一章三項 アルノ
目を開くと、そこは寒々しい円柱状の部屋のままだった。
一見すると狭く感じるが、改めて見てみると二十畳くらいあって、意外に広い。だからこそ寒々しいとも言える。
どうやら、ぼんやりしているうちに寝ていたらしい。
直感としては三、四時間くらいというところだろうか。
天窓をバチバチと雨が打ち付けている。時折強くなった雨音が、ずきりと頭痛を強めた。
辺りは暗がりに変わっていた。
一応、わずかな光を空に感じる。
どうやら完全に夜というわけでも無いらしい。しかし雨雲に阻まれた光は微かにしか届かず、頼りには出来そうにも無かった。
たぶん、時間帯としては夕方ぐらいだろうか。
体調は良いわけでも無いが、動かなければ強烈な苦痛を感じる程ではないな。
とは言え、体はずっしりと重く、むしろ節々の痛みは増しているように思う。
何より、この寒さが一番の問題になってくるだろう。
なにせ僕は今、ほぼ素裸。
寒さは良くない。
エネルギー不足の際に代謝によって筋肉が分解される“カタボリック状態”……――というわけでもまだないか。自分の代謝で筋肉が減るほど、今はまだ筋肉量があるわけでもない。
でもとりあえず、筋肉をつけやすくするための準備として、脂肪もどんどん増やさなきゃいけないな。
……でも、考えてもみればなんでだろう。
筋肉をつけたい理由は自分でも分からない。しかし、その由来不明の使命感しかない。
吐く息は白く濁った。
不思議なことに寝起きではあっても体はまだ自発的に温まっていて、さしあたって今のところ、寒すぎてどうしようもないという状態でもない。
違和感を感じるってことは、やはり以前の僕の身体よりもずっと特殊な体質ではあるようだ。なんて言ったって、魔人だものな。
別に新たな境遇に悲嘆するわけではないが、動けないということは実際、不安だ。
現状はまだなにか切羽詰まっているでもない。
だけど、やばくなってからでは遅いよな……トイレとか。危惧すればするほど、不安が思考に立ちはだかる。
エトルに貰った謎のパン、ガチパンの端っこをペロペロしながらも、憂鬱になる。
頼みの綱はエトルだけど……、あまり期待しすぎるのも悪いかも。
しばらく考え込んでみたが結局、何を考えたって進むべき方針なんてのも思いつかない。
それもそうだ。
僕には考えるための材料は、まだなんにもない。材料もないのに、作る物を考えたって仕方ない。
まずは、判断の基準となる自分を見つけることからだろう。
いま言うとすれば、本来の僕は魔人じゃないと思う。
肉体は魔人でも、心は違う。あとなぜか身体を鍛えることが好き。自分について、知ってるのはほとんどそれぐらい。
寂しいとかはない。過去について、特になんとも思えてない。過去を知らなければ、過去に拘ることさえも出来ないってことなのかもな……。
過去か……。
一体僕はどこから来たのだろう。
やはり、前世とかで命を落としてしまったのだろうか?
魂の再生や輪廻転生なんて信じちゃいないが、実際そんな感じになっちゃってるわけだよな。
まあ、過去は考えてもどうにもならないし意味がない。悩むなら、これからのことだ。
当面、目標を決めるとすればバルクアップぐらいだな。
暇のままに思いに耽っていると、足音が聞こえた。
耳を澄まして聞いてみる。雨音に隠れているが、不思議とハッキリわかった。
歩調はひどくゆっくりで、かつ不規則でおぼつかない。引きずるように、というか……ゾンビというと失礼かもしれないが、例えるとするならそのような歩き方のように思える。
その足音の主は、この部屋の前で止まって扉を開けた。僕に用があるようで、そのまま部屋に入ってくる。
おや……?
若い女性である。女性というか、女の子。年齢は中学生くらいだろう。顔に多分に幼さが残ってる。まさに金髪碧眼で、長い髪を左右の首元で束ねている。白い外套の胸元に記章のようなものが描かれていて、やはりというべきか学生かなにかだろう。
少女は、僕に目もくれず、しかしながら僕に向かってゆっくりと歩いてきた。
なにかがおかしい。そもそもエトルやヘルフェは最初、僕を見て取り乱してたのに、この少女は迷わず極めて機械的に部屋を進んできた。足音から抱いた、ぎこちない歩き方そのままだ。
僕の目の前でピタリと止まると、座ったままの僕をまっすぐ見つめてきた。
可憐な顔だ。まさに人形のようである。
表情は無く、しかしだからこそゆえにただならぬ雰囲気だ。
この違和感。どうもおかしい。この女の子、僕を見ているようで、見ていない。
まるで、さっきヘルフェが操ってみせた、金的おじさんみたいだ。目の焦点がわずかに定まっていない。
嫌な予感は九割実際にはおこらないなんて誰かが言ってたが、一割はつまりごく当たり前のように起こるってことだ。
外套の長い袖のすきまに光るものを持っていた。
刹那、きらりと翻す。
危ない!
「うわっ!!」
っ――!!
少女は短剣を突き刺した。自らの喉に。
あたりには多量の血が滴る。
一瞬のためらいもなく、まさにあっという間だった。
僕の奥義・筋肉反応がなければ、すんでのところで止めることができなかったであろう。といっても、腕立て伏せ十回の賜でしかないのだが。
予想というのは、反応速度を劇的に変えるという。
嫌な予感というのも、あながち捨てたもんじゃない。
思わず刃をつかんでしまったが、少女は本気の力で自らの首をついていたため、もつれてそのまま刺しかねなかった。力いっぱいそれを防いだので、刃が指の骨まで食い込んでしまっている。
良い予感はしていなかったが、流石に予想外だ。驚きで心臓の律動が早まるのを感じる。
とりあえず再び凶行を試みるのを防ぐために短剣を取り上げる。
創作物を介して知る短剣というのは万能包丁の延長のイメージだが、これはかなりずっしりとしていて、分厚い金色の金属のものだった。
間近でみると威圧感がすごい。小さいケトルベルよりは軽いぐらいだが……およそ玉ねぎ二個分の重さ……五百グラムぐらいだろうから、刀の半分くらいの重さだ。素材的にも違うのか、鋼よりも重いだろう。かなりずっしりとしている。生き物を殺すための短剣なのは間違いなさそうだ。
僕も冷静ではないだろうが、どういうことなのか全くわからない。
少女は取り乱したり逃げたりすることもなく、ただ立っていた。
いままで気づかなかったが、アクセサリーが多い。右耳には赤い石のイヤリング、左手にはたくさん指輪をつけていて、首にも下げているものがある。
「鍵……?」
粗末な鍵がこれみよがしに胸元に吊り下がっている。これは……アクセサリーではないだろう。
ふと少女の目から涙が一筋だけ、頬を伝って落ちる。
いやはや、どうなってるのか。僕もここまで怪我をこさえて、鈍感ではいられないかもな。これは考えが必要なところだ。
これは……おそらく操られている。
少女は、魔術とやらで操られているに違いない。ヘルフェが見せてくれた通りそのままの芸当だ。
「大丈夫だ、僕は危害を与えたりしない。安心して」
意味があるかはわからないが、座ったまま目線を合わせて声をかける。
ヘルフェはこういう悪行を出来ることは出来るだろうが、たぶんここまでのことはやらないだろう。僕がそう信じたいだけだが、確証めいた自信がある。ヘルフェの操ったおじさんは歩行に全く淀みがなかった。それだけでも魔術の精度が違うことがわかる。
それに、特定の誰かを疑うにはまだまだ僕は魔術や世界を知らなすぎる。
「待っててくれ……なんとかする!」
鍵があるということは、なんらかの用途のために持たされていると考えていいだろう。なにせ、わざわざ僕の目の前まで歩いて来たのだから。
少女の首にかかっている鍵を取ろうとすると、操られた少女は拒絶するように僕の手をはねのけて後ろへ下がった。
「クフフ」
「アハハ!」
すぐ近くから笑い声がする。
明らかに、若い声。
少女の後ろすぐ、ぼんやりと風景が崩れた。陽炎のように、空間が歪む。
人の形だった。しかも二人いる。
空気の歪みのなかに像が現れ、透明度が徐々に落ちてきて、その姿が露わとなってゆく。
霧のようなもやに包まれ、薄っすら暗く青い光を放っていた。
なるほど、驚くべきところかもしれないが納得感もある。
魔術にはまるで無知の僕も、こういう演出があれば、悪人が身を隠していたと理解出来る。調べる手間もなく疑問も解消した。
操られているであろう少女の背後に、小柄な二人組が現れた。
二人共、黒いローブを纏っている。
大きなフードで頭を覆って、顔を隠していた。フードの前面に、星型が連なったような網目のレースが装飾としてついている。
暗さも相まって、上手いこと顔が見えないようになっている。
人相はわからないが、一人は茶髪の長髪がフードから出ていて、もうひとりは羽のような飾りが覗いていた。
どちらも女の子だろう。体格と声を考えると、間違いない。
「ばか! おい! お前、笑ったら台無しだぞ!」
「だって……あなたが私のお腹つついたりするから。でも、結局こうなるとは思ってたけどね、“タシギ”ちゃん」
「まあ、そうかもな。“フクロウ”さんよ」
タシギと呼ばれた茶髪の少女が、フクロウと呼ばれる羽根飾りの少女を面白おかしく突き飛ばす。
なるほど、鳥さん達の名前を偽名として使って互いを呼び合ってるらしい。妙にわざとらしいし、うっかり本名で呼ばないように確認したのだろう。
「……君たちは誰だ? 一応聞くけど、ここへ何か用があるのかい?」
「これが魔人か。でかいな」
「ちょっと変な臭いだね」
僕の言葉などあたかも聞こえないように、二人で僕を見上げた。
タシギと呼ばれた娘が、操られた少女を指差した。
「で……こっからどうする? コイツ死ななかったら、どうなるんだっけ? 次いけないよ?」
「まぁ……、放っておいてもそのうち死ぬとは思うけど」
「そこの魔人、言葉わかる?」
さっき僕の声が絶対に聞こえていたはずだけどな……。
「いやしかし、馬鹿だよホント。黙って逃げりゃいいのに。どいつもこいつも、手を煩わせるんだから」
「逃げるだって?」
「あなたさ、ここから逃げたい? なにもしないで出ていくなら、鍵をあげるよ」
「僕を逃がしてくれるのか?」
「そだよ」
フクロウと呼ばれた娘は、すぐに相槌をうった。
「分かった……とは言えないな。信用することは出来ない。安全とは限らないわけだし。出ていってほしければ、ただ普通に鍵を渡せばよかっただけなはずだ。疑念を生ませるようなことはせずにね……この女の子を操っている意味は?」
「ああ。なんだ、操ってるって知ってるんだ。すぐ理解できるなんて、ちょっと洞察力があるね。でも余計なことは知らないほうがいいよ。その方があなたの身のためかも」
「身のために、知る必要があるんだ」
「うるせえな。証拠残しとかないといけないに決まってんだろ」
「……証拠って?」
「さすがにもうわかってるでしょ? 死体だよ」
嘘だろう……。
いや、嘘じゃないだろうが、話が突拍子なさすぎて信じたくもない。
子供の悪戯……程度ではないよな。それにしては、周到な感じもする。
「でもさ。ここに留まって、良い目に合うと思う? なんのために復活させられたんだろうね? 考えてみなよ。あなたさ、手枷で繋がれてるんだよ」
「そりゃあ……」
「魔人なんてなぁ……、好意あるやつなんていねえよ。ここケイオンじゃ、憎くてたまらないって人間も多いし。最後には生きたまま腹を裂かれるかも」
その言葉が根拠のない揺さぶりであることはわかるが、ちょっと否定しきれない。だからこそ怖くて、僕が目覚めさせられた目的をエトル達に聞けなかったというのもある。
つまり、僕が人体実験のモルモットのような扱いをされるかもしれないという可能性だ。むしろ、そう考えるのが自然とすら言える。
へルフェによれば、僕は敵対的な存在である“魔人”だという話だった。
この顔を隠した小柄な二人が、僕と同じ種族の仲間であるとも思えないし、エトル達の雰囲気的から察するに人間に友好的な魔人がいるということでもなさそうだ。
逆に考えれば、この二人が僕を逃がすというのも善意ではないのは確実。
どんなに考えてみても、政治的な狙いがあるという以外に考えられない。
操られた少女を生贄にするのは、恐らく僕を逃がすこと自体には関係なくて、それはそれで付随した別の目的であるのかも知れない。
でも、僕の方針はシンプルだ。
こういうのは見過ごせない。
色々と理屈もあるが、まずなにより女の子の死体を残そうだなんて人たちには、全く従うことはできない。
今、僕がやるべきこと……。
まずは操られているであろう女の子を助ける。“操られた少女は放っておいても死ぬ”という言葉があったので、解放するだけではたぶん助けたことにならないと思ったほうがいい。
ネックになるのは、この二人組が姿を消すことができるという事実だな。
操られた少女と黒い姿の二人は、ぴったりと寄り添っていた。操られた少女と共にさっきのように魔法かなにかで姿を隠すためかもしれない。
一度は僕が少女の自傷を防いだことで、警戒されている。
いろいろ聞き出すためには、フクロウとタシギのどちらかを、ここに留まらせなければいけないというのが条件だ。
上手く行くかは分からないが、どうにか不意をつくしか無い。
「わかった。……わかったよ。従うしかないようだし……。僕には誰が死のうと、関係ないことだ。鍵を貸してくれ」
「やっぱそうなるじゃん」
タシギは、鍵の紐を掴んで引きちぎりこちらへ放り投げてくる。
「わ、あっ!」
投げられた鍵を受け取り損ねて、うっかり前の床に鍵を落とした。
二歩分ぐらい先で、手がぎりぎり届かない。
「しまった……いやごめん。取りたいんだけど鎖が突っ張って、ちょっと手が届かない」
「はあ。まじかよコイツ。超鈍臭いじゃん」
呆れたタシギが顎で指すように、鍵の近くに立っていたフクロウに拾うように促した。
そらきた……!
「ほい!」
二メートル超の体がもつ脚の長さをナメるでない!
思い切り前に脚を伸ばして、足の指でフードを掴む。蹴り上げるようにフクロウのフードをめくってしまった。
勢いよくフクロウの顔が露わになる。
驚いて見開かれたその眼が、暗闇に輝いて見えた。
切れ長の目で、普通に可憐な少女だ。ほんのちょっぴりグレーがかった褐色の肌。かなり痩せていて、目の周りに陰りがある。
灰色の髪だが、エトルとは顔の系統はけっこう違うな……。横前髪を結った紐に羽根飾をつけていた。
「あ、ああ!」
顔を隠すように手で覆って、後ろにどすんと尻もちをついた。
「あ、見ちゃった。デュフフ」
思わず下品な笑いが出てしまう。
わざわざ隠しているわけだし、やはり顔を見られると不味いだろうな。
鍵は普通に拾える。脚で押さえつけながら滑らせるように、引き寄せて手に入れた。
悠長には出来ん。
本当は顔を見るのが目的じゃなくて、なんとか足でフクロウの体を引き寄せようと思ったが、生き返ったばかりの体ではそれは難しかった。
結果的に単なる嫌がらせをしただけになったが、時間稼ぎにもなるはず。
相手がモタツイている内に素早く解錠すれば、二人のうちどちらかは取り押さえることが出来る。
「残念……! それは魔術で複製した鍵なんだよ、ほら」
枷の鍵穴に鍵を差し込んで回し開けようとした瞬間、手に入れた鍵は差し込み口に突っ張って二つに折れ、サラサラと砂になって崩れてしまった。
麻紐だけが、手に残る。
あらまぁ、なるほど……!
なかなかうまい具合に出来てるものだ。
この娘たち、ちゃらんぽらんな感じだと決めつけるのは良くないかもしれない。意外と用意周到かもな……。
「……はあ。なにやってんの、お前……? 自分のしてることわかってる?」
「うん。もちろんさ。なんとなくだが、事態をすべて完璧に把握している」
「それは把握してないだろ馬鹿……。お前はもうここを出ることはないってことだよ! 死ぬしかないんだからさ」
タシギは次第に語気を強めた。
こういう悪事をこなす人間にしては、タシギは感情が昂りやすいらしい。
「そりゃあ恐ろしいけど……随分話が変わったな。やっぱり、味方じゃないってわけか。それにしても、悪戯にしてはちょっともうやりすぎじゃない?」
「そう? まあ恐ろしいだろうね。でも、悪戯じゃないし、やりすぎじゃない。これは、私達のやるべきことなんだ」
フードを被り直しながら、フクロウが言う。
これはいかん。
中途半端に手を出して、怒らせちゃったかな……。
「もう話はおしまいにしないとね……。あなたを、もう許してあげることは出来ない」
フクロウが僕に掌を向ける。
それと同調しているかのように、操られた少女が同じ動きをした。
「“水球”」
操られた少女のすぐ目の前の宙に、光る雫が集まり、瞬く間に人の頭ほどの大きさの塊になる。
それを勢いよく僕に放った。
「わ!」
身も凍るような寒さのなか僕は、水を頭から浴びせかけられた。
タシギは、ゆっくりと部屋の隅に移動する。
こりゃあ、なんか不味そうだな……。
これからこの娘達がやろうとしてることは、絶対に良いことではないだろう。
阻止しなければ……!
「うっ……!」
動くと、ガツンと音がなった。少し間を開けて、右腕を掴まれるように引っ張られる。
なるほど、そうか。
部屋の壁際までは、手枷の鎖に伸びるゆとりがないらしい。
タシギは、右手に無数に付けている指輪の一つに触れると、短く詠唱した。
「“雷釧”」
そのまま、僕の手につながっている枷の鎖に触れた。
一度、強烈にビリっと痛みが走る。
一気に全身が引きつって、身動きが取れなくなる。体の腱が、筋肉が緊張して制御出来なくなっている。
ヤバいぞ。
こりゃあ何が起きてるんだ!?
手枷と腕の接触部分が、溶接されているかのように高音を無らしながら火花を放つ。
そこから強烈な痛みが伝わってきて、腕全部が焼かれるようだ。
思考だけはできるが、体を動かすことも声をだすこともできない。
体の節々から、小動物の鳴き声のような甲高い変な音がなった。
視界の中に無数の閃光が走る。
これは……電撃だ。
苦しい。息が出来ない。
冷静でいたとしても、体が動かせないのだから対処のしようもない。
どうもこれは、マズイな。
思考さえも鈍くなってゆくのを感じる。
視界が、ギラギラときらめいて暗闇に向かってゆく。
突然、ふっと暗さだけになった。
息ができる。
そう感じた瞬間、身体から気が抜ける。
い、痛てぇぇ……。
「……クソ、耐えるんじゃねえ。面倒くさい」
タシギは大きく呼吸を繰り返しながらそう言った。
なんで突然、こんなことになってるんだろう。生き返って、数時間で処刑されかけとる。
体全体につんとした強烈な痛みが残る。元々ぼろぼろな状態で、さらにこの仕打とはな……。
たぶん目や鼻の中もダメージをモロに受けて、顔面も感覚がなくて変な感じだ。
困ったことに、今の僕では対処不能。
鎖の長さに限度があって、動き回ることは出来るが、左右それぞれの固定部分の根本までは行けない。たとえ電撃に怯まず動けたとしても、このタシギのもとにはたどり着けない。
魔法だとか言う割には派手さに欠ける攻撃ではあるが……。直接触れることもなく一方的に攻撃出来るという、この状況では侮れない強さがある。
これを何度もやられるのは、堪えるな。
「い、いやぁ……おかげで肩こりが良くなった。なんたって、死ぬほど寝てたもんだから」
苦し紛れの小粋なジョークに、二人は何も答えず沈黙した。
でも……何故か電気攻撃は続けてこない。
「あのさ、君等みたいな若い女の子が、なぜこんな危ないことを……?」
「……うるさ。私達がどんな目にあってるか、考えて見れば……? 頭の腐りかけたお前でも、そんくらいわかるだろ」
「わからんから聞いとる」
沈黙したタシギのその憂鬱は偽りではないらしい。フードで表情は遮られていても、その暗い気持ちが分かった。
「まあ、あなたも一応、被害者だ。特別に教えてあげるよ。下級魔術師や従下級魔術師のような低い等級の魔術師はこのごろ、どんどこ西域送りになってるからね。身分やら家格やらが低い私たちも、候補なんだよ。戦争に勝利するまでは、原則として任を解かれないことになってる。そうなったら確実に命はないから」
「西域送りって?」
「戦場というか……屠殺場とでも言うのかな? ニエネスから来る魔族の侵攻をタノラ辺りでどうにか止めなきゃいけないってので、死体の山になってる。私達はまだ……死ぬなんて冗談じゃない」
何となくでしか分からんな。
聞き覚えのない単語が多く、人生一日目の僕には言っている内容の把握が難しい。
ここがどういう国なのかは知らないが、戦時だということはヘルフェの言葉で把握している。
魔術師というのは、ただかぼちゃを馬車にするような存在と言うよりは、どうやら戦闘員でもあるらしい。
「そ、そりゃ確かにキミらからしたら、受け入れられないことだろうけど……」
「あなた達がこうさせたんだよ? つまり、あなたは加害者。私達も被害者なの」
「仮にそうだとして、この女の子は君たちの犠牲になってもいいってのかい?」
「こいつにとっては窮民の惨状なんて、お茶会の話題以上じゃねえからな。エナシア家の御息女。貴族でも指折りの貴族。いわゆる名家だよ」
「みてよ。この麗しい白い肌。滑らかなままの手。顔もお人形さんみたい。名前はロンエリア? ロネリアちゃん……だってさ。前ケイオン第五代盟主でありながら、最優の宮廷魔術師だった聖人の名前と同じだ」
「ははあ。聖人って、人の骸を踏み台にして、泥沼を渡れる人間って意味だっけ? ふざけるなっての。許せねえよな」
「でも、それって半分当てつけというか……この娘自身が直接君たちになにかしたわけじゃないんだろう?」
「ううん。するよ。きっとこれからする。目に見える悪意のほうが少ないじゃん。無垢なのは、無害であることじゃないよ。その娘は清廉潔白な天使なんかじゃなくて、悪魔なんだよ……。今のところは、目立った罪が無いだけの小さな悪魔」
なんとも……、返す言葉がない。
もちろん正しいわけではないが……。
過熱しすぎた正義や道理でも、当人達にとっては唯一の拠り所だ。否定することも肯定することも、解決には結びつかない。
つまりは、彼女らは西域送りだのを回避するために、誰かの代わりに汚れ仕事をしているとかなのかもな……。
このフクロウとタシギに同情の余地がないわけではないが、だからといって、言葉を鵜呑みにして受け入れることも出来ない。
魔人の身体というのは、やはりとてつもなく厄介事の種なのかもしれない。
突然のことで正直戸惑うばかりだが、切り替えなければ。
少なくとも、僕だけじゃなくて、操られているロネリアと呼ばれたこの娘も危険にさらされている。
「身分がいい人間が悪人というなら、君達の敵は随分多いだろうな」
「害になるなら、それは実際そうでしょ? 派閥があるんだから、敵も味方もいるってだけ。この宮廷は各部署で独立していて、部外者の目が届かなくなってる。ここはクズの巣窟なんだよ。地方出身者を宮廷を歩き回らせるなんて、やめといたほうがいいのにね」
エトルとヘルフェのことか……。
そうか。僕がこういうことに巻き込まれるということは、彼女達にも危険がないとは言い切れないわけだ。
凄い不安になってきた。
だけど、まずは目の前のことを解決しないと。
一応、さっき取り上げた短剣を、パンツの背中側に差し込んで隠している。
電撃がそこに集中したのか、アピールするかのように、お尻が猛烈にひりひりと痛む。
果たして、どうするべきかは決めかねるな……。
持っている武器としては唯一の短剣だが、投げつけるぐらいしか使い道が思いつかない。だが、それじゃ状況の打開は難しいだろう。現実的な手段にどうも思えない。
そもそも、手がろくに動かない。
左腕はかなり重篤な火傷を負っていて、右手は短剣による切創が大きい。
「分かるでしょ? この社会は、奪うときだけ権利を振りかざす都合のいい人間ばっかり。口では戦争反対と言いながら、太った猫のように生きてる。公平平等だと言いながら、パン一切れさえも施さない。私たちだって、奪う権利があるはずだ」
「フクロウ。もういいだろ。人払いはしてるらしいけど……邪魔が入ってもあれだし、もう急がねえとやばくね? もう次でやるよ?」
「うん。……そだね。言い残すことがあれば言っておきな? 別に誰にも伝えないけど……」
「い――」
「“雷釧”」
何か言おうとした瞬間、電撃が襲ってきた。いや、なにか言い残すだけの時間くれないのかよ……!
僕の意思は関係なく、身体が硬直してゆく。
体の内側から、いろんな組織が軋む音が聞こえた。
顎に力が入ってしまったのか、奥歯がガキンと砕けた。
流石に二度目ともなると……! もうヤバイ。
しかし今度は、ちょっとした秘策がある!
なんとか腕が動くうちに、その腕を交差させて耐える!
手枷に電気が伝うなら、もう一方の手枷に伝導しやすい姿勢が良いはずだ!
つまり手枷と手枷を重ね合わせれば、身体より電気伝導率の高い金属に流れる。
広背筋やら脊柱起立筋が引っ張られ、背筋が後ろにやや反ってしまう。
なんか思いがけず魔人っぽいポーズだ!
体の節々がさっきみたいな音を立てて、バチンと煙を吐き出す。
正直、どうしようもない。
なんで突然こんなことになってるんだろう。
悪意ってのは、いつも唐突で不意で、未然に防ぐのが難しい。経験上、それはよくわかってる。
苦痛で、悔しくて、恐ろしい。そして、どこか滑稽だと自分を冷淡に見下している自分もいる。
なんか思い出してきたな……。
尊厳を踏みつけにされ、虐げられ、疎外され苛まされて……。かつて、そんな経験もあった。
怖くはない。
虐げられるとき、一番大きな感情は“恥ずかしい”、“情けない”だった。
自分のみっともなさで焦りが募り、どんどん自信がなくなり、なにもかもが面倒になって毎日が憂鬱だった。
出る杭は打たれるというが、そんなんじゃない。むしろ実際の社会では出てないほうが打たれるじゃないか。
なぜ人はそんなにも自分への攻撃に執着するのだろう。下らないだけだ。
まさに今、そういう感じだ。
自分が誰かもわからず、どうやって生きてゆくかも決めれず、後始末もできず死にゆく。死ぬのが怖くないわけではないが、まず恥ずかしい。
やったことと言えば、ごろごろと寝っ転がって、エトルに飯を作らせたり、挫折した正しいフォームの筋トレしたりぐらいだ。まさかこの部屋から一歩も出ることもないだなんて。
人間、殻に閉じ籠もるしかない時もある。
それはそれでいいのだ。仕方ないし、他人にどうこう言われる謂れも無い。
でも、本当は自分だって自分を許してるわけじゃないんだ。
子供だったときの僕は、ただ世の中の人たちの膨大さと狭隘さに気後れしながら、無視されないように必死で追いすがろうとしてた。
恥ずかしくないように行動してるうちに、自分を庇うプライドだけが大きくなっていって、それが膠のように心に張り付き、何も出来なくなった。
恥ずかしくないように生きているのに、どうしても悪い意味での注目の的になったりした。
詳細は朧気ながら、トラウマが語っている。
嫌なことは、良いことよりもずっと記憶に刻まれるもんなんだな。
いつからか、暗闇の中の思い出ばかり。
嫌なことが一杯あって、それから夜になると、明日が来るのを思って眠るのが怖くて、いつも憂鬱だった。
明日なんて忘れてしまえるように、僕はマッチョなヒーローが悪党をぶちのめすような物語を好んで見ていたっけ……。
僕の日常とはあまりにも違う世界が、多くのことを忘れさせてくれた。
ほとんど内容までは覚えてないけど、その時間だけ僕は現状の虚しさを忘れることが出来た。
陽光でギラついた筋肉隆々の男の印象だけが、記憶に残っている。終われば、ただ虚しい誰にも顧みられてない自分が取り残されるだけだ。
それでも少しだけ明日を受け入れる準備にはなった。
でも、そうだった。
人間はほんの少しだとしても、今日より明日を良くしうる力を持っている。
一日はいつだって困難を乗り越えることから始まる。ミスター・オリンピアですらそうなのだ。
限界を決めるの自分の心。できると思う限り、可能性は残されているはずだ。
記憶はないけれど、一度僕には強く靭やかな肉体を作り上げたという確信がある。
鋼の肉体の前には、鋼の魂がある。
死んだとしても、何度だってあの太陽でギラつく肉体にバルクアップできるはずだ。
「う、うおおおぉぉぉぉ!!」
「えっ!? こいつマジか!」
この苦境、耐えるのみ。
よくわからんけど、なんかもう声さえも出る。
やはり、気持ちは重要だ。
腰痛だろうが、筋肉痛だろうがそうだ。
気が向かなくても、具合悪くても、勢いでやってしまえばなんか楽しくなってきて続けられるもんだ。
休むことも恐れてはいけないが、多少の障壁は省みないアホになるのが重要なのだ。
「あああん!!」
「……こいつ! 死なねえ」
身体が動く。電撃が途切れた。
気が緩んで、意識が重力に思い切り引っ張られる。
いや、大丈夫だ。意識を保つことに意識を保てばなんとかなる。
焦げ臭さも自分ではもう感じない。しかし、煙が充満していた。身体から、煙が立ち上がっている。
電撃を強く受けたほうの左手は、皮膚が溶けて固まりビチビチに張っている。
我ながら、よくぞ生きているな。
「ふぅ――……ど、どんとこい。超常現象だろうが魔術だろうが! 耐えてみせる!」
「はあ……はあ! やべえ……普通一回で動けないくらい瀕死になるのに。こいつマジ死なないのか?」
「でも、やらなきゃいけないよ……。私は顔を見られてる。やりきらなきゃいけない」
「さぁ来な!! かかってきなさい!」
僕は僕でそう凄んで見せたが、すこぶるしんどい。九十九パーセント、痩せ我慢だ。ゲロも吐きそうである。
実際、タシギの言う通りほぼ瀕死だ。
しかし、一つ疑問がある。
僕を殺して終わらせるつもりなら、電撃を続ければいいはずだ。
小休止を挟むのは、たぶん僕のためじゃない。気まぐれや慈悲じゃなくて、このタシギ自身に必要だと言うことなのではないだろうか。
筋トレも同じだ。フィジカルと同時に、不屈のメンタルを要する。限界の先を開拓する意志力。
いちいち会話に付き合ってくれるのは、つまり休息が必要だからだ。
人は意外なほど簡単に死ぬ時もあれば、いざ殺すとなると意外なほどに難しいものかもな。
どうやら僕がこのように耐えるのは、彼女たちにとっても誤算ではあるらしい。
僕の体の大きさ、鎖の長さと黒い酸化被膜、繋がる腕が低温で炭化してしまったこと。そして、まだ絞られていない皮下脂肪の多さ。脂肪は絶縁体だ。
そういう要因によって、電気抵抗が上がっているという予想は出来る。
ふと、ロネリアに異変があった。
「どうしたんだ……?」
様子がおかしい。
目からポタポタと、血の涙が滴り落ちている。
「血が……!」
「厳密には血そのものじゃないけど……なんにせよ、そろそろ限界だねこれ。操るためにエーテルを飲ませたから……。一応ちゃんと耳は聞こえているし、意識あるらしいよ? 励ましてあげるのは自由」
「自分たちが助かりたいだけなら、こんな酷い仕打ちをする必要はないんじゃないのか……!」
「月並みな言葉だね……魔人だって、別に人を殺しまくってるじゃん。それとなにが違うの?」
「違うわけじゃないなら、それは良くないってことだ。キミらも分かっているだろう。こんなことに利用されていれば、いつかは報いを受ける」
二人の少女は、フードの暗闇のむこうで馬鹿にするように笑みを浮かべた。
もう交渉で何とかしようとしてもしょうがない。ロネリアに限界があるなら、問答している場合じゃない。
なにか……。
少しの変化でも、なんでも良い。
なにか行動するべきだ。
「いくぞ!」
掌を出し、構える。
腰を折り、強く地面を蹴った。
人間も脚の筋肉は大きく発達する。最も大きな自然に備わる筋肉だ。
天地がグルンとひっくり返る。
大きな衝撃が、身体に伝わった。
金属がねじ曲がる派手な音が鳴る。
目に映る世界が、自分でも把握できなくなるほど激しく動転する。
「うなっ!」
腕に感覚がないので、思うようにつっぱらずにぐにゃりと曲がってしまった。鎖が暴れて激しく鳴る。
「な、なに……してんの?」
頭から落ちた僕を見下して、タシギが動揺していた。
同時に水が流れ落ちてくる。
吊り下げられている銅製の容器から、液体が流れ出していた。
タシギが怯んで、数歩後ずさる。
「な、なにこれ?」
「これもエーテル溶液だね。空気中のおよそ五十倍くらい濃度があるから、毒性で私達を殺そうって算段なんだと思う。触れたくらいじゃ死なないけどね」
いや、別にこっちは殺してやろうとかではない……。
「いや……違う。分かった。回復しているんだ」
「なに? どういうこと?」
「魔族は人間と違って、エーテルを吸収できるって習ったよね。もしそれが肉体の回復や治癒に関する性質なら、電撃を耐えられた理由にもなる。エーテルは密度の差で対流が生まれるから」
「……ああ、ええと?」
「つまり。この魔人は回復して、私たちの魔術は弱くなる」
「……じゃあ、どうしろってんだよ?」
「威力を高めて、一気に押し切ればいい」
「なるほど、あれか」
フクロウは、操られた少女を歩かせて自らの前に立たせた。そこに、タシギも近寄る。
操られた少女を前にし、二人はその背後にたった。言うなれば、トライアングルの陣形だ。
操られた少女のその背に、後ろの二人が手をつけているのか、ぴったりと身体を近づけている。
なるほど。おそらくこれは合体技だ。
必殺技か。いいだろう。
受けて立つ!
前触れもなく、操られた少女が手を僕にかざす。
一瞬、操られた少女から僕に向かって光の柱が走った。
「死ね、ゴミ!」
ただの暴言! 詠唱とかいらんのかい!
タシギが叫んだと同時だった。
青い雷電が走り、空気を断ち切った。
眼の前が青い光に溢れる。 ホワイトアウトするほどの閃光で、ほとんど視界がない。
鼓膜がぶち抜かれそうな轟音が響いた。
さながら派手な線香花火みたいに、幾重にも枝分かれした電撃の奔流が飛び散る。
「うおお!」
今の僕なら防げるはずだ! 死にかけなのはなにも変わっちゃいないが。
全身をエネルギーが突き抜けるような衝撃を感じた。火花をも散らし、派手な音が鳴り響く。
「あっ!!」
二人の女の子が、鼠が驚くように飛び退いた。
「いたぁ!! ……何? なんで……? なんで私達が……!?」
そりゃあ、驚くだろう。
僕も死ぬほど痛かったが、根暗特有のリアクションが下手で、動じてないように見えるだけなのだ!
あとから負傷が祟って死ぬかも知れないが、今のところはとりあえず正気だ。
「ふふ……。僕にコレを渡すべきでなかったかもな……」
「……まさか私達の魔術を……防いだ?」
“青銅の短剣”で攻撃を受けられた。
さっき砂の鍵を受け取ったときに残ったその紐を濡らし、そこから地面に電導したのだ。
短剣の柄は木製なので、濡れていなければ致死的な感電を防げる……という賭けだった。
不思議な水は、手の治癒が出来るかもという予測で利用した。わずかに動かせるぐらいではあるが、指は確かに動く。
力を込めると、触感はなく、指の芯から痛みだけが伝わってくる。感触がないので自分の手じゃないみたいだが、だけど確かに動く。
「君たちの事情も汲んであげたいところだが……僕はもちろん抵抗する。短剣で」
「……だからなんなの? 短剣で強くなったつもりかよ。お前の状況は、まだ何一つ改善してないし、一時しのぎでしかねえじゃん……でも、フクロウ。こっからどうするつもり?」
「もう槍でも持ってきて突き殺したほうが、手っ取り早いね。でも、宮廷内は武器を用意するのも一苦労だし……。時間をかけるのは、確かに得策じゃない。もう一度同じことをやるしかないよ」
操られた少女が腕を上げる。さっきと打って変わって、腕をガタガタと痙攣させ呼吸が大幅に荒くなっている。
どうやら、さっきより更にダメージを負っているようだ。
「待て! 僕にも勝算はある。だけど出来るなら、僕もここまでにしておきたい。君たちを害したいわけじゃない。最後の警告だ」
「その短剣で私達のどちらかを殺すつもりなら、ちょっと無理かもね。それって、そもそも私があなたの手に渡るようにしてたものだし……もちろん対策はあるよ」
「いいや、できるね。たぶん。やってみなきゃ、わからないじゃないですか」
「あは! 必死すぎでしょ。魔人なら魔術で対抗すればいいんじゃね? 本来の魔人なら、こっちが速攻で殺されてるところじゃん。人格さえデクの坊じゃなきゃさ」
タシギは僕の警告が命惜しさの延命行為だと思っているのか、嘲笑した。
「デクの坊かもな。だけど、僕にも一つだけ使える魔法がある。実はもう掛けてあるんだ」
「……へえ。嘘くさ。魔術を使えるとして、なんで今さら?」
「ずっと使ってた。遠隔で扉を施錠する魔法なんだ」
「そんな魔術、聞いたことがない」
フクロウは魔術に関して広く知識があるらしい。いくらなんでも、魔術師相手に魔術のハッタリはキツいか。
しかし、やるだけやるしかない。
「僕は死ぬ前にエ……、エクラナという土地で、完全な錠前を作っていた魔法使いだった……。魔法使いになりたかったけど、他の才能がなくて、逆に珍しいその魔法くらいしか使えなくてね」
「こういうものには魔術をかけることは出来ないんだよ。素人だね」
「ああ。そのドアノブは真鍮で出来ているが、真鍮のような金属に掛ける魔法は確かに難しい。結構エーテルが必要なんだけど、逆に言えば出来てしまえば、難しいぶん効果も強い。仮にこれから僕が死んでも、君等を閉じ込めて他の誰かによって正体がわかってしまえば、芋づる式に誰が悪巧みしているか暴くことができる。果たして、誰か来る前に解錠することができるかな」
タシギは、フクロウを見た。
およそ心臓四拍分の長さの沈黙が、場を支配する。
「そんな手に引っかかるわけねえじゃん。ああ! ヤバい! なんでこんな……苛ついて背中が痒くなってきたわ!」
タシギは怒ったまま、体を掻きむしった。
「いや、……待って」
「はあ? こいつの言葉聞くの?」
またフクロウは少しのあいだ沈黙した。
操られた少女に掛けていた手を、静かに下ろす。
「なるほど……。少しだけ口が上手いね」
そうつまり、嘘か本当かという問題じゃない。もし本当に完全な嘘だと割り切れたら、言葉を返してくる必要もない。
扉が閉じているか開いているか確認すればいいだけのことなのだが、そう出来ないだろう。僕が嘘をつくと知っている。
つまり、“扉が本当に施錠されているリスク”と“施錠は嘘だが、他の罠が扉に仕掛けてあるリスク”を疑ってしまっているわけだ。
「意味わかんねえ。意味が……早くしよう?」
タシギは何故か両手が震え、明らかに動揺が大きくなっている。
鼻をしきりに啜った。
「嘘だと思うなら、その娘を操って確かめてみるといい」
「うん。怪しい。だけどまあ、そうしようかな」
フクロウは、素直に娘を操って扉に向かわせた。
今だ……!
僕のやろうとしていることが良い結果を招くか、全く予想がつかない。
しかし、タイミングを逃せばもっと悪化することが目に見えている。
とにかく、やるしかない。
右足を突き出し身体をすこし屈める。大きく横に腕を振った。
そのまま、拘束が許す限り身体を回転させる。
腕が長ければ、それだけ遠心力が乗りやすい。
これぞ秘技、筋肉投擲だ!
フクロウは警戒してたらしく、僕の動きに速応して身を翻した。
「防壁」
手のひらを胸の前で合わせ上下に開く。
手の軌跡に光の尾がなびくように曳光の壁が出来た。
おそらく魔法の盾っぽいものだろう。言っていた通り、防御の魔法もあるらしい。
だが、狙いはそこじゃない。
ぶん投げた短剣は大きく垂直に飛ぶ。
そのまま、天井のガラスを突き破る。
「ああっ!!」
驚くくらい大げさとも思える騒音を立てて、雨とガラスが部屋に降り注いだ。
フクロウは、光の壁をとっさに上に向け、降り注ぐガラスの破片を防ぐ。
床の石材に叩きつけられ、ガラスが粉々になって飛び散った。
部屋は一転して冷たい雨の降り注ぐ部屋になる。




