フヌケと腰抜け
ジェシカさんだけにお料理をさせるのは申し訳ないのでせめて手伝いをと言うフレイヤを断ったのは、クリスティナだ。
「お姉さんにお礼がしたいのに、手伝ってもらったらお礼にならない」
「炊事場をお借りして『お礼』もあったものではありませんけど、本場の田舎料理をお作りします」
ほら、母さんもこう言ってる。
「お手伝いなら私とレイがする。呼ぶまでお姉さんはお部屋でのんびりしていて」
クリスティナが背中を押すと、フレイヤは寒さにやられたのか少し青白い顔で、にこりとした。
「ありがとう、ティナちゃん。ではお言葉に甘えて」
フレイヤが部屋に引き上げるのを見届けて、ジェシカがほいっとナイフをレイに投げ渡す。
「芋を剥いて。肉の付け合せにするから」
「私は?」
「クリスは、ケーキにアプリコットジャムを塗って」
そのままでも食べられるケーキをジャムとバタークリームでさらにおいしくする作戦らしい。任されたクリスティナの責任は重大。
鴨は明日にして今日はチキンと豚肉を焼くことにする。ジェシカは豚肉に塩を擦り込み始めた。
「母さん、フレイヤお姉さんいい人でしょう」
「綺麗な人だね。それに田舎者に対する偏見がない。クリスにもとてもよくしてくれて。恩を感じさせるようなことをしたのかい?」
全然。思い当たるのは。
「お花とどんぐりをあげた。あと、いい石も」
「まだ石集めしてたの」
「うん」
いつも「いい石」が落ちていないかと探しながら歩いている。お姉さんにあげたのは、ひろったなかでも特にいい石だ。
「クリスの大事な物をちゃんと理解してくれる方なんだね」
しみじみと母さんが言う。説明しなくても分かってくれるところが、ジェシカ母さんだ。おやじではこうはいかない、石はどれもただの石。
「上品でほっそりしていて、ベンジーの好みが服着て歩いてるような方じゃないか。それで同じ家に暮らしてるとなりゃ、結婚は秒読みかね?」
アプリコットジャムをまんべんなく塗るのは難しい。元のケーキの焼きむらをならすように塗りたいのだが。
指までベタベタにしたクリスティナの隣から、昔のようにベンジーと呼ばれたレイがむすっとした声を出す。
「フレイヤさんは、俺よりクリスが好きなんです。この家にクリスがいる限り、進展はないと思いますね」
さっきより芋の皮が厚く剥けているような気がする。などとクリスティナがこっそり眺めていると、ジェシカが笑い声を立てた。
「あんたみたいな色男がねえ。言い寄ってくる女を相手にすれば楽なのに」
「俺は、俺が守りたいと思う人といたいんですよ」
ふうん。オヤジはどうだったんだろう、知りたい。
「オヤジはどうして母さんと結婚したの?」
ジェシカは無言のまま、詰め物をしたチキンの腹を糸でとじる。聞こえていないのかな。
「ねえ、母さん。オヤジと結婚したのはどうして」
「そりゃあ」
仕方なさそうに、ジェシカは口を開いた。聞いているのはレイもだ。芋を剥く手が止まっている。
「若い頃あの人はモテてモテて、あらゆるところで浮き名を流してた。そんなことを何年もしてれば、嫁が欲しいったって真っ当な娘は警戒して近寄らなくなる。そこで私があてがわれたわけさ。伯爵様の上級使用人を目指してた私とは前から面識があった。あとは仲人をしてくる人がいて、まとまった。それだけさ」
初耳だ。女癖の悪いらしい(今もかどうかは知らない)オヤジと結婚するなんて、ジェシカ母さんも実はオヤジに憧れていた? まさかね。
そういうお話は大好き。もっと聞きたいと思うけれど、これ以上教えてもらえそうにないのは残念。
「『何ごともタイミングがある』なんて言ってのんびりしてたら、横から掻っ攫われちまうよ」
レイを焦らせるようなことを言う。これは援護がいりそうだ。
「脅したらかわいそう。レイは意外とフヌケなの」
ジェシカがダメダメと指を立てる。
「フヌケは言葉がよくない。それを言うなら腰抜けだ」
間違えちゃった、そうか腰抜けなのか。覚え直すクリスティナをレイがもの言いたげに眺めている。
ジェシカ母さんが笑いを堪えているのも気になるけれど、まずはレイだ。
「なに?」
「フヌケも腰抜けも大した違いはない。知ってて言ったな? クリス。どっちも悪口だ」
そんなつもりじゃなかったのに。固まるクリスティナをよそに、レイは皮剥きを再開した。




