胃痛に頭痛
フレイヤは手に汗を握りながら、舞台を駆け回るクリスティナを見つめていた。
張り切ったぶん、いつもより動きが大きくなり先ほどは帆柱に腕をぶつけていた。
今もまた綱で樽の手前に着地するはずが樽の上になり、大歓声を浴びたけれど、少し間違えば樽ごと転がるかもしれなかった。
やめて、やめてやめて。私の心臓が止まったらどうするの、ティナちゃん。
物陰からレイさんが目を離さないようにしているので滅多なことはない、と理解していても胃が縮む心地がする。
劇団に支払われる金額は定額で、観客数と連動していないため重視していなかったが、役者のやる気は客数に左右される。
想定よりはるかに多くの人が集まり、気温は低いのここだけ熱気がある。
彼のおかげね。フレイヤは、離れた石組みの上に立つウォード・ハートリーに感謝の目を向けた。
反ハートリー強硬派が紛れ込むのを避けるため入城者数を絞る話が出ていたのを「来た者を門前払いをしては、悪評が立つ。開放した意味がない」と一蹴したという。
レイから聞いたのは。
「山狩りの際、ひとりになってしまったクリスを保護し、慣れた家で過ごせるように配慮したのがウォード・ハートリーだそうです。人として素晴らしいが、組織の長となる者としては難儀な性格かもしれません」
王都で剣など振り回したら、即座に捕まり牢屋行き。なのに今立っているこの前庭でも、剣に倒れ地を赤く染めた兵士が数多いたという事実。
理解していても、フレイヤには実感がない。
ウォード・ハートリーの眼差しは他を威圧する鋭さだ。皆、関わりたくないと目を合わせないようにしているのが、よく分かる。
しかし見据える先がちびっこ海賊ティナだと知っていれば、見方はまるで変わる。
彼はティナちゃんが無茶をするのが心配でならないだけ。同志として親近感が湧く。
昨夜「アンディと仲直りした」と嬉しそうに報告してくれたから「良かったわね」と返したけれど。
フレイヤはため息を噛み殺した。
ティナちゃんがマクギリス伯爵の実子となると、伯爵の弟マイルス様一家との関係は問題含みとなる。
本人にどこまで話していいものか。ジョナサンから助言を得られたとしても、まさか丸ごとお任せする訳にはいかない。
前夫がルウェリン家で職を得ていることも後ろめたいのに、「ここにきて人生には秘密と考えることが多すぎる」との苦情は誰が受け付けてくれるのだろう。
「なんてことかしら、頭も痛いわ。お願い、誰か代わって」
胃痛に頭痛。この痛みをもらってくれる人、手を上げて。
「もとひ、ダーを呼んだ? こんにちは、ダーだよ」
空中で器用に回転したキラキラしく愛らしい男の子が笑顔を振りまく。
「……今は呼んでいないわ、ダー君」
さらなる面倒を自ら呼び寄せてしまったフレイヤは、誰にも見られていないと信じて盛大に顔をしかめた。




