噂と願い
大人の会話に口を出してはいけない。小さい時にしっかりと教えられたことだ。
人のお話に聞き耳を立てるのは下品なこと。でも「関係ないもんね」と他ごとを考えていると、急にお返事を求められて「えっ」となることがある。
そこでまごまごすると「ちゃんと聞いていなかったのか」と叱られるハメになる。
そのあたりが小さかった頃のクリスティナには難しく感じられた。
前のお母さんと暮らしている時に身につけたのが「聞いていないお顔でお話を聞いておく」という知恵と技だ。
その技術が活かされるのはまさに今。
ジェシカ母さんと食料品店のおばさんの話を耳に入れつつ、クリスティナの目は棚にひきつけられていた。
世の中には知らない瓶詰めがたくさんあるらしい。大人になったらこの棚の端から端までを順番に買って食べよう、と心に決める。
ブラックベリーと蜂蜜のジャムの隣にはニンジンのジャム。このニンジンの一瓶は飛ばしてもいいような気がする。
少し大きくなったので、おいしそうな見た目には騙されない。ニンジンはニンジンだ。
「そういや、最近小耳に挟んだんだけど……」
おばさんが声をひそめるから、クリスティナは耳をそばだてる。
「シンシアお嬢様が実は地元にいるんじゃないかって。この噂は確かな筋から流れてるらしい。ここだけの話、ここだけの話ね」
「はあ」
興奮気味のおばさんに対して、ジェシカ母さんの反応は鈍い。
後ろに組んでいた手に力を入れることでクリスティナは平静を保った。
シンシアお嬢様と最後に会ったのは、メイジーお母さんとお嬢様がふたりで暗い通路へ消えた日。
ものすごく遠い所で暮らしているのだとばかり思っていた。
だって見つかったら危険だもの。
と言っても、クリスティナにはどう危険なのかは想像もつかないけれど。
「なんでまた、そんな話に。普通に考えりゃ、大きな街で大勢の人に混じって暮らしたほうが目立たなくて済むだろう」
冷静な指摘は、いかにもジェシカ母さんらしい。
「噂だよ、噂。ほうぼう探して見つからないから『実は案外』ってことかもね」
「迷惑な話だね」
「お嬢様もクリスくらいの歳かねえ」
ほら、きた。クリスティナはシンシアお嬢様がひとつ下と知っている。それを教えてあげるべきかどうか。
迷ううちに、ジェシカ母さんが「どうだろ。他になんか新しい話はない? 」と話題を変えた。
シンシアお嬢様とメイジーお母さんは一緒にいるはず。本当に近くに暮らしているとして、会いたいのかどうか、自分でもよく分からない。
会えるなら、あの日助けてくれたエイベル様に会いたい。ありがとうも言えずにお別れしてしまったことをずっと残念に思っている、と伝えたい。
「どうかご無事で」
クリスティナはそっと祈った。




