前編 暗殺者の国
いったん、掲載したものですが、改稿して再掲載しました。
ポンテ子爵の屋敷――。
夜陰に影が蠢く。
深夜だというのに屋敷のすべての窓からは明かりがこぼれている。
眠りにはついていない。警戒は怠っていない。そういうメッセージだ。
それでも影はかまわず屋敷に向かって駆けていく。
ひとつ、ふたつ、みっつ……少なくても八人はいた。
屋敷を取り囲むとひとりの影が手で合図を送る。
それと同時に、影は飛び散る。
ひとりは跳躍して窓を破壊し、もうひとりがそれに続いて屋敷に侵入する。
ひとりは正面玄関を破壊する。巨大な鉄槌。軽々と持ち上げて扉に叩きつける。
ひとりは壁を登り最上階まで上がってから侵入を試みる。
影たちはそれぞれ屋内に入ると、「敵」に対峙した。
侵入経路のすべてで待ち構えていた。
同業者だろう。
すなわち、暗殺者。
襲撃してきたのは「国家暗殺者」。
屋敷を守っているのは金で雇われた「自由暗殺者」だ。
この世界は「暗殺」で成り立っている。
外交も、権力の掌握も、治安も、闇の始末屋が一手に担っている。
だから戦争は起きない。常備の軍隊も必要ない。
優秀な暗殺者を多く手に入れた者が覇権を握る。
ポンテ子爵には政敵がいた。
その男からあらぬ嫌疑をかけられ、告訴された。
何度か審問が行われ、潔白を主張したが、その裏で議会は政敵に買収されていた。
国家暗殺者の派遣が決まった。
このような状況に陥った者がとる道はひとつ。大枚をはたいて裏の暗殺者を雇うことだ。
お互いの存在が認識できる以前に短剣が投げられる。
「小盾!」
相手は空間に物理的な障壁をつくりだしそれを跳ね返す。
小盾は暗殺者たちのなかでは基礎的な能力だ。
そして、防ぐやいなや、棘付きの棍棒を振り下ろす。
暗殺者の獲物はそれぞれだ。
軽量で素早い動きで急所を突き敵を仕留める者。強力な一撃で一気に戦闘不能にして、止めを刺す者。
どちらが優位となるかは結局は実力次第だ。
「ぶふぇぇっっ」
メイスが脇腹を骨ごと砕き、壁まで吹き飛ばされる。
今回は防衛側が勝ったようだ。
戦闘は各所で繰り広げられていた。
「おいっ、お前はここを離れるな!」
ポンテ伯爵は怯えながら隣に控えている男に念をおす。
「仕留めた数の歩合制だったろう?」
黒いフードマントを目深に被った男が言う。
「ワシを守りきったらお前にはボーナスをやろう!」
暗殺者は仕掛けてこそと知っていたからこそだったが、もし全滅したら、守る者がいない。
「問題ない。元々俺は守るのが専門だ」
男は答えた。それに雇い主が死んだら報酬どころではない。
「おい、お前は何等級だ!?」
「自由暗殺者に等級はない」
「何を言う。お前らみんな国家暗殺者くずれだろうが。組織にいたときの階級を聞いているのだ」
「いまさら聞いて何になる」
「SPか、LPか?」
「LPだ」
「技巧派か。そ、それで階級は? リングイーネ級はあるんだろうな!?」
「だから、そういうのは契約の前に確認しておけ」
「時間がなかったんだ!!」
ポンテは怯え極まっていた。
下の階が騒がしい。そして、駆け上がってくる足音がはっきりと聞こえてきた。
「くそっ!! やられたか! メルカートめ、安物をよこしやがったな」
いいながら、ポンテ卿は部屋を見渡し、机の下に隠れる。
「おい、お前、全員返り討ちにしたら10倍の金を払う!」
「ああ」
黒いフードの男は懐から短剣を取り出す。
侵入者が躊躇なく飛び込んでくる。なかに暗殺者がいるのは承知の上だったようだ。
ひとりが正面から飛び込んで、もう一人は向かって右に飛んだ。
標的を認識したら挟み撃ちにするプランだったようだ。
黒いフードの男は迷わずに正面の男の懐に入り、その腹を頭突きして突き上げる。
襲撃者がくの字にへこんだところで、右に飛んでいたやつが襲撃してくる。
これで近接範囲に数的優位をとって逆転する腹づもりだろう。
フードの男ははじめから決まっていた動きのようにすでに正面襲撃者の後ろに回って首を掻き切っていた。
はげしく迸る血が、伏兵の眼球にとびかかる。
「ぐわっっ」
視界が血で埋め尽くされ、激痛が走る。
伏兵はうめくのと同じタイミングで、すでに首を切り裂かれていた。
フードの男は両者の返り血を浴びながら、遺体に近づく。
襲撃者の首にかかるタグを確認する。
「フェデリーニ級だ。駆け出しではないが、お前、足元を見られたか。ああ、そうか。財産は差し押さえられていたんだな。なら、向こうもそれなりのランクで済まそうとしたんだろうな」
「う、うるさい!」
「結果、お前が雇った自由暗殺者で残っているのは俺だけみたいだ」
「あと何人残っている」
「3人かな。こちら側は残っていないようだ。ランクが同等であったのであれば、大敗と言っていいだろう」
フードの男は精神を集中して、すでに索敵を済ませていた。
「3対1……」
ポンテ卿は机の下で絶望していた。
「大丈夫だ。問題ない」
のこりの3人はいずれも強襲(SP)タイプのようだった。斧、剣、槍という大きな獲物を武器にしている。
かといって動きが鈍いわけではない。そのフィジカルで獲物をつかいこなし、比較的リーチのない武器を扱う技巧(LP)タイプを寄せ付けない。しかも、多数で取り囲んでくる。
フードの男はいっさい動いていなかった。
「往生際がいいことよ」
SPの3人は一斉に襲いかかる。
瞬間、フードの男は消えた。
3人は見合いをしてしまう。
「暗殺者はソロであるべきだ。お前らは兵隊にすぎない」
フードの男がいい終わる頃、3人のうなじから血が吹き出していた。
「あっ、が、がががか」
にぶい断末魔が漏れ出る。
「終わり(フィニート)だ」
フードの男は向き直るとポンテ卿の元に向かう。
「5人、10倍のギャラだ」
「信じられん。この窮地を抜けられるとは! お前、私が正式に雇うぞ! 反撃をしてやる!」
「ひとりからは一度しか依頼を受けない。それに防衛専門だと言ったろう」
※ ※ ※
その国には戦争がない。
すべては暗殺で決まる。
暗殺大国として拡大し、巨大な版図を手に入れたのが、「イタロ」という帝国だった。
この国はもともとパスタという食べ物が知られているくらいの、半島の小さな民族が興した国だった。
しかし、ほかの人種にはない能力をもっていた。
これは神がイタロ人に与えた特別な力だと考えられ、イタロ人は自らを「神の子、ルーチェ」と呼び、教会と「教帝」を頂点とした国として発展した。
とりわけ強い能力を持ち、戦闘向きの者は暗殺者として育成され、国家の野望に利用された。他国を、異民族の国家体制を揺るがせ、瓦解させると、帝国は次々と併呑していった。
イタロ帝国は周辺の国々を滅ぼすと、その土地を奪い、異民族である自分達と姿の違う彼らを熊人、狼人、蛙人、蜥蜴人などと名付け、軍属奴隷として使役するか、帝国に協力的な者は「下級市民」の称号が与えられ、帝国内で生活を営むことを許した。
そして、帝国が最大版図となってから100年。
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「ねぇ、トト。今晩はなにを食べるのだよ?」
カーキ色のフードを被った小さな女の子が黒いフードを被った背の高い男に問う。
「モニ、食べたばかりだろ」
トトと呼ばれた青年が答える。
ふたりは街道を並んで歩いている。
「今日、トトがつくってくれたスパゲッティが美味しすぎたのだよ。考えていたら、お腹がすいてきたのだよ」
「ちょうどジジの店に届け物がある。そのときに食材を見て考えよう」
ここは貧民街の市場。
下級市民たちが暮らす区画だ。彼らは帝国に搾取され、法に守られない。
それでも、もともとお互いが異なる民族であるというのに力をあわせて生きている。
ジジの店につく。看板には「ジャンルイージの青果店」と書いてある。
蛙人と呼ばれる人種だ。貧民街の市場で店を営んでいる。
「よう、トト。ボナンザの店の酒は手に入れられたかい?」
「ああ。ジジ。ボナ……そう。ああ、買ってきた」
歯切れの悪い返答でトトは答えながら、約束の品を手渡す。
「ボナンザだよ。なんで人の名前になると2文字以上覚えられないのかね?」
「そうだよ。わたしだって、モニカ・ローレンなのにだよ」
横で見ていたモニが言う。
「まあいいよ。愛称は帝国の伝統ではあるし。トトの場合、ちょっと略し方が独特だけど」
ジジは笑う。
「それで、すまないんだけど、報酬はうちの商品でも構わないかね?」
「ああ、問題ない。ちょうどモニと晩飯の話をしていた」
「なら、いつもの唐辛子とにんにくはつけるとして、これどうかな? 新鮮な春キャベツ(カーヴォロ)だ」
「きれい! スパゲッティに合いそうだよ!」
モモが横から口を挟む。
「ああ」
トトは口数が少なめだが、こういう時にモニが代弁してくれる。
「相変わらず、パスタに使うのな。汁物にしてもいけるぜ」
「ダメだ。俺はパスタしか食わない」
「うーん。まあ、いっか。なら、決まりだな。3玉くらいで釣り合うか?」
「いや、そんなにあっても食べきらない。半玉でいい」
「こんな貴重な酒の報酬としては、そういうわけにはいかないけど……」
「大丈夫だ。問題ない」
トトが答える。
「気にすることはないだよ!」
モニが追従する。
「そうか、悪いな。いつもいつも……。ならトマト(ポモドーロ)もつけるよ。ていうか、あんたら、なにして生活しているんだい。俺らみたいな下級民地区の雑用引き受けて、割に合わないことばっかりだろ?」
「お前は知らなくていい」
と言ったのは、トトではなく、モニのほうだった。黒幕のような言い草だった。
「まぁ、……いいけどよ。貧民街のやつら、お前らに世話になりすぎて、逆に気になっているのが多いんだぜ。本当は上級のほうのさ、スパイじゃないかって」
「その言い方は好きじゃない」
トトが答える。
「わかってるって。仲間だよな。悪かった。ほれ、春キャベツだ」
「今日はペペロンチーニ?」
モニが言う。
「そうだ。春キャベツを細かく切ったものを和えると季節感が出ていい」
「トトは料理はできるのにほかの家事はできないよね? 掃除とか片付けとか。いままでどうしていたのだよ?」
「問題ない。大丈夫だ」
「モニが来た時、問題だらけだったんだよ!」
「だから、いまは問題ない」
ふたりはそのまま宿に帰った。
※ ※ ※
トトとモニが帰り道、広場に出ると、ひとりの女性が泣き叫んでいた。
イタロ人ではあるが能力をもたない、下級市民の女性のようだった。
「私の夫はなんの罪もなく、裁判を受けることもなく、殺されました!!」
女性は広場に集まった人達に訴える。
この場所は〈上級市民〉も〈下級市民〉も集まる公の場所だ。
何かを訴えたいのなら、最良かもしれない。
彼女がいうには、夫は酔った上級市民、しかも「議員」に名を連ねる者が路上で下級市民に当たり散らしていたのを見咎めて、仲裁に入ったらしい。同僚がそれを目撃していたという。ただ、それはその場に居合わせた暗殺者によって、一方的に「反逆者」として弾劾され、殺されたという。
暗殺者は国家公務員だ。上級市民のなかでも警察権、捜査権ふくめさまざまな特権をもっている。そして最大の特権は〈暗殺権〉である。国家に仇なすと判断された場合、〈下級市民〉をその場で処刑することができる。事後に裁判が行われるが形式的なものでしかない。つまり、国家暗殺者に出くわして、気に食わないと思われたら、最後であるといっても過言ではない。
「あの日、酒場にいた人たち! 路上に目撃した人たち! どうか証言してください!! 私は夫の名誉を取り返したいのです!」
女性は大声で人々に訴える。亡くなった夫は帰ってこない。だが、反逆者の汚名は残る。遺族にはさらにきつい仕置きが待っている。そもそも下級市民である彼女には生活必需品ですら購入制限が設けられることになる。
「私はどうなっても、かまいません……」
そこまで言って、上級市民の一段のなかから一人の男が歩み出た。
「私は暗殺者のSPランカー最上位、ペンネ級のエスポージトである」
SPと呼ばれるランカーの最高位だ。
暗殺者のランカー制度は、SPとLPとに大別される。
前者はフィジカルやパワーに特化したものが多く、いまでは治安維持や兵隊としての任務を行うことが多い。後者はさまざまな技巧を習得し、情報官として調査や隠密活動に従事することが多い。それぞれでランクがあり、公務員としての給与が定められている。
エスポージトは、この区画では治安部隊長で、住民には知られた男である。
その傲慢さと、残虐性で。
「貴様の夫は反逆者として認定されている。下級市民であるにもかかわらず国政への誹謗中傷、あまつさえ教帝陛下への罵詈雑言をのたまわった。酒に酔っていたからで済まされるものではない!!」
「そんなのは事実無根です!! 夫の同僚は言いました。議員は繁華街でひとりの女性が強引に関係を迫っていました。その仲裁に入ろうとした私たちの同胞は、みんなあなたに蹴散らされ、最もつよく抵抗した私の夫は、その場で反逆罪と認められたのです!! その場には多くの同胞がいました。みなさん、声をあげてください!! 裁判のやり直しを訴えたいのです!!」
「すでに判決はくだっている。お前らのために時間を割くようなことはない」
エスポージトはいう。
広場にいる〈市民〉の反応は真っ二つに分かれている。
エスポージトに声援を送る者と、沈黙して下を向く以外にない者とに。
「裁判の必要はなさそうだな」
エスポージトは武器を取り出す。
暗殺者の上級者はそれぞれ固有の武器「神具」が教会より下賜されている。
SP第1位ペンネ級のエスポージトは、〈頭割りの鉄槌〉と呼ばれる「神具」をもつ。
この「神具」を含めた戦闘用の能力をもつのが、暗殺者だ。
これまで多くの下級市民が、この獲物の犠牲になったか。
「血祭りのエスポージト」
そう呼ばれていた。
「判決、有罪、刑、即時執行」
エスポージトはそう言うと、ハンマーを振り上げた。
トトとモニは広場の観衆、野次馬と同様に一部始終を見ていた、
「こんなの、ゆるしちゃいけないよね。トト?」
「ああ、もちろんだ」
「どうするの? トトは暗殺者だし。あ、元暗殺者か」
「どっちでもいい。問題ない」
トトは不思議な形に手を組む。
「なら、あたしもだよ!」
モニは手にしていた杖で地面をコンコンと叩く。
すると、〈下級市民〉の女性がへたりこんでいた地面がわずかに揺るぎだし、後方にのけぞった。
そこへエスポージトのハンマー〈頭割りの鉄槌〉が振り下ろされる。
女性はわずかに位置がずれて難を逃れる。
〈頭割りの鉄槌〉は地面を打ちつける。その衝撃は凄まじいもので、石畳の地面を砕き、無数の破片が舞い上がる。
しかし、破片はすぐに元に戻って女性を守るような壁をつくった。
「血よ、武器となれ」
トトはそうつぶやくと、赤い液体の入った小瓶を取り出し、開栓した。
赤い液体は弾け飛び、弾丸のような形をつくると、エスポージトに向かって美しく先端をそろえた。
「チャオ」
またたくまに弾丸がエスポージトの体を貫いていく。
断末魔が広場に轟く。ほんの一瞬の出来事だった。
女性は貧民街の世話役や青年団によって保護された。
いっぽう、上級市民たちは、騒然としている。
トトは振り返り、モニはフードを被り直した。
「暗殺者の狩人……」
そんな声が方々からあがる。
それは、ここ数ヶ月、帝国内で噂されている怪事件だ。
下級市民の中に能力をもつ者が誕生し、国家暗殺者を闇で葬り続けているという。
公務員くずれの自由暗殺者は依頼主がなく、金にならないことをやるはずはない。
だとすれば怨恨、私怨、……考えられるのは下級市民の反乱だ。
だが、下級市民は能力をもたないがゆえに下級市民なのである。
それは噂でしかなかったが、いま市民は上下の隔なく、公の場で〈暗殺〉を目撃した。
トトとモニの姿はすでになかった。