような目で見る。
しかし、ジジは貧民街のなかでも情報通だ。
なにか知っているかもしれないと言ったのはトトのほうだ。
「ウワサだよ、ウワサ。俺たちは日々虐げられているからな。そんなヒーローがいてくれたらいいって、そういう願いのせいで広まったんだろうな。だいたい能力が使えるなら、そいつはもうイタロ人だぜ。神様がイタロ人にだけ与えた力だろ。まあ、もっともその神様を信じているのもイタロ人だけだがね」
「神様を信じていないと能力が使えないの? なら、信じればモニにも使える?」
「うーん。じつはこの街にも改宗したやつはいるんだが、だからといって能力に目覚めたヤツはいないな。結局のところ人種なのかもしれない」
「そうなんだ……」
「モニは力を使いたいのかい?」
「うん! 国家暗殺者をいっぱいやっつけたい!」
「おいおいおい。こんな場所でも、そういうことはいっちゃいけないよ。それに兎人だろう?」
ジジは慌てて、保護者であるトトに目を向ける。
「ここはまだいい。帝都に近いところは表向き法がある。辺境地だったら……いや、そんなのはわかっているよな。あんたらいろんなところを旅しているんだろ?」
「ああ。問題ない」
「いや、あるだろ。まったく、こっちがヒヤヒヤするぜ。気をつけてくれよな」
その時、背後から声をかけられた。
「おい、お前ら」
治安部隊。見回りをしているのをよく見かける男だ。
「は、はいっ」
ジジは脂汗をかきながら答える。
「エンポリオという男を知っているか?」
「へっ、いや、知り合いにエンポリオは何人かいますが……」
「大男の〈モドキ〉だ」
「いえ、付き合いはありません。その男が何か?」
「お前がそいつを知らないならもう用はない」
「いえいえ、ダンナ。私はこれでも区域で顔が効きますんで、場合によっちゃお手伝いできますよ」
「そうだったな。なら、言っておく。エスポージト殺しの容疑者だ。ただちに差し出せ」
「いや、そんなっ……」
ジジはさらに脂汗を吹き出す。
「なんだ、知っているようだが」
「いえ、私どもの中にそのような者がいるとは……」
「そうだな。由々しき事態だ」
そのとき、モニが口をはさむ。
「その人、〈下級市民〉なんでしょ? なら犯人じゃないじゃん。能力使えないんだから」
「なんだと!?」
「これ、モニ、ダメだよ!」
「だって能力がない人が住む区画でしょ? ここは」
「ガキは黙っていろ!」
「えーっ……」
「すみません! この人たちは辺境から来たんです。いろいろと、よくわかっていないのです!!」
ジジがあわてて取り繕う。
そして、店の商品をいくつか包み、さらに先日トトが仕入れてきた高級酒を手渡したところで治安兵はその場を離れた。
「すまなかった」
トトはジジに礼を言う。
「いやいや、何事もなくてよかった。脂汗が出過ぎて干上がるところだったよ」
「ごめんなさい、ジジ……」
「いいよ。俺もおんなじ思いだ。言いたいことが言えない世の中っていうのは、よくないよね」
「手助けをしたい」
トトがいつになく強い口調で言う。
「え、何を?」
「エンポリオのことだ。知り合いだろう?」
「わかっちまったか。でも、それは俺の口からは言えない」
「俺は役に立つはずだ」
「だが、国家暗殺者を相手に何ができるっていうんだ?」
「大丈夫だ。問題ない」
「それは……。あんたは自由暗殺者だということでいいんだな?」
「ああ」
「報酬は?」
「いらない。大丈夫だ」
「それじゃ、なんのために……」
「気にするな」
「わかった。でも、もしもあんたが元暗殺者で、組織を抜けて、たまたま生き延びて、この街で静かに暮らしているなら……余計なことはしないほうがいいんじゃないか?」
「大丈夫だ。問題ない」
「はあ……。まったく、しょうがない。いや、ありがたいと言うべきか」
「礼などいらぬ。仕事はなんだ」
と言ったのはモニ。できる限りの低音ボイス。
※ ※ ※
トトとモニの二人はジジに言われた場所で、人と会うことになった。
貧民街の路地の一画に不自然な井戸があり、そこにかかった橋を降りると、下水構に出る。
嗅覚に強い刺激を受けながら、ランタンの灯りで進むと、聞いた通りの小部屋のようなものがあった。
なんのために作られたかわからない。
ただ、ここでエンポリオが待っているという。
ジジが言うところには、エンポリオはたしかに〈下級市民〉として生まれたものの、能力をもっていた。じつはそうした人物はときどき現れていたという。ジジはメルカートの世話役として彼らがイタロ人の目に入らないよう手配していた。
「結局、じょーきゅーしみんじゃなくてもいいんだね」
「そうだ。そして、奴らはそれを隠したがっている」
「バレたら困るの?」
「だろうな。自分たちが支配者である理由のひとつがなくなる」
トトとモニが受けた依頼は、エンポリオをこの街から連れ出すことだった。
いずれ、エンポリオの能力が知られれば、暗殺者は殺しにくる。
部屋に入ると、そこには猫が一匹待ち構えていた。
手足と口元が白い黒猫。
部屋といっても家具はなく、灯りがひとつだけともっているだけだ。
「エンポリオは猫ちゃんだったの?」
モニは衝撃をうけ、そして破顔した。
「そんなわけないだろ」
トトは言う。
猫は首輪になにか紙片を挟んでいた。
ジジからの手紙だった。
《すまない。状況が変わった。エンポリオのことは暗殺者たちに知れ渡ってしまった。あいつが能力を使って治安兵の何人かを殺してしまったからだ。顔も割れてしまったし、すぐに逃げるように言ったのだが、逆に詰所を襲うといって出て行った。間に合えば止めて欲しい。詰所の場所はわかっている。この猫が案内できる。賢い猫だ。人が来たら連れて行くよう教えてある。助けてほしい ジジ》
「エンポリオは血の気が多い?」
「そうみたいだな」
「猫って人の言うこと聞くの?」
「知らん」
と言いながら、猫はさも当たり前かのように、二人を導こうと歩み出し「ついてこい」と言わんばかりに振り返った。
「行ってもいいのかな?」
「ああ、問題ない」
※ ※ ※
「お前らぜんぶ、ぶち殺してやるぜ!!」
エンポリオはそう言い放つと、固有武器〈つらぬき丸〉を取り出した。
「これが俺の無双の槍だ!」
言いつつ、駐屯所にいる数十人の暗殺者たちに襲いかかる。
「俺は、お前らのいう〈下級市民〉の英雄になるんだ!! ひとりやふたり殺したくらいじゃ名はあがらねえ! まとめてかかってこーーーいっ!!」
威勢よく一人目を貫くエンポリオ。遺体から槍を抜き払うと両手でその長い業物を旋回させ、威圧しながら次の敵に向かう。
「おらおらどうしたっ! お前らのランクを教えろ!! いちばん上のやつからやってやるぜ!!」
言いながら次々と暗殺者を仕留めて行くエンポリオ。
駐屯所にあった物資の入った木箱なども次々とぶち壊して行く。
いっぽうで他の暗殺者たちの相手もぬかりない。
「これは驚いたな。訓練も受けずによく武器を使いこなしている。そもそもどこで手に入れた? 能力に目覚めたとして、そんなことが〈下級市民〉に可能なのか」
駐屯所にいた男の一人がつぶやく。
「おいっ、そこで高みの見物をしているやつっ。降りてこい、勝負しろ」
「ここにいる全員を仕留めたら、相手してやるよ」
しかし、エンポリオは数人を倒したのち、あきらかに体力を失っていた。敵が繰り出す攻撃にも防戦一方になっていく。呼吸は乱れ、視界がぶれて行く。だが敵はまだ二桁は残っている。
「だめじゃないか。カッコ悪いぞ。エンポリオ。それが、世間を騒がしている暗殺者の暗殺者なのかね?」
2階で高みの見物をしていた男が、腰をあげる。
「もういい。俺も運動の時間だ。お前たちは下がっていろ」
部下たちを下がらせて、飛び降りてくる。
「教てやる。私はLP第一位フェットチーネ級のカルロだ」
男は飛び上がると、武器を手に擦る。幅広剣〈八つ胴切り〉だ。
「ちっ、遅えんだよ。早くこいよ」
エンポリオは息を荒げながらも闘志は失っていない。
槍と幅広剣では攻撃できる距離が違う。
エンポリオは隙さえつくれば一撃で仕留められる自信があった。リーチはこちらが有利だ。
初手で肩、膝など、防御しにくいところを狙い、構えが変わったところで、一気に突く。
暗殺者は手数をかけない。とくにLPは技巧派だ。エンポリオの〈師匠〉もそうやって教てくれた。
じっくりと間合いをとる。
カルロは余裕の表情だ。
実際、エンポリオはこの間を〈使わされている〉ような気になっていた。
初手で崩す。それ以外にない。
エンポリオはカルロの利き腕の反対、つまり左肩に最速の一撃を放った。
避けられるはずがない。
しかし、カルロはそれを剣身で受け止めた。
すさまじい衝撃音がする。暗殺者の固有武器は特別だ。鉄か鋼か、あるいはそれ以外の鉱物であっても、その強度や性質は使用者の実力、つまり能力によって変わる。
だから、見た目以上にやっかいなのである。
カルロは初手を封じたと確信すると、すぐさま袈裟斬りをする。
エンポリオは危険を察知してうしろに飛び退く動作にはいったものの、胸を切り裂かれる。
「どこで鍛錬したかは知らないが、実戦のスピード勝負は、こんなもんじゃないぜ」
「ちくしょう!!」
エンポリオは絶叫しながら倒れ込んだ。
鮮血が舞う。
「まあ、お前が国家暗殺者だったら、ブガティーニ級くらいはとれたかもな」
カルロは言いながら刀身の血をはらう。
「しかし、ここ数ヶ月、俺たちの仲間を葬ったというわりには、手応えがないな。案件が少なくなりすぎて、組織も堕落したのか……」
カルロはひとりつぶやきながら、エンポリオのもとに歩みを進める。
「ちょっと待つのだよーーーーーーーーー!!!!!!!!!!!!」
とつぜん、甲高い声がひびき渡った。
兎人の子どもと、黒いフードマントをかぶった男、そして猫が一匹いた。