二章二十五項 アルノ
一気に駆け抜けるしかない。
踏み込んだ瞬間、大きな影に遮られた。壁にぶつかるように突き飛ばされ、危うく転倒しかける。
「男だろう。望みがあるなら、戦い、勝ちとって行け」
立ちはだかったのは、ザンダと呼ばれていた大男だ。
僕よりはやや背丈は小さいが、分厚い屈強な肉体の鎧を持っている。戦えって……、敵うはずがない。
「断る」
付き合ってる時間はない。
とにかく、まずはここを切り抜ける。
ルイカさんが連れてきてくれるという医者とさえ合流すれば……。
結果は考えなくて良い。出来ることはやる。それは、いま戦うことではない。
「……どうせ僕は戦っても勝てない。だが、言うことを聞くわけにはいかない。僕は行く。止めるなら、力尽くで止めればいい」
正直、あれこれ考えさせられるのも、もう煩わしい。僕はただ前に進むだけだ。
「もういいだろ。本人がそう言ってるし! 望み通りにしてやればいい。ぶっ殺していいよな?」
短髪の若い傭兵が剣を振り上げる。
同時に、犬が吠えた。狂ったように威嚇する。
その威嚇の先は、森の暗闇だった。
「誰かいるのか?」
痩せた男が、犬を手綱で引っ張って制しながら、声をかける。
確かに、闇に潜んでいるのが傭兵の仲間なら、犬がここまで警戒するはずは無いとも考えられる。相手も黙って忍び寄る理由はない。
もしかして、ハイロか……? 暗闇と草木で見通しが悪く、何も見えない。
魔導犬なのかは分からないが、未だこの犬は暗闇の先に何かを感じ取っているらしい。
痩せた男が、ゆっくり犬に追従しながら火で照らして、様子を伺う。
犬は吠えながら、どんどんと暗闇ににじり寄っていた。
「待て。離れんじゃねえ。ケップを呼び戻せ」
副長と呼ばれている禿頭の男が、指示する。
短く、犬の悲鳴が響く。
「なんだ!?」
一瞬、目を離した隙に、何かが起きた。
松明の明かりを横切るように、闇の中に小さな白いものが飛び込んで、視界から消える。
犬はか細く悲鳴を喉で鳴らしながら、横倒しに崩れ落ちた。
「あ! おい! ケップ……!」
痩せた男が、犬に駆け寄る。
「嘘だろ……首を切られてる! ひでえ」
犬はまだ生きているが、目を離した一瞬で重傷を負っていた。痩せた男が、抱き上げようと松明を置く。
「ケップを助けねえと」
「おい、退きな! 来るぜ!」
襲撃者は正面から走ってきた。
太鼓を小刻みに叩くかのような、短い歩幅で足音を鳴らす。
一瞬のことだった。
痩せた男が振り向く隙すらも無く、首をかき切られる。
大きく裂かれ、頸動脈と気道が断たれる。半分落ちそうになった頭を不自然にぐらつかせながら、勢いで後ろに倒れた。
「おいおい! こりゃあ、なんだってんだ?」
「こ、子供……?」
いや、違うな……。
視界に現れた襲撃者は、十歳ほどの少女のようにも見えた。しかし、肌は硬質で異様に白く、肘や首といった関節に切れ込みがある。顔は無表情で、生気が感じられない。
目と関節から、赤黒い液体が染み出していて、綺麗に着飾った服やその白い身体を汚していた。
これ、人形だ……。息が出来なくなるほど強烈な腐臭を放っている。手には金色と青い錆のまだらになった青銅のナイフを持っていた。
その得物の斬れ味の悪さからか、斬られた痩せた男と犬はまだギリギリ生きている。
「マズいな。すぐに首を止血してやらないと」
「ええ分かってます。だが、あんたは動かなくていい」
ここでにわかに、短髪の男がゆっくりと反対方向へ動き始めた。
「おいおい。どうした? 戦わねえつもりか」
「い、いや……! この魔人を追っていたはずの仲間達が合流しねえ。ソイツらを探してくる、俺は」
明らかに錯乱している。
愚にもつかない言い訳をしながら、短髪の男はこの場から逃げようとしていた。
短髪の男は、走り出す。
緩慢な動きになっていた人形が、突然、小刻みに地面を突くように走り出し、僕らの間を一瞬ですり抜け、逃げる男に追い付いた。
瞬きする間ほどの時間、急制動し、一直線に短髪の男へ跳躍した。
「ギャッ!!」
背後から首の骨を突いて、圧し折った。
衝撃音を立て、勢いのまま木の幹に打ち付けられる。短髪の男は一瞬手をバタつかせ、ビクリと身体を震わせて動かなくなった。
こ、これは酷いな……。
なんなんだこの殺人人形は。
人形は男の死体を踏みつけ、頭を掴んでナイフを抜こうとしていた。
禿頭の男が、松明を拾い上げる。
そのまま近付こうと動いた瞬間、ナイフを再び手に入れた人形は、森の闇に一瞬で消えた。
「気を付けて下せえ。あれは無差別に人を殺してる。どうやら、動いたら標的になるらしい」
「知っているのか? もしかして、これも魔族の仕業……?」
「いや、多分それはありませんがね」
「外の魔術師には近年、屍霊術が流行り始めている。我々は、その事件の対応もしていた」
ザンダという男が、説明を始めた。禿頭の男が続ける。
「この一週間ほど、ここいら近辺で、農家の家族が次々に惨殺されてんです。“被害家族は皆殺し”、“犯人は子供のように小柄”という以外には情報も無かったんですが、間違いねえでしょう。まさかこんな相手だったとはね」
治安、悪すぎだろ……。
長閑な風景の裏には、そんな陰惨な事実が隠されていたとは。
僕がソイエンを救出する前から人形が暴れていたとなると、この襲撃に関しては、客観的にも僕は無関係な可能性は高いということにはなる。
この傭兵の人達には申し訳ないけど、ハイロやルイカさんには自衛に足るようなまともな武器が無かったから、夜営しようとしたタイミングで鉢合わせしなかったのはまだ良かったかも知れない。
「おいザンダ、負傷したケップとデルギを運んで戻ってくれ。万に一つ、まだ命が助かるかも知れん」
「残るつもりか?」
「丁度、殺人鬼をゼロから探す必要は無くなった。それに、あのやられちまったクソガキにも母親がいるからね。ほっとくわけにもいかんよ」
「了解した」
「あんたももう逃げて下さい」
「え?」
僕に言ってるよな?
「こうなったら仕方ねえ。というか、とっくにそのつもりでしたが、理由を作る手間が省けました。まあ望ましくはねえ内容とはいえ、言い訳はたつでしょう」
禿頭の男は、言い終わるとほぼ同時に、動き出した。
人形がすぐさま反応し、草木をかき分ける音を激しく鳴らしながら、高速で移動していた。
飛び出し、急襲する。
人形は一瞬の躊躇いもなく、首を狙いに行く。副長と呼ばれている禿頭の男は、銅剣を突き出し、突っ張らせるように刺した。
大柄な禿頭の男の体に、反動が伝わる。
「おもっ――! 鉛かよ」
剣の腹を掴み、梃子のように振り回して突進をいなしつつ、距離をとる。
バランスを崩した人形は、人間の腕ほどの太さの灌木を粉砕しながら吹っ飛んだ。
見た目に反して相当、重量があるらしい。
人形の突進スタイルは体重を使って戦えて、負傷を避ける必要がないから、牽制や防御、体捌きを考える必要もない。
短剣だけ構えて、全身でぶつかる。シンプルな戦法だが、シンプル故に対処が難しいかも知れない。
人形は再び急接近して、跳躍した。
禿頭の男が、剣で防御する。銅剣は大きく歪み、勢いに圧されて体制を崩す。
「だ、大丈夫か?」
「ええ。いいから、逃げてください」
人形は、森の闇に三度隠れた。一撃離脱の戦法を得意としているらしい。
ザンダという男は、既に負傷者を連れてこの場から去っている。
流石に……、この副長と呼ばれる男をここで見捨てて行くのは気が引けるな。
ソイエンにいち早く救命措置を施さなければならない……それは分かってはいるが……。
この男を見捨てれば、それぞれ殺されて誰も助からないという結果になるだけ。その可能性も充分にある。
「しかし……」
「行きなって」
禿頭の男は荒っぽく言い捨てたが、一瞬だけこちらを振り向いて、ニヤリと笑った。
「あんた、ケイオンを救ったんでしょ? 一人で、魔人に立ち向かったって聞きましたぜ。だから一度くらい、見逃しますよ。これは俺なりの敬意です。そのために来たんだ」
「あ……!」
そうか。
聖教という組織の下っ端なら、一応僕のことを知りうる立場ではあるのか……。
聖教騎士団としては、ソイエンの追跡は必須だし、考えてもみれば死刑囚を助けた僕がそう都合良く見逃されるはずもない。ましてや、僕は女王失踪に関わっている一派だ。
この人は、この人自身の意思で僕を見逃すために来てくれたってことなのか。
まさか、そんなこと言われるなんてな。魔人と対峙したことなんて、誰にも気にもされてないかと……。
敵であろう人が認めてくれるなんて、凄い意外だ。
「ザンダもアンタを認めてんだ。俺が言うってのも変だけど、そんなに大切なら、その女の最後の尊厳ぐらい、守ってやれば良い」
「ああ。す、すまない……」
あのザンダという大男、あれはただ好戦的なわけじゃなかったらしい。
ソイエンが大切な女というと、ちょっと誤解があるけれど……。いや、間違ってはいないか。
でも、本当に……驚いたな。
禿頭の男は、僕から離れるように前に出た。
こうなれば、信じて任せるしかない。この男の名前ぐらい知っておきたいが、そんなゆとりもない。
うだうだしていれば、もはや足を引っ張るだけだ。
僕が走り出す。
背後に迫ってくる足音が、急接近してきた。
「ちっ! 行ったぞ!」
禿頭の男の声が響く。
まずい!
こっちに来たか。あの人形の注意を引くほど素早く動き過ぎたのか、あるいは戦闘力が低いほうを優先的に狙うくらいの知恵があるのか……。
ソイエンをこれ以上、傷つけられるわけにはいけない。
一度、振り向いて、どうにかいなすしかない。
振り向くと、すでに目の前まで迫ってきていた。
戦闘で激しく動いたせいか、人形は内部から染み出す黒い血に塗れていて、体液を滴らせながら、突っ込んできた。
木の根を圧し折るほどの勢いで、足を踏みしめ、陶器の皿が割れるような音を放ち、バッタのように跳躍する。
「うっ!!」
躱せない。
ソイエンを背負っているし、振り向いてから構えるほどの猶予はなかった。
瞬間、人形の身体が宙で歪んだ。
軌道が屈折するように曲がる。僕をかするように、吹っ飛び、森の斜面を転がってゆく。
バチのような木の棒が、跳ね返り高速で回転しながら、垂直に飛んでいた。
矢だ。
弓矢で撃ち落とされたらしい。
間違いない、ハイロだ。
名前は呼べない。禿頭の男が味方だったとしても、迂闊に名を呼ぶべきではないだろう。
でも、間違いない。
「僕は行く! また逢おう」
ハイロがいれば、あの禿頭の男もきっと大丈夫だろう。
迷わずに、行くしかない。




