二章二十項 レデレール
宿へ引き返す中、街の混沌はどんどんと広がりを見せた。
街に影が落ちるほど、静かに呪いに飲まれるかのように、気配が変わっている。
街はほとんど闇。
廃墟と見紛うほどに、光がない。
風の香りに、血の臭いが紛れていた。遠くで、悲鳴がしきりに聞こえる。
可能な限り早く帰らねば……。私一人ならばともかく、この状況でテドとペコを連れ歩くのは得策ではない。
「一体……何が起きてるんですかね」
「分からないけど、さっきの男の誇張ではなく、かなりの大事みたいね」
道を曲がったその時、道の先に、蹲る人影があった。
立ち止まって、目を凝らす。
「人が……襲われてる」
テドが言った。
間違いない。その通りだわ。
この異変を察知して、外に出てきたところで襲われてしまったのか、若い男が血まみれになりながら横たわっていた。銅剣が落ちている。
襲っていたのは、人間ではない。
異形の存在が男の腹を割き、内臓を貪っていた。
血の匂いの元は、これね……。
「嘘偽り無く、本当に怪物ね」
こちらの気配を察知したらしい。
ゆっくりと立ち上がり、振り向く。
二足歩行、背骨が湾曲したような猫背。発達した脚部がさながら、大きな蛙のようね。
唇が無く、歯が外側に大きくせり出している。
皮膚が赤黒く血走っていて、首周りに腫瘍が無数にある。
目は恐らくほぼ潰れかけで、分泌物が塊になってこびりついていた。
「なんだ? コイツは」
「見たことのない生き物ね。でも……一番近いとすれば」
「人間ですかね……こりゃあ」
その通りだわ……。かなりの異形といえど、体毛がないという点で見た目はかなり人間に近い。
知能は、あまり無さそうではあるわね。
「いや、あれか。もしかしたらコイツ、“クタイア”だ」
「クタイア……? 知っているの? エゲン」
「一応。聞いたことがある。かつて魔族によって改造された、人の死体らしい」
クタイアという異形の化け物は、跳躍した。
見た目よりもかなり身体能力が高いらしい。
「固まって! 離れないで!」
とにかく、やるしかないわね……!
クタイアは、大きく姿勢を沈めたかと思うと、飛び魚のように鋭く水平に跳躍した。
脚を槍にするように突っ込んでくる。
――所詮は獣。かなり速いけど、肉弾戦なら易しいものね。
「来なさい!」
掌に大気を溜め圧縮――!
暴風の鎚を叩きつける。
「――ウゲッ!!」
クタイアは中空から、直角に急降下し、地面に叩きつけられた。
四肢を広げるように潰され、体液が飛散する。
「す、凄い! レデレールさん!」
「なんだ……魔術か?」
「油断しないで……まだ生きているわ」
クタイアは脆そうに見えて、かなり生命力が強いらしい。
肉体がグズグスになりながも、立ち上がる。
人間なら内臓が破裂し、頭蓋は砕け、場合によっては四肢がバラバラになるくらいの衝撃ではあったはず。
これがいわば魔獣の厄介さね……。
普通の動物なら、戦意が失われている。動物は、あくまでも生きる上での闘争しかしない。つまり、戦闘行為が自分の生存に不利益だと感じた瞬間に逃走する。
しかし、魔族に造られた魔獣は違う。
どういう摂理かはわからないが、死ぬまで戦うという行動がしばしば見られるらしい。人を殺すために、死ぬまで戦う。
魔獣が人間や魔人のような知性のある人系種族以上に厄介な部分があるとすればそこね。
クタイアは咆哮した。
雑音が強く混じり、野太くも甲高くもある、不快な音。
元々人間とはとても思えない。生物として歪で邪悪であることを感じさせる声だ。
「これ以上、動かれると厄介ね」
大気を両手で圧縮。
制御を間違えれば、自分も吹っ飛ぶ。なにより、威力を高めると、相手の死に様が美しくないのが最大の難点ね。
「来ますよ!!」
クタイアが来る。
光が屈折するほどの凝縮された気弾。
胴部を穿つ。
クタイアの身体は、真っ二つに分断した。
勢いで吹っ飛んでいく。
驚くことに、これでもなお生きていて、二つになった体はまだ動いていた。
「まだ生きている。驚異的な生命力ね」
「恐ろしいですね……そもそも何故、そのクタイアがこんなところに……」
そうね。
でも、さっきの男は怯えてパニックになっている割に、残すべき言葉を残して行った。
坑道からこの化け物が出てきたということだ。
私が何か出来るというわけではないけれど、そこが発生源であると仮定出来るのは大きい。
「おい、待て。まだいるぞ」
「えっ……!?」
エゲンが抑えた声で強く警告を発し、テドが怯えた。
クタイアは、一体じゃない。
これは――……想像していたよりも大事件かも知れれないわね。
周囲を見渡すと、エゲンの言った通り、クタイアは居た。
しかも、どんどんと増えている。
二体……いや、三体。先程のクタイアの助けを求める叫びに応えるかのように、街路に闇の中から溢れ出しここへと集結してくる。
「テド……いつでも走れる心構えをしておきなさい」
まるで悪夢。
この下品な趣味な悪夢から逃れないと、我々は地獄へさえもたどり着けないだなんてね。
でも、まだまだ対処可能な範囲ではあるわ。
私がなんとか守るしかない。
子供がこんなことに巻き込まれるなんて許されるべきことじゃないもの。




