三章二項 リリル
予定より遅れて、コースに着いた。
大きな門と彫像が、私達を迎える。市街の中は、酷い臭いだ。
この町は運河として流通の要であり、交通の要所でもあるため、一応、ケイオンにひけをとらない都会ではある。
大商人や金貸しの本拠地ともあって、むしろ物量や経済で言えばケイオンよりも豊かなのかも知れない。
聖地でもあるケイオンと比べれば、物がありすぎて雑然としている。
私も小さい子供の頃に何度か来た程度ではあるが、来る度に街に変化があって、ケイオンとは違う日常の活気や熱みたいなものは感じる。それと同時に、俗っぽくて何もかもが薄汚い。
「生臭……。ここ」
広場を通ると、古びて黒ずんだ石灰岩の石畳に、男達が水を撒いていた。
「朝市が終わった直後で、その名残ですね。確かに生臭いですが……ケイオンの貴族は何故かほとんど魚を食べませんからね」
「だって、魚って見た目もキモいし味も変だし……よく食べられるよねあんなゲテモノ。こんな臭いのに」
「人も死ねばそれなりに臭いですがね。この八倍くらい酷い時がありますよ。巡礼している僧侶の二倍くらい酷い臭いです」
どんな例えだよ。人の死体は食べねえだろう。
ラディカ先生ってなんか話題の展開が、拗らせすぎているっていうか……三段飛びぐらい飛躍するんだよな……。
「……リリル、私たちも人の死というものを、目の当たりにするかも知れない」
「だから?」
「覚悟しておいたほうが良いってことを先生は言いたいんじゃないかな。ラディカ先生は、人の死体を見たことがあるのですか?」
「ええ、まあ」
「言っておきますけど、私だって人の死体ぐらい見たことがありますぅ〜。お婆様がお亡くなりになった時とか」
「そんなの自慢したってしょうがないよ……リリル」
「あなたさ、それは先生に言ってくれる? それに自慢とかじゃなくてさ、人のことを知った気になって語られるのってまあまあムカつくでしょ」
「ごめん……」
「身構えようと、そうでなかろうと、今の時世では否が応でも慣れます。何であれ、なるべくは見たいものではないのは確かですが」
そうなんだ?
先生なら喜んで実験とか死体解剖をしそうな印象だったけど。
しかしこの人、コースに着いたら休めるとか言ってなかったけ?
もうずっと町中を歩き続けてるんだけども。
港の近くになると、大きな壁に一直線に沿った大通りが見えた。
大通りには大量の荷が運ばれていて、荷車一つ通るのでさえやっとだ。こんなところでラドラート家の人間が荷馬車に轢かれでもしたら、末代までの恥だな。
「この壁の向こうが港です。近年の魔術に欠かせないエルイス鉱物や河から獲れる水産物は日光などによって劣化しやすいので、その保護という目的で、港も大きな屋根と壁に囲まれている面白い場所です」
「ふ~ん」
大きな壁は切れ端が見えないほど長く、壮大だった。荷は小山のように高く積まれていて、その膨大な物資は社会の大きさを感じさせる。
汚くて、臭くて、うるさい場所ではあるが、男達は膨大な“仕組み”の一部に徹する蟻のように、脇目も振らずに仕事に勤しんでいた。
「あ! 先生……あそこに最近流行りのギバ茶菓子あるらしいよ。ちょっとさ、休憩しようよ」
「ギバ茶菓子ですか? 歩き疲れてますし休憩がてら悪くないですね」
「ええ? 今、このタイミングでですか?!」
ユレシアは、流行りのお菓子に興味はないらしい。
なんだ? まさか、不満だとはね。
茶の大切さを分かっとらんよ君は。
これは単なる趣味嗜好ではない。どれだけ話題を先取りしているかという、社交界に参じる高貴なレディーに必要な教養なのだ。
茶の種類一つ分かっておけば、出世に繋がると思えば、安いものだ。
「ユレシアさんは、興味が無いのですか?」
「興味ないってことはないですけど……。今は仕事中ですから。それに……私は、もっと頑張って……とにかく成長しないといけない」
「やれやれ。ユレシアちゃんは頭が堅いよ」
「貴方は頭が軽すぎる。出発した時から愚痴ばかり。一応実習だけど、これは遊びじゃなくて、仕事なんだ。甘えは捨て去るべき。仕事は厳しくなくてはならない。貴方は人の上に立つつもりなんでしょう?」
「ムッ……」
そこに反論したのは、ラディカ先生だった。
「う~む……。“仕事は厳しくあるべき”と言う人は、どうも自分のペースで他人を制御しようとしているだけの気もします。何だかんだ、厳しくあるべきと言ってる本人も自分の緩急でやりがちですからね」
「そ……そんなことはないです!」
「いきり立つのも仕方ないですが、力を抜きなさい。貴方は調査対象も知らないのに、どうやって仕事を進めるつもりなのですか?」
まあ、それもそうだよね。いちいち仲間に口出ししてたら、それこそ不効率だっての。
ユレシアは、不満げに俯いた。
「焦る気持ちは理解出来ます。しかし、貴方のお兄様の死を無駄にしないためにも、今は貴方は着実に実――」
「――まだ死んでねえよ! 童貞野郎」
私が思わず蹴りを入れると、ラディカ先生はよろめいて、その拍子に用途の分からない何かの大きな部品に躓き、建物の壁に取り付けられていた金具の出っ張りに強かに頭を打った。
天秤とキモい竜の文様が彫り込まれた木札が吊り下がっていて、カラカラと音を鳴らす。
「だははっ! どんくさ!」
「うふっ!」
これにはユレシアも思わず吹き出して、クスクスと笑って口を隠している。
「……童貞野郎とは心外ですね。事実ですが」
事実なのかよ。
「なんなんですか、その飾り。危ないなあ」
「リリル……ちょっとぐらい謝ったほうがいいよ。うふっ!」
「これは、この建物の主がどの組合に属しているか示す表札です。その組合から借金しなければ商売をすることが出来ないんですよ」
「ふ~ん。なかなかアコギですな」
「一概にそうとも言えません。土地を買う際には補助金を出してくれることもありますし、組合の登録をしてくれたり、仕事道具の貸し出しなんかもしてくれます。それに、金利もそこまで悪くない」
「な、なるほどですね」
「これが貴方達も知っている、ステューキアン家ですよ」
「本当ですか……? 知らなかったな。ステューキアン家といえば、あのキリル様やエストラ様の家だ」
あのエストラ様の家って、そんなところにまで影響あるんだ……!
やっぱ凄いな。エストラ様は美貌も才覚も一流で、悪く言う人がいないまさに女神だ。
最近、眼病で片目を失ったらしいが、それで落胆することもなく、性格がより社交的になったらしい。
子供の頃から、私の憧れの人だ。
「取りあえず、リリルさんの言う通り一旦お茶でもしましょうか」
「やっとですかぁ〜……はあ。混んでないといいけど」




