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二章三十二項 アルノ


 情けないことになってしまった。

 自分で考えていたより、僕の負傷は深かったらしい。

 歩くのにさえ手間取ってしまう。森は歩き難く、思うように進むことが出来なかった。

 ソイエンを背負うのは結局ハイロに任せてしまうことにもなったし、これでは足を引っ張りすぎだ。


 そういうことで時間を取られてしまい、結局、森の最中で野営することになった。

 僕に責任があるのだが、いつまでもグジグジしてても仕方ないし、そういうのを責めるような人達でもない。それに僕があまりに反省した態度になると、ソイエンが気を使わなければならなくなるな……。

 丁重に謝って、後は任せるしかない。


 野営するための道具は一つとして持ち運んでないが、ハイロとルイカさんがひたすら働いてくれて、風よけとして簡易なシェルターと篝火を作って、森の真ん中で夜を過ごすことになった。


 ハイロは食料をも調達してくれるほどの働きなのに、こっちはただ呆然と座ってるだけなんて……、何だか申し訳ないよな。

 薪の火の加減を見るとか、草鞋を編むぐらいしか、出来ることがない。


 こういう遅延が積み重なるというのは、本当に戒めないといけないな……。焦ってどうにかなるものでもないけれど。

 焦りや先行きの見えない不安もあるが、なんだか今は開放感も感じてしまう。

 大変なのはこれからだってのに、火の揺らめきを眺めていると、安らぎを感じずにはいられない。


 終始、脳天気なのは僕とハイロだけで、女性二人とは会話が弾むということもなく、各々静かに過ごした。


 夜も更け、寒さが身を包む。

 空気の臭いは青く、ほんのりと甘いように芳しい。透き通っていて爽やかだ。

 幸い夜空は晴れていて、木々の隙間から空が見える。月のような燦爛さんらんと輝く大きな衛星と、散りばめられた星星が見えていた。

 星座は元々全く詳しくないから、前の記憶との比較は出来ない。

 でも、雨が降らないだけ、ずっといいや。

 星空でも眺めながら、ドラゴンレッグレイズで筋トレがてら、体を温めるか。


 横を見ると、ソイエンが猫のように体を丸めて、僕の隣で寝ていた。

 かなり疲れていたらしく、ほんの少し野草の煮物を口にして、横になってしまった。まあ、休息が必要だろう。


 寝息は随分と荒かった。この寒さで、汗だくになっていて、目からポツンポツンと涙がこぼれている。ただ、眠ってはいるようだった。


 流石に安眠とはいかないか……。

 あんなことがあった後だものな。

 しかしこうなると、レーマの方がどうなってしまったのか、気掛かりでしょうがない。

 まさか死刑になったり……。

 それを全く否定できる要素がないのが、恐ろしい。ソイエンを助けて、レーマを放ったらかしにするというのも後味が悪すぎる。

 イシエスさんに連絡する術があったら良いんだけどな……。


「お、トレーニングしてんのか?」

「ああ。こうしていると、安心するからさ……。ハイロはまだ眠らないの?」

「簡単に見回りしててな。ついでにウサギでも捕れれば良かったが、まあまともな狩りは日が落ちると難しいな」


 ハイロはネズミのような小動物を、三匹持っていた。

 棒に突き刺して、焚き火の横で炙り始める。


「色々と手間をとらせるな、君には」

かねの手間に煩わされるよりよっぽどいいよ。勘定なんかより、こういうほうが性に合ってる。ま、帳簿なんて大体人にやらせてたけど。落ち着きがないって、怒られてばかりだ」

「落ち着くのもいいことかも知れないけど、僕はハイロの行動力に助けられてる。僕一人ではソイエンを救出することは出来なかった。本当に何から何まで、君のお陰だ」

「そこまで言われると、悪くない気分だがね。そういう観点で、仲間は一人でも多いほうがいいしな。互いに信じることが出来る仲間なら、多ければ多いほど良い」

「……信じられる仲間か。そうかも知れないな。でも、もし仲間に信じられない奴が居たら、ハイロならどうするんだ?」

「そりゃ、その場の気分でぶっ殺すかも知れんし、分からんけどさ。程度による。あくまで俺達の傭兵内での話で言えば、だいたいは面倒臭えから、上手いこと何とか出来そうな誰かに押し付けるとか……。まあ、別に俺に媚びへつらってくれる必要はねえ」

「なるほどな。それなら、結果的には強固な組織になるはずではあるか」

「なかなか、口で言うほどは上手くは行かないんだがね」


 それが間違ってるか合ってるかは別として、僕は別にリーダーとしてハイロの姿勢は嫌いじゃない。

 助けてもらって、否定する筋合いもないし。


「それでさ。この、ソイエンとか言ったっけ? どうやら、あんたがその娘にとって重要な立ち位置になるかも知れねえとは思う」

「重要……? そりゃあ言いすぎじゃない? まあ、僕も殺されかけたし、浅からぬ縁かも知れんけど……」

「言い過ぎじゃないと思いますわ。アルノ様と違って、わたくしは、まだほとんど口をきいて貰ってませんから」


 ルイカさんが一着の服を手に持って、焚き火の側にやって来た。

 襤褸を来ているソイエンのために自分の衣を一枚脱いできたらしい。寝ている彼女の服をそっと掛けて、僕とハイロの間に座り直す。


「気を悪くしないで貰いたいが……、それに関しては、あんたが来たタイミング的に、どうしても警戒しないわけにはいかんってのもあんだろ」

「ええ、その通りですわ。仕方ないことだと自覚しております」


 言われてもみれば、それは確かにしょうがないな。

 まだ誰もが完全に潔白とは言える状況ではない。探り合いをするのも不毛だから、それを飲み込んで、協力しようという集まりだ。

 互いのことを知るまで、ゆっくり待つしかない。


「でも、申し訳ないけどさ。この娘に関しては……、ソイエンは普通にならなければいけない。戦力や仲間というよりは、闘争なんかから離れて、普通に生きてほしいと思っている」

「あ~……。まあ、確かにそれもそうだな。アルノ、それならそれで文句もねえ。あんたに任せるわ。助けたのも、あんただしな」

「ちょっとお待ち下さい」


 ルイカさんは声を上げて、膝立ちになった。


「この子、顔色が悪すぎませんか?」

「え……?」


 指摘されて、一番近い僕がソイエンの様子を確認する。

 呼吸は荒く、唇の血色が悪い。汗は相変わらず酷かった。


「そうかも……」

「あらあ。こりゃいけねえ、アッケだな」


 ハイロが覗き込みながら言う。


「あっけ?」

「戦場で傷から悪いものが入ると、こういう風になる。まあ、よくなりがちではあるんだが……」

「もしかして、これって敗血症ってやつか!」


 歴史で度々出てくる病名と言えば、敗血症。

 敗血症は、確か菌やウイルスが傷口から入り込む病気だったはず。厳密な定義はわからないが、傷口からの感染症だ。 


 考えてもみれば、無理もない。

 処刑場とか……そんな場所を怪我まみれになった素足で走り回ったのだ。衛生的なわけがない。


 ウィスキーメーカーの社長であるジャック・ダニエルは、怒って金庫を蹴った際、足を負傷して敗血症で死んだらしい。

 虫歯からもなるし、妊婦の出産時の死亡理由も敗血症は少なくないはず。

 環境や体調次第では、かなり危険な病気だ。


 僕がもっと考慮するべきだった。

 軽く布で拭いはしたけど……。そもそも、清潔な水や布という物が、この社会にはなかなか存在しない。


 成人の出血許容量はだいたいコーラのデカいペットボトル容量程度までらしいから、ただでさえ体格の小さいソイエンのこの負傷具合で、無理に水で傷口を洗うのは危険だと思ってしまった。

 傷口は、黒くなりはじめている。


「先ずは足を消毒しなければいけないかもな……。酒でもあればいいけど……」

「お酒はありません。洗うなら、沢で洗うしかありませんわ」


 これは……洗わないよりはマシなのか……。

 水で洗うならば、少なくとも煮沸したほうが良いかもな。


「なあ……、こう言っちゃ悪いけどよ。ぶっちゃけさ、ここまで消耗してると、決めないといけねえわ」

「ああ。分かってる」


 楽観視は全く出来ない。

 縁起でもない言葉ではあるが、ハイロは傭兵稼業というだけあって、こういう状況を目の当たりにして、決断して来た経験も多いのだろう。

 少なくとも能動的に対策しないと、かなり悪化しかねないな。 


「ルイカさん。ケイオンと次の街はどっちが近いんだろう」

「およそ、半々と言ったところですわね。西に真っ直ぐ行くと、コースというイレベラム大河の川辺りの町に出られますわ」

「折角野営の準備をしてもらったけど、何とかソイエンを連れて森を抜けて、医者を探そうと思う」

「それならば、医者をここまで連れて来るのはいかがでしょうか。無理に運んで体力を消耗してしまうよりは、安静にするほうが良いかも知れません」


 それも一理あるけど……。

 そうなると、時間的に遠征隊と合流がより難しくなるな……。二つに一つか。


「いや、病気が進行して意識を失うようになったら、恐らく医者でももうどうしょうもねえ。そうなったら多くの場合、一日保つか保たないかって感じだ。そういう奴は、仮に治ってもあっという間に衰弱して死んだりする」

「では……、ハイロ様の見立てでは今すぐ発つほうがいいのですか?」

「良い医者が居ればな」


 確かにそれが重要かも知れないが、そもそも抗生物質やワクチンなんて物が無いだろうし……。根本的に医者が病気を治せないと思うと、ルイカさんの提案の方が正しい。


「医者に関しては、情報がありますわ」

「情報?」

「イシエス様から計画を聞き出す時に、ミエフ様というご老人からもお話を伺ったのですが、そのご老人の製薬のお弟子様が河のほとりで住んでいらっしゃるとのことでした」

「弟子? ソイツが腕利きなのかい?」

「薬学に関しては、随一の評判をもつお方のお弟子様ですから。コースと拠点を往復しているそうですから、私がそのお宅に向かいましょう」

「なるほど、俺達がこのお嬢さんを連れてコースに行けば良いってわけだ」

「はい。ここで相談していても仕方ありません。今すぐ発ちましょう」


 ホントに何から何まで、二人に頼り切りみたいな状況になっちゃったな。でも、ここまで来たら、ソイエンを全力で助けるしかない。

 その想いは二人もあるらしく、嫌な顔一つせず立ち上がった。


「まあ、ちょっとばかし危険だが、問題ないだろう。かえって予定通りの行程には戻れるかも知れんしな。ルイカさん、気を付けてくれ」

「ええ。お互いに……。すぐに合流致しましょう」




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