海賊と侍女・2
甲板から帆柱に斜めに取り付けた網の本来の役割は不明。海賊船っぽく見せる演出かもしれない。
本日のクリスティナにとっては登るためのものだ。
縄梯子がわりにして帆柱の上部まで行き、今度は斜めに渡したロープにフックを掛けて滑り降りる。
「それくらいできる」と言った男の子がいたけれど、結局高いところが平気なのはクリスティナだけだった。
木の上のおうちと同じくらいの高さなので、帆柱を登るのも軽々。
稽古の時にクリスティナが登って見せると、イヴリンさんは言葉に詰まってから、数回瞬きをして「ええと、皆さんの記憶に残りすぎて一生『あの帆柱の子』になって、縁談が遠のくといけないから、さすがにそれは止めましょうか」と言った。
柱を登るほうが早いのになと思いながら、直前練習より勢いをつけて網を登っていく。
気がそれたせいか。網目にかけたはずの右足が滑って網の向こうへ突き出てしまった。
「しまった」と焦ると同時に、はずみで空に体が投げ出される。
「ああっ」
「ひっ」
観客から上がる悲鳴を、クリスティナは逆さ吊りの状態で聞いた。
大丈夫、手は反射的に網を掴み直している。左足は外れてしまっても右足は足首を網目に掛けているので、そこを起点にぐっと体を起こせば取り返しがつく。逆さまの景色を眺める数秒のうちに判断した。
そして、観客のなかにアンディを見つけた。瞠目したアンディは顔色を失くしている。山でさようならをした時とそっくりだ。
ひっくり返ったくらい私なら心配いらないのに。やっぱり甘ちゃんだなあ、なんて思う。
「安心して。余裕よ余裕」
クリスティナは、うふんと笑ってみせた。
観客からも安堵のため息が漏れる。役者達は自分の演技に夢中で、失敗には気がついていない。
これは台本通りですよという顔で、お楽しみのロープ滑りを堪能した。
「ティナちゃん! ケガはない?」
物陰で待っていたイヴリンさんが、侍女のスカートを手早く巻きつけてくれる。
この後また海賊になるから、海賊パンツは着たままだ。
「全然平気。張り切りすぎたみたい」
「それならいいけれど。きっとフレイヤの心臓は止まる寸前よ」
それは大変! と口を開けたクリスティナの背中をイヴリンさんが押す。
「気をつけてね。無茶しないで」
「大丈夫、もう落ちない」
侍女クリスティナは海賊を倒すために甲板に飛び出し、樽に乗った。
薄木で作り銀色に塗った剣は当たっても痛くない。戦う侍女として「えい、やあ」をして、また裏へ引っ込む。
スカートをかなぐり捨て、後は捕まるのを避けるために海に飛び込む海賊の役だ。
なんだか体が軽くて調子がいい。これは半回転落ちではなく、両手を広げて背中から海に落ちるのをしてもいいような気がする。
板の上には落下の危険を考えて、厚手の毛織物が敷かれている。落ちる瞬間に背中を丸めれば、きっと痛くない。
アンディをもっとびっくりさせたい。
「逃げられると思うな」
「それはどうかな。また会おう、さらば」
王子様に追い詰められた海賊クリスティナは、ピンと体を伸ばして船から身を投げた。
床につく前に布で包まれて、衝撃が吸収された。
「やると思った。そういうところは、誰に似たんだか。格好つけのオヤジかそれとも肝の太いおっかさんか?」
「ありがとう」
観客から見えないよう膝立ちで待ち受け、板のかわりにクリスティナを受け止めたのは、レイだった。




