代償・1
持ち場を無断で離れていたと父に告げたのが誰だかは知らない。
かつては賑やかな集いもあっただろう広間の中央で、ウォードは父を前にして右手を床左手を膝上に置き跪いていた。
「指揮官の言いつけを守れぬようでは話にならん」
底冷えする声で言った父が剣を抜く気配がした。頭を垂れている身としては、言い訳もできない。
戦場において上の命令は絶対。身勝手は本人はもとより全体を危険にさらすことになりかねない。
規律を重んじる兵団で、息子が軽々しい振る舞いをしたのでは他に示しがつかない。父の怒りは当然だった。
「見どころがあるなどと少しでも思った自分が腹立たしい。失望したわ」
父が吐き捨てると同時に風を切る音がした。
「ウォード様!!」
緊迫した声が響いた時には、ウォードの額に衝撃が走っていた。
とっさに見た父は目を剥き動揺している。
先ほどよりお互いの顔の距離が近いと感じたところで、ウォードは自分が中腰になり剣に手を掛けていると気付いた。抜いてはいない。
「ウォード様! 剣がかすりまして、血がお目に入っております。ひとまず、これで押さえてください」
一言ずつ区切るように語りかけるのは副団長のブレア。混乱を広げまいという意図を感じる。
自然な動きで、ウォードと父の間に視線を遮る形で入り、布をあてて額から左目にかけて圧迫する。
ウォードと同じく父も無言。顔色を失くした様子から、切りつける気はなかったことが読み取れた。
少し脅してやろうとでも思ったのだろう。なのに咄嗟に息子が動いたせいで当たってしまった、そんなところ。
ウォードは他人事のように分析した。これ以上父の怒りを煽らないためにも反抗的な顔をしていないといいが、と思う。
「――これで分かっただろう。以後軽薄な行動は慎め」
父は厳しい顔つきで血のついた剣を手にしたまま背中を向け、大股に部屋を出て行く。
その後ろをもうひとりの副団長が急ぎ追うのを見届けてから、ウォードはゆっくりと瞬きをし、腰を伸ばした。
「ウォード様、お目は大丈夫ですか」
父に近い年齢のブレアは剣の使い方から兵団での振る舞いや作法までを教えてくれた。今も心より案じてくれていると伝わる。
「右はなんともないが左はどうだろう。ブレアが押さえているから見えない」
痛みより痺れ感が強い。徐々に熱さも生まれているが言わずにおく。
ブレアは一瞬泣き笑いのような表情を浮かべた。
「お父上もここまでのおつもりはなかったはずです」
「わかっている、心配しなくても父を恨んだりはしない。避けようなどと余分な動きをした俺が悪い」
それほど大きな声でもなかったのに部屋の隅々まで届いたらしく、居合わせた団員のこの上なく緊迫した空気がようやく緩んだ。
ブレアが何度も頷く。ウォードにしてみれば、正直、あの子供が見られていなかったのならまあいいという気分だ。
クリスティナと言ったか。花弁のような唇で「生きたいかどうかは分からない」と紡いだ子供。腹一杯になって少しは気持ちも変わっただろうか。
ブレアがぎょっとした顔で凝視するのは、口元のあたり。
僅かとはいえ口角が上がってしまったらしいと自覚して、ウォードは表情を引き締めた。