暗い通路の声
暗闇から話し声がするなんて気味が悪い。ウォードを戻れない子にしてはいけない、ここは私が頑張るところ。
クリスティナはウォードの上着を思い切り引っ張った。手応えがあり、ウォードが半歩戻る。
「ね、帰ろ」
「嫌がる俺を強引に押し切ったのはクリスティナだろう」
言い出しっぺが何を言う、と言いたいのだろうけれど。
「言い出した私がもういいって言うの。だから、戻ろう」
これがクリスティナの言い分だ。
「声を抑えろ、聞かれる。口を押さえておけ」
嫌がる私になんとご無体な。とクリスティナが抗議の声を上げようとした時、また足元がズルリと滑り悪臭が強く漂った。
「ウォード、本当の本当にもうダメ。お願い、ここまでにして。じゃないと泣いちゃいそう」
押さえるのは口ではなくお鼻だ。泣きつくクリスティナを煩わしそうにウォードが抱える。
「これなら何も踏まないから、いいだろう。静かにできるな、クリスティナ」
そりゃあ、ウォードがどうしてもと頼むなら頑張るけど、もうひとつだけ質問させて。
「私が踏んだの、なんだと思う?」
できるだけ小さな声で尋ねる。
「ネズミの死骸かなにかだろう」
「うわあ、最悪……」
「それを言いたいのは、こっちだ」
真っ暗ななか、ウォードは足音を極力立てないようにして進む。徐々に声が聞き取れるようになった。
男の人だ。複数、たぶんふたり。生きた人だと思う、これもたぶん。
「急ぐことは良い結果をもたらさないと思いますよ」
「もう充分に喪に服したと世間もみてくれることでしょう。私には相応しい地位が必要なのです。どうかお力添え願いたい」
「他家にもそのように言って回っておいでか。あまり下手に出るのは考えものですよ」
なんのお話? 少しも分からない。が、鼻と口を押さえていて良かったと心から思う。でなければクリスティナは悲鳴をあげてしまったかもしれない。
頼み事をする声は、忘れもしないマクギリス伯爵様の声だった。信じられずに耳を疑う。
「私がこのように頼んでもお聞き入れいただけないと?」
「実は、私の耳に鳥が噂を運んで来ましてね。この城砦の陥落には内部の背信者が関係していると」
耳障りな笑い声。
「それが私だと? 冗談だとしたら笑えない冗談だ。それにあれから何年たったと思っているのです。今になって湧いた噂など信ずるに足らない」
たっぷりの余裕がある。
「あなただとは申し上げておりませんよ。ですが行方不明の伯爵令嬢が姿を現したとしたら、どうでしょう。いくつかの目算が狂うのでは?」
壁越しにも雰囲気が険悪になるのが分かり、クリスティナは固唾をのんだ。
「日が傾きましたね。そろそろ着替えませんと揃って晩餐に遅れてしまいます。お話は、また日を改めて」
ふたり連れ立って去る靴音がした。




