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二章三十四項 アルノ


 森林は未だ果てが見えない。

 “そんなに大きくない森”みたいなルイカさんの表現は、歩きでどこまでも行く根性があっての感想かもな……。


 どのくらい進めたのかも分からない。

 かなり歩いた気もするし、野営しようとした場所から数百メートルくらいしか進んでない気もする。

 茂みを踏み越え、道を開拓しながら歩く。


 まさか、二人きりになるだなんてな……。

 せめてハイロにソイエンを縛って体に固定してもらえば良かった。

 真っ暗で藪まみれの森を進むのは、かなり大変だ。松明は灯りとしては非常に頼りない。


 迷わず進まないと。

 聞くところによると、この世界には魔物という概念があるらしいが、流石に都市近郊にはいないらしい。

 野生の大型動物は数百キロも歩いたりするから、遠征して狩猟しなくても、生活圏が衝突せざるを得ない。人間の支配圏では、駆逐されてしまったのかもな。

 とりあえず、今のところは猛獣に怯えなくて良いってのは正直助かる部分はある。


 歩いているおかげで、寒くはない。自分の息遣いが、木々に反響する。

 風で草がざわめいた。

 遠くから、犬の吠えるような音が聞こえる。


「犬の鳴き声……」


 魔物や猛獣が近くに生息していないとは言っても、野犬ぐらいはいるのか……。そうでなければ、人に飼われている犬ということになる。

 何れにしても、嬉しい存在ではない。


 急がなければ。

 イシエスさんの言っていた魔導犬だとしたら、僕を追跡出来るかもしれない。

 魔人は人間よりもエーテルに適合した生き物と考えれば、二酸化炭素を探知出来るヒルのように、魔導犬が僕のエーテルを感知出来る可能性はある。


「はあ……はあ……」


 しんど……。

 小石を踏んでは、バランスを崩して転がりそうになる。

 方角、合ってんのかなこれ。

 一体ここで、何やってんだろう僕は……。

 でも、ソイエンを助けるためだ。きっと、コースの町に着けば状況は良くなってゆくはず。

 

 鳴き声は、着実に僕たちへ迫ってきている。歩いているのに、全く離れる気配がない。

 ハイロはやられてしまったのか?

 人の発する大声が聞こえた。犬に対する号令らしい。

 いくらなんでも焦るのが、遅すぎたか。

 音が確実にすぐそこまで迫ってきている。


「おい、待て。動くな」


 目の前に、三人の男が暗闇の中から飛び出てきた。 

 ハイロの言った通り武装していて、鎖帷子と皮革の防具を身に着け、銅剣を携えている。


 しまったな。

 前方で待ち伏せされていたのか……。


「おいおい、バケモン! 膝をつけ! 背負ってるガキを下ろせ!」

「待っ――……!」

「黙れ、膝をつけ」

「うっ!!」


 短髪の男が、思い切り剣の鞘の先端で鳩尾を突いてくる。

 痛え……!

 怯んだところに、鞘ぐるみの剣で顔面を殴りつけてくる。スレスレで躱した。


「なんだ、あんた達はいきなり……」


 こちらは丸腰だし、ソイエンを背負っているから、流石に抵抗出来ない。

 短髪の男が、剣を抜く。黄金色の銅剣が、松明の灯火で燦めいた。

 戦士らしからぬ、だらりとした姿勢で剣を携え、挑発するように見上げてくる。


「まあ、待ちな」


 一人の丸々とした体格の禿頭とくとうの男が、剣を杖がわりにして話しかけてくる。年齢は五十ほどだろう。


「すみませんがね。ちょっと荒っぽい奴もいるから、素直に指示を聞いてもらえると、助かるんですがね」

「なんだ。僕たちに……用があるのか?」

「ええ。そりゃあもう。じゃなきゃ、態々追いかけて来ませんからね」

「あなた達は何者なんだ?」

「聖教騎士団の使い走りですよ。子飼いの下っ端でね。一応、傭兵ってことになるかな」


 なるほど……。嘘っぽくはないな。

 まあ、今身分を隠す理由はないか。


「そんで、お嬢さんに御用ってところです」

「つまり、ソイエンを捕まえに来たってことか?」

「そうです」

「……見逃してくれる条件はあるか?」

「見逃すっつうのはねえな……。お役人達の面子ってもんがあるんでね」


 なるほど。どうしたものか……。

 これまでの戦いで、僕は交渉がかなり下手くそだとは痛感してしまった。

 言葉で納得させるのは難しいだろう。しかも賄賂として渡す金どころか、持っている物もない。


「ま、下らないことにこだわる様に見えるかも知れませんがね。小娘一人のために、無数の大人がこんなところまで駆り出されてんで。つまりそれだけ、俺らの判断でどうこう出来ねえってことです」

「下らないなんて思っちゃいない。偉い人達にとって、ソイエンの存在は面子だけで済む問題じゃないだろうからな」

「そういうわけです」


 記憶は確かじゃないが、ソイエンは所属していた派閥から、捕まった後に何故か異動させられているっぽいしな。

 どことなく周到な計画性が臭う気もする。

 今となっては、その理由なんて聞きたくもないけど、刑に処されるという役割が誰かの利益になるからというのは確かだろう。


「副長。この魔人、戦えないんでしょ? ぶった斬って、黙らせりゃいいだけだ。魔人を殺した箔がつきゃ、俺達も正式に聖教騎士団に取り立てられるかもよ」


 短髪の若い男は、息巻いていた。


「おいおい。そんなことで名が上がるって? おめえ、この魔人さんが宮廷のご貴人の名の下で復活させられたって知らねえのかい? そんなことしてみろ。俺達の首が飛ぶぜ」

「あんた、いつまでこの扱いに甘んじてるつもりなんだよ。実際に働いてんのはコッチなんだ。上手くやるしかねえって」

「やれるならやってみな。ただしそれなら先に、ザンダの相手をしてもらう」


 禿頭の男は、後方に佇む長髪の男を親指で指した。

 長髪の男は壮年の男で、歴戦のレスラーのように上背が分厚く、肩幅が広く、明らかにただならぬ雰囲気をまとっていた。猛獣のような威圧感があり、見ただけで戦意を削がれるような凄味がある。


「はあ、副長。あんた最近、口うるせえな」


 若い短髪の男は、文句を言いながらも引き下がった。

 一応は、まだ言葉が返ってくる理性があるだけマシかもな。

 しかし、僕がここで偉い人の面子に守られるのか……。その凝り固まった社会構造から脱しようとしてリンデレイルを目指しているわけだから、ちょっと複雑ではある。


 しかし、この場をどう切り抜けるかだな……。まるで思いつかない。

 そこで、僕たちを後ろから追ってきた兵士の一人が追いついて来た。大型の犬が、やかましく吠える。


「あ、副長」

「おう、来たかい」

「さっさと済ませて行きましょうや。お〜、魔人ってこんなんなんすねえ」


 背後から迫って来た痩せた男は、僕らをまじまじと近くで観察しはじめた。


「あ、もう死んでんだ?」


 は? 死んでる?

 何を言って――……。


「何だよ〜。楽しめると思ったのに。これでも宮廷の生娘だ。もったいねえ。死体じゃあな」


 ――……死体?

 嘘だろ。なんなんだコイツは。

 そもそもそんな簡単に……、一瞬見ただけで断言できるはずがない。だって、そんなはずがない。


「何を言っているんだ」

「何って?」


 だって死ん――……さっきまで、普通に会話してたんだ。そんな早く命を落としてしまうはずがない。


「これ、死んでんぜ? 女の子。ほら」


 背後の男は、ソイエンの手足を持ち上げて弄んだ。力無く、振り子のように手足がぶらつく感覚が返ってくる。


 そんな。そんな馬鹿な。

 間に合わなかった……既に、力尽きていた? そこまで消耗していたのか?

 敗血症とかって、患うと一日も保たないものなのか。


 だ、駄目だ。知ることが怖くて、動けない。

 ソイエンが死んだというのが本当だとしたら、どうしたらいいのだろう。振り返ることも、下ろすことも、認めることも出来ない。

 結果が、恐ろしい。


 でも、変だよな……。

 熱が伝わってこない。あれだけ熱かったソイエンの体から、一切温もりが伝わってこない。

 僕が手を離せば、人形のように地面に滑り落ちてしまうかも知れない。


 もう限界だったのだ。

 この娘は、苦しみの中で僕の話を聞いてくれた。必死で悟られまいとしていたのかも知れない。

 心臓が、ぎゅっと縮んだ。足からザワザワとした冷たいものが、一気に立ち上って来た。

 

 結構堪えるな、これ……。泣きそうだ。鼻で息しないと。

 なんでだろう。今まで、立て続けに死者を見たのに。これはかなりキツいわ……。

 全身から力が抜けてゆく。


「まあ……。もうしょうがねえです。顔つきがね、確かに死んじまってるわ、こりゃ」

「頼む。今は何も聞きたくない……」

「まあ、気の毒ですがこっちも仕事なんでね。こうなったら踏ん切りつけるしかありませんぜ。俺らは首だけ持ってけりゃ良いですから」

「なんなんだよ……」

「いいですかね?」

「駄目に決まってるだろ。人としてそんなの!」


 こんな奴らにソイエンの首を切られるなんて、冗談じゃない。

 勝手に決めるな。

 まだ、完全に死んだと決まったわけじゃない。僕が確認するまでは。

 そうだ……! まだ、ロネリアのように蘇生が間に合うかも。

 とにかく、今すぐこいつらから逃れなければ。



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